第70話 常勝でも栄誉でもない、勇者の条件
――重苦しい空に号砲が鳴り響き……ついに、レースがスタートした。
空模様など気にせず……いや、むしろ悪いからこそなのか、そんなものは吹っ飛ばせとばかりの大歓声の中、トラックでは早くも短距離走のデッドヒートが繰り広げられている。
その様子を見ながら……落ち着きを取り戻した俺は。
並び立つ脚立――じゃない、足立センパイに話しかけた。
「……センパイ、知ってます?
勇者ってね、案外、無敵でも最強でもない――。
そう、決して、常勝無敗の存在なんかじゃないんですよ」
「…………?」
何を言ってるんだ、と言わんばかりの顔でセンパイは俺を見た。
対して俺は、レースの様子を見守りながら、淡々とした調子で言葉を続ける。
「負けることもしょっちゅうです。尻尾巻いて逃げることだってある」
「……ふうん?」
センパイは小バカにしたように頬を歪めた。
多分、俺の、負けることへの言い訳を聞いてる気分なんだろう。
「……でもそれは――そうなることで失われるものがちっぽけだから。
常勝の栄光とか、無敗の誉れとか……そんなものはどうだっていい。
社会的名声や、人々の羨望だって……どうでもいいからなんですよ。
それに、負けることで得るものもあるし、逃げることで学ぶものもある――」
「…………」
センパイの表情が、今度は渋いものに変わる。
……まあな……運動部のエースとかってなると、何より勝つこと――勝ち続けることを重視してるだろうし、それなりの名声や羨望も得てきてるはずだから……。
こうして、それを否定するような物言いされれば、いい気はしないよな。
「じゃあなんで、勇者が勇者たりえるのかと言えば――」
そこで初めて、俺はセンパイの方を見た。
「自分の誇りや名誉なんかより、よっぽど大事な――本当に大切なものだけは、何があろうと決して、絶対に手放さないからなんですよ」
「――――!」
俺の視線を受けたセンパイが……ちょっと、でも明らかにたじろぐ。
……けど、それも当然だろう。
自分で言うのもなんだけど、こっちは異世界で生きるか死ぬかって死線を何度も経験してきてるんだ――迫力とか眼力ってもんは、年上だろうと、普通の高校生に負けるようなもんじゃない。
加えて――。
もともとやる気は充分だったけど、センパイの『賭け』のおかげで……俺の闘争心にも火が付いちまったからな。
結果、威圧感は3割増しぐらいになってるだろうし。
そう、そしてその『賭け』は……俺に一つの決意もさせていた。
勇者としてのチカラを、意図して抑える、という程度じゃなく――。
〈弱体化〉の魔法を自分自身に使い、正真正銘、センパイと同レベルの一般高校生として、この勝負に――いや、『ケンカ』に挑むという決意を。
「――で、センパイ。
『賭け』って言ったからには、俺にも、勝った場合に得るものを要求する権利はあるんですよね?」
「……あ、ああ。まあな」
「じゃ、この後うちのクラス、祝勝会やる予定らしいんで……。
俺が勝ったら、全員分のジュース代、カンパして下さい」
俺がさらりと要求を告げると、センパイは毒気を抜かれたような顔になった。
「……なんですセンパイ?
せいぜい5000円程度っすよ? 出せないってことはないでしょ?」
「あ、当たり前だろ!
そうじゃなくて……こっちは、『彼女と別れろ』なんて言ってるんだぞ?
それに見合った要求するのが普通――」
「……ああ」
俺は、センパイの言葉を遮ってわざとらしく手を打つ。
そして――。
「それはもちろん、釣り合いが取れるようなもの要求したら、センパイが払いきれないからに決まってるじゃないですか――」
センパイの目を、改めて、真っ向からキッと見据えてやった。
「……勝つのは、俺なんですから」
そう……同レベルの能力の戦いで、それでも俺は勝つ。
そうして、直に叩き込んでやるよセンパイ――。
アンタの、そのちょっとヒネくれた性根に……。
――本物の勇者の、信念ってやつをな。
* * *
「な、なな、なんだよコイツ……!?」
朝岡武尊の目の前で……。
木陰の薄暗がり、そこにあった『影』そのものがのっそりと蠢き――ずんぐりとした、首の無い人間のような形を取る。
それは同時に、ひどく流動的でもあり――ぐにょりと微妙に形を変えながら、武尊へとにじり寄ってきた。
――これは、なにか『良くないモノ』だ――
〈呪疫〉という名は知らずとも、本能的にその危険を察知した武尊は、ジリジリと後ずさるが――。
逃がさないと言わんばかりに、いきなり、影はその腕めいた部分を槍のように伸ばし、襲いかかってきた。
「――うわわっ!?」
とっさに地面を転がって避ける武尊。
そのついでに、引っ掴んだ小石を、あっちへ行けと叫ぶ代わりに思い切り投げつける。
影だから、あっさりすり抜けると思いきや――。
ゴツッ……と、確かな音を立てて、小石は影にぶち当たった。
効果がある――というほどでもないが、まったく効かないわけでもないと分かって、武尊の心に、未知の存在への恐怖を押しやる、少しばかりの勇気が湧く。
そこで武尊は、側に落ちていた、手頃な長さの棒切れを拾って立ち上がると……影に向かって身構えた。
「ふ、ふんっ、なんだか良くわかんねーけど、お前みたいなモンスター相手に逃げてたまるかよ……!
オレがブッ倒してやるっ! いっくぞぉーーーッ!!」
声を張り上げて自分を鼓舞し――突撃する武尊。
「くっらえええーーーッ!!!
必っ殺ぅ! 神魔壊塵けーーーんッッ!!!」
先日読んだばかりのマンガをイメージしながら、ただ思いっきり、ひたすら全力で、大上段から棒切れを叩き付ける。
――ゴヅン、という、腕にしびれが走るぐらいの確かな手応え。
それで、影が傾いだ――そう見えた武尊は、ここが攻め時と、さらに連続で棒切れを打ち込む。
「うぅりゃりゃりゃーーーッ!!!
ブレイズラーーーッシュ!!!」
先日買ったばかりの格ゲーを思い出しながら、もう思いっきり、ありったけの全力で、メチャクチャな連打を浴びせる。
それが功を奏したのか――影は、嫌がるように、後ずさるように距離を取った。
「っしゃぁ……!
へ、へへ、ど、どーだ、思い知ったか……!」
肩で息をしながら、得意げに笑う武尊。
しかし、次の瞬間――。
影の腕がムチのように伸び、しなり――凄まじい勢いで、武尊を弾き飛ばした。
「――――ッ!?」
声を上げる間もなく武尊は、近くの大木に背中から叩き付けられる。
幸運にも、持っていた棒切れが盾になって直撃は避けられたものの……背中をしこたま打ち付けたことで、全身を走る痛みとともに、一瞬、息が詰まる。
しかも――。
ふと気が付けば、今まさに相手をしていた影ばかりでなく……。
同じような『影』が、あちこちから湧き上がり……へたり込む武尊を取り囲んでいた。
……これ、ヤバいんじゃ……。
痛みにあえぎながら、危機感を募らせる武尊。
額に冷や汗が浮かぶ。
その脳裏を過ぎるのは――彼を呼び止めた同級生の声だ。
「……くっそ……!」
……こんなことになるんなら、あのときアリーナーの言うこと聞いて、やめときゃ良かったか……。
そんな後悔も浮かぶが、それと同時に、だからこそ……と。
武尊は歯を食いしばって、大木にもたれかかりながら立ち上がる。
……ここで、オレがあきらめて、コイツらにやられちまったら……!
アイツ……ぜってー、止められなかった自分のせいにしちまうじゃねーかよ……!
「……ンな、カッコ悪ぃマネ、できっか……!
ちぃっくしょぉぉーーーっ!!」
声を張り上げて、自分を叱咤する。
そうして、せめて逃げようと足に力を込めるも……まだ、思うように動かない。
さらに、そこへジリジリと影が距離を詰めてきた――――かと思うと。
「うむ――なかなか見上げた根性だ」
声が――。
今ではすっかり聞き慣れた……生意気な物言いとは不釣り合いな、愛らしい声が武尊の耳へと届き――。
目前まで迫っていた影が、風船が割れるように弾け、飛び散って……消滅する。
「……え……?」
その向こうには――。
「よく踏ん張ったな、アーサー。
キサマは、役に立つこともある悪ガキから、さらに、根性もわりとある悪ガキへと昇格だ」
小型の自動拳銃を構え、美しい金髪をなびかせる――同級生の姿があった。