第62話 それはもはやタコさんではない
「……お嬢、こっちですよ」
スマホで呼ばれて一般観覧席の方に行くと……日傘を差した質草くんが、にこやかに立っていた。
その手にあるのは、朝、家を出るときに忘れてきてしまった、わたしのお弁当包みだ。
お父さんはお店もあるし、仕方ないから今日のお昼は学食で済ませようと思ってたんだけど、わざわざ届けてくれたらしい。
「ゴメンね、質草くん。
……こんな時間に外を出歩くの、つらかったでしょ?」
「まあ、多少は。でも大丈夫ですよ、これぐらいでどうにかなるようなら、〈吸血鬼〉はとっくに滅んでますって」
「わたしが言うのもなんだけど……黒井くんに任せれば良かったんじゃないの?」
「黒井クンだと、あの目付きで不審者扱いされそうでしょう?」
そう言って、質草くんはクスクスと上品に笑う。
まあ、ねえ……。
実際には黒井くん、案外家庭的で面倒見も良い、いい人なんだけど……。
雰囲気がトガってるし、何より、確かに目付きが悪いからなあ……。
「……それにほら、例のセンパイ――赤宮クン。
彼と出会おうものなら、ムダにケンカ吹っかけそうですからね」
「あ〜……うん、確かに」
質草くんの言葉にうなずきながら、わたしは首を、斜め後ろの方に向ける。
その先――校舎際の芝生には、木陰でレジャーシートを広げている当の赤宮センパイと鈴守センパイ、それに……小学生らしい二人の女の子がいた。
赤宮センパイの妹ちゃんたちかな……?
ポニーテールの子は金髪で、明らかに外人さんなんだけど。
「さて……それじゃ、これでボクは帰りますが……お嬢、一つだけ」
「……?」
視線を戻すと、少し真剣な面持ちになった質草くんは、声を潜めて続ける。
「……この学校のあたりに、少し不穏な気配を感じます。
一両日中……早ければ今晩あたりにも、近場に〈呪疫〉が発生するかも知れません」
「このあたりに……?」
「さすがに、この体育祭の間は問題無いでしょうが……もし、万が一にも遭遇するようなことがあった場合、すぐに連絡して下さいね。
一応、すぐ駆け付けられるように、黒井クンを呼び出して近場に待機させておきますから」
「うん、分かった。ありがと、質草くん」
わたしは忠告してくれた質草くんと別れると……ふと、また赤宮センパイたちの方を見た。
――もし、そんな事態が起こったとしても……。
ゼッタイ、被害なんて出ないようにしなきゃ……!
* * *
なんと鈴守が、俺の弁当を作ってきてくれたという、嬉しすぎるサプライズ――。
しかしそこに、わざわざ休日返上でお弁当を作って持ってきてくれた、実の妹の気遣いが重なったその瞬間は……正直、どうしたものかと一瞬考えた。
鈴守の弁当を断るなんてありえないが、察しの良い亜里奈が、自分の努力は二の次にして、自ら身を退くのを、黙って放っておくのも気が引けるし――。
「あ、じゃ、じゃあ、あたしとアガシーのことはいいから、お兄は千紗さんと二人で――!」
案の定、俺たちのことを気遣って、さっさとバスケットを引っ込めようとする亜里奈だったが……。
俺が、そうするよりも早く。
その手を取って、引き止めたのは――鈴守だった。
そして彼女は、ほがらかに笑って言ったのだ――。
「みんなでいっしょに食べよう?」
――と、いうわけで。
今、俺に鈴守、亜里奈、アガシーの四人は、芝生に敷いたレジャーシートの上で……。
一緒になって、鈴守と亜里奈の手によるお弁当を囲んでいた。
気まずくなったりしないかと、初めはちょっとおっかなびっくりだった俺だが……。
そんなものはまったくもって杞憂であったらしく、女子三人はまさしく和気あいあいと、各々、互いのお弁当をつついている。
どうやら、ある意味一番気を遣われる立場だったろう鈴守が、「みんなで食べる方が美味しい」と、最も乗り気だったのが良かったらしい。
「……ほら、ウチ、普段はご飯、おばあちゃんと二人だけやから。
たまには、大勢で楽しくご飯食べたいなぁ、って」
……というのが、鈴守の言葉だ。
そんな風に言われれば、ヘンに気を遣うのも却って悪いと亜里奈も思ったのだろう。
いつの間にやら、それこそ実の姉妹のように、鈴守と料理談義に花を咲かせている。
ちなみに、二人のお弁当はどちらも、特に凝った風でもなく……いかにも家庭的な普通のお弁当、という感じだった。
玉子焼きや唐揚げがかぶっているあたり、まさに、って感じだけど――逆にそれが、互いの料理を食べ合っての意見交換に繋がってるみたいだ。
……さて、亜里奈が料理が出来るのはアニキとして分かっているので、肝心の、鈴守のお弁当の方の味だが……。
まあ、鈴守が作ってくれたって時点で、俺にとってはすでに至高のご馳走なんだけど……その心情による修正を抜きにしても、それはちゃんと『美味しい』料理だった。
ついでに言えば、初めて箸をつけたとき――緊張気味に感想を求めてくる鈴守に、俺のショボい語彙で必死に美味しさを伝えた際の、そのホッとしたような嬉しそうな恥ずかしそうな鈴守の表情もまた、俺にとっては究極のご馳走だったことを付け加えておこう。
……いやもう、最高でした。ごっつぁん。
ちなみに……。
そのときの鈴守の言によれば、あのおキヌさんはさらに上――料理についてはマジにプロ級の腕前らしい。
特に、豆腐を使った料理やお菓子は絶品であるとか。
うーん……人は見かけによらないの典型だな。
イメージだけだと、袋ラーメンを手鍋のまま食ってそうなんだけど――って、なんかスマン、おキヌさん……。
「うーむむむ……しかし、それにしても……ッ!
チサ姉サマとアリナ、どちらのおべんとも、まさに甲乙つけがたい……ッ!」
なんかムダに難しい顔をしながら、両手それぞれで器用に箸を操り、二人のお弁当をひょいひょい口に放り込むアガシー。
コイツ、ありがたみに欠ける食い方すんじゃねえよ……言ってることはおおむね同意なんだがな……。
……そうなのだ。
鈴守の料理はもちろん最高に素晴らしいんだが……。
身内びいきを抜きにしても、亜里奈の料理も、小学生にしては相当クオリティが高いのである。
「うん……ホンマにスゴいよ、亜里奈ちゃん。
ウチなんか、小学生のときは、お母さんのお手伝いするぐらいで精一杯やったもん」
鈴守も、亜里奈の料理には、しきりに驚くやら感動するやらしている。
「……でも……あたしに料理を教えてくれたのは、お兄なんですよ?」
当の亜里奈は、褒められて恥ずかしそうにしながらも……当たり前のようにそう言って、俺を見た。
「え……そうなん? ほんなら赤宮くん、料理得意なんや?」
「あ〜……いや、そんな大したもんじゃないけど。
うちは父さんが役所勤め、母さんも家業の銭湯で忙しいからさ……亜里奈が小さいときなんかは特に、俺もよく料理当番やってたんだ。
そのおかげで、まあ……多少は身についたって感じかな。
亜里奈が料理出来るようになってからは、もうメキメキ上達するもんだから……今じゃほとんど任せちゃってるけど。亜里奈が作る方がずっとウマいし」
「あたしは……お兄の作ってくれるの……結構好き、だけど」
亜里奈がうつむきがちに、ボソボソとそんなことを言うと……鈴守はまぶしいものを見るように目を細めた。
「あ〜……ええなあ、そういうの。
ウチも、そんなお兄ちゃん欲しかったなあ……」
「なら――『おにいちゃん』って甘えちゃってもいいんだぜ? グヘヘ……」
両手の箸を打ち鳴らしながら、パツキン聖霊が下卑た笑みを浮かべやがったので、すぐさま脳天にゲンコツを落とそうとするが……。
スパーン!――と。
俺よりはるかに早く、怖い笑顔の亜里奈が、おしぼりアッパーで黙らせてしまった。
「あ、そ、そう言えば、アガシーちゃんはどう? 料理とか興味あるん?」
おしぼりアッパーで舌を噛んだのか、ゴロゴロと悶絶する自業自得のアガシーだったが、そんな風に鈴守に話を振られると、一瞬で復活して跳ね起きる。
そして、なんだかすっげー得意げな顔で――お弁当の一角を指差した。
「よくぞ聞いてくれました姉サマ!
ここ! ここの、このタコさんウインナーが、わたし、赤宮シオン渾身の一作なのであります!」
アガシーが指し示したのは、これまで誰も箸を伸ばさなかった一角だ。
……いや、別にそこだけ黒焦げだとか、得体の知れん液状化を起こしているとか、そういうんじゃない。
ヘンなニオイがしてるとか、そういうのでもない。
それは確かに、ちゃんと火の通ったウインナーなんだろう。
ただし――。
「まあ、事実、渾身のデキではあるな――完全にそのベクトルを間違ってるが」
……そう、それは――。
どこの彫刻の大家の作品かと目を疑うような、とんでもなく精緻な造形をしていたのである――ウインナーなのに。
「なんだ、このムダに超クオリティ過ぎる造形……これもう、タコさんどころか、深海の邪神とか旧支配者とか、そんなレベルだぞ……」
「…………ダゴンさんウインナー…………?」
ああ……うん、鈴守、それウマいこと言ったよ――。
……断じて美味そうではないけどな。
――ともあれ、昼食の時間は終始なごやかに、楽しくすすんだ。
ときおり、通りすがりのクラスメイトに、冷やかされたり、呪詛を(俺だけが)投げかけられたりしたが……。
『大勢で楽しくご飯』――その鈴守の望みはおおむね達成されたようで……。
亜里奈やアガシーも交えて、鈴守がずっと笑顔でいてくれたのが、俺にとっては何より嬉しかった。
そもそものお弁当も、最高にウマかったしな!
……で、みんなでお弁当をキレイに平らげ、食後のお茶でまったりしていたところ……。
まだまだ熱をもって続けられていた料理談義のシメとばかり、亜里奈が鈴守にこんなことを言い出した。
「じゃあ、千紗さん! 今度、うちでいっしょにお料理しましょう!」
「……え? う、ウチが?
亜里奈ちゃんの――赤宮くんの家でっ!?」
いきなりの申し出に、当然、驚く鈴守。
その間に――亜里奈が、チラッと俺に向かって目配せしてきた。
……亜里奈のヤツ……生意気に、気なんて回しやがって……。
「あー……いいな、それ。鈴守なら、亜里奈にまた色々と教えてくれそうだし。
それにほら、俺もまた……その、鈴守の他の料理、食ってみたいし」
ちょっとぶっきらぼうになりながらも、亜里奈の意を汲んで後押しする俺。
すると、鈴守はちょっと恥ずかしそうにしながらも――。
「あ、う、うん!
じゃあ、ウチで良かったら……また、今度……!」
……コクンと、うなずいてくれたのだった。
――ちなみに……。
アガシー謹製のタコさんウインナーならぬ、〈ダゴンさんウインナー〉は、俺が責任持っておいしくいただきました。
……それによって、呪われたりしなかったことを祈るばかりである。