第362話 闇も雲も払われ、天にも地にも、星が煌めく
――その日の夜、ご近所の大衆中華のお店、〈虎応軒〉の一角で。
4人掛けと2人掛けのテーブルを寄り集めた、急ごしらえの6人席を占拠して……。
「さて、と……そんじゃ――!」
お兄の一言に合わせて、あたし、アガシー、ハイリアさん……そして千紗さんの5人が、テーブルの上で湯気を立てるいっぱいの料理を前に、揃って手を合わせた。
「「「「「 いただきまーす! 」」」」」
今日はママもパパも用事で遅いらしいから、あたしたちはここで晩ごはんだ。
「さーて、食うぞ〜!」
言うや否や嬉しそうに、シンプルな大衆中華のラーメンを、ズルズルとスゴい勢いですすり上げるお兄。
「ふむ……ラーメン専門店のものとは趣が異なるが、これはこれで美味い」
同じものを頼んでいたお兄の隣、作務衣姿のハイリアさんも、動きこそ上品だけど同じぐらいの速さで麺をすすってうなずく。
「んんん〜……っ!
やーっぱり、大将の天津丼はサイコーですね! 世界一っ!」
「――おう、ありがとよアガシーちゃん! 嬉しいぜ!」
口の周りを甘酢あんで汚しながら、満面の笑顔でカウンター向こうの厨房に向かってサムズアップするアガシーに、パパの同級生の大将が鍋を振りながら応じる。
……アガシー、前に来たとき食べてから、ここの天津丼にドハマりしてるんだよね。
ふりかけの〈のりたんま〉も大好きだし、『ご飯とタマゴ』の組み合わせがお気に入りなのかなー、と思いきや……。
その王道たる『卵かけご飯』は、どうも食感がイヤで好きじゃないみたい。
「うわぁ……やっぱり男の子は勢いが違うね」
お兄の怒濤の食べっぷりを、向かいで微笑ましく見守る千紗さんだけど……千紗さんは千紗さんで、結構食べるのが早いことをあたしもこの数日間で実感した。
今もほら……ゼンゼンがっついてないし、いかにも育ちの良さを感じる食べ方だけど、千紗さんの中華丼は、目の錯覚を疑うレベルで減ってってるし。
「お兄って、ここに来ると、まずはスープ代わりにラーメン1杯……っていうのがお約束なんですよね」
隣の千紗さんにお兄について解説してあげながら、あたしはあたしで自分のチャーハンを口に運ぶ。
うん、さすが……やっぱり、大火力と中華鍋で炒めたチャーハンはパラパラ感が違うなあ。おいしい。
「……ホントに――おいしい、なあ……」
ううん、それだけじゃなくて――。
こうやってみんなで食べるごはんが、特別おいしくて、楽しく感じるのは――。
……あたしが、生きてるって――。
そう実感してるから、なのかな……。
あ……ダメだ、意識すると、なんか――。
今日一日で色々ありすぎたせいで、逆に高揚しすぎて安定してるみたいな気持ちが……安心感に溶かされて、泣きそうになっちゃう……。
「……亜里奈ちゃん」
つい、レンゲを見下ろして動きを止めていたあたしの髪が……そっと、撫でられる。
反射的に目を上げれば、千紗さんが――あたしがつい、そんな気持ちになってたのを察してくれたみたいで、気遣うように優しく笑いかけてくれていた。
「……おいしいね?」
「――はいっ……!」
多くは語らなくても、その思いやりに満ちた一言に……。
あたしも、軽く鼻をすすり、目元をぬぐって……湧き上がる気持ちに正直に、笑顔で応じた。
――数時間前の、小学校屋上での戦いのあと……。
〈世壊呪〉を巡って争っていた人たちは、改めて一堂に会し――そしてみんなして、その世間の狭さのようなものに、驚くやら呆れるやらだった。
異世界を3度救ってきた勇者でクローリヒトのお兄に、異世界アルタメアの元魔王でクローナハトのハイリアさん、〈剣の聖霊〉でクローアスターのアガシー、同じくアルタメアの〈霊獣ガルティエン〉の加護を得たティエンオーの朝岡――って身内から……。
結局は、お兄も千紗さんと行ったことのある〈常春〉って純喫茶にみんな集まっていた、〈救国魔導団〉の面々――。
お兄と同じく元勇者でサカン将軍だったマスターさん、その娘でお兄たちの後輩でもある魔法王女ハルモニアの白城さん、そして常連客でこの間お兄を助けてもくれた〈人狼〉らしいブラック無刀の黒井さんと、その友達で〈吸血鬼〉なポーン参謀の質草さん……。
それに、実は魔法剣士〈能丸〉でもあった、エクサリオの衛さんに……。
まさかの、何度もお兄と戦ってきたシルキーベルだった千紗さん――。
そして――〈世壊呪〉だった、あたし……。
……そう言えば、お兄と千紗さんは、お互いの正体について、もっと色々言い合うことがあると思ってたんだけど……わりとあっさりしてたっけ。
どっちも、もう『それが当然』みたいな形で、分かり合ってる感じで……なんか、さすがだなー、みたいに思っちゃった。
あ、でも、1つだけ――。
千紗さん、シルキーベルのときお兄に『中学生扱いされた』ことだけは、ほっぺた膨らませてジト目で文句言ってたなあ。
まあ、必死に平謝りに謝るお兄見て、笑って許してあげてたわけだけど。
――そして衛さんは……。
あたしが、助けてくれた人たちにお礼を言うのと同じように――。
ちゃんと、戦った人たちみんなに……謝罪のために頭を下げていた。
安心したのは、結局のところ、それで被害らしい被害を受けた人はいないせいか……。
みんなそれぞれ、言い方や態度は違ったけど、形としては異口同音にその謝罪を受け入れたから――特にそれ以上の問題にはならなかったことだ。
せいぜい白城さんが、「ペナルティです」って、イタズラっぽい笑顔のまま結構強烈で痛そうなデコピンを食らわせたぐらい。
ちなみに、衛さんはあたしにも、『怖い思いをさせてしまった』って謝ってくれたけど……。
それについては、あたしだって『斬ってほしい』なんて背中を押すようなことを言っちゃったわけだから……気にしないで下さいってお願いしておいた。
――それから、衛さんはその足で、お兄や千紗さんといっしょに、眠ったままのドクトルさんを目覚めさせにも行った。
〈魔導具〉による眠りは、衛さんが言うように、人体に悪影響はほとんど無いみたいで……目覚めたドクトルさんの第一声は、「よく寝た〜!」って元気なものだったみたい。
当然ここでも、衛さんは身勝手にドクトルさんを眠らせて迷惑をかけたことを、真摯に謝ったそうだけど……。
それと同時に、お兄と千紗さんから、〈世壊呪〉を巡る今回の顛末を聞いて――ドクトルさんは。
怒るどころか、衛さんの頭を撫でて……優しく笑ったらしい。
「その過ちを認め、反省する気持ちを忘れないでいてくれたら。
助けてくれた人たちへの感謝を忘れないでいてくれたら。
そしてそれらを糧に、キミがこの先、大きく成長してくれるのなら――。
……年長者としては、それで充分だ」
……って。
それをお兄から聞いてあたしは、ドクトルさんもやっぱりすごい人なんだなあって、改めて思ったっけ。
それこそ、当の衛さんなんてホントに感激してたみたいで……何度もお礼を言ってたとか。
……ああ、あと、ドクトルさんっぽい茶目っ気で、「ここのところ寝不足気味だったから、ちょうどいい休養になった」とも言ってたみたい。
で、そのドクトルさんが、目覚めたばかりだからそばに付いていようとした千紗さんを……。
「身体が悪いわけじゃないし、どうせ検査だけして明日の朝には帰るだろうから」って追い返したから……千紗さんは、今日もうちに戻ってきたってわけ。
そう言えば、今回の顛末を聞いたドクトルさんは、お兄のことを「さすがだな」ってベタ褒めしてた(千紗さん談)みたいだし……。
お兄と千紗さん、2人がいっしょに過ごす時間に気を遣った――ってのもあるかも。
――そんな風に、あたしが今日のことで物思いに耽ってると……。
「……ん? 千紗、もしかして足りてないんじゃない?」
中華丼をあっさり平らげたらしい千紗さんに、大盛りチャーハンを勢いよく掻き込んでたお兄が、手を止めて問いかけていた。
千紗さんは、手の中のレンゲをもてあそびながら――恥ずかしそうにうなずく。
「う、うん……めっちゃおいしかったし、今日はもうホンっマにお腹空いたから……つい、いっぺんに食べてもうて……。
――あ、で、でも、ウチは言うても居候やし、食べ過ぎるんは……!」
「そんなの気にしなくていいって! っていうか、むしろ遠慮させてたとか知れたら、俺が母さんに元祖のパチキもらっちまうよ!
それに、俺だって今日はもう、メっっチャクチャ腹減ってるし!
……ってことで……。
――大将〜! 唐揚げとギョーザ、3人前ずつ追加で〜!」
「あ、あとカニ玉です!
宇宙一のカニ玉も追加でお願いします、シャーっ!」
「あいよぉ〜っ!」
お兄に続いて、天津丼食べたのにまだカニ玉を追加するアガシーに、大将が景気よく返事するのを聞きながら……。
「あ、あたしお腹いっぱいだし、ちょっと外の空気吸ってくるね」
そう言い置いて、あたしはお店の外に出た。
それで……表で1人、ふうっと一息つく。
――夏真っ盛りだけど、日も落ちてるし、クーラー利いてても熱気溢れる大衆中華の店内よりは……体感的にはともかく、気分的に涼しい。
そんな感じで、言った通りに外の空気を吸い込みながら、見上げた空は……。
昼間の、世界を闇に呑み込むみたいな黒雲は消え去って……ウソみたいにすっかり晴れ上がって、星が瞬いていた。
でも――昼間起こったこと。
そして、あたしに起こったことは…………ウソじゃないんだ。
「………………」
あたしは、自分の首元に手をやって……シャツの中に隠れていた、銀色の首飾りを引っ張り出す。
それは、あたしみたいな小学生が着けるには不釣り合いな――本格的な装飾品。
……と言ってもこれ、普通の人は見てもそれと認識出来ないような、『魔術的処理』が施されてるらしいけど……。
――とにかく、この……ハイリアさんが、〈常春〉のマスターさんと力を合わせて手を加えたっていう〈封印具〉が、あたしがこれから生活する上での『必須アイテム』だ。
その効力は、〈世壊呪〉たるあたしに流れ込む〈闇のチカラ〉を代わりに引き受け、蓄積して……。
そしてそれを、〈救国魔導団〉が守ってきた〈庭園〉ってところに、その維持のためのエネルギーとして供給する――というものみたい。
つまり、これを身につけていれば、あたしは〈世壊呪〉にならずに済む――ってことらしいけど……。
「……すまないな」
いきなり声を掛けられて、あわてて顔を上げると……。
あたしの隣には、いつの間にかハイリアさんが立っていた。
「……もっと、抜本的な対策が講じられれば良かったのだが……。
さすがに、時間が無かった」
あたしが、もらった首飾りを見ていたからだろう。
ハイリアさんは……珍しく、申し訳なさそうに眉尻を下げて、そう言った。
「い、いえ、そんな……!
その少ない時間で、あたしを助けるためのものを用意してくれたんです……!
ホントに、感謝しかありませんってば……!」
あたしは、ハイリアさんに向かってブンブン両手を振る。
……だって、それは本心だから。
確かに、根本からの対処――あたしから〈世壊呪〉を切り離すとか、取り除くとか、そういうのは出来てないけれど。
あたしはまだ、〈世壊呪〉のままだけれど――。
でも、ハイリアさんのこの首飾りがなかったら、いくらお兄があたしを助けてくれても、時間を稼いでくれても、どうにもならなかったんだから……。
あたしには、本当に――感謝しかない。
でも……そう言っても、ハイリアさんは納得いかないみたいで……。
「だが……これはあくまで応急処置。対症療法でしかない。
今のままでは、亜里奈、お前に厄介な持病を1つ課しているようなものだ――余としては到底、満足のいく形ではない。
ゆえに……その対症療法で出来た時間的余裕を活かし、勇者や聖霊を初めとした面々の協力も得て――これからも研究と〈封印具〉の改良を続けていくつもりだ。
ゆくゆくは、亜里奈――お前と〈世壊呪〉を、完全に切り離すために」
「……ハイリアさん……」
「もっとも――それがいつになるのか、断言してやることは出来ぬがな……。
一月で済むやも知れぬし、5年、10年とかけても、なお足りぬやも知れん。
だが、必ずやそれを為すと――それまでお前を守ると、約束しよう」
そう言って、キレイな青い瞳で――真っ直ぐに、ハイリアさんはあたしを見下ろしてくる。
アルタメアの、元魔王――。
そんな人に見下ろされるとか、すごい威圧感ありそうだけど……。
そして実際、穏やかな表情とかじゃないんだけど……。
でも、あたしはそこに……とても優しい雰囲気を感じた。
……そう、きっとこれだ……。
これがあるからこそ、あたしは――。
ハイリアさんが、お兄に似てるって……そう感じるんだ。
それに…………。
「? どうした亜里奈、笑っているのか?」
「……え?
あっ、その……不謹慎かも知れませんけど、ちょっと……嬉しかったから」
「……嬉しい?」
「はい、だって……。
〈世壊呪〉を切り離すのがいつのなるか分からないってこと――それは、少しは不安もありますけど……。
でも、それを考えてくれてる間は――ハイリアさんも、アガシーも、いっしょにいてくれるってことだから。
元の世界に帰ったりしないで……まだまだいっしょにいてくれるってことだから」
そう正直な気持ちを告げて、あらためて笑顔を向けると……。
ハイリアさんも、微かだけどやわらかい笑みを返してくれた。
「……もとより、余は亜里奈――お前の側を離れるつもりなどないがな?」
「もう……またそういうこと言うんですから。
――って言うか、あたしなんかより……この〈封印具〉の術式の基礎を考えたっていう、幼馴染みさんのことはいいんですか?」
「それなら問題ない。
彼奴とは確かに誰よりも近しかったが……そういう間柄では無かったから、な」
答えて――ハイリアさんは、星の瞬く夜空を見上げる。
……その姿に、あたしもふっと気が付いた。
「そっか……。
それが、七夕の夜に話してくれた、〈星〉の名を持つ近しい人――なんですね」
「ああ、そうだ。
その名はシュナーリア……〈世を照らす星〉という意味だ――」
「……シュナーリアさん……」
いつかの夜みたいに、ハイリアさんの視線を追い、並んで星空を見上げながら。
あたしは、胸の前で手を組んで……。
間接的にでも、ハイリアさんといっしょに、あたしを助けてくれた〈星〉に――。
「……ありがとうございました――!」
心からの、精一杯のお礼を、伝えるのだった。




