第2話 何かと最強一般人、妹
「はあ……勇者様の、こちらの世界への能力その他の引き継ぎ具合――ですか?
そうですねぇ……ほぼほぼ、まるまる全部って言っていいと思いますよ」
これまで俺が異世界で勇者をやってきたことを知る、唯一の人物――妹の亜里奈の問いに、アガシーはさらりと答える。
「そう――まんまです、まんま。いわばまんま勇者」
「いや、まんままんま連呼するなよ……。
なんか俺、食いしんぼ勇者、って感じじゃないか……」
「ん、そっか……。なるほど」
実のアニキが通算3度目の勇者をしてきたというのもさることながら、今回の『チカラが残ってる』ってケースはこれまでなかった事例だし、結構な大事件だとも思うんだが……。
亜里奈はまるで動揺する様子もなく、何とも涼しげにうなずいている。
「じゃあアガシー、あなた、こっちの世界にいても大丈夫なの?
環境が違うと生きていけない――とかは? ない?」
「へ? あ、大丈夫っスよ?
今は取り敢えず、勇者様の生命力を分けてもらってるようなモンですけど……まあちょびーっとだけですし、問題ないんじゃないかなあ、と」
「姿を消したりはできる?」
「むしろ、基本的には普通の人には見えません。
なんせ高位の〈聖・霊〉ですからね、わたし。ムフー!」
空中に正座しながら、胸を張るアガシー。
しかし、ウチの妹はそんな聖霊サマのドヤ顔も華麗にスルーだ。
「じゃあ、あたしにあなたが見えてるのは?」
「――え?
それは、その、何せわたくし、割かし高位な〈聖・霊〉なんてやらせてもらってるモンですから?
何て言いますか、そーゆー風にちょいちょい、っと……!」
なおも懲りずに、己の高位さを示して見せようとドヤ顔を続けるアガシー……だが、何かすでに腰が低くなり始めている。
「……ホントに?
実は誰にでも見えてます――なんてこと、ない?」
当然、亜里奈にとってそんな引きつったドヤ顔など、雑草ほどにも気にかける存在ではない。
なおも見事にスルー。
しかし――。
亜里奈の場合、スルーという意識も無くナチュラルにスルー……しているように見えて、実際は気付いているのだからエグい。
あれ、精神ダメージかなりデカいんだよなあ……。
「あ、はい……あの、自分、一応高位の〈聖霊〉なんで……。
それはちゃんとしてます……ハイ」
おお……あのアガシーが、ボロボロのサンドバッグのように打ちひしがれている……。
しかし、それでも最後の『高位』って自己主張は譲らないあたり、ムダにガッツあるなコイツ。
「そう。じゃあ……話し言葉は、こうやって話してるんだから大丈夫だし……書き言葉はどう? 読める?」
「あ、ハイ。
自分、そーゆーの得意なんで……大丈夫っス」
「そう。なら、ヒマがあったら本を読んだり、新聞を見たりして、こっちの世界のこと勉強しておいてくれる?
あたしやお兄が教えるだけじゃなく、そうやって自分から知識を吸収していった方が、こっちに慣れやすいでしょ?」
「そ、そっスね。ハイ」
「ただし、くれぐれも他の人に姿を見られたりしないようにね。
――わかった?」
「……ハイ……」
高位聖霊の威厳を、あろうことかごく普通の小学生に、ことごとく、完膚なきまでに跳ね返され、力無くうなずく(うなだれる?)アガシー。
すると亜里奈は……。
表情をやわらげ、手を伸ばして、アガシーの頭を優しくなでてやった。
「うん、大丈夫、アガシーならすぐにこっちの世界に慣れるよ。
……だって、すごくエラくて優秀な、高位の聖霊サマなんでしょ?」
「! もも、モチロンですとも!
いやぁ~、さすがにアリナは分かってますねー!
――うんうん、これは、そんなアリナの顔に泥をぬらないためにも、こちらの世界でも通用する豊かな教養を早急に身に付けないといけませんねー、あっはっはー!」
バタバタと鬱陶しいぐらいに蝶の羽をバタつかせて、ゼロコンマ1秒で奈落から蘇生するアガシー。
な、なんつー人心掌握術だ……小学生とは思えん……。
いや、この場合、あまりにやすやすと乗せられるアガシーに呆れるべきかも知れんけど。
しかし……実際、亜里奈は大したものだ。
いくらアニキが異世界で勇者をしてきたことを知ってるっていっても、こうもたやすく、こんなトンデモ状況に対応なんて、普通は出来ないだろうし……。
ましてや、本来なら俺が考えるべき、当面のアガシーの生活方針を、ぱぱっと、しかも実に適切に決めちまいやがった。
まったくもって、有能にして冷静、ひたすらクールな妹だ……きっと、魔法とか習得させたら、思いっきり氷属性に傾くんだろーなー……。
まあでも、その実、いろいろと可愛らしいところもあるんだけどな。
「で、次はお兄だけど」
「え――俺っ?」
いきなり、話の矛先が俺に向けられる。
……というか、一瞬、ホントに矛を突きつけられたような気分になってしまった。
「なに? 状況を客観的に見てのアドバイスがいるから、あたしに相談したんじゃないの?」
「いや、一応お前には状況を話しておこうと思っただけで、そこまでは――」
「………………」
「……ええ、まったくもってその通りです。お願いします」
ものの5秒と耐えることなく、俺は妹の眼力の前に屈した。
いや、だってそりゃあ……ねえ?
あんな上目遣いに、スネたような、お願いするような目でじっと見られた日にゃあ……ねえ?
……あ、俺はシスコンじゃないぞ? 違うぞ?
「えっと、お兄は……。
勇者としてのチカラがほぼそのまま残ってるってことだけど、見た目はまったくいつも通りで変わりないし……。
さっきのストロー袋の一撃からしても、防御力とかが高すぎて、感覚がニブってるってわけでもなさそうだし……。
つまりはまあ、何事もやり過ぎないように心がけてれば、目立たずに平穏無事な学生生活を送るってのは、そんなにムズかしくないんじゃない?」
あのパチンコ玉みたいな破壊力があったストロー袋の一撃、そんなチェックの意味もあったのか……つくづくあなどれん妹よ。
「……将来的には、お兄のチカラも元通りになった方がいい――のかもだけど……。
そんな方法、一般人のあたしには思いつかないし。
とりあえず、しばらくはそうやって様子を見るしかないと思うんだけど……どう?」
「まあ……そうだな。そんなところだろうな」
俺は素直にうなずく。
亜里奈の言うことは、至極もっともだ。
「とにかく――ありがとうな、亜里奈。
やっぱり、一人でも理解者がいると、ずいぶん気が楽になるもんだ。助かったよ」
「そ、それは、まあ……お兄の事情知ってるのはあたしだけだし……。
だから、あたしが協力しなきゃだし……」
俺が素直にお礼を言うと、亜里奈はモジモジとうつむき加減にそう言い返して、思い出したように、リンゴジュースの残りを勢い良く吸い上げた。
コイツ、基本的にクールだけど、割と恥ずかしがりだからな。
こういう、真っ正面から向けられる感謝やら善意やらには案外弱いんだよな――微笑ましいもんだ。
……いや、俺、シスコンじゃないけどな?
「ともかく……アガシーのことも含めて、これからもよろしくな、亜里奈」
「よろしくお願いしますー」
俺とアガシーは、揃って亜里奈に頭を下げる。
「ん、うん。
――それじゃ、お話も一段落ついたし、いい時間だから……あたし、もうお風呂入って寝るね」
空になったコップを手に、立ち上がった亜里奈は――。
「おう。上がったら呼んでくれ、俺も後で入る」
「うん。
――じゃあアガシー、おやすみ」
「おやすみなさーい」
……アガシーに小さく手を振って、部屋を出て行った。
そうして、ぱたん、とドアが閉まる。
その直後――
「さて……で、勇者様、どうやってノゾくんですか?」
タイムラグ無しにバカなことを言い始めた自称高位の聖霊は、不敵に笑いながら籠手をした手で腕をまくっていた――まくるソデがないが。
「……そうな~。
小学生、しかも実の妹の風呂をノゾくとか、ある意味まさに勇者の所業よな」
「でしょー? ですよねー?」
「しかし残念ながら勇者違いだ。やりたきゃ一人で勝手にやれ。
でもって、赤い悪魔の剛拳を存分に味わい、この法治国家日本において、ノゾきは犯罪であることを、身をもって学んでくるがいい」
「ちぇー」
「……ま、実際にはお前が入ってきたところで、アイツ気にしないだろうけどな……」
座布団から腰を上げた俺は、改めて、勉強机の方に座り直す。
――その過程で、ふと……。
ズボンのポケットに入っている物に気付いた――いや、『思い出した』。
取り出したそれは、非常に細やかな装飾が施された……けれどハデさはない、落ち着いた銀色に輝くペンダントだ。
「勇者様、それ……」
「――ああ。
もしかしたら、こいつのせいなのかもな……俺がチカラを引き継いだ状態なのは」
そのペンダントを、どこにしまおうかと少し考えた俺は……。
結局、勉強机の小さなラックの一つに引っ掛ける。
「……いいんですか勇者様? アイテム袋にしまっとかなくても」
「それじゃ、コイツの息が詰まるだろ。
――ま、せっかくだしな」
「はあ……まったく、お人好しですねえ……。ま、分かってたことですけど。
――さて、それじゃわたしもせっかくですし、こっちの世界を満喫させてもらいましょうかねー……」
空中でくるくる回っていたアガシーは、そのままふよふよと、本棚の方へ飛んでいく。
そうして、フムフムほうほうと、いちいち感嘆の声を上げながら、本を物色し始めた。
「……頼むから、ヘンな方向に偏った知識とか身に付けてくれるなよ……?」
この本棚にはあんまり変な本は置いてないはずだが、どことなく不安を感じて俺は声を掛ける。
しかし、アガシーは物色に夢中でまったく聞いていない――かと思いきや、いきなり振り返って大声を上げた。
「あ、勇者様、まさか――!」
「なんだよ、どうした?」
「狙いはノゾき程度じゃなくて……堂々と真っ正面から一緒にお風呂、とか!?
いや、さすがにそれはヒきますわー……ヒいてヒいて轢殺ですわー……」
「…………」
俺は無言で、手近にあった消しゴムをブン投げる。
「むぎゅっ!」
――クリティカルヒット。ちょっと大きい羽虫を撃墜。
「……まったく。
ホンっトに大丈夫だろうなコイツ……」
ため息をつく俺は、再び、机に引っ掛けたばかりのペンダントに目を向ける。
そうして――
「まあ、ともかく……これで約束は果たせたわけか。
……なあ?」
呼びかけながら、ペンダントを軽く指で弾く。
ウンともスンとも、返事が返るはずもなかったが……俺は自然と、頬がゆるむのを感じた。
……というわけで、まあ、このときの俺はまだのほほんとしていられたわけである。
いや、だってさ――。
まさか一週間後、この現代日本で、魔獣やら魔法少女やらにリアルに遭遇するなんて――しかも、悪役認定されちまうなんて。
んなこと、夢にも思わないだろうよ……まったく。