第45話 魔王、お掃除の時間
「――まずは、人目を遮らねばなるまいな」
魔力を広域に展開し、〈呪疫〉とやらの気配を感じる周囲一帯をドーム状に包み、空間を一時的に『隠蔽』する。
……これで、こちらを見ている人間がいたとしても、何が起こっているのかを認識することが出来なくなるであろう。
認識を阻害する――いわば一種の目くらまし、幻術の延長となる結界だ。
実際に空間を断絶するようなものに比べて強制力は無いに等しいが、その分展開も早く、こちらの消耗も少ない。
勇者や、彼奴と戦っているような連中相手では力不足だろうが……基本、魔法への適性が無いに等しいこの世界の人間相手には、これで充分だ。
「さて、キサマら……知性も意識も無くとも、本能めいたものは備えているのであろう?
ではこれより、そこに――。
万物が抱く、喪失への恐怖……ただそれだけを、存分に刻み込んで消えてゆけ」
口上を述べる余にスキがあると感じたのか、背後から同時に2体、〈呪疫〉が襲い来るが――。
ヤツらにしてみれば『突如』『何も無い場所に』発生したであろう、指向性の爆発によって……2体とも、一瞬で消し飛ばされる。
「――甘いな。
手は抜こうとも気は抜かぬのが余の信条よ」
余の周囲で、またパチリパチリと火花が小さく爆ぜる。
亜里奈に直接触れるという粗相をした此奴らへの、余の怒りが形を成した一種のワナだ。
接触すれば此奴らごとき、こうしてあっさりと吹き飛ぶのみ。
「無い頭でも理解出来たな?
キサマらが選べるのは、余に逆らわず消されるか、逆らって消されるかのどちらかだけだ――せっかくの機会、より恐怖が深い方を選ぶがいい」
余は手をかざし、手近なところにいた1体を獄炎に包み込んでやる。
一秒とかからず、それは跡形もなく燃え尽きた。
続けて、また別の1体に手を向け――。
其奴の周囲の空気を凍結、氷刃と化して滅多刺しにしてやれば。
その傷口から全身が一瞬で凍り付き、粉々に砕けて消えた。
「このまま黙って消えゆくのが望みか? 結構、その方が楽でいい」
そんな余の挑発を、理解したわけでもあるまいが……。
前方に壁のように連なっていた数体が動き、一気に押し寄せてくる。
数で押せば良い――と言わんばかりに。
「足掻いて消えゆくのが望みか? 結構、その方が面白い」
応じて、手をそちらに向け――。
刹那、襲いかかる連中すべてを貫いて伸びる、一筋の『線』をイメージ。
「――奔れ」
そうして、手の平に集中した魔力を解放すれば。
それは、亜里奈の腕よりもはるかに太い雷光となって、余が思い描いた通りの『線』を文字通りに一瞬で奔り抜け――。
貫いた〈呪疫〉すべてを、内側より爆散させた。
余波となったまばゆい放電は……食い足りないと暴れるように、大気を震わせて消える。
これで、取り囲んでいた〈呪疫〉はそのほとんどが消滅したが……。
「……やはりか」
余は思わず鼻を鳴らす。
――色濃い闇の気配が、一向に弱まっていないと思えば……。
物陰から、大地の隙間から――染み出し、あるいは溢れ出すように、また次々と新手が姿を現し……。
あっという間に、むしろ先よりもよほど強固な包囲網が形成された。
しかもこの様子では……これでもまだすべてではないだろう。
「塵も積もれば山となると言うが――」
まずは腕を薙ぎ、伴って発生した獄炎の渦で、3体ほどをまとめて消し炭にしてやる。
「所詮、塵は塵だ。
いや――自ら掃除されに集まってくるだけ、タダの塵よりは優秀かも知れんな?」
そこへ……前後左右より、今度は一斉に襲いかかってくる〈呪疫〉ども。
――それを。
背後より来る者は指向性の爆発で消し飛ばし――。
右側より来る者はまとめて氷像へと変えてやり――。
左側より来る者はまとめて消し炭にしてやり――。
前方より来る者は電撃で一網打尽に貫いてやる。
時間にして数秒とかからずに……。
新手として現れた者どもは、そのすべてが正真正銘の塵と消えた。
「ふむ……さすが亜里奈。ここまで魔力を行使しても、未だ充分なほどの余力があるか……。
まったく、勇者め――なにかと鈍感な男だが、妹のこれほどの資質に気付かんとは、度が過ぎて鈍感だな。
つまりは、そう……略して『どどんかん』と言ったところか。うむ」
……自分で言って何だが、新手のモンスターのようだな……しかも、恐らく弱い。
「さて……それはともかく、だ」
余は後方――あの濁った水路の方をゆっくりと振り返る。
「それが、キサマらが無い頭を振り絞って思い至った、余に対抗するための手段――というわけか?」
水路の中央には、黒い影がのっぺりと――文字通りにそびえ立っていた。
亜里奈の体躯の倍以上はある巨体だ。
どうやら、残っている〈呪疫〉どもが、個々では相手にならんと察したゆえか……一つに集まり、凝り固まった個体らしい。
いっそ、本当に積もり積もって山になってしまえ、というわけだ――。
「……ふむ。いわゆる、『合体』などというものか?」
結局どれほどが集まったのか、正確には知らんが……相当な数だったのだろう。
胸が悪くなるような澱んだチカラが、格段に増しているのが分かる。
……加えて、濁った水を足下から吸い上げ、一種の障壁としてまとっているらしく――。
「――どれ」
小手調べとばかり、火球、氷刃、雷撃と、立て続けに浴びせてやるも……これまでと違い、大したダメージにはなっていないようだった。
さらに、その返礼とばかりに矢継ぎ早にこちらへ襲い来る影の触手は、熟練の戦士が扱う槍のような鋭さで――。
魔力を集中させた障壁で弾き返してやるも、甲高い金属音とともに激しく火花が散るそのさまは……この亜里奈の身体では、一撃で確実に致命傷となる威力だと分かる。
「……なるほど。
これは……確かにもはや塵ではない。山だな」
ふともらした余の一言に、その〈呪疫〉は――まるで『嗤った』ように見えた。
どうだ、と勝ち誇らんばかりに。
思わず――。
「くく……ふっふふ……はははははっ!」
釣られて、余まで笑ってしまった。
――といっても、辺りに響くのはもちろん、亜里奈の愛らしい笑い声なのだが。
「塵は払えても山は崩せまい……と?
確かにその手は、単純なわりに効果的なようだ。だがな――」
余はまず周囲に、先よりもはるかに頑丈で広範囲の魔力障壁を展開する。
その上で――。
これまでの比ではない膨大な魔力を解放し、身の内で練り上げていく。
ぶわり、と……風も無い中、亜里奈のクセっ毛が舞い上がり、後方へと棚引いた。
危険を察知したのか、〈呪疫〉は邪魔をしようと、必死に影の触手を繰り出してくるが……。
先に張った障壁に阻まれ、余のもとへは届かない。
「……天の宮、星を褥に睡る王、遍く拘う珠の冠、稚き御子――」
指を、腕を使って――空に印を結び、陣を刻む。
そうして縁取られた、それ自体が意味を持つ経絡に魔力を流し、循環させ――紡ぐ言霊に、命を、姿を、理由を与えていく。
それは確かなチカラとなり、有り得ず、起こり得ない事象を、余の望む形へと具現化する。
〈呪疫〉の周囲を包むように、小さく強固な結界を張り巡らせ――。
その中央に、徹底して圧縮に圧縮を重ねた膨大な魔力が、小さな火を灯す。
そう――。
これが、正真正銘、〈魔法〉と呼ばれる大いなる力の――顕現だ。
「……其の名、太陽! 無慈悲無辜の號び、呱々の声――!
〈天宮ノ陽嗣〉!」
突き出した右手。
その掌上、引き金となる魔力を――一気に握り込む。
――刹那。
〈呪疫〉の眼前、小結界の中央で。
余が生み出した、極限まで圧縮された小さな小さな『太陽』が――炸裂した。
結界で包んでいてなお、全身で感じられる、強烈な閃光、衝撃、熱量――。
あらゆる面において、タダの炎、爆発とはケタ違いの圧倒的エネルギーを要するそれは……。
文字通り『一瞬』にして、〈呪疫〉の巨体を――小結界内の水路の汚水ごと、この世界から蒸発させる。
「――覚えておけ。余は魔王、世界を滅ぼす者だ。
山とて一つや二つ、『掃除』するに造作も無いということをな」
……身を翻す。
それと同時、干上がり底まで露わになっていた水路へと、小結界の外にあった汚水が思い出したように飛沫を上げてなだれ込み――景色は元通りとなった。
「さて――取り敢えずは、これで終わりか」
ベンチに座る、聖霊めの仮の身体の前まで戻る。
眠ったように大人しく座り続けるその姿には、少しばかり腹も立った。
「……キサマが亜里奈の護衛をちゃんと勤めていれば、わざわざ余が出張ることもなかったものを……まったく、肝心のところで役に立たん……!」
腹立ちまぎれに、亜里奈が言うデコピンとやらを食らわせてやるが……。
反応が無いので、今ひとつ面白くもなかった。
今度、本当に寝ているときに鼻でもつまんでやるか……。
「……さて」
ともあれ余は、聖霊の隣に腰を下ろす。
あとはこのまま、亜里奈が、聖霊の『本体』が帰ってくるのを待っていたら眠ってしまっていた……という体を装えばいいだろう。
いや、今回は結構な魔力も使ったことだ……実際に少し眠らせてやるのが良いかも知れんな。
亜里奈が身体を冷やして風邪を引かぬよう、ちょっとした風除けの結界を張って――。
……うむ、これで良し。
「……しかし、それにしても……」
ベンチに深く背を預け、消し去った〈呪疫〉どものことを考えながら――。
「逆もまた真なり、と言うか……。
勇者よ、キサマ……あるいは、とんでもない思い違いをしているのかも知れんぞ……?」
余は、自らの意識を眠りの底へと沈めていった。
「……リナ……アリナ!」
「――え……えっ!?」
……気付けばあたしは、ゆさゆさと身体を揺さぶられていた。
あわてて目を見開いて、周りを見渡して……状況を理解する。
どうやらあたしは、アガシーが『戻って』くるのを、いっしょに座って待ってるうちに……寝ちゃってたみたいだ。
「……ゴメン、アガシー……あたし、寝ちゃってたみたい」
で、あたしを揺り起こしていたのは、当のアガシー。
どうやら、お兄の方の厄介事も片付いて、無事にこっちに戻ってきたみたい。
「いえいえ。しかし、アリナがこうして眠っていられたってことは……こちらは特に何事もなかったってことですね。
なんせ、こんな美少女二人が無防備に眠ってて、世のヘンタイどもが放っておくハズありませんからね! ムフー!」
「……一番あぶないヘンタイはあなただから」
鼻息荒いアガシーを、ずいっと押し返す。
「それで、そっちの方は? お兄、大丈夫だった?」
「あ〜……ん〜……それが、ですね――」
アガシーは困ったように言いながら、ひょいとベンチから飛び降りた。
「……またちょっと、ややこしいことになってきちゃいまして……」