第361話 そんなキミこそが、本当の勇者
――そのとき、僕を突き動かしたのは……何だったんだろう。
僕自身、何が何だか分からない、混沌とした激情――。
それに蹴り出されるように僕は、能丸として預かっていた刀を手に……裕真の首を狙って、居合い斬りを繰り出していた。
……悪あがきに過ぎないことは、分かっていたにもかかわらず。
そう――不意打ちにも見える一撃だけど、裕真は初めから気付いていた。
能丸の刀については知らなかったとしても、僕が攻撃を仕掛けようとしていることぐらい、その気配でとっくに把握していた。
……当たり前だ。
ここまでの強さを身につけた人間が……ちょっとよそ見をしたぐらいで、間近の殺気に気付かないはずがないんだから。
だから――僕の一撃は、悪あがきでしかなかった。
難なくいなされることは分かっていて――でも、そうせずにはいられなかったというだけの。
だけど――――。
裕真は、それを……防ごうとも、かわそうともしなかった。
……気付いていなかった? そんなことはない。
こちらに向き直った裕真の目は、何の驚きもなく、僕を見据えていた。
僕の動きを、完全に捉えていた。
にもかかわらず……裕真は、何をしようともしなかった。
ただ、泰然と――立ち尽くすだけだった。
「――――ッ!!!」
だから、僕の刀は――――無防備な裕真を。
その急所に、致命傷を――――!
「…………っ…………」
…………与えることは……出来なかった。
僕の刀は――裕真の首に触れただけで、止まっていた。
――止められていた。
そう、誰でもない…………僕自身によって。
「どうして……っ!
どうして、防ぎも避けもしなかった……っ!
キミならどうとでも出来ただろうに、どうして――ッ!」
「……そんなの、決まってるだろ?
お前を信じてたからな――衛」
僕の問いに、ひとかけらの怖じ気すら見せず……至極当たり前だとばかりに。
やわらかな微笑混じりに、裕真はそう言い切った。
…………ああ……そう、なのか――。
その姿を前に――――僕は、理解した。
ようやく、それを……素直に、認めてしまった。
僕を支配し、突き動かした激情が、嘘のように散り――。
それに従って、手の中から滑り落ちた刀が……床に落ち、乾いた音を立てる。
それは同時に、僕の中の――この本心を必死に覆い隠し、鎧い、閉じ込めていた檻が。
あれだけ必死に、堅牢に頑なに築き上げていたつもりで――その実、だからこそ、どうしようもなく弱いものだった檻が……。
壊れ、崩れ……失われていく音でもあった。
――『ずっと……みんなを守る、心正しい〈勇者〉でいてね』
同時に、僕の脳裏を――シローヌの最期の声が過ぎる。
僕は――許せなかったんだ。
シローヌを守り切れなかった、僕自身を。
だから――分かりやすい『強さ』を求め、それを正当化するための〈勇者〉の名に固執した。
シローヌは……自らが犠牲になったことを教訓に、皆が求めるような、確かな『成果』をもたらす〈勇者〉であってほしいと――そう願っているんだと、信じて。
でも――違った。逆だったんだ――。
シローヌは……あのとき、そのままの僕を。
『みんな』を守ろうと――守れると信じていた、そんな僕をこそ……認めてくれていたんだ。信じてくれていたんだ。
自分が犠牲になっても、変わらず、その道を進んでほしいと――。
僕に、本当の〈勇者〉になってほしいと――そう願っていたんだ……!
そう――。
この状況下で、最後まで……一片の曇りも無く、僕を信じ抜いてくれた――。
裕真みたいな、本当の〈勇者〉に、って……!
「……本当に……キミの言う通りだね、裕真。
僕は……なんて、なんて大バカ野郎なんだろう……。
シローヌを喪った自分を許せなくて……だからこそ、それは間違いだったと言い聞かせて……!
その哀しみと向かい合い、受け入れて進むべきだったのに……!
シローヌも、それを信じ、願ってくれていたのに……!
なのに僕は、心の痛みを恐れて、頑なに、単純な『強さ』で自分を鎧って――本心はそのことに気付いていても、必死に、それすら偽り続けて……!
そうして偽るうちに、それが真実のようになっていて……っ!」
僕の、勝手な気持ちの吐露を……裕真は、ただ静かに聴いてくれていた。
……そういえば、白城さんも言っていた――。
僕はきっと、僕のこの『想いの矛盾』を誰かに打ち砕いてほしいと、そう願ってるんじゃないか、って……。
本当に――その通りだった。
僕は、僕のたどり着けなかった、本当の〈勇者〉としての道にいる裕真に――嫉妬するとともに、憧れてもいたんだ。
〈勇者〉として、僕の道を正してほしいと――。
心の奥底では、そう願っていたんだ……。
「……結局、僕は……。
〈勇者〉じゃないからこそ、なれないからこそ、その名に固執していた――ただの愚か者に過ぎなかったんだね。
そしてその挙げ句、周りに迷惑だけかけて、誰も本当には救えず――」
「さて……それはどうだろうな?」
もう自嘲するしかない、バカな僕に……裕真は、そんな疑問を呈してきた。
「……確かにさ、お前は色々と間違えちまったよ。
でも――誰かを助けよう、守ろうって気持ちは、ずっと持ち続けたじゃねーか。
お前なりのやり方で、出来る限りに世界を救ってきたんじゃねーか。
俺だって勇者やってきたんだ、それが生半可なことじゃないことぐらい分かってる。
適当な想いでどうにかなるようなものじゃないって知ってる。
……もちろん、シローヌみたいに、その中で犠牲になった人もいるだろう。
だけど……お前に救われた人がいるのも確かなんだ。
――そのことまでは、否定しちゃいけないだろ?」
「……裕真……」
思わず顔を起こし、裕真を見上げる僕。
一方で裕真は、肩越しに――背後へと呼びかけていた。
「……なあ、アガシー!
お前、衛に言ってやりたいことがあるんじゃないのか?」
その声に――まるで、初めからそうするつもりだったかのように。
「はい」と、真剣な表情でそう応えて――アガシオーヌは、僕の側まで歩いてきた。
……アガシオーヌ……。
そう、さっき武尊も言っていたことだ――僕が、『魔王を倒すためのチカラを欲するなら』という〈導き〉に従い、『役目』を与えてしまったからこそ。
彼女は、想像を絶する長い間、ずっと、それに縛られてきたんだ――。
彼女が僕に言いたいことがある――そうだ、当然だよ。
だから、それがどれほどの怒りや怨嗟に満ちた罵倒だろうと……僕は、甘んじて受ける義務がある。
そして――対して僕には、言ってあげられることは……一つしかない。
「……ごめん……アガシオーヌ。
やっぱりあのとき、僕が、キミに『役目』なんて与えなければ――」
「そうですね……だったらわたしは、二千年近く、あの〈聖なる泉〉に縛られることもなかったでしょう――」
頭を下げる僕に……アガシオーヌの、緊張したような声が降ってくる。
かと、思ったら――気付けば、そっと手を取られていた。
どういうことかと顔を上げれば、そこには……。
僕の目線に合わせて、ヒザを突いたアガシオーヌがいて――。
「でも――だったらわたしは、勇者様に出会うこともなかった。
勇者様に連れられて、こちらの世界に来ることもなかった。
アリナや、アーサーや……みんなに出会うこともなかった。
――赤宮シオンとしての、この幸せに出会うこともなかったんです。
それに――そもそも。
アガシオーヌ、と……その名が与えられたからこそ……。
わたしは、わたしになれたんですよ?」
その目尻に、涙を浮かべながら……。
僕に、花が咲くような笑顔を向けてくれた。
「だから――わたしが言いたいのは、たった一つだけです。
わたしに、名前をくれて……ありがとう、アモル」
……胸が、詰まった。
歪んで、間違って、どうしようもない道を進んでしまっていたのに――。
この子に、途方も無い苦難を与えてしまったのだと悔いていたのに――。
こんな僕に贈られたのは――心からの感謝だった。
……僕の方こそ、お礼を言いたかった。
でも――喉の奥から溢れ出る嗚咽が、浮かんだ涙で崩れる視界と同じく……必死に紡ぐ「ありがとう」を、上手く形にしてくれなかった。
それでも、想いだけはなんとか伝わったのか……アガシオーヌは笑顔のままに、小さくうなずいてくれた。
そして、その後ろには武尊も立っていて――。
「兄ちゃんのこと、1発ブン殴ってやろうって思ってたんだけどなー……。
軍曹がそう言うんなら、仕方ねーや……オレも許してやるよ、衛兄ちゃん」
言葉の通りに、仕方ないな、って顔で……ちょっと大ゲサに肩をすくめながら――。
僕に、そんな言葉をくれた。
「……やっぱり、お兄は勇者なんだね――。
本当にこうやって、何もかもを解決しちゃうんだから」
そうしている中、傍らから聞こえた声に――ハッとなって、手の平で目元を拭いつつ顔を向けると。
……そこで、僕らを穏やかな表情で見守るのは――亜里奈ちゃんだった。
「そうは言っても、俺がやったことなんて、きっかけ作りぐらいのものだけどな」
「でも、その『きっかけ』になるのが勇者だ――って、そう言ってたじゃない。
それに……ちゃんと約束通り、あたしのことは助けてくれたよ――?
……だから、その…………ありがと、お兄」
「――おう」
亜里奈ちゃんの前に屈み込んだ裕真が、その頭をくしゃりと撫でてあげるのを見ながら――。
僕は、彼女が〈世壊呪〉として、危険な状況に踏み込もうとしていたことを思い出すけど……。
頭を撫でられて、困ったような嬉しいような……そんな優しい表情をしている亜里奈ちゃんからは、ついさっきまで強く感じていた〈闇のチカラ〉の気配は鳴りを潜めていて……。
いや、それどころか、そもそも……彼女は、〈世壊呪〉の覚醒を表すかのような、〈繭〉に包まれていたはずなのに――?
「……コイツはコイツなりに、必死に頑張ってくれたってことさ」
僕の疑問に気付いたような裕真が、そう言うと――。
頭を撫でられるままに亜里奈ちゃんは、小さく首を横に振る。
「あたしは……そんな大したこと、してないよ。
最後の最後まで、あきらめないで、自分をなくさないように頑張ろうって――そう気を張ってただけで。
でもそうしたら……きっとシルキーベルがあの大っきな〈呪疫〉をやっつけてくれたんだね、急にフッと気分が楽になって……」
「で、でも、それだけじゃ……!
亜里奈ちゃん、キミに流れ込んでいた〈闇のチカラ〉は……!」
僕が、さらにそう疑問を差し挟むと――。
裕真は、したり顔でニッと笑いながら……親指で、空を指し示す。
それを追って、目を上げればそこには……。
分厚く空を覆う黒雲を裂いた、一筋の切れ目が――。
……そうだ、あれは……。
裕真が、僕の神剣エクシアを斬った、あの一閃の――って……!
「まさか……裕真……!」
「――そのまさか、だよ。
あれは、〈心剣・裂神〉……そう、お前がいた頃より後の時代に編み出された――『斬れないものをすら斬る』って秘剣でな。
シルキーベルが、邪魔なあの〈呪疫〉を祓ってくれたのは感じてたから……亜里奈にいつまでもムリさせるわけにもいかなかったし、俺もいつまでガヴァナードのチカラを引き出せるか分からなかったしで……やるなら、あの瞬間が一番だったってわけだ」
――そう、つまり裕真は……。
あのときの一撃で――エクシアもろともに、『斬って』いたんだ……。
亜里奈ちゃんへと〈闇のチカラ〉が流れ込む――その〈霊脈〉の道筋さえも……!
「……まあ、さすがに〈霊脈〉そのものを完全にぶった斬るわけにはいかないから、あくまで一時的なものだけど……。
亜里奈自身も頑張ってくれたおかげで――時間稼ぎには充分だったみたいだな」
何かに気付いたように裕真は、屋上の一角に視線を向け、嬉しそうにそんなことを言いながら――。
「え? ちょ、お、お兄っ……!?」
きっと彼自身、抑えが利かなくなったんだろう……守り抜いた亜里奈ちゃんを、胸の中に抱き寄せる。
そのとき、ちょうど裕真の視線の先――その下方から、マントをなびかせた人影がふわりと屋上まで飛び上がってきて――。
「……勇者! 間に合ったようだな……!」
それがハイリアだと分かったそのとき――彼は、銀色の首飾りのようなものを、高々と掲げる。
片手で亜里奈ちゃんを抱きしめたまま、満足げにうなずいて応える裕真。
……ああ……本当に。
きっと、これで……すべてが守られたんだな――。
事情を全部知ってるわけじゃないけど、でも確かにそう感じられて。
そのことに、本当に安堵して……でも、それを引っかき回し、邪魔していたのは、他ならない僕自身だと思えば、恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいで……。
その罪の意識に、思わず、またうつむきそうになる――そんな僕の手を、アガシオーヌがそっと握ってくれて。
そして、それに合わせて裕真が――。
恥ずかしがる亜里奈ちゃんを、ちょっと強引におんぶして立ち上がりながら……僕に。
厳しさと、そして優しさをともに備えた――静かな目を向ける。
「……衛、確かにお前は過ちを犯した。
それで迷惑をかけもしたし、謝るべき人もいるだろう。
でも……お前はちゃんと、その過ちに気付いた。
どうしようもないところまで踏み込む前に、それを認めて、足を止められたんだ。
だから……反省すべきは反省して、償うことは償って……。
そうして、やり直せばいい。ただそれだけのことさ。
……安心しろって、お前は一人じゃない……俺たちはもちろん、イタダキのバカやおキヌさんだっているんだから。
事情を知ってようといまいと、みんな、そんなお前を支えることに変わりはないよ。
――言ったろ? 俺たちは友達だ、ってさ」
そう言って笑ってくれた、裕真のその笑顔は――。
本当に、いつもの友達としてのものだった。
折しも、あれだけ厚く空に垂れ込めていた黒雲が、裕真が斬った裂け目から解けていき……夕暮れ前の陽光が、徐々に広がって――。
裕真を、彼の周りの人たちを、そして僕をも……金色に照らし出す。
その光景が輝く金色は、僕のこの鎧のそれよりも、ずっとずっとまぶしくて。
僕は……改めて涙が浮かぶ目を、細めずにはいられなかった。
「うん――。
助けてくれて、ありがとう…………裕真」
その金色の中心に立つ、〈真の勇者〉に……友達に。
心からの感謝を、述べながら――――。