第44話 妹たちの帰り道――に潜むのは
「……いっや~……遊びましたねー!」
ゲーセンを出たところで、思いっきり伸びをするアガシー。
すっかり日は傾いていて……。
ビルの合間から覗く夕焼けが、ゲーセンの薄暗さに慣れた目に痛い。
「お前らは、もう帰るんだろ?」
「あれ、アーサーは帰らないんですか?」
「アーサーじゃねーよ!
――オレ、親戚の兄ちゃんと待ち合わせしてっからさ、もうちょっと遊んでくわ」
「……そ。じゃあね」
「今日は大役ご苦労だった!
……また学校で会おう、アーサー!」
お約束のように「アーサーじゃねー!」って繰り返す朝岡と別れて、あたしたちは駅に向かって歩き出す。
「……楽しかった? アガシー」
「サイコーでした!
アーサーは、タダの悪ガキから、役に立つこともある悪ガキにランクアップですね!」
〈雲丹栗〉の紙袋を振り回すアガシーは、興奮冷めやらないって感じだ。
「それ、良い表現」
アガシーの言い回しに同意しながら、あたしは今日のことを思い返す。
……なんて言うか、今日は……。
アガシーには、なんかちょっと気分が沈んだところをフォローされて……。
朝岡には、あたしじゃ思いつかない形でアガシーを楽しませてもらって……。
「助けてもらって、お礼言ってばっかりだったなー……」
……自分じゃ、もっとしっかりしてるつもりでいたんだけどなあ……。
「……それ、アリナが、ですか?」
あたしの独り言を聞きつけて顔を覗き込んできたアガシーに、うなずく。
するとアガシーは……。
男前な笑顔を浮かべつつ、サムズアップした。
「……お前はまだまだ、人生の新兵――だからそれでいいのさ。
レーション食うか? マズいけど」
「もちろんいらない」
アガシーがポケットから何か取り出そうとするのを、即座に抑え込む。
このコが、『レーション』とのたまって食わせてくる、チョコっぽい何かのマズさがどれほどのものかは……時々食べさせられてるお兄の顔を見れば分かる。
あの謎物質は、ゼッタイ食べちゃいけないものだ。
「――ま、つまりはあれですよ。
世界を3つも救った勇者様ですら、わたしやアリナが助けてあげなきゃどーすんだよコイツ、ってなレベルの、あの体たらくなんですから。
……だから、いーんですよ、それで」
「……そーだね。うん、それもそうだ」
あたしは、アガシーの言葉に何度もうなずいた。
「助けるから助けられるし、助けられるから助ける。……それだけのことです。
――って、ちょっと待った!
ヤバいです、さすがわたし、say! ray!
……今のって、実はかなりの名言なんじゃないですか!? ねっ、ですよねっ!?」
「うん、良いこと言ったね。……はなまる」
「いぇーあー! マジすか! これで二階級特進だぜー!」
「そりゃ餞だよ……って、それもちょっと違うのかな?」
……そう……。
言われればなんてこともない、ホント、当たり前のことなんだ。
ちょっと足取りが軽くなった気がして……あたしは、つい二歩、三歩と先を行く。
「あ、そう言えばアガシー、今日の晩ご飯って――」
ふと、帰りがけに何か買っていくものとかあったかな……と思って振り返ると――。
アガシーは……何だか、困ったような険しい顔をして立ち止まっていた。
「――すいません、アリナ。
勇者様が呼んでるみたいなので、ちょっとこの身体……お願いします」
そう一方的に告げるや否や、アガシーの顔から――表情が消える。
つい今まで活き活きとした美少女だったそれが……本当に、ただの良く出来た人形のようになった。
お兄が呼ぶってことは……〈剣の聖霊〉としてのアガシーが必要になったってことだ。
――〈クローリヒト〉としての、お兄が……必要としてるってことだ。
「でも……お願い、って言ったって……どうしよう。
……うん……とりあえず、あのベンチで……」
水路にかかる橋を渡るところだったあたしは……。
橋の下、水路沿いの遊歩道にベンチが置かれているのを見つけると、アガシーと一緒に、脇の階段を降りてそっちへ向かう。
一応、こういったときのために、本体のアガシーが抜け出ても、赤宮シオンとしての身体はいきなり倒れたりすることはないし、周囲から怪しまれないように、最低限の受け答えや自律行動は出来るようになっている。
けれど、それはあくまで『最低限の』だ。
あたしの指示に従うようにもなってるらしいけど……だからって、臨機応変に素早く行動したりは出来ないだろう。
それにあたし自身、こうなるのは初めてだから……。
人混みの中で何かあったりしたとき、適切に対応出来る自信なんてさすがに無い。
だから……。
とりあえず、パッと見、人気もなくて静かそうな遊歩道を目指した。
そこのベンチで休みながら、しばらく様子を見よう……そう考えて。
「じゃあアガシー、このベンチに座ってて」
――あたしが指示すれば、素直に腰掛けるアガシー。
もっとぎくしゃくした動きになったりするのかと思ったけど、動作そのものはスムーズだ。
パッと見ただけじゃ、お人形みたいな状態になってるなんて、誰も気付かないだろう。
さて……でも、これからどうしよう。
お兄がクローリヒトでいられる時間には、命を削る呪いのせいで制限があるみたいだから……アガシーが戻ってくるのを待ってても、そんなに遅くならないはずだけど……。
「まあ……待つしかない……よね」
いっしょに座っていても良かったけど、せっかくだし……水路のそばまで行って、柵越しにゆったり流れる水面を見やる。
はっきり言って、水はキレイとは言えない。
まあ、都市のど真ん中だしね……。
その代わりに、あたしたちが今いる遊歩道は、結構整備されている。
ライトなんかも埋め込まれてあるみたいだし……今は人気がゼンゼン無いけど、もう少ししてもっと暗くなったら、デートする人たちとかが増えるのかも知れない。
「デートかー……」
かわいそうに、今のお兄はそれどころじゃないだろうけど……。
――パチャン。
「…………?」
魚が跳ねたような水音に、思わずあらためて水路に目を向ける。
けれどそこには何もいない。
まあ、これだけ濁ってたら、見えないのは当たり前だけど――って。
……波紋すら――立ってない?
何だかヘンだと思った途端――。
それに応えるように……黒いもやが集まった影のようなものが、一つ、また一つと、水音を立てながら――濁った水面に伸び上がる。
悪霊みたいなそれは、目のようにも見えるぼやけた光を、次々こちらに向けてきて――。
「まさか、これ……!」
――〈呪疫〉。
お兄に教えてもらった単語が――それについての話が、頭を過ぎる。
……そう言えば、妙に人気が無いと思ったけど……。
こういうのが出る場所は、人は無意識に避けることが多いって……!
「アガシー、逃げ――!」
振り返って、あたしは呆然とする。
……1体や2体じゃない。
いつの間にか、10を超える数の凝り固まった黒い影が――〈呪疫〉が、あたしたちを取り囲んでいた。
「そんな……!」
どうする……? どうしよう……!?
――アガシーを無理にでも呼び戻せば、何とかしてくれるかも知れない……。
でもその場合、今度は、いきなりアガシーのチカラを無くしたお兄の方が、どうなるか分からない……!
お兄を窮地に追い込む可能性があるようなこと、出来るわけない!
――アガシーの身体を置いて逃げれば、あたしだけなら逃げられるかも知れない。
でもいくら仮の身体でも、あれは、あたしの大切な妹分の、シオンとしての身体なんだ……!
壊されるかも分からないのに、見捨てるとか――そんなの、出来るわけない……!!
「――――っ!」
……迷ってる時間なんて無かった。
やる前からあきらめてちゃダメだって、自分を奮い立たせ――ベンチに駆け寄る。
今のアガシーが機敏に動けないとしても、何とかして、二人で逃げるんだ……!
「逃げよう! いっしょに――」
――それは、一瞬のことだった。
アガシーの方へ手を伸ばした瞬間――。
足下、ベンチの『影』がしゅるりと伸びて……あたしの腕に絡みついたのだ。
そして……。
「あ……あ……」
その『本体』らしい〈呪疫〉が、風船のように膨れあがり――あたしの前にそびえ立つ。
感情なんて見えない、本当に目なのかも分からない二つのぼやけた光が、そんなあたしを見下ろして――。
ニヤリと、おそろしい笑みを浮かべたような気が……した。
「――――ッ!!」
……食べられる……!
そんな想像が頭を過ぎってあたしは、思わず、身をすくめて目を閉じて――
《……案ずるな……亜里奈。
この余が――何人であろうとも、お前を傷付けさせはせぬ》
……一瞬。
誰かの、そんな声が……聞こえた気がして――。
「下賤な穢れごときが……気安く亜里奈に触れるな……!」
亜里奈の右腕に絡みついた、触手めいた影に、苛立ち混じりに思い切り魔力を流し込んでやる。
一瞬で影は膨らみ、弾け飛び――右腕は解放された。
続けて、その主である目の前のデカブツに触れ――内側に重力場を形成して、ムダな巨体を一息に小石大の大きさまで圧縮してやり――。
「――邪魔だ」
そのまま、握りつぶす。
亜里奈の小さな手の平からこぼれる、燃えカスのような闇のカケラが……風にさらわれて消えていった。
「……さて……」
ベンチに腰掛けたままの、かの聖霊の仮の身体の前に立つと……。
周りを取り囲む〈呪疫〉とやらを、ぐるりと一瞥してやる。
「この娘は、キサマらごときが触れて良い存在ではない。
今回の、この粗相の代償――高く付くぞ……?」
余の憤りを含んだ空気が――。
パチリパチリと、周囲で火花となって小さく爆ぜていた。