第32話 〈常春〉の〈庭園〉に住まうもの
――カランカラン、とドアのベルが鳴った。
なかば反射的に、わたしはそっちに向かって笑顔を作る。
「ごめんなさい、もう閉店で――って、なんだ、黒井くんかー」
「なんだはねえだろ、お嬢……ひと仕事してきたってのによ」
子供みたいに口を尖らせて、黒井くんはカウンター奥のいつもの席に座った。
キッチンの片付けをしていたお父さんは、ストックしていたアイスコーヒーを注いで、穏やかな笑顔で黒井くんの前に置く。
「……っと、すんませんおやっさん、いただきます」
嬉しそうに、受け取ったコーヒーにガムシロップをだばだばと投入する黒井くん。
ああ見えて苦いのニガテだからなあ……。
けど、うん……それにしても入れすぎだ。
やっぱり今後、ガムシロップ代だけでも徴収しよう。そうしよう。決めた。
「……それで、どうでした? 黒井クン」
黒井くんに問いかけたのは、こちらも、いつものテーブル席を占拠している質草くんだ。
ナポリタンが有名になりつつあるこの純喫茶〈常春〉において、オムライスとコーヒーだけで何時間も粘ってくれちゃう、また別の猛者。
いやまあ、お父さんのオムライスはほっとする味で、わたしも大好きだけど……。
うん……そういう問題じゃなくてね。
デザートぐらい注文して売り上げに貢献しなさいって話。まったく。
……っていうか、質草くん、頭良いのは知ってるけど……授業とか出なくていいの?
大学ってそういうものなのかな。うーん……。
「どうもこうも……クローリヒトがいやがったぜ」
「ほう……クローリヒト君が。
それで、彼は〈呪疫〉をどうしたんだい?」
黒井くんの報告に、真っ先に反応したのはお父さんだった。
……なんとなくだけど、ちょっと嬉しそう。
「……親のカタキかってぐらい、ギッタギタに散らしてやがりましたよ。
アレを取り込んでチカラにしようだなんて、のっけから考えてないって具合に」
黒井くんが複雑そうな表情で答えると、お父さんは満足げにうなずく。
――〈呪疫〉っていうのは、いわば『良くないチカラの集まり』だ。
放っておけば、いずれ生き物に取り憑いたりして、世の中に害を為す。
だから、発生が確認出来たら、何か事件になる前にいち早く処理しなくちゃいけない。
そう……。
それは、目的のためとはいえ――魔獣によって清浄な〈霊脈〉を汚染し、〈呪疫〉が発生する原因を作ってしまっている〈救国魔導団〉にとって、何より一番に優先しなくちゃいけないこと。――責任なのだ。
無関係な人たちに被害が及ぶことだけは、ゼッタイにあっちゃダメだから……。
「うむ、やはり彼も、〈呪疫〉によって人々に被害が出ることは望んでいない、というわけだな。
かといって、危険なチカラに魅入られるでもない……私の見込んだ通り、邪悪な人間ではないようだ」
「まあ、正体も目的もハッキリしてねえっすけど。
――で、そのあたりどうなんだよ質草?
この間の銀行強盗のセンから、情報集めてたンだろ?」
黒井くんは首を巡らせて質草くんを見る。
一方質草くんは……わざとらしく肩をすくめてみせた。
「残念ながら、未だ収穫はナシですね。西浦さんも同様のようです。
……まあ、相手は明らかにタダの一般人じゃないんですから、そうカンタンにはいかないってわけですね」
「なら、アイツはどうだ? お嬢に色目使ってたあの『センパイ』は?
背格好的にはドンピシャだろ?」
「黒井く~ん……?」
わたしは頬を引きつらせながら黒井くんをニラんだ。
……あ、ちょっとびくってしてる。
もう~……。
そーゆーこと言うと、またお父さんがヘンに反応しちゃうでしょうが……。
――ああほら、拭いてたグラスをお手玉しちゃってるし……しかもなぜかグラスがどんどん増えて完全にジャグリングだし……笑顔が固まってて怖いから、エンターテイナーとしては失格だけど。
「めめめ、鳴、いいい、色目って……!
いい、いやいや、おおお前も、とと、年頃だし、そそ、そりゃ――」
「あ~、お父さん? 単なる黒井くんの思い込みだから」
声が裏返って別人みたいになってるお父さんを落ち着かせるために、思いっきりキッパリと言い切ってあげる。
それに――。
ナイショだけど、どっちかって言えば、色目使うのはわたしの方かもだし――ね。
「ああ、赤宮裕真クン――ですね。
まあ、確かに背格好はクローリヒトにピッタリですけど……それを言うなら、あのときの人質には、同じぐらいの体格の男性が他に三人はいるわけで」
「それに、前にも言ったけど、わたしが見た感じセンパイには、結構強い清らかなチカラをもった、守護霊みたいなのが憑いてるっぽいんだよね。
だから……強い〈呪〉のチカラを備えてるっていうクローリヒトとは、ちょっとイメージ合わないかなー……って」
うーん……センパイがクローリヒトだったら、『こっち側』のヒトってことで、あの彼女さんよりも、おっきなアドバンテージになるんだけどなあ……なんて。
「だが逆に……そうしたチカラに守られているからこそ、〈呪〉を行使出来ている……そう考えることも出来るがね」
ようやく落ち着いたらしいお父さんが、ジャグリングしていたグラスを器用に空中で重ね、音も無くカウンターに置いて、いつもの渋い声で言う。
うん……まあ、そういう可能性もあるとは思うけど……。
「ともかく、現状ではまだどうとも言えない、といったところですね。有力候補の一人ではあるでしょうが。
――ああ、そう言えば、赤宮裕真クンについては、一つ分かっていることもありますよ?」
「ほう……なんだよ? 素行が悪いとかか?」
質草くんの物言いに、素早く食いつく黒井くん。
……って、黒井くんが素行とか言うかね……。
しっかし黒井くん、センパイ目のカタキにしてるなあ……。
お得意の『カン』で、わたしに近付く悪い虫――とか認定しちゃってるのかなあ。
まあ……当たらずとも遠からず、って感じだけど。
「いえ、そういうのじゃなくて。
彼の実家の銭湯が、ほら――黒井クン? 先日キミが、無謀なラーメンマシマシ食べ過ぎでダウンしてたって場所のすぐ近く……というだけでして」
「ぐ――っ!
て、てめ、まだそれを引っ張るかよ……っ!」
……怒りにふるふると震えながら、けれどそれ以上は何も出来ない黒井くん。
そう――ちょっと前に彼は、ラーメンを食べ過ぎた結果、道ばたで倒れてそのまましばらく寝落ちするっていう、実にハズかしい失態を犯したのだった。
以来、ことあるごとに質草くんに、それをネタに突っつかれている。
まあ……そんな黒井くんを見つけて介抱したのは当の質草くんだからね。
こりゃもう、しょうがないっちゃしょうがないかな。
……っていうか、そっか、センパイのうちってその辺なんだ……ふむふむ。
質草くんからの情報を、わたしが一人噛み締めていると……。
お店の壁にかかるアンティークの柱時計が、厳かに9時を打った。
「ん? もうこんな時間か……。
鳴、すまんが、下の子たちに食事を持っていってあげてくれるか?」
それを機にお父さんが、キッチンの隅に置かれた大きなバケツを見て言う。
「ん、わかった」
「オレが運ぶ。お嬢にゃ重いし、オレもアイツらの顔見ときたいしな」
カウンターから立った黒井くんは、キッチンへ回り込んでバケツを持ち――。
店の裏手、地下に降りる階段へと向かう、わたしの後に続く。
「わたしだって、それぐらいは持てるんだけど?」
「オレが持った方が確実だろーが」
わたしだと、運べはするけどさすがに重いバケツを、黒井くんは片手で軽々と掲げて見せる。
……バケツの中身は、余り物のお野菜とか、お肉の切り落としとかと、いろんなペットフードを混ぜ合わせたものだ。
黒井くんを連れて真っ直ぐな階段を降りきった私は、突き当たりのドアのノブを握る。
そして――『扉を開く』という行為に意識を集中して――。
引いて開けるそのドアを、向こうへと『押し開く』。
その先に広がるのは――。
「まったく、おやっさんはすげえよな……」
いつもの調子でそんなことを言いながら、ドアを潜る黒井くん。
彼が、そしてわたしが足を踏み入れたのは、無機質で殺風景な地下室――じゃなくて。
まるで、別世界に来たのかと錯覚させるような――。
神秘的な淡い輝きを宿す、広く大きな泉と……。
それを取り囲む、鬱蒼と暗く茂って、どこまでも続いているかのような……しめやかな森。
お父さんが、魔法で創り、安定させている、一種の『異空間』だ。
その名も、〈庭園〉。
実は、見た目ほどは広くはないんだけど……それでも名前の通り、ちょっとした公園ぐらいの敷地はある。
黒井くんは、泉のほとりに設えてあるエサ箱にバケツの中身を移し替えると――ただの人間じゃどうやったって出せそうにない、まさしくオオカミの遠吠えみたいな声を森に向かって響かせた。
すると……。
森の中から、次々と……〈魔獣〉と呼ばれるコたちが姿を現す。
それは、猛獣のようだったり、鳥のようだったり、色んな動物が合わさっていたり……いかにも地球の動物とは違った、だいたいが人に怖がられそうな姿をしているけど……大きさは中型犬とか、そんな程度だ。
うん、本当はみんなもっと大きいんだけど……〈庭園〉の規模に合わせて、魔力を抑えて小さくなってもらっている。
「よーし、お前らいい子にしてたか? お待ちかねのメシの時間だぞ!」
黒井くんがそう声を張り上げると、魔獣たちは嬉しそうに、我先にとエサ箱に群がる。
「みんなー、ちゃんと自分の分を守るんだよー?
他のコのを取ったりしてたら、あとでお仕置きだからねー?」
わたしが改めてクギを刺すと、魔獣たちは一瞬動きを止めて……そしてまた、今度は少し行儀良く、落ち着いてご飯を食べ始めた。
「なあ……お嬢」
そんな魔獣たちを穏やかな表情で見守りながら、黒井くんは言う。
「早くここを、ホンモノの〈楽園〉に――オレたちの国にしたいもんだよな」
わたしは、いち早くご飯を食べ終えて足下に駆け寄ってきた、魔犬とか呼ばれてるコの頭をなでてあげながら……。
「ん……そうだね」
素直に同意して、うなずいた。




