第338話 勇者を知り、信じるは、魔王であるがゆえ
「……そうか……分かった。
ともかく、キサマらも無茶はするなよ?」
――聖霊からの報告の電話を切り……余は、思わず小さく息をついていた。
まさかあの衛が、〈初代勇者〉アモルであり――なおかつ、エクサリオでもあったとはな……。
聖霊のみならず……やはりアーサーの受けた衝撃も大きかろう。
アーサーが迂闊にも正体を明かしてしまっていたことは、失態ではあるだろうが……事情を慮れば、責めるわけにもゆくまい。
まずもって我らとて、衛のことを疑っていたわけではないのだしな。
……しかし……。
かつての、アルタメアの魔王たる余ならば――これらの事実を知ったところで、驚きこそすれ、それ以上の感情は持たなかったであろうが……。
こうして、少なからずショックを覚えてしまっていると言うことは……余もいよいよ、こちらの平和な世界に毒されてしまっているらしいな。
「ともあれ、さて……」
とにかく、勇者に連絡が取れぬこと、そして衛が呼び出していたという状況からして――聖霊の見解と同じく、先手を打たれたと見て間違いはなかろう。
だが逆に言えば、〈勇者〉として〈世壊呪〉を滅ぼし、世界の平和を守ることを重視しているはずの衛が、直接亜里奈を狙ってこちらへ来ず、先に勇者に接触しているということは――。
〈世壊呪〉の正体にはまだ至っておらず、勇者から詳細を聞き出そうとしている――といったところか。
無論、あの勇者のことだ、何があろうと決して口を割ることはあるまいが――。
しかし衛も、アーサーの正体を通じてここまで知ってしまっているならば、確証が無くとも、まずは『身近な人間』から怪しむぐらいはするだろう。
そして、そうなると……。
いきおい、今の亜里奈の状態では……遠からず発覚してしまうのは間違いない。
「警戒しておくに越したことは無い、か……」
――当然、衛……いや、エクサリオと対峙しているであろう、勇者自身の安否についても気にはなるが……。
しかし――余は、知っている。
魔王たる余と三日三晩戦い続けた、彼奴のしぶとさを。
そして、信じてもいる。
彼奴は、このような道半ばで倒れるような男ではない、と――。
ゆえに――優先すべきは、勇者の捜索よりも亜里奈の安全確保だ。
間違いなく、彼奴ならそうしろと言うだろう――。
もちろん、勇者が衛を説得出来ているなら、そんな心配も必要ないわけだが……。
様々な異世界を幾度も、〈勇者〉として戦い抜いてきた衛にも、また、自らの譲れぬ正義というものがあり――それがゆえの、エクサリオとしての言動である以上は。
いかな勇者とて、その信念を簡単に覆すような真似は出来ぬであろうからな……。
――やはり、今は何より亜里奈の側に付いているべきと判断した余は……英家の自室を出て、赤宮家の居間へと向かう。
〈天の湯〉の手伝いをしていない亜里奈なら、大抵そこにいるはずだからだ。
しかし、〈世壊呪〉としての亜里奈を見守る――などと、口が裂けても本人には言えぬ以上……さて、どういった理由をこじつけるべきか……。
余の方は、亜里奈と共に過ごすのに何ら理由など必要ないが、亜里奈はそうもゆかぬであろうからな。
「ふむ……そうだな、料理でも教わる――が、良いか……」
ふと口を突いたそれが、実益も兼ねた良い案だとうなずきつつ、居間に入れば……。
予想通り、亜里奈はそこにいた。
余に背を向ける形で、庭に面した窓の前に立っている。
余がやって来たことにも気付かぬ様子であるから、何か夢中になるようなものでも見えるのかと思ったが……。
「…………!」
すぐさま、そうではないと悟る。
そもそも、薄手とはいえカーテンが閉められたままだ、何が見えるはずもない……!
それに――これは……!
亜里奈から、闇の魔力が――僅かながら、滲み出てきている……!?
「――亜里奈!」
足早に近付きながら名を呼ぶも、反応は無い。
そこで、今一度近くから……肩に手を置いて、強く呼びかければ。
「……え……えっ!?
あ、あれ――ハイリア、さん……?」
虚ろな目で一点を見つめていた亜里奈は、まるで今眠りから覚めたかのように……飛び上がらんばかりに驚き。
……瞬きとともに、今度はしっかりと生気の宿る――丸く見開いた目で余を見上げてきた。
「ごご、ごめんなさい……!
あたし、その……っ! ちょ、ちょっと、ボーッとしてたみたいで……!」
あたふたと、慌てて釈明する亜里奈。
その様だけを見れば、ただ愛らしいだけでしかないが……。
問題は、先の状態が、釈明通りのものではない――ということだ。
この滲み出てきている魔力からしても、予想よりはるかに状況が悪化していると見て間違いないだろう。
やはり、グライファンの復活による影響が大きかったということか……!
「……え、えっと、あの……ハイリアさん?」
「あ――ああ、すまぬ……慌てるお前が、何とも愛らしかったものでな。
つい、見とれていた」
不安げに首を傾げる亜里奈に、余は、少しばかり意地が悪そうな笑みを返しておく。
そんな軽口が功を奏したか、亜里奈も雰囲気をやわらげ――大ゲサに膨れてみせた。
「もう〜……だから、そういう冗談はダメですってば……!
それも、『魔王だから』ですかっ?」
「……うむ、魔王だからな?」
対して余も、努めて穏やかな笑みで応える。
……まったく、いかんな……余としたことが。
危うく、思索を顔に出して、亜里奈に要らぬ心配をさせるところであった……。
「あの、それで……あたしに何か、ご用――ですか?」
「うむ……部屋で読書を続けるのも、度を過ぎれば肩が凝っていかん。
そこで気分転換がてら、お前にまた料理でも習おうか――とな」
こうして見たところ……亜里奈の魔力許容量にはまだ余裕がある。
先の様子から、少なからず〈闇のチカラ〉の影響は出ているようだが……当初の予定通り余が側に付いていれば、それなりの対処も出来よう。
無論、それだけでは、あくまで一時凌ぎにしかならぬのだが……。
「……お料理を、ですか?」
「そうだ。……気が乗らぬというのなら、諦めるが」
尋ね返す亜里奈に、そう答える。
少々卑怯だが、亜里奈の性格上、こういう言い方をすれば断られまい――と計算してのことだ。
今はとにかく、亜里奈の側にいる必要があるからな。
そして、もし……緊急を要する最悪の事態となったなら――。
〈世壊呪〉と恐らくは根源を同じくする、魔王のチカラを継いだ余であれば……だ。
あるいは、この命を使い切る覚悟でいけば――余がかつて亜里奈に憑依したのを逆に利用するような形で、その膨大なチカラだけを我が身の内に封印することも出来るやも知れぬしな。
そう、この命を使えば――――
「! ふっ、くく……はははっ!」
「え、えっ?
あ、あの……どうかしました?」
「……ああ、突然すまぬ。
いや、勇者が――お前の兄がさぞ怒るだろうと思い、つい、な」
「あ〜……『2人きりでお料理』ってとこで、ですか。
まあ、その……何て言うか、ごめんなさい。
お兄も大概、過保護ですから……」
余が唐突に笑った理由に、亜里奈は思った通りのカン違いをしてくれたが……。
無論、そうではない。
……ああ、いや、それも強ち間違いではないかも知れんが。
真実は、そう――余が『命を捨てる策を手段の一つとして考えたこと』だ。
効果そのものがどうこうではなく……『命を捨てる手段』を、あの勇者は決して許しはしないというに。
そしてそれは――友として、その気高き信念にやはり誓いを立てた余もまた、同じはずであったというに。
それを忘れて、愚かしい手段を考えてしまった――。
その馬鹿馬鹿しいまでに単純な過ちに――思わず、笑ってしまったというわけだ。
――そうだ、最後まで……いや、最後などという期限を切ることすら愚かしいのか。
諦めてはならぬのだ……決して。どこまでも。
彼奴が、その心で――アルタメアに真の平和をもたらしたように。
余もまた――どこまでも、しつこく。
最良の結果を得るべく、掴み取るべく――諦めてはならぬのだ……!
「えっと、それで……お料理、ですか?
あたしはいいですよ――っていうか、気が抜けてるのかな? 何かしてないとまたボーッとしちゃいそうだし……ちょうど良かったかもです」
そう言って笑いかけてくる亜里奈は……どことなく、無理をしている風でもある。
さすがに、身体の調子がおかしいと――それぐらいは気付いているのであろう。
だが、だからこそ……今は、本人が言ったように『何かしている』方が、〈闇のチカラ〉の侵食に抗するには、良い手であるはず。
つらいところへ、さらに無理をさせるようで気は引けるが……ここで余が退くわけにはいくまい。
「……フム、それは何よりだ。
余も、早くに、一通りの料理技術を身につけたいところだからな」
「ハイリアさんも、覚えが良いから……すぐに出来るようになりますって。
――でも、ハイリアさんって……『魔王サマ』なんだから、これまで、食事とかは全部、専属の料理人さんとかが用意してくれてたんですよね?」
「そうだな。
……ああ、だが……アルタメアにいる間、料理をまったくしなかったわけでもないが」
「――え!? そうなんですか!?
なんか、意外……」
「うむ、まあ……身内に、難題を押し付ける無茶な者がいたのでな」
亜里奈と連れ立って、キッチンに移動しながら……余は、昔の記憶を思い起こす。
「え? 魔王サマのハイリアさんに……ですか?」
「そのようなことは関係ない奴であったからな。
――用があり、それを前もって伝えておいたにもかかわらず……屋敷へ出向けば『手が空くまでこれでも作って待っていろ』と、ご丁寧にレシピ付きで料理の材料を押し付けられたことがある」
つまらぬ話かと思いつつ、幼馴染みの思い出を語ってやると……。
亜里奈は意外にも、楽しげに微笑んで食いついていた。
「……その人は、魔王サマだとか関係なく、ハイリアさんの優しいところ、ちゃーんと知ってたんですね。
それと……きっと、食べたかったんですよ。ハイリアさんの作ってくれた料理」
「そうなのか?
であれば――少しは報いてやれていた、ということかも知れぬな……」
亜里奈の、いかにも亜里奈らしい優しい見解に……余も、思わず笑みをもらす。
そうして、今日の夕食も絡めて教えを請おうと――そんなことを提案しようとした矢先のことだった。
――――キィィィィィ……ン…………!
「――――っ!?」
いきなり、耳鳴りのような微かな音がしたかと思えば――。
周囲の空気が、一気に変質する……!
「えっ!? な、なにこれ、なにか――ヘンな……!」
……亜里奈にも感じられたのか。
これは――結界、だな。
それも、相当高度な……ただ障壁で周囲と遮断するようなものではなく、結界内の空間の、次元的な位相をずらす類の……。
同時に、これまで感じていた、この家の周囲の気配もほぼすべてが消失したということは――。
恐らくは、一定以上の高い魔力を持つ者だけを選別、この結界内に閉じ込めるようにしているのだろう。
ゆえに、余も亜里奈も囚われたというわけだが……。
何より、一番の問題は――。
そう、何者かが、この『赤宮家』を狙って、そのような結界を仕掛けられているということだ……!
つまり、その意味するところは――『襲撃』しかない……!
「ハイリアさん、まさか、これって……!」
「……いいか、良く聞け亜里奈。
お前は何があっても、決してこの居間を出るな。ここにいろ。
大丈夫だ――何者がいようと、余が退ける。
お前やお前の家族、この家を巻き込むようなことにはせぬ。
ゆえに、安心して、ただここで待っているがいい。
余は――最強の、魔王なのだからな」
不安げに見上げてくる亜里奈に、力強くそう言い付け――うなずくのを待って、居間を出る。
そして、あくまで簡易的なものだが、居間にさらに結界を張り直し――。
〈クローナハト〉としての姿に変じつつ、外へ。
果たして、気配を追ってたどり着いた、〈天の湯〉の駐車場。
普段の喧噪とは切り離され、静寂に沈むその広い空間に立っていたのは……。
鉄仮面を被った、余と同じく、マント姿の長身の男――。
「ほう……クローリヒト君ではなく、キミが出てきたか。
――久しぶりだな、クローナハト君。
キミたちが守る〈世壊呪〉の少女……そのチカラを、受け取りに来た」
〈救国魔導団〉の長、サカン将軍であった。