第60話 絹と鈴の小少女恋愛談義
――いろいろとエラいことになってもうた、『借り物競走』のあと……なんか意気揚々と戻ってきたおキヌちゃん。
その姿に、さすがに一言言いたくなって、首根っこ掴んで引きずってきたんやけど……。
「みゃー! 分かったから、とりあえず放しておくれよ、おスズちゃぁ〜ん……」
応援席からちょっと離れたところで、観念したみたいにぐったり大人しくなったから、解放してあげた。
するとおキヌちゃんは、ふぃ~、ってオジサンみたいなタメ息ついたと思たら……。
ウチに「こっちこっち」て手招きして、スタスタ歩いて行く。
……着いたんは、プール脇の水場。
今日は天気も良いし暑いから、グラウンドに近いところは大抵人がおるけど、ちょっと遠いここはさすがに誰もおれへんかった。
そこでおキヌちゃんは、バチャバチャと子供みたいに顔を洗うと、洗い場の上にひょいと腰掛けた。
……で、明らかに拭くもの持ってなさそうやったから、ウチのハンドタオルを貸してあげる。
「あんがとよおスズちゃん。
――おおう、顔を埋めるとおスズちゃんの良い匂いが……ぐっふっふ」
「単なる洗剤の香りです」
顔を拭き終わったところで、タオルはさっさと取り上げた。
「いや~……サッパリしたなぁ~……」
「そんな暑苦しいふわもこコート、いつまでも羽織ってるからやん……。
ほんで、ウチに――っていうか、ウチと赤宮くんになんか言うことないの?」
「ん――ゴメン」
あっけらかんと言って、おキヌちゃんはペコリと頭を下げる。
……高いところ座ってるから、思いっきり上からやけど。
でも……その口調は、真面目やった。
適当に言うてるん違うって分かったから、まあええか――って思った。
一応、ウチと赤宮くんのことを想ってやってくれたんは分かってるし……。
ウチも、それはめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、でも本気で怒ってるわけちゃうし……。
「いやー、ちょーっと調子に乗っちゃったよ。
二人が、あんまりやきもきさせてくれるモンだからさー。
……まあもちろん、実益も兼ねてたんだけどねー。おかげさまで、紅組にも勝ちの目が見えてきたし。
それに……うん。
アタシの気持ち的にも……。
改めて踏ん切りつける、いいきっかけにはなったなーって、そう思うし」
「…………え?」
今の…………。
え、今のって――もしかして…………?
ウチが目を見開くと、おキヌちゃんは何でもないみたいに、あっさりうなずいた。
「ああうん、アタシもね。
前から、いいなーって思ってたんだよ、赤みゃんのことは」
「――――!!!」
「あ〜……予想通りの反応だね。うんうん。
でもね、そんな気にしなくていいよおスズちゃん。ホントに、いいなーってぐらいだったからさ。
それに、アタシゃおスズちゃんのことだって、大好きで大事だからねー。
そりゃあもう、アタシ自身の嫁に欲しいぐらいにさー。
だから……うん。
この二人ならお似合いだし、しょーがないっていうか――ううん、良かったなーって……そんな感じなんだよ、ホントに」
「……おキヌちゃん……」
「まー、だからね。余計にやきもきがスゴくて、ちょいとやり過ぎちゃったのさ。
――許してやってくれい」
上ったときと同じようにひょいと飛び降りたおキヌちゃんは、ニカッと笑って言う。
「そんなん……ウチ、許すとか許さへんとか……。
本気で怒ってたんちゃうし……」
「にゃはは。
そーそ、おスズちゃんのそーゆートコがまた好きなんだよねえ、アタシゃ」
おキヌちゃんはウチを手招きして、ちょっと離れた木陰の涼しい場所に座らせると……。
そんなウチをソファにするみたいに、ふわもこコートを脱いで、足の間に入ってもたれかかってきた。
――そよそよと、優しい風が吹き抜けていく。
「……まあね、もしも――もしもだよ?
赤みゃんがあの場で恥ずかしさとか、世間体だとか気にして、一人でゴールしてたら……なーんて、そんな考えも、ちょっと……ほーーーんのちょっとぐらいは、あったよ?」
「……うん」
「でもさー、それってもう……アタシらの好きな赤みゃんじゃないんだよねー、きっと。
まあ、そんなハズが無いって、確信出来るからこその赤みゃんでもあるんだけどさ」
「……うん。分かる」
「――にしても、赤みゃんって不思議だよなあ。
素の顔立ちは良いのに、オシャレにはまるで無頓着だから台無しだし……。
ネクタイとか身だしなみは、しょっちゅう『妹に直された』って言うぐらいだらしないし……。
スマホもまともに使えないし、妙に古風と言うかオッサンぽいところあるし……。
恥ずかしい正論をはっきり言ったりするし……。
でもそのくせ、マテンローたちとバカなことやったりするし――」
「…………うん」
「実際、ちょっと接しただけのほとんどの子は、『イマイチ』って評価を下すんだよ。
なのに――。
付き合いが長くなると、長くなるだけ……男女問わず、みんな惹きつけられる。
いつの間にか、あの……存在感、かな? なんかうまく言えないけど、赤みゃんって人間そのものに、安心を覚えるんだよなあ。
器がハンパなく大きい感じ……っていうかさ」
「……うん」
「だから――逆に言えばさ。
そんな赤みゃんの魅力っていうか本質を、会ってすぐに見抜いたおスズちゃんは、間違いなく一番のお似合いなんだよ。
同じく、おスズちゃんの魅力に気付いた赤みゃんと……お互いね」
「ん……そうやったら、ええな……」
ウチの脳裏に、赤宮くんと初めて出会ったときのことが思い浮かぶ。
……それは、別に劇的なものでもなんでもなかった。
〈世壊呪〉のことが託宣で出て、高校から広隅に住まなあかんようになって――。
そんで、この堅隅高校に受験に来たとき、近くにおった他の受験生の男の子にちょっと尋ねごとをしたら、この関西弁をからかわれて。
もしかしたら、そうなるんちゃうかな、ってずっと心配してたから。
実際そうなったら、ああやっぱり、ってすごい落ち込んで――ううん、落ち込みそうになって。
そのとき、なんも言われへんようになったウチをフォローしてくれたんが……たまたま通りかかった赤宮くんやった。
その男の子をさりげなく注意してくれて、ウチの聞きたかったことに答えてくれて。
それで……。
なんとか慣れへん標準語で話そうとするウチに、「もとのまんまでいい」って、すごく普通に言うてくれて――。
本当に、ただ、それだけのこと。たったそれだけの。
赤宮くんにしたら、きっといつも通りの当たり前の、なんでもないこと。
でもそれが、ウチにとっては――。
「うん……なれたらええなぁ……赤宮くんの、お似合いに」
「ん。その謙虚っていうか、向上心っていうか……相応しい人間になれるようにって、そういうのを忘れないところがまた、アタシの、おスズちゃんの好きなトコなんだよねえ。
でもまあ……。
誰より当の赤みゃんが、改めてみんなの前で、『後にも先にもただ一人』って宣言して受け入れたのがおスズちゃんなんだからさ。
――だいじょぶだいじょぶ」
おキヌちゃんは、ウチの手を取って、ポンポンと優しく叩いてくれる。
ウチは……そんなおキヌちゃんを、気付けばぎゅって後ろから抱きしめてた。
暑い――? ううん、あったかかった。
……すごく気持ちのいい、あったかさ。
「やったら――やっぱり、初めて会ったとき、すぐにウチを受け入れて仲良しになってくれたおキヌちゃんも……ウチの大事な大事な友達やで?」
「ふっふーん。そりゃ当然必然当たり前、ってもんさー」
されるがまま身を任せて、ネコみたいに喉を鳴らすおキヌちゃん。
木陰を抜けて、ウチらを優しくなでていく風が、いつも以上に気持ちよかった。
「……うん……まあ、だけどさ……おスズちゃん」
「うん」
「……それはともかくこのソファ、ちょっとボリューム足んないなー。
特に頭の後ろがねー、このクッションがねー、もーちょっと欲しいって言うかねー……」
「………………」
「足んないなー……ボリューム」
繰り返すおキヌちゃん。
そうかと思うと、両手をなんか、アヤしい動きでわきわきと握り締め――。
「おう、そうだよ! コレが大き〜くなるための都市伝説を検証すべく、オトコの毒牙なんかにかかる前に、親友のアタシがこう……ふっふっふっ」
「………………」
ウチは無言で、右腕を……ヒジが前に出るような形で、おキヌちゃんの首に巻き付けた。
「……おおう?」
「うん……気道は危ないし苦しいから、頸動脈にしたげるな?
オチるときって、スーッと意識が遠のくから……気持ちいいよ?」
「へ? お、オチるって、おスズちゃんっ?
な、なーにするつもりなのかにゃ〜……」
危険を察知して逃げようとするのを、両足で挟み込んで素早くロック。
「うん、クッション無くてゴメンやから、気持ちよーく寝かせてあげよ、思て――」
同時に、巻き付けた右ヒジで首を――気道は塞がず、左右の頸動脈洞だけを絞める。
ここを圧迫すると、必要以上に血圧が高まったと身体がカン違いして……脳への血流が止まるんよね。
で、ダメ押しに――左手で、後頭部を前方に押してキッチリ固めれば完成。
「くぇっ」
あとは、ものの7秒で完全に失神する――んやけど。
その時点で、これ以上は絞めず……ウチはさっさと腕をゆるめて解放してあげた。
「……ふにゃぁぁ……」
それでもおキヌちゃんは、まさにネコみたいに、全身脱力して大人しくなる。
「もう、しょーもないこと言うたらあきません。……分かった?」
ぐにょん、とうなずくおキヌちゃん。
「そ、そらな、冗談いうぐらいは分かってるけど、ウチかて気にしてるんやから……!
ホンマにもお〜……っ」
ウチは、口を尖らせながら……。
ふにゃふにゃになってるおキヌちゃんの、子供みたいにサラサラな髪の毛を、しばらくゆっくりとなで続けた。