第51話 聖霊の見た夢。見る夢。そこにある夢
――わたしが住んでいたのは、〈聖なる泉〉と呼ばれる、小さな祠でした。
今から思えば呆れるほど小さい……でもまあ、日本の住宅事情からすれば実は結構広いのかもってぐらいの空間。
それが、わたしにとっての『世界』と言っても良かった。
……まあ、実際には、〈聖なる泉〉を取り囲む、人間たちには〈迷いの森〉っていかにもな名前を付けられてる森の方にも、ちょこちょこ出かけてはいたのですが。
それもほんのちょっと、たまに迷い込んでしまった人間を、その本人には気付かれないように出口へ案内してあげるときぐらいのもので。
……で、どうしてそんなことをしてたのかと言えば……。
〈剣の聖霊〉としての義務感?……なんてのは、実はほんのちょっとぐらいで……。
人間の持ってる荷物が欲しかったからに他なりませんでした。
ヘタに姿を見せるわけにはいかなかったから、助けてあげた見返りってことで、ナイショでちょっともらっちゃう人間の荷物。
もちろん、大事そうなものには手を出しませんけど……。
それ以外、本人にしてみればガラクタのようなものも、わたしにとっては宝物だったのです。
――何せそれは、わたしの『世界』を広げてくれるものでしたから。
わたしが永遠に、見れない、聞けない、触れられない……そんな『世界』を、感じさせてくれるものでしたから。
だから取り分け、頂戴した荷物の中に『書物』があったときは嬉しくて仕方ありませんでした。
しかもそれが、娯楽用らしい、物語が書かれたものだったりしたときは、もう本当に!
だって、それ一冊で、まるまる一つの『世界』を観ることが出来るんですから!
そうやってわたしは、自分が知っている以上に広い『世界』に思いを馳せながら、実際には小さな世界でたった一人、千年を超える時間を過ごしてきました。
……といっても、わたしは実際に、その長い時間を知覚していたわけではありません。
なぜなら、〈剣の聖霊〉としてのお役目、それは――。
このアルタメアに危機が訪れたとき、選ばれた勇者が手にする至高の聖剣〈ガヴァナード〉。
〈聖なる泉〉に安置されたその剣に、身も心も、すべてを完全に同化し――真の力を引き出すことだったからです。
つまり、そうして聖剣に同化したわたしは、魔王を倒すという役目を終えると、以後、少しずつ聖剣から離れ……また『わたし』としての形を成すまで、数百年の時間を必要として――。
その間は、いわば眠っているようなものでしたから。
……で、その眠りの中みたいな数百年のうちに、またアルタメアの光と闇のバランスは崩れていき……。
わたしが『わたし』を取り戻す頃には、それが決定的になっていて……。
そして、新たな勇者が選び出され、聖剣を得るため、わたしの下を訪れる――。
それが、わたしに〈アガシオーヌ〉という名前と、このお役目を与えてくれた、初代勇者の頃から変わらない――わたしを取り巻くサイクルでした。
だから実際のところ、長い長い時間を生きてきたって言っても、わたしが『わたし』として過ごしてきた時間は、数十年にも満たないことでしょう。
ほとんどが寝てばかりで、起きたときには世界は騒乱の真っ只中だし、お役目があるから、遠出することも出来ません。
だからわたしは、外の、広くて大きいホントの『世界』を感じさせてくれるものが大好きでした。
そうして『世界』に触れていられるなら、それで幸せでした。
お役目もあるし、それだけで充分でした。
……そう、思っていました――。
――その新しい〈勇者〉は、これまでの勇者と同じく、伝承に従ってたった一人で迷いの森を抜け、この〈聖なる泉〉へとやって来ました。
聖剣ガヴァナードと――その力の鍵となる、このわたしを求めて。
勇者と出会ったわたしは、これまで何度も繰り返してきたように、聖剣が刺さった〈祭壇〉で、儀式の準備をします。
その間、かつての勇者たちは、身を清め、厳かに儀式の時を待っていたのですけど……。
今回の勇者は、変わり者でした。
わたしが集めた、外の『世界』のガラクタにも等しいものや書物を、興味深そうに眺めたり、わたしにあれやこれやと話しかけたり……。
今から思えばそれは、友達に会いに来てるみたいな感じでした。
当時のわたしに、その感覚は分からなかったけど……ヘンな勇者だとは思ったけど……イヤだとは思いませんでした。それだけは間違いなく。
そして――儀式の準備を終えて。
わたしが聖剣に完全同化することで、真の力を引き出すことを説明すると――。
その勇者の顔付きが変わりました。
「――それで、お前はどうなる?」
その問いかけにわたしは、完全同化により、数百年の間、存在を喪失することを正直に告げました。
これぐらいの受け答えは、今までの勇者でもあったからです。
そしてみんな、それでも、世界を救うためには仕方ないと――わたしに「頼む」と、頭を下げてきました。
それをわたしは、お役目だから頭なんて下げてくれなくていいのに、と思いながら、当たり前のように受け入れてきました。
――だから、今回も同じようになるだけだと思っていました。
けれど――その変わり者の勇者は、違いました。
「……なら、やめだ。儀式は中止。
お前を犠牲にしてまでの真の力なんているかよ」
……なんて、バカみたいなことをきっぱりと言ってしまったのです。
それに対し、思わずわたしは言い募っていました。
「わたし一人で、すべての人を幸せに出来る――迷う余地などないでしょう?」
するとその勇者は、当然のように――真剣な顔で、わたしにこう言ったのです。
「すべてじゃない。
少なくとも、そこにはお前が入ってない」
「そ、それは、わたしは聖霊で、これがお役目ですから……!」
「だから、むしろそうするのが幸せだってのか……?」
勇者は、信じられないほど強い眼でわたしを見つめたまま、わたしの集めたガラクタの方を指差します。
「……バカ言ってんなよ?
ホントにお役目果たすだけで幸せなヤツが、あんなモノ必死に集めるかよ。
あんなに大切にするかよ。
外の『世界』に興味のないヤツが、絵本も、小説も、紀行文も、果ては俺じゃ意味の分からない書類みたいなもんまで……あんな、ボロボロになるまで読み倒すかよ!」
「! それは、それは……っ!」
――幸せだと、思っていた。でも……。
その心底を突かれたわたしは、それでも、お役目を放棄するわけにはいきません。
なぜなら、勇者が倒さなければならない魔王のチカラはそれだけ強大で、圧倒するには、聖剣の真の力が絶対に必要不可欠だと言われていたからです。
だからわたしは、揺れ動く心を抑えつけて、必死に勇者を説得しようとしました。
けれど――勇者には、わたしのような迷いはありませんでした。
「そうやって魔王をブッ倒したところで、また数百年単位で争いが起きるんだろ?
そんなもん、そもそもの解決の仕方が間違ってるんだよ。
……だから俺は、魔王と殺し合いなんてしない。
俺がするのは『ケンカ』だ。
向こうの間違いを正して、言いたいことを言わせて、こっちも自らの行いを省みて……それで、互いを認め合うための――。
今後、バカバカしい争いが起きないようにするための『ケンカ』なんだよ。
つまり――。
ヤツを圧倒するチカラ? そんなものハナからお呼びじゃない。
お前を犠牲にチカラを得る? そんなものは――」
きびすを返した勇者は、〈聖剣の祭壇〉に向かい、まだ大した力もない聖剣を無理矢理に抜き放つと――。
「その根本からして間違ってるんだよ!!」
わたしが止める間もなく、一切の躊躇無く……。
その聖剣をもって、〈聖剣の祭壇〉を、一刀両断に破壊してしまったのです――。
……長い間受け継がれてきた、その役割とともに。あっさりと。
「あー、スッキリした。
……ったく、勇者なんて名ばかりの根性ナシどもが、バッカバカしいやり方にいつまでもすがり付きやがって……」
まるで大変なことをしたという調子でもなく、さっぱりとそんなことを言う勇者。
そして彼は――。
「さて――と。そら」
呆然とするわたしを誘うように手を伸ばし――明るく笑ってみせたのです。
……問題は、むしろこれからなのに。
途方もない困難が待ち構えているのは明白なのに。
なのに、そんなこと、まったく気にもさせないような――。
わたしの住む『世界』に、まさに光と射し込むかのような――。
そんな無邪気な笑顔とともに、その力強い手を、差し出してくれたのです。
「……行くぞ、〈アガシー〉――お前もいるべき『世界』に」
――幸せだと、思っていた。でも……違った。
わたしは、ただ――そう思い込もうとしていただけだったのです。
それは、永遠に手に入らないものだと――そう信じていたから。
こんな風に差し出されるはずがないと――そう諦めていたから。
「わたし……幸せに、なれますか? してくれますか?」
「それはお前次第――って言いたいが、まあ、してやるよ。俺の出来る限りにはな」
わたしは小さな手を伸ばし――差し出された大きな手に触れます。
その瞬間……初めてのことでした。
初めての涙が浮かんで――それと一緒に、初めての笑いが込み上げてきました。
「じゃあ……責任、取って下さいね――〈勇者様〉?」
何度も何度も読み返した物語を思い出して、多分、この場で適当だと思うセリフを口にしてみます。
すると彼は、ちょっと困ったような顔をしました。
「……悪いな、それについては先約があるんだよ。
だからそのセリフは、この先、もっと良いオトコに会ったとき、そいつに言ってやれ」
「まったく、もう、仕方ないですね……!
カイショーナシ? なんですから……!」
込み上げてくる笑いを止めようともせず、そのままに――。
そんなセリフを言ってみると、彼がますます複雑な顔をするのが楽しくて。
「そうだ。それでいいんだよ」
でも勇者は、複雑な表情から一転――また笑顔になって。
「まず、楽しもうって思わなきゃ……楽しくなんてならない。
笑おうって思わなきゃ……心からなんて笑えない。
だから、お前は――お前のこれからは、それでいいんだよ」
――そんなことを、言ってくれました。
「………………」
……ふと、目が覚めました。
むくりと布団から身を起こせば……どうやら真夜中のようで。
――ここはアリナの部屋。
アリナがいいと言ってくれたので、赤宮シオンとしての身体を作ってから、わたしはこうやって彼女の部屋に同居しています。
ま~、ザンネンながら、だからってアリナの恥ずかしいヒミツを拝めたり……なんて恩恵にはまだあやかれてないんですけども。チッ。
「ンにゅ……ぅ〜……」
アリナが、可愛らしいヘンな声をもらしながら、ベッドで寝返りを打ちます。
……さっきまで見ていたのが夢なら、今ここにある世界も夢みたいです。
でも――。
「ア〜リナ〜……」
わたしは床に敷いた自分の布団を抜け出て、アリナのベッドに潜り込みます。
……あったかい。
〈聖なる泉〉にはなかった――どうしようもなく幸せになる、夢のようなあたたかさ。
「もう……アガシー……暑いってば〜……」
でも――このあたたかさは、まぎれもない現実。
そう、あのとき、勇者様が約束してくれた通りの――『幸せな世界』なんですよね。
「まあまあ、良いではないか〜……ってことで。ぐへへ」
ちょっと目を覚ましたアリナの文句も構わず、わたしはそのままピッタリ身を寄せます。
でも、ザンネンながら……。
暑苦しいっ!……と、5分と保たずに、アリナにベッドから蹴り落とされるのでした。ちぇー。
「……えへへ」
* * *
――同じ頃。夜も遅く、まるで人気のない街路に、一つの人影があった。
常夜灯の光からも外れ、闇と同化したかのようなその影が、手をかざすと……。
暗闇にあってなお、さらに昏く見える、禍々しい剣らしいものが宙に顕れ――。
まるで水に沈み込んでいくかのように、硬いアスファルトの地面を抜け、静かにゆっくりと……波紋すら広げながら潜り込んでいく。
「……〈世壊呪〉、か……」
剣が完全に地面へと呑み込まれたのを確認すると――。
人影もまた、何事もなかったように……誰に目に留まることもなく、その場から姿を消すのだった。