第61話 午前の部を締めるは、疾走と爆走
――俺とイタダキが、各自、妹にお説教されながら応援席に戻ると……。
すでに鈴守も、連行していったはずのおキヌさんともども、戻ってきていた。
もっとも……おキヌさんは、レジャーシートの上で大の字だったが。
なんか、ぐにょーんとなって、ふにゃふにゃ言ってるし。ネコか。
「ちょ、ちょーっと懲らしめただけやねんけど……」
おキヌさんをタオルでパタパタと扇いでやりながら、恥ずかしそうに鈴守が言う。
懲らしめた……。
「ほう。逃げようとしたところを、後ろからリバースフランケンシュタイナーとか?」
おもむろに、イタダキがとんでもないことを聞く。
リバースフランケンシュタイナーとは、その名の通り、フランケンシュタイナーってプロレス技を背後から仕掛けるものだ。
相手の上に肩車されるみたいに乗っかって、両足で頭を挟み、そのままバク宙するようにして、脳天を地面に叩き付ける――。ぶっちゃけ大技である。
少なくとも、女子高生が見よう見まねでやれるようなモンじゃないが……。
当然、鈴守はぶんぶん首と手を大きく横に振る。
「そ、そんな大技かけへんよ! あれ危ないし!」
……出来ない、とは言わないんだな、鈴守……。
まあ、聞くところによると、ドクトルさんの現役時代の得意技だったらしいしな。
なんせドクトルさんと言えば本物の博士号持ちだ、名前からして相性の良さそうなフランケンシュタイナーからは、独自の派生技をいっぱい持っていて……それらを総称して〈マッド・フランケン〉とか言ったとか……。
しかし、祖母が出来たから孫も出来る、なんて道理は当然ないわけで……。
なのにあんな大技が出来るとか、スゴいな鈴守! 努力もしたんだろうなあ……!
うむ、ホレなおしちまうよ。
――いや、さすがにかけてほしいってわけじゃないけど。
「……なんかね、スリーパーでオトしたんだって。キレイに入ったんだろうなあ……」
「お、オトしてないよ亜里奈ちゃん! 絞める前に外したから!」
どことなく目を輝かせたうちの妹の発言に、慌てて反論する鈴守。
……ってことは、おキヌさん、ただへにょっとダラけてるだけか。
あと――亜里奈よ、それ小6の女の子が食いつくところか? と、言いたくなるが……。
……まあ、なんせうちは母さんがドクトルさんのファンだからな。
実は亜里奈も、その辺多少なりと知識があるわけで……。
しかし、憧れてマネをする気なら、練習台はゼヒともあのユルミリオタ聖霊にしといてほしいところだ。くれぐれも俺じゃなく。
――さておき、ふとトラックの方に目を移すと……。
入場門から入ってくるのは、生徒じゃなく先生たちだった。
「……お、今から始まる種目って――」
「担任対抗レースだよ。
マサシン先生、大丈夫かなあ……」
俺の問いに答えたのは、プログラムを手にした衛だ。
ちなみに、衛の従弟の武尊くんは……応援席の最前列で、アガシーの旗振りに合わせて手を突き上げている。――ノリの良いヤツだな。
……ともあれ、衛の不安ももっともだ。
どっちかって言うとおっとり系というか、毒舌は冴え渡るけど、あんまり運動出来そうなイメージないからなあ……うちのマサシンセンセは。
「あ……でもよ、確かマサシン、学生のときは陸上部だった――って聞いたぜ?」
「え、そうなの?」
イタダキの発言に、俺たちは不安から一転期待を込めて、トラックに並んだ我らが担任を見やる。
おお……確かに、言われてみれば、結構堂々としてるじゃないか。
考えてみれば、体力的にも、まだ30前だから比較的有利だろうし――。
体型も、痩せ型だが……元陸上部と聞けば、引き締まっているだけと思える。
「っしゃー! いけ、マサシーーーンっ!!!」
スタートの合図が迫る中、声を上げるイタダキ。
俺や衛も、当然それに合わせて声援を送るが……そのとき。
「んにゃ〜……それがダメなんだよにゃ〜……」
ふにゃふにゃのおキヌさんが、ボソリとそんなことをつぶやいた。
「…………は?」
どういうことかと問い直す間もなく、号砲が鳴り響く。
我らが担任は、ジャージをなびかせながら、颯爽と風を切って突っ走り――。
そして、ものの見事に……………………最下位に沈んだ。
「「「 遅ッ!? 」」」
俺、イタダキ、衛の声が見事に重なる。
ふにゃふにゃのおキヌさんが、ふぃー、とタメ息混じりにその疑問に答えてくれた。
「マサシンはにゃー……陸上部は陸上部でも、専門はヤリ投げぇー……しかも、半分幽霊部員だったみたいでぇー……。
つまりぃ……投げやりなヤリ投げ!――ってワケなんにゃ」
にゃにゃにゃ、と笑う(?)おキヌさん。
いや、そんな、ウマいこと言った、みたいにされてもなあ……。
「……ある意味、いかにもオレたちのマサシン、って期待通りの結果だったわけか……」
イタダキよ……自分のことを棚に上げて、ヒデェ言いぐさだな……。
しかしすまん、マサシンセンセ、俺にもそれを否定してやれる材料がないんだ……。
競技が終わり、退場していく我らが担任を、俺たちは生温かい目で見送る。
きっとマサシンセンセのことだ、「いやー、ダメだったよー」と、和やかに結果を報告し――そしてうちのクラスの誰もが、それを責めはしないだろう……。
――結果、この担任対抗レースは、トータルで見ても上位は白組の担任の方が多かったので、また点差が開いた形だが……まあ、ダメだったものは仕方ない。
「切り替えて次、だな。
……でもそろそろ昼だし、午前の部ラスト、ってところか?」
「だね。えーっと、次は――」
衛がプログラムを広げようとした、その瞬間――。
視界の隅で、ゆらりと……陽炎のような闘気をまとって立ち上がる者があった。
「ふっふっふ……ついに、このときが来たな……ッ!」
ついさっきまでのふにゃふにゃはどこへやら――。
大地をしかと踏みしめ、不敵に笑うおキヌさんは……脱ぎ捨てられていたあのふわもこコートを、バサリとカッコ良く羽織る。
そして――。
「ぃヤローどもッ!! これより、この頭領自ら、ヤツらに一泡吹かせてきてやろうッ!!
目ェ見開いて、その戦っぷりをしっかと見届けやがれッ!!」
クラスの連中を煽り立て、そのまま颯爽とコートを翻し、入場門の方へ立ち去っていった。
「おい、なんだあの自信……!
おキヌのヤツ、壊滅的運動オンチのくせしやがって、どうなってやがる……!」
「まさかと思うけど、白組同士で潰し合いになるようにって、根回しして埋伏の毒を仕込んだとか……!?」
埋伏って――三国志かよ。紅白だからむしろ源平なんだけど。
いやしかし、実際問題、おキヌさんならやりかねんわけだが……。
なんせ、『借り物競走』の前科があるしな……。
それに、イタダキの言うように……おキヌさんはあのキビキビした言動からは想像しづらいが、わりとビックリするレベルで壊滅的な運動神経の持ち主だ。
それが体育祭の競技である以上は、どんなものであれ正攻法では勝てそうにないわけで……。
「……ていうか――単純に、こういうことやと思うよ?」
三人寄っても、文殊の『も』の字にも至らない俺たちのもとへ、正解を携えた女神、鈴守がやって来る。
そのキレイな指が示すのはプログラム表、次の競技は――。
「…………三輪車競走…………」
――そう。
それは、運動能力うんぬんではなく、身体が小さければ小さいほど有利という種目であり――。
そして、実際に。
いざ競技が始まると、ほとんどの出場者が、体躯に対して小さすぎる三輪車を、まともに漕ぐことすら出来ず四苦八苦する中……。
おキヌさんは、コーナーでドリフトでもしそうな勢いで爆走――。
まさしくブッちぎりの速さで、文句なしのトップをもぎ取ったのだった。
「うらぁーーー、見たかぁーーーッ!!
豆腐屋が、タイヤの付いてる乗り物で負けるわけにはいかんのじゃーーいッ!!」
1位の旗を手に、猛々しく吼えるおキヌさん。
「「「 うおおおーーーーッ!!! 」」」
そしてそれに合わせ……。
うちのクラスも毎度のごとく、ノリで大いに盛り上がるのだった。
――と、いうわけで……。
プログラムの半分、午前の部が終了。
依然として白組のリードは変わらないが、むしろ本番は午後の部だ。
点数のウェートが大きい、花形競技が増えてくるからな。
そのあたりをどう取るかが、最終的な勝敗の分かれ目になるだろう。
まあ、それはともかく……昼である。
腹が減っては戦は出来ぬ――まずは何より昼メシである。
俺の昼メシは、朝聞いた通りなら、亜里奈が作って持ってきてくれたはずだ。
これから昼休憩に入ります――って放送が流れて、クラスの連中も、教室に弁当を取りに戻ったり、学食に向かったり、はたまた校外の店目指してダッシュしたりと……三々五々、応援席を離れていく。
それに合わせて、亜里奈がバッグから出したバスケットを手に近付いてきた。
俺、亜里奈、アガシーの三人分ってことで結構大きいし、こっちから受け取りに行こうと動いた瞬間――。
「――あ、あのっ!」
横合いから声を掛けられる。
そこには――。
涼やかで愛らしい水色の布包みを手にした、鈴守が立っていた。
「う、ウチ、あ、赤宮くんの分もお弁当、作ってきたんやけど――」
「……お兄ぃ〜、これ、お弁当――」
俺の前と横から――同時に弁当を差し出す二人の声が重なる。
「「「 ……え? 」」」
さらに続く、その一言は――。
俺も含めた三人分が……完璧に、キレイに、唱和した。