第333話 かつての〈勇者〉に名を、今の勇者に生をもらって
――かつてのわたしは、名前なんていらないと思っていました。
いいえ、いる、いらない……どころか、自分には関係のないことだとすら。
だって、わたしに与えられた役目は、聖剣ガヴァナードのチカラを引き出すことで……。
そのために剣と同化し、『わたし』が消えてしまう以上――名前なんて、あったところで誰も呼びはしないのですから。
なのに、生まれたばかりのわたしに――その少年は、〈アガシオーヌ〉という名をくれました。
「こっちの世界に来て聴いた、昔話の登場人物から取った名前だけど……。
なんとなく、キミのイメージにピッタリな気がして」
……そう、恥ずかしげに苦笑しながら。
「ですが……わたしのお役目に、名前は必要ありません」
「……うん、確かに役目とは関係ないかも知れないけど……。
でもさ、その、うまく言えないけど……名前が無いと、キミは本当に『それだけの存在』になっちゃいそうだから。
キミはキミだって、そういう証――みたいなの、あった方がいいと思うから」
「そうですか……。
良く分かりませんけど、ありがとうございます」
あのときは、本当に意味が分かっていなかったわたしが、首を傾げれば……。
子供の彼は、けれど子供とは思えない力を込めた眼差しで……自分の握った拳を見つめていました。
「僕に、もっとチカラが――誰にも負けない強さがあれば。
もしかしたらキミに、こんな役目をさせないで済んだのかも知れない。
……だけど、何としても……!
何としても魔王を倒して、アルタメアを救うには――!」
「はい……そのためにこそ、わたしは生まれたのですから。
あなたが気に病むことはありません――マスター」
「――ありがとう……アガシオーヌ」
――マリーンの似顔絵を見たことをきっかけに、鮮明に蘇った記憶……。
その中のアモルは、優しく、強く、真面目で……どことなく哀しげで。
そして、それらすべてを上回るほどの使命感を――その小さな身体で背負っていました。
そう――〈勇者〉としての使命感を。
それは、『〈勇者〉であること』にこだわるエクサリオに、確かに通じるものがあって――。
「……あなたは、ずっと――〈勇者〉であり続けてるんですね……アモル。
わたしも含めて、その名を守るために自らを捧げた者たち――そのすべてに報い続けるために、と……」
そう、その中でもきっと……。
シローヌという女性の魂に報いる、そのためにこそ。
異世界に飛ばされてきたまだ子供のアモルを、実の姉のように親身に世話し、そして――その危機に際し、己の命をなげうって助けたというシローヌ。
後の世に、〈勇者〉のために命を捧げし聖女として神格化され、語り継がれることとなったその彼女は――。
《ずっと、みんなを守る心正しい〈勇者〉であってほしい》
……そんな言葉を遺したと、伝えられていて。
そして実際わたしも、アモル本人からそうした話を聞いていたのですが……。
「……アモル……きっと、そうじゃないんですよ……」
当時はわたしも、アモルと同じようにしか、その言葉を解せませんでした。
心正しき〈勇者〉であること――何よりそれこそが、『多くの人々』を守る道……彼女のような犠牲を減らす道であるのだと。
でも……違うんですよ、アモル。
わたしも、勇者様に会って――ようやく理解したんです。
本当に大事なのは――〈勇者〉の名なんかじゃないんだ、って。
守るべき存在は――数を数えるようなものじゃないんだ、って。
……そう、シローヌの本当の願いは――きっとそっちの方なんだ、って。
だから……アモルが、頑なに、シローヌの願いを『守り続けている』つもりでいることを思えば……。
わたしはことさらに、やるせないような気持ちになります。
でも――だからと言って。
……いいえ、だからこそ、わたしは――。
彼のやろうとしていることを、見過ごすわけにはいきません。
わたしは……勇者様たちとともに、アリナを守り抜くと――。
決して、誰も犠牲にはしないと――そう、誓ったんですから……!
そのためにも、感傷に浸ってばかりではいられません、行動しないと……!
決意を新たにしたわたしは、まずは、とにかく勇者様に連絡を――と思い、スマホを取り出しますが……。
その最中、視界を過ぎるのは――茫然自失という体で立ち尽くす、アーサーの姿でした。
……そう――ですよね。
わたしはまだ、アモルがエクサリオであることは以前から知っていただけに、受けるショックも多少はマシなんでしょうが……。
アーサーにしてみれば、まさか、幼い頃から仲良く過ごしてきた従兄の『衛兄ちゃん』が、対立し、戦ったことさえあるエクサリオの正体だなんて――まさしく青天の霹靂というやつでしょうから……。
それは……ショックも大きいでしょう。
そもそも、受け入れることすら難しいかも知れませんね……。
「……アーサー……」
思わず、電話する手も止めて、声を掛けると――。
それに気付いて、わたしの方を見るアーサーは……「どうしよう」と、今にも泣き出しそうな情けない表情でつぶやきました。
もちろんそれは、マモルくんがエクサリオだったことに対しての「どうしよう」だと思ったのですが――。
よくよく見れば、なんでしょう……雰囲気がそんな感じじゃなかったので。
どうしたんです、と努めて優しく問いかけると……。
アーサーが声を絞り出すようにして告白したのは、とんでもない事実でした――!
「ど、どうしよう軍曹……! オレ、オレ……!
衛兄ちゃんがエクサリオだなんて、そんなこと、ゼンゼン思わなかったから……!
だから昨日の夜、修行に付き合ってくれた兄ちゃんの前で……!
オレ――オレ、ティエンオーの名前、思いっ切りバラしちまった……!」
「――ン、な……っ!?」
《なんじゃとぉうっ!?》
わたしに続いて、テンテンも初耳とばかりに驚きの声を上げます。
……なるほど……つまりは。
テンテンがいれば、いくら親戚相手でも迂闊なことはするなと、注意したハズで……。
彼女の居ない間の出来事だったってわけですか――いかにも間の悪いことに……!
「武尊がティエンオーなの、知った――ってことは、軍曹……」
「そうですね……。
ティエンオーが、そしてその正体だったアーサーが、『師匠』と呼ぶ人物……。
うちの勇者様こそがクローリヒトであると、そう勘付いてる可能性も高いですね……」
マリーンの呼びかけに、わたしはうなずいて推測を述べます。
同時に、素早くスマホの操作を再開して……今度こそ、勇者様に電話。
そうして、繋がるのを待つ間――
「アーサー……やっちまったことは仕方ありません。
迂闊なマネをしでかしたのは、確かにペナルティものですけど……相手が相手だけに、気を抜いたのも分からなくもないですし。
それに……今は、あなたのお仕置きよりも、この事態の収拾を図る方が先決です。
だから――しっかりして下さい。
――キサマらへっぽこ新兵なんざ、ミスがお仕事みたいなモンだからな!
そんな程度は織り込み済みなんだよ、上官ナメんな!……ってところです」
「……ぐ、軍曹ぉ……」
マモルくんの正体に自分の失態と、二重のショックで悲痛極まりない顔をしているアーサーに、励ましを兼ねたハッパをかけておきます。
……まあ、差し当たってのお説教は、いずれテンテンがしてくれるでしょうし。
けれど、その間呼び出し続けていた電話は――。
まさかの、『電源が入っていないか、電波の届かない場所に――』という機械音声のアナウンスに繋がる始末で。
イヤな予感が、ぞわぞわと背中を上ってきます……。
「アーサー! マモルくんに電話だ!
今どこでどうしてるのかってだけ、さり気なく聞き出せ!」
「――お、おうっ!」
とっさにアーサーに指示を出しつつ、勇者様の今日の予定についてアタマを巡らせ……ふと思い至って、続けてチサねーさまにも電話。
今度は――すぐに繋がりました。
「――もしもし、チサねーさまですかっ?
あの、ゆう――じゃない、兄サマ、そっちにいませんかっ!?」
『……え? 裕真くん?
ううん、裕真くんやったら――そうやね、1時間ぐらい前に、病院出て行ったよ?』
「予定を変えて――ですかっ?
何かあったんですかっ?」
『そんな、何か、て言うほどのことやないよ?
……ただ、相談があるって、電話で呼び出されて……国東くんに。
それで、待ち合わせ場所に――ってだけで』
「――な――っ!」
「……ダメだ、軍曹!
電話、衛兄ちゃんに繋がらねーよ……っ!」
事情を知らないチサねーさまの声は、いつも通りに優しく穏やかで――でも、その内容の意味するところに絶句する中……。
立て続けに、切羽詰まった様子のアーサーの声も耳に届いて――。
『……あの、アガシーちゃん、大丈夫? どうかしたん?』
「あ、い、いいえ、何でもないです!
――それでチサねーさま、その待ち合わせ場所って……」
『あ、ゴメンね、そこまでは……』
「で、ですよね〜。
……あ、ごめんなさい、いきなりヘンなこと聞いちゃいまして。
ええ、ぶっちゃけ大した用事でもないんで、気にしないで下さいね〜。
――ってことで、んじゃ、失礼しまっす!」
チサねーさまに余計な心配をかけないように、最後は努めて明るく振る舞って――でもこれ以上ヘタに突っ込まれないよう、さっさと電話を切ります。
……にしても、これは……つまり……!
マモルくんが、勇者様がクローリヒトだと気付いてる可能性が限りなく高いってことで――!
「……シット……! 先手を打たれたか……!」
アリナが聞いたら、また「言葉遣い!」と怒られること間違いなしな単語を――わたしは。
今回ばかりは冗談じゃなく大マジメに……舌打ちとともに吐き捨てていました。




