第334話 始まりの地にて――黄昏もまた幕を開ける
――アガシーたちが、エクサリオの正体に気付く、そのほんの数分前……。
裕真は、衛との待ち合わせ場所にほど近い、高架沿いの道路にいた。
「……ああ、分かった。何なら、外に食べに行くし。
うん、そうするよ――それじゃ」
そう告げて、俺は母さんからの電話を切る。
内容は、別にどうというほどでもない、今日の晩メシについての話だ。
母さんが用事で遅くなるらしくて……昨日一昨日は亜里奈と千紗に頼ったし、今日は俺が作ってもいいわけだけど……。
俺は俺で、今から衛と会うことを考えると、食材の買い物に行く時間もないかもだし……いっそ、たまにはご近所で馴染みの大衆中華料理屋で済ませるのもアリなんじゃないか――って、そんな話。
「……っと、そうだな……切っといた方がいいか」
待ち合わせ場所に近付いてきたこともあったし、衛との約束を思い返していた俺は、手の中のスマホの電源を落としてから、ポケットに戻す。
わざわざこうやって呼び出すぐらいだ、衛の相談ってのはわりと真面目なものだろうから、邪魔はしたくないし……。
そのうえに、もし手合わせをするとなったら、剣道の達人の衛相手に、俺も気を逸らされるような要因は持ち込みたくない――ってところだ。
「しっかし、なんか懐かしいなー……」
3ヶ月前、ここでシルキーベルを助けたのが、この〈世壊呪〉絡みの騒動に巻き込まれる切っ掛けだったんだもんな――。
いやまあ、亜里奈が〈世壊呪〉として事態の中心にいる以上、いずれは間違いなくそうなってたんだろうけど……。
でもやっぱり、何とも感慨深いものがある。
ただ……そもそも、アルタメアからこっちの世界に帰ってきて、ロクに日も経たないうちにこうなったわけで――。
思い返せば……。
千紗に告白して、付き合うようになって……でもすぐにアルタメアに召喚されて。
3度目の勇者として1年近く向こうで戦って、ようやく帰ってきたと思ったら……こっちはこっちでこんな事態で、戦わざるを得なくて。
これがもし、『勇者だから』だって言うなら……ホント、ブラックなお仕事もいいところだ。
まあ……それじゃあもしも、亜里奈がまったく関係なかったとして、今回の事態を知ってスルー出来たのかって言えば――。
「ムリ、なんだよなあ……」
そう、結局は……勇者だの何だの言う前に、俺の性分ってことなんだろう。
誰かが犠牲になったり、不幸になったりするのを――見過ごせるはずがない。
お節介だの、偽善だの、あるいは傲慢だの言われたとしても……しょうがない、出来うる限りのすべてを助けたい、守りたいと思っちまう――それが俺なんだ。
だから――やっぱり。
「……やあ、裕真。こんなところまで呼び出してゴメンね」
ドクトルさんのこととかもあって、いろいろゴタついてても……。
こいつのことだって、見過ごしたりは出来ないんだよな。
「いいって。
……まあ、もうちょっと近場にしてくれたら、ムシ暑い中をダラダラ歩かなくても良かったんだけどなー、とは思ったけど」
――すでに待ち合わせ場所に佇んでいた衛に、あいさつ代わりの軽口を返しながら……俺も空き地の中へと入り込む。
「そう言うだろうと思って……ハイ、これ」
「おっ、サンキュ――」
近付く俺に、衛が投げてよこしたのは……キンキンに冷えた、ミネラルウォーターのペットボトルだった。
いや、キンキンどころか……!
「って、冷たっ! 凍ってるんじゃねーのか、これ……?
どこの自販機で買ったんだよ、温度設定バグってるだろ……」
想像以上に冷たいペットボトルを、お手玉するように両手を行き来させながら……何とか栓を開けて、これまたひたすらに冷たい中身を一口飲む。
そして、ヒヤリとしたモノが腹の中に流れ落ちていく感覚に、息をついた。
あれ、けど……この辺に、自販機とかあったっけ?
これだけ冷たいんだから、買ったのはすぐ近くで、ついさっきのはずだけど……。
衛が、実はクーラーボックス持ってる――ってこともない……よな?
なんか手品みたいだな、と小首を傾げつつ、また一口水を含み……衛を見ると。
俺の困惑を見透かしてか……困ったように笑った。
「裕真……本当にキミはお人好しだね。
そこは、警戒しないといけないところじゃない?」
「……は?」
間の抜けた返事をする俺に向かって……衛は、ゆっくりと腕を伸ばし、手の平を上に向けて広げる。
すると、そこには――。
「……これで、さっきまで冷やしてたんだよ」
小さくだが、確かに――真夏なのに、氷雪が渦を巻いていて……って、魔法!?
「――衛、お前は――っ!」
弾かれたように、小さな氷嵐から衛の顔に視線を移す――と、同時に。
俺は、反射的にペットボトルを放し――その手の中にガヴァナードを召喚していた。
――ギィィィンッッ……!
眼前で激しく火花が散り――かすかに遅れて、金属だけじゃなく、魔力がぶつかり合う独特の甲高い音が耳を打つ。
それと認識するヒマもなく、衛の手の中にも、一振りの長剣があり――その切っ先とガヴァナードの刃が、点と点で触れ合っていた。
「……さすがだね。良い反応だよ」
俺に向かって、突きを繰り出したままの格好で――涼やかに、衛は告げる。
一拍遅れて、微動だにしないその剣の上に……俺が手放したペットボトルが、コトンと載った。
その衛の剣――それは、間違いなく……!
「神剣、エクシア――っ!」
「ご名答」
かすかに笑って衛は、剣を軽く跳ね上げ――載っていたペットボトルを俺に向かって放りつつ、一旦、その戦意ごと腕を退かせた。
俺は、空いた手でペットボトルを掴みながら……そんな衛を見据える。
「……ってことは、つまり――衛、お前が……!?」
「そう――僕がエクサリオだよ、裕真……いや、クローリヒト」
……なんてこった――マジかよ……!
そりゃあ、言われてみればって思い当たるフシも、無いわけじゃないけど――!
でもまさか、そんな……!
「僕も……驚きだったよ。
裕真、キミがまさか……あのクローリヒトだったなんて、ね」
――俺たちは互いに……真っ直ぐに視線を交わし合う。
お互いに、常人離れした動きを披露し、武器を召喚しての対峙だ……もう、ウソや冗談の入り込む余地は無い。
「いつから……気付いてたんだ?」
「わりと最近だよ。
……疑いを持ったきっかけは、あの男装女装劇の衣装合わせ。
あのときの殺陣――キミの構え、そして剣筋が、クローリヒトのそれに重なって見えたから」
おキヌさんが、衣装合わせついでに殺陣も試してみようって言った、あのときか……。
「なるほど、な。
あのとき調子に乗って、ガチの戦闘スタイルを見せたのが失敗だったってわけか。
お前は変身してるときは盾を使いやがるから、一方的に俺だけがスタイルを晒す形になった、と……」
「そういうこと。
それから、その予測を固めるのに情報を集めて……ようやく確信を持つに至ったから、こうして呼び出した――ってわけだよ」
普段通りの調子で答える衛には、ひとまず戦意は感じられず――すぐにまた剣を交えようってわけじゃなさそうだったので……。
俺は自分を落ち着かせる意味も含めて、ペットボトルのミネラルウォーターをハデにあおった。
「そう、か……。けど、道理でお前、素で強いはずだよな……。
――異世界を救うこと5回、だっけか?」
「まあ、ね。
でも、それを言うなら裕真だって。
裕真の方は――2回、かな?」
「一応、これでも3回だ。
……まあ、俺の場合、直前の1回――アルタメアを除いて、毎回手に入れたチカラはリセットされてきたから、お前みたいな、とんでもないチカラの積み重なり方はしてないけどな」
「……リセット? どうしてまた?」
衛は、心底不思議だとばかりに首を傾げる。
「さあな。……ってか、俺はむしろそういうモンだと思ってたよ。
まあ、俺にチカラへの執着がなかったからかもな――今回は、たまたまこっちに運ばなきゃならない『荷物』があったから、それと一緒にチカラも残ったってだけで」
「なるほど――ね。キミらしいよ、裕真」
「……なんかそれ、褒められてる感じがしないぞ?」
「だろうね…………褒めてはいないから」
衛のその一言で――空気が変わった。
ここまでの、言葉の中身はともかくとして、いつも通りの、友人としての雰囲気のやり取りから――。
そう、赤宮裕真と、国東衛から――。
……クローリヒトと、エクサリオとしてのものへ。
「やっぱりキミは……口ではいかにもなキレイごとを宣いながらも、その実、〈勇者〉としての覚悟は持ち得ていないんだって――そう感じたよ」
「……そのことなら、前にも言ったはずだぜ?
そもそも俺は、〈勇者〉としての名に執着なんかない――ってな。
――本当に大事なのは、そんなものじゃねーんだよ……衛」
俺は、徐々に増す衛の敵意を真っ向から受け止めながら……その圧力を感じながら。
努めて冷静に、ペットボトルの残りを一気にあおって――地面に置いた。
「ごちそうさん、と。
……なあ、衛。
俺はさ、お前がエクサリオだったこと、そりゃ驚いたけどさ……。
でも同時に、『良かった』とも思うんだよ」
「良かった、だって?
それは、僕なら戦わなくて済むって考えたからかい?
――なら、甘いよ。
僕は逆に、キミじゃなければいいって、そう思ってたぐらいだ」
すっと、目を細める衛。
対して俺は、ゆったりと首を横に振る。
「……そうじゃねーよ。
俺が良かったってのはな、衛。
――お前なら、絶対に……自分の間違いに気付いてくれるからだ。
自分の中の、本当の心に向き合ってくれるからだ。
そう……他の人間ならともかく。
俺は、お前がそういうヤツだって――分かってるからだ」
俺のその言葉に……衛は案の定、小バカにしたように笑う。
「何を言うかと思えば……。
僕が〈勇者〉たろうとするのは、僕の本心だし――間違いなんかじゃない。
とんだ見当違いってものだよ?」
「そりゃあな、俺はお前がエクサリオってことさえ気付かなかったぐらいだし……『お前のことは分かってる』みたいなの、どの口が言うか、ってなモンだろうけど。
でも――分かるさ。
正体がどうだとか関係なく、お前がどんな人間かってぐらいは。
……当たり前だろ? 友達、なんだからな」
「友達……ね。
僕も、そうあり続けたかったけど――」
衛は、ゆっくりと……神剣エクシアを持ち上げる。
「安心しろよ。
友達だから、ケンカもするし――」
それに合わせるように……俺もまた、ガヴァナードの切っ先を上げた。
「間違ってることは、そうじゃないって……本気で止めてやるんだろーが!」
「まだキミは、そう甘いことを――!」
衛の怒声を合図に、俺たちは互いに地面を蹴り――真っ直ぐに交錯。
空間に、剣撃の残響を置き去りにすれ違い――立ち位置を入れ換えて振り返った。
……お互いに、変身した姿で。




