第73話 走る後輩、走る同級生、走り出す彼女。そして圧倒する聖霊
――第9走者の白城鳴にバトンが渡った時点で、A組チームの順位は全6チーム中5位だった。
トップを行くのは、アンカーに陸上部長距離エースの足立進吾を擁する、下馬評で優勝候補のF組チーム。
まだそこまで大きく差が開いていない今のうちに、追い付き追い越せとばかり……1年生ながら、その身体能力を買われて後半の走者に選ばれた鳴は、驚異的な走りを見せる。
コース長こそ500mと中距離ながら、ほぼゆるやかな上り坂という地味に厳しい区間で、他の走者がへばって失速する中、むしろ加速するような勢いで駆け――。
2人を抜いて3位で、第10走者の国東衛にバトンを渡したのだ。
さらに――衛もまた、いかにも普通の雰囲気とは裏腹に、かなりの脚力で猛追を開始。
あっさりと1人を抜き、必死に逃げるF組をジリジリと追い上げていた――。
* * *
「……な、なあ軍曹、コイツ、どーすんの……?」
「とりあえず、ハチの巣にはしてやれませんね。あいにくと弾切れです」
困り果てた様子のアーサーに、タメ息混じりに答えて……わたしはワルサーPPKを、背負っていたリュックサックに押し込みます。
そんなわたしたちの前には――長い枝をムチのように振り回す、ハタ迷惑な古木。
残り数体となった〈呪疫〉が、生存本能みたいなものなのでしょうか、朽ちた古木に取り憑いた結果生まれた……一種の〈妖樹〉ですね。
――パッと見た感じでも、明らかにただの〈呪疫〉より強いのが分かります。
そんな芸当が出来るなら、さっさと他の木々に取り憑いておけば良かったんじゃ……とか思わなくもありませんが……。
多分、元気な木は生命力とかの〈正〉たる力が強いから、〈負〉の具現化みたいなコイツらは取り憑けなかったりするんでしょう。
やっぱり、そのテのことは親和性とかが大事だと思いますし。
「じゃ、じゃあ、オレが、この剣でぶった斬るしか……」
「それが手っ取り早いですが、ムリでしょう?……というか、ムリです」
妖樹は、ムチのような枝をびゅんびゅん絶え間なく振り回しています。
そのリーチから考えても、ガヴァナードで叩っ斬るにはアレをかいくぐって接近するしかないわけで……勇者様なら造作ないそれも、アーサーには到底ムリな芸当ってもんです。
そうなると――。
「……ま、めんどくさいけど、わたしがやるしかないですね。
アーサー、あなたは邪魔にならないように身を守ってて下さい。防御一択」
「……だ、大丈夫なのかよ?」
「ジャリ坊がいっちょまえに心配ですか? ナメないで下さい。
単に、もっと弾丸用意しときゃ良かったなー、って、ちょいブルーなだけですから。
ああ……せっかく、思いっきりブチ込んでやったら楽しそうな相手なのに……」
タメ息一つ、少し距離を開けると――。
身の内の魔力を、集中して練り上げながら……。
指を、腕を使って、空に印を結び、陣を刻んでいけば――。
ふわりと――ポニーテールが、風も無いのに広がり、棚引きます。
「……剣の宮、禰に献ぐ瑛の王、裁ちて絶つ断刃、遣い遣う白――」
結んだ印に、刻んだ陣に……意味を備えたその経絡に魔力を流し、循環させて――言霊に、命を、姿を、理由を与えていきます。
それが、確かなチカラとなり――望む事象を具現化するために。
やがて、妖樹を取り囲むようにして、星空のごとく……無数の凝縮された光が瞬いて――。
しかし、そこで……。
「……えぇ〜……?」
思わず、不満がまんま口に出てました。
……一気に魔法を完成させて終わり、って思ってたのに……。
身の危険を感じ取ったのか――なんと妖樹はズリズリとゆっくり、距離を詰めてきているじゃないですか……!
……動くとか何ソレ、『樹』としてのアイデンティティーは無いんですか、まったく!
――このままだと、魔法が完成するよりも、向こうのムチっぽい枝の射程距離に入る方がわずかに早い――。
そう判断し、改めて距離を取って別の対策を講じようと思ったら……。
「軍曹、なんかよく分かんねーけど、時間稼げばいいんだろ!?
オレに任せとけって!」
「――は!? ちょ、アーサー!?」
――アーサーが、とんでもないことを言い出しました。
そして――。
『そもそもあなたが接近戦出来ないから、こうして魔法でカタを付けようとしてるんじゃないですか、なのに何をおバカなことぬかしてやがるんです――』
……と、わたしが文句を言うその前に、アーサーは。
「ぅぉおお……りゃああーーーッ!!!」
雄叫びとともに、思いっきり……!
ガヴァナードを、妖樹に向かって投げつけやがりました!
……うっわ、このジャリ坊!!
わたしの半身を――聖剣を何だと思ってやがるんです!!!
放たれた聖剣は、さすがというか、打ち払おうとする枝をことごとく撥ね除けて真っ直ぐに空を裂き――ものの見事に、妖樹の幹にブッ刺さります。
決定打――にはならないまでも、たたらを踏むように後ずさる妖樹。
「――今だ、軍曹!!」
「今だ――じゃねえ! 覚えてろ悪ガキが!!」
ボロクソに言いたいのを抑え、一言怒鳴るに留めて、わたしは魔法の形成に戻ります。
意識を集中し直し、魔力の循環を一気に高めて――!
「……其の名、御劔!
謐にして靜、眩く瞬く果断……!
――〈剣宮ノ斬虹〉!!」
差し出した両腕を、大きく広げるように左右に薙ぎ払います。
すると、それに合わせて――。
妖樹を取り囲む星々が、強く輝き――。
各々がその一条の煌めきを刃と化して、十重二十重に……閃き、閃き、さらに閃きました。
それは――奔る光よりも、なお速くに。
「……へ?
なに……今のピカピカで終わり? アイツ普通に立ってるけど……」
「終わりですよ。……ほれ」
キョトンとするアーサーに、わたしは改めてアゴで動きを止めた妖樹を示してやります。
その瞬間――。
あまりに多すぎる切断面に、妖樹そのものが一瞬輝いたように見えたかと思うと――。
幹に突き立っていた聖剣だけを残し……まさしく、言葉通りの木っ端微塵に斬り散らされました。
「う、うおおおっ!? す、すげー……!」
「はー、さすがに疲れましたね……。
けどまあ、これで任務完了――っと」
大きく息を吐いて、とりあえずわたしは……。
聖剣をブン投げるとか、どエラい暴挙に出やがったアーサーの頭を、よくやったの意味も含めて――ゲンコツで、そこそこに力を込めてゴッツンしてやるのでした。
* * *
――ウチは、係の人の指示に従って、スタートラインに並ぶ。
喚声はもう間近まで来てる。
すぐにでも、先頭が見えてくるはず……。
白城さんがすごい走りをしたみたいで……第10走者の国東くんにバトンが渡ったタイミングで、5位やったウチらは3位まで浮上。
しかも、ついさっき係の人に入った最新情報によると、さらに国東くんが1人抜いて2位に上がったみたいで……このペースやと、かなりの接戦でここまで来るって予想されてた。
……心臓が、すごい速さで脈を打つ。バクバクいうてる……。
ゼッタイ負けたくないこのレースで、みんなも頑張って、2位っていう好条件でバトンを運んでくれようとしてる。
それをムダにせんように、ウチも頑張らな……!
緊張で固くなった身体をほぐそうって、何回も屈伸とかするけど……なんかほぐれてる気が……せえへん。
それどころか、ますます固くなってるみたいな……。
ううん、そんなん思ってるからあかんねん、落ち着かな……!
これまでも何度もやってたけど、ウチはまた必死になって深呼吸する。
なんか、でも、気ィ抜いたら、深呼吸の仕方まで忘れてしまいそうな……。
そんな、自分でも驚くぐらいテンパってるウチの隣で、F組走者の3年生は慣れた感じで準備体操をしてた。
確かこの先輩も、女子陸上部の1000m選手やったっけ……。
足、速い――やんな、当然……。
妙な弱気が顔を出したところで、あわてて首を振って否定する。
――道の向こうが、どっと沸いたんはそんなときやった。
続いて、コーナーを曲がって……F組の3年生が一番に姿を見せる。
それから、少し遅れて国東くんも。
――――来た!
「国東くん、頑張って! もう少し!」
一足早くF組のバトンが渡り、先輩が走り出したのを横目に見ながら――ウチは国東くんに声をかける。
そして、タイミングを合わせて……手を後ろに伸ばしたまま走り出した。
「鈴守さん…………お願いっ!」
国東くんの声と一緒に、伸ばした手にプラスチックの感触――。
「任してっ!」
届けられたそれを、想いを、握り締めて――。
ウチは一気にペースを上げて、先を行くF組の先輩を追いかける。
……ウチらが走るこの区間は、基本的には下り坂になる。
だから、意外にスピード出して走るのが難しいんやけど……。
逆に言えば、陸上部として、基本的にはトラックを走ってる先輩としても実力は出しづらいはずやから……。
追い抜くにはここしかないって踏んで、ウチは猛ダッシュで距離を詰めていった。
せっかくみんなが、ここまで順位を押し上げてくれたんやから……。
あとはウチが、先輩を抜かして、少しでも差をつけて、赤宮くんに……!
――飛ぶように駆ける、とかって言うけど……。
下り坂で、とにかく速く、ってスピードを上げるウチは……いつの間にか、ホンマに浮いてるような感覚がしてた。
「――――!?」
そう――浮いてた。
自分で、バカげた危ない走り方してるって気付くまで――。
そして、気が付くのが遅いってことに――また気が付くまで。
あわてて、ちゃんと……。
それこそ、地に足付けようって踏ん張ったときには、もう遅くて。
思ってた以上に、今日は足を酷使してたってことにも気が付いて。
想像以上に、緊張で身体が強張ってたことにも気が付いて。
自分の足と違うみたいに、ちゃんと動いてくれへん足は、思い切り絡まって――。
「…………あ――」
ふわりとした、これまで以上の……全身の浮遊感といっしょに。
目に見える景色が、世界が、ぐるりと――。
……すごい勢いで、回ってた。