第69話 予想外の奇襲を受ける勇者と、蠢く影
――そろそろ、各走者が所定の待機場所に着いたんだろう。
『スカンジナビアリレー』の開始を告げるアナウンスが入った。
ここから、各走者のちょっとした紹介を経て……ついにレース開始だ。
……といっても、トラックを走る前半組や、そもそも外周に出てしまっている後半組と違い、俺を初めとするアンカー6人は、緊張こそあるものの、やや手持ち無沙汰な感じである。
なんせ、実際にスタートしてからも、出番が回ってくるまで10分以上あるんだからな……今から張り詰めてたんじゃ疲れちまう。
みんな体操とかして身体をほぐしてるし……俺もそれにならおうかと思ったら。
「『勇者』クン……ちょっといいかい?」
……白組アンカーの一人が、そう俺に声を掛けてきた。
この人は……俺も知ってる。
おキヌさんからも競技前、『戦力的にラスボス』と説明された先輩だ。
そう、男子陸上部で、中長距離のエースを張る――
「えっと……確か、脚立センパイ?」
「足立な! それアシ違いだからっ!」
ふむ……おキヌさんから聞いた通りの反応だな。
『機会があれば集中を削いでおけ』――
そんな風なことを言っていた、あのミニマムボスの悪い顔が思い出される。
「……あ、すいません。で、なんですかセンパイ?」
「いやぁ……今回の体育祭、キミと、キミのカノジョに話題独占されてるだろ?
白組って、運動部のエース級が揃ってたのに、これじゃメンツがなぁ〜、ってさ……」
脚立――もとい、足立センパイは軽い苦笑をもらす。
しかしそこには、わりとマジにイラついてます、って雰囲気があった。
まあ……その怒りも分からないではない。
そりゃあ、ぶっちゃけ帰宅部な俺たちに、略奪競走や騎馬戦であれだけコテンパンにやられりゃ、いい気はしないだろう。
ただ、俺たちだって好きで目立ったわけじゃないんだよなあ……。
そのテの文句は、このとんでもない演出をプロデュースしやがった、ちっちゃい人に言ってもらいたいんだけど……。
……とはいえ、それを俺が言っても、センパイの神経を逆撫でするだけだろう。
さらに言えば、ヘタに謝ったりしても、やっぱり逆に煽る結果になってしまうのは想像に難くない。
……なので、俺はとりあえず無難に、マジメな調子で相づちを打つ。
文句があるのなら、ひとまず、この場で俺相手に思う存分吐き出してもらえれば、多少はスッキリするだろう――。
そう思って、グチグチ言われるのを受け流す覚悟でいた俺だったが……。
センパイが口にしたのは、予想外の『提案』だった。
「……それで、だ。
いっそのこと、このまま最後までキミたちに話題をさらってもらおうって思ってさ……この最終種目で賭けをする、ってのはどうだい?」
「――は? 賭け……っすか?」
……ふと、イヤな予感がした。
センパイの笑顔も、それに合わせるように――ニヤリと、悪意を含んだものに変化している。
「そう、賭け。
キミら紅組が負けたら、キミたち二人も破局宣言する――っていう」
「――はあっ!?
なに言ってんすか、なんでそんな――」
当事者の一人の鈴守もいないこの場で、なに勝手なことを言い出すんだこの人は?
――そう思ったら……。
「ああ、でもこれもう決定事項なんだ。
……事後承諾ってやつで悪いけど」
意味ありげに言って、センパイは楽しそうに本部の方を見やった。
どういうことかと問い返す代わりに、俺もその視線を追う。
――本部テントの方では、放送部員による選手紹介が続いていた。
ちなみにこれ、ちゃんと、すでに校外のコースに出ている人にも聞こえるようになっている。
《……えー、そして、A組チーム最後を飾るのはもちろん、今回大注目のこの二人!
借り物――じゃなかった、略奪競走での衝撃のカップル宣言に続き、騎馬戦で獅子奮迅の大活躍を見せた戦うお姫さま……。
いやいや、もうここはいっそ、その可憐な姿と華麗な身のこなしから、今流行りの『聖鬼神姫』なーんて呼んじゃっても差し支えないでしょう、我らが戦乙女、鈴守千紗さんと――!》
やたらノリノリで選手紹介をしている放送部員。
――って、鈴守、なんかエラいことになったなあ……ついには、亜里奈が大興奮しそうな二つ名まで付けられちゃって……。
会場も大盛り上がりだ――主に女子の黄色い歓声で。
《……その愛のバトンを受け取るのは、ザンネンながらわたしでもあなたでもなく、我らが堅隅高校に降臨せし、色んな意味での『勇者』!
リア充爆発すべしな、赤宮裕真くんですッ!!》
……おい、放送部のお嬢さんよ……なんか俺の紹介悪意に満ちてねーか?
ついでに、会場も大盛り上がりだ――主にブーイングとヤジで。……泣ける。
――しかし、これがいったいなんだってんだ……?
そんな思いを込めて、チラッと足立センパイの方を窺うと……彼は、いよいよもって楽しそうに笑っていた。
《――あ、ちょっと待って下さい?
なにやら新情報のタレコミがあったようです!
えーと、なになに……?
!! ンな…………なぁんと皆さんっ!
たった今入りました情報によりますと――!
今ご紹介した、赤宮裕真くんが……!
紅組が負けるようなことになれば、わたしたちの鈴守千紗さんとキッパリ別れると――そう宣言したそうですッ!!!》
「ンな――っ!?」
俺は弾かれたように足立センパイを見やる。
センパイは、相も変わらず、いかにも楽しげな笑みを浮かべていた。
「と、まあ、そういうわけなんで――よろしく頼むよ、勇者クン?」
* * *
「……やられた……!
くっそ、脚立のヤロー、えげつないマネしやがって……!!」
放送を聞いたおキヌさんが、イラ立たしげに地団駄を踏む。
「体育会系の悪ノリってヤツを甘く見てた……アタシとしたことが!」
「で、でも、こんなの冗談でしょう? 本気で別れさせたりなんて――」
あたしがそう言うと、おキヌさんは苦々しそうに首を振った。
「そりゃそうだよ、妹ちゃん。こんなのバカげたタチの悪い冗談さ。
でもね、アタシは……そういうのをつい真に受けそうな、生真面目な人間を一人知ってるんだよ」
……あたしも、そう言われると一人、心当たりがある……!
「それにだ。一番の問題は、今の宣言を『赤宮裕真がした』って放送されちまったことだ。
そりゃ、あのコは赤みゃんのことを全面的に信頼してるけど……やっぱり、少なからず動揺しちゃうハズだよ。
そんなあっさり『別れる』とか言い出せるものなのか、って――相手が目に見えるところにいなくて、詳しい状況が分からないってなれば、なおさらね……」
「じゃあ……」
「ルール上、選手にゃ連絡取れないし……。
もし本当にあのコが今の放送に影響を受けてたとしても、それがやる気とか、良い方向に出るのを期待するしかないね――」
* * *
「えーと……こっちの方か?」
――朝岡武尊は、先ほど見せてもらった地図と、自分の方向感覚を頼りに、ゆるやかな上り坂になっている高校裏手の雑木林を進んでいた。
こうした場所を駆け回るのは小さい頃から好きで得意だったので、迷うような心配はしていない。
それに……もし迷ったとしても、そういうときどうすればいいのか、という対処ぐらい心得ていた。
「ったく、アリーナーのヤツ、ヘンなところでしんぱいしょーだからなー……」
クラスの委員長よりも委員長している同級生は、ノリも悪くないし面白いヤツだが、マジメが過ぎてちょっとうっとうしいときもある。
さっき呼び止められたのも、まさにそれだった。
こんな裏山程度の場所へ行くのに心配されるとか、幼稚園児じゃあるまいし……。
これだから女子ってヤツは……と、そんな風にちょっとムカつきながら歩いていた武尊は――急に視界に大きな影が差したので、足を止めて空を見上げる。
少し前から空を覆いだしていた黒雲は、通り過ぎるどころか、ますます広がっている感じだった。
湿気そのものみたいな、あの雨の前兆の水っぽいニオイはまだしなかったが、いつ降り出してもおかしくない天気だ。
「ここで大雨降って中止とか、つまんねーからな……雨、降るなよ〜……?」
そうぼやいて、視線を戻した武尊は――。
木陰の薄暗がりで、何かが動いたのを見た。
「…………?」
ネコとかイタチかと思って、目を凝らす武尊。
そんな彼の前に、のっそりと動いて姿を現したのは――。
「え――――?」
その『薄暗がり』……つまりは『影』、そのものだった。