第341話 星は、落ちない――それが〈魔王〉であるから
「……ハイリア。
わたしたち魔族と、人族との違いは、何だと思う?」
――あるとき、幼馴染みで婚約者でもあるシュナーリアに呼び出された余は。
唐突に、そんな問いを投げかけられた。
「ふむ。先祖が、かつての戦の勝者か敗者か――であろう」
「まったく、キミは……もう少し可愛げのある答えはないものかなー。
……でもま、概ね正解だよ。
魔と人は、双方の古い伝承で、よく悲恋として謡われる物語があるように……その垣根を越えて、子を成した者たちもいるわけでさ。
要するに、生物的観点から言えば、わたしたちは本質的には同じ――西の都に住んでるか、東の村に住んでるか……あるのは、そんな程度の違いってことだ」
「……で、それがどうしたというのだ?
確か今日は、『まったく新しい魔法理論』とやらについて、呼び出されたはずだがな?」
「ん? だから今まさに、その理論のことを話しているんじゃないか」
ことん、と首を傾げるシュナーリア。
見た目だけは幼い此奴がそうすると、無垢な子供のようにも見えるが……実際にはそんな可愛いものではない。
此奴のそれは、「分からないことが分からない」といった類のものだ。
……まったく、天才というやつは……。
「……余の思考を、お前と同じ物差しで計るなと、いつも言っているであろうが。
順を追って一から、正確に詳しく説明しろ」
「ん〜? 詳しく説明……ねえ。
――それ、逆なんだよハイリア」
余の苦言に、シュナーリアは……。
しかし己を省みるどころか、ふふん、と得意気に鼻を鳴らした。
「わたしがこれについて最も言いたいのは、だよ?
むしろ、頭やら言葉やらで、あーだこーだと説明付けるな、ってことなのさ。
特にハイリア、キミはいっつも、余計に考えすぎるきらいがあるからなあ――」
――それはいつも通りの、彼奴の頭の中では完結している、無茶苦茶な理論に基づく物言い。
そのときは、改めて(渋々ながらの)説明を受けて……。
それでも、何とはなしに『そういうもの』と、ある程度は理解したつもりで――そう、あくまで『つもり』程度で、実際には半ば聞き流したような形だった。
しかし――こちらの世界へ来て。
古書店〈うろおぼえ〉で様々な魔術書を読み、その根底にある共通性を思い――。
そこから亜里奈のためにと、〈封印具〉の術式の書き換えに、他の世界の『魔法』をも取り込むことを考え……。
己の閃きを頼りに、その術式のため、悪戦苦闘するうちに。
余はようやく、あのとき、シュナーリアが言わんとしていたことを、本当の意味で理解し始めた気がした。
そして――今、こうして。
そのようやく追い付いた理解のもと、異世界の『魔法』の奥義に触れた余は……。
ついに『それ』を、確信するに至ったのだ――。
「……ほう、クローナハト君……まさかキミが〈魔王〉とはな……!
つまりキミは、かつてクローリヒト君に破れ……それゆえに彼に付き従っていると、そういうことか?」
――星のカケラの一撃により、かなりのダメージを被り……しかしそれを押し殺して仁王立ちする余に比べ……。
さすがに将軍の方は、まだまだ余裕を感じさせる。
だが……ようやく、此奴に〈マーシア定式〉まで出させたのだ――。
余こそ、ここが正念場というものよ……!
「フン。敗者として付き従った、か……この余が?
我らを甘く見るなと――そう言ったはずだぞ、将軍?
〈勇者〉と〈魔王〉の行き着く先はそれしかないと――。
その発想こそがまさしく、将軍、キサマの〈勇者〉としての限度だな」
不利な状況にあっても、なお、不貞不貞しく――将軍の発言を、鼻で笑ってやる。
ただ、それは別に、自らを奮い立たせるための空威張りというものでもない――余の本心から出た言葉だ。
対して、意外にも将軍は……「なるほど」と、それを素直に受け入れた。
「そう言えばキミは、クローリヒトを友と、そう呼んでいたな――。
ならば、今の私の発言はさすがに礼を失したか……謝罪しよう。
そして――」
……ぶわりと、将軍のマントが自然にはためく。
無論、風ではない――将軍が、身の内に練り上げる魔力を、一層高めたのだ。
「……かつて〈魔王〉と呼ばれながらも、人と絆を結び……。
こうして、己の信念と誓いに拠って立つキミに、敬意を表し――。
私もまた、本気で相手をさせてもらおうじゃないか……!」
「――よかろう。そうこなくてはな……!」
応じて余もまた、己の魔力を――限界まで高めていく。
そうして――。
やはり、〈マーシア定式〉らしき魔法の構築に入る将軍と同時に、余も高位魔法の詠唱へと入る……!
「……天の宮、冥の諸王傅く王……!
禊ぎて神殺、陵に御捧ぎ――」
将軍が、その巨大な魔力を解きほぐし――数式を以て答えを導くかのように再構成していく様子を、目に焼き付けながら……余が詠唱するのは。
かつて……亜里奈の身体を借りて、初めて〈クローナハト〉として参戦した際に使ったもの――。
こちらの世界で言う『超新星爆発』を模した最高位の破壊魔法だ。
ただし、あのときは目くらましのための『ハッタリ』でしかなかったが……。
――今回は、いわゆるガチというやつだ……!
これならば、今の余ではいかんせん魔力に劣り、かつての威力は出せずとも……それでも、一撃のもとに状況を逆転することも出来よう――が。
「残念ながら、私の方が一歩早かったようだな……!」
余が、詠唱を完成させるよりも僅かに早く――将軍が、勝ち誇ったように右腕を掲げる。
その腕の、呪文が刻まれた革の籠手が鈍く輝き――天を仰ぐ手の平には、再構成された魔力が陣を成し――。
そしてそれとともに、火炎が、水流が、凍気が、雷光が、土塊が、疾風が、光輝が、暗黒が――。
様々な自然のチカラが、渦を巻いてその一点へと引き寄せられていく。
そして、本来ならぶつかり、互いが互いを打ち消し合いかねないそれらが……。
将軍の手になる術式と、その魔力によって――融合と反発という矛盾を、それゆえに発生する巨大なエネルギーとともに内包しながら、『一つ』となる……!
「――――ッ!」
余は咄嗟に、己が魔法のために練り上げていた魔力をすべて、障壁へと変換して前方に展開。
その瞬間――
「……これで、終わりだ……!
〈混沌より生まれし明星〉――っ!」
将軍の手から放たれた光球は、余に向かって炸裂し――。
……刹那、音が消え。光が消え。身体の感覚が消え……。
そして――微かにして、ひたすらに長く感じる『空白』のその後……。
世界すべてが、余、ただ一人を圧し潰すかのような――圧倒的なまでの、あらゆる色を帯びた光の奔流に襲われる……!
「ぬ――ぐ、ああ…………ッ!!!」
単なる爆発などではない、融合と反発という『矛盾』に――その有り得ないエネルギーの暴威に、余は障壁で身を守ってなお、千々に引き裂かれるような衝撃を受け……。
気付けば、その身は大きく宙を舞っていて――。
そうと知って数秒後、ようやく……受け身なぞ取れるはずもなく、背中から無防備に地面へと落ちた。
「がっ、は……っ!」
――肺に残っていた空気が抜ける。咳き込む。
思わず、身体は息を求めるも――まともに呼吸が出来ない。出来るはずもない。
……凄まじいまでの威力、だ……。
この身体、内も外も、相当なダメージを被っただろう……。
痛みなぞとうに超越していて、それすらはっきりと分からぬほどだからな――。
「これで、勝敗は決したな。
私の勝ちだ、通らせてもらうぞ――」
きっぱりと、そう勝利を宣言し。
その上で、こちらへと一歩を踏み出そうとした将軍。
……だが、その足はすぐに止まる。
なぜなら、その行く手を遮って――。
余が、ゆらりと…………立ち上がったからだ。
そして――口の中の血を吐き捨て、なおも不敵に、笑ってやる。
「生憎だがな……将軍よ。
余は、余が認めた〈勇者〉でなければ……負けは、せぬのだ。決して。
そう、余は――〈魔王〉なのだから……な」
己が誇りと、信念と、誓いと――そして、意地と、『気合い』を以て。
余は、身体の各所から上がる悲鳴を黙殺し……堂々と、将軍に立ちはだかった。
「…………。
これ以上は無駄だと、分からないのかね?」
「たった今、言ったばかりであろう?
〈魔王〉たる余は――〈勇者〉にしか屈さぬと」
「――――そうか。
分かった、ならば――今度こそ。
その意地とともに、キミの意識を刈り取ってやろう……!」
決意を込めた調子で、そう言い放ち――。
将軍は再び、魔法の構築へと入る。
……しかし――此奴の魔法技術、さすがと言うべきか、実に見事なものよ。
余が以前より、メガリエントの『魔法』に見ていたのは――。
アルタメアのそれと比して、属性の複合を『主属性と副属性』といった形ではなく、『同位で行う』ことに優れている点だ。
そして――先の魔法。
たった2つですら極めて繊細であろう属性複合を、あれほどの数、同時に制御した〈マーシア定式〉……。
まさしく、芸術と呼ぶに相応しい術式であった。
そして、それこそが……余が欲していたものでもあり――!
『……つまりだね、ハイリア。
魔法と呼ばれるものは、きっと、本質の本質、根源的に同じなんだよ。
それを、思考やら認識やらで、先入観を持つから、理解を遠ざける。
――そう、カンタンなことなんだ。
あるがままを受け入れて……己の延長線上に捉えてやればいいだけなんだよ』
――フン、それを簡単などと宣うのは、お前ぐらいのものだ……シュナーリア。
だが……こうして、何度も目の当たりにすれば。
何度も、身を以て学べば……。
余のような凡人とて、『理解』は出来る――!
「……天の宮、冥の諸王傅く王……!
禊ぎて神殺、陵に御捧ぎ――!」
――余もまた、同じく魔法の詠唱に入る。
己の中の魔力をひたすらに振り絞り、この身体の限界を、先の先まで超える勢いで――高く、どこまでも高く練り上げていく……!
そうして――同時に……!
「…………!?
それは――まさか……!?」
余の動きに、そして魔力の流れに――将軍が、明らかな驚愕を面に出した。
……そうであろうよ。
まさか、己の奥義としていた『術式』を――。
異世界の住人たるこの余が、正確に――。
なおかつ、余自身の魔法をも詠唱しながら構築するなどと。
そのようなことは、夢にも思わなかったであろうからな……!
「愚かな、そんな付け焼き刃で、どうにかなるとでも――!」
「これも言ったはずだぞ……将軍。
この戦いの中で、キサマが不可能だと断じたそれを、完成させてやるとな――!」
徹底的に己の魔力を――燃やし、練り上げ、注ぎ込み、紡ぎ、織り出し……!
星の終わりを表す余の魔法と、先ほどの、星の誕生を表す将軍の魔法……。
その二つの高位魔法を重ね合わせ――
新たなる〈一つの魔法〉を……構築する!
「……其の名、絶星! 言祝ぎ殊吼ぐ耀き、断末魔の晃――!
そして、その先に――!
廻る命受け継ぎし、新たな星よ――今こそ輝けッッ!!!」
「ぬぅ――っ……!」
咄嗟に、練り上げていた魔力を、防御へと回す将軍。
そもそも、先の詠唱勝負は、将軍の術式を観察するために敢えて遅らせたのだ――。
その枷を解き放ち、さらにすべての魔力を叩き込んでの余の構築速度に、油断していた将軍が敵うはずもなく……!
先ほどとは逆転し、守勢に転じた将軍へと――余は。
高く掲げた手を握り込み――
「……〈天宮ノ星終にて――」
今ここに、完成した……〈一つの魔法〉を解き放つ!
「――生まれいずる星命〉――ッ!!!」
――瞬間……。
世界は、ひたすらに眩い閃光によって、何もかもが白く白く、塗り潰され――。
「ぬ、ぐ……!」
時間も空間も、すべてが白に止まった世界の中――。
完全なる白は、今度は一気に小さく……小さく。
己が世界をも、その腕に抱きつつ、ただただ小さくなり……。
やがて――その反動に、どこまでも広く大きく、弾け飛ぶ。
「! ぐぅお、おおお――ぉぉッ!!??」
それは……果てを迎えた星が、散りゆき――。
そしてその混沌の輝きより、新たな星が生まれ出る……星の命の廻り。
――いと高き、星の世界の……終わりと始まりの、大いなるチカラの具現。
死と生の、融合と、反発と――そして、循環。
それがもたらすエネルギーは……今の余の魔力程度でも、充分過ぎるほどの威力となって――。
やがて、完全なる白き世界が薄らぎ、一瞬の幻と消えた果てに――。
「…………こん、な――。
まさ、か……本当、に…………!」
あまりの威力に、周囲が抉れ、陥没した大地の中心で。
空もまた、元に戻ろうと旋風を巻いて吹き荒れる中――。
将軍は、防御姿勢のままに……地を踏みしめていた。
しかし、ややもすると、その両腕をだらりと下げ――。
「……くく……ははは……っ!
〈勇者〉とは……不可能を決して諦めない、か……!
なるほど、私では…………敵わぬ、わけだ……!」
そのまま、ゆっくりと……力無く、地にヒザを突く。
そして――余は。
そんな将軍に歩み寄りつつ、静かに見下ろすのだった。
「……当然だ。
そう、余は――〈魔王〉なのだからな」