第330話 それは、かつて〈勇者〉だった、子を持つ父の矜持か
「……ったく、お嬢に諭されるとかよぉ……オレもヤキが回ったモンだぜ」
「そうですか? わりといつものことじゃないですか?」
――なんだろう、わたしとしては結構な大ごとだったのに……。
黒井くんとの勝負を終えて、〈常春〉に戻る間……黒井くんも質草くんも、わりといつも通りな感じだった。
……感情があふれて、ベソまでかいたわたしがバカみたいだ。
ああ……うん、もちろん、分かってる。
黒井くんたちが、意識してそうしてるんだ、ってことぐらいは。
でも――やっぱり、さすがにちょっと恥ずかしいというか……。
うん、まあ、黒井くんたちを止められたから、いいんだけど――ね。
「……お父さん、ただいまー」
とりあえずは、最悪の事態は避けられた――。
その安堵感を噛み締めながら、お店に戻ると。
お父さんは……〈庭園〉の様子でも見に行ってるのか、店内にはいなかった。
「あ? おやっさんは……地下の方か?」
続けてぞろぞろと、黒井くんたちも入ってきた――ところで。
――キィィィン……。
何か……微かな、耳鳴りのような音がして――って!
この感覚は……!
「――お嬢!」
「これは……!」
同じような、黒井くんたちの慌てた様子の声に、わたしもうなずき――キャリコに確認を取る。
「キャリコ、これって――!」
「……間違いなし、結界でありまくり――ここに『閉じ込める』タイプの。
しかも、なかなかに強力でありまくり。
しかして、これは――どうやら、お嬢。
お嬢たちが店に帰ってくるのが、結界の『発動のトリガー』として仕掛けられまくっていたようで」
ぴょいと、テーブルに飛び乗ってのキャリコの言葉に……黒井くんが「はあ!?」と顔をしかめる。
「ンだよそれ? 敵襲ってンなら分かるが、オレたちをトリガーに、ここへ閉じ込めるって、一体何の――」
「! おやっさん!」
素早く反応した質草くんが、お店の奥の方へ行こうとして――そして、足を止める。
その、見開かれた糸目の先にあるのは……カウンターの上の、書き置きっぽいメモ用紙。
……反射的に近寄って、拾い上げたそれに、お父さんの字で書かれていたのは――。
『後のことは私に任せておきなさい。
大丈夫、〈世壊呪〉の女の子の命を奪うような真似はしない』
「なに、これ……。
お父さん、どういうこと……っ?」
「まさか、おやっさん――。
何する気か知らねえが、オレたちが出てる間に1人で行ったのか!?」
弾かれたように、きびすを返した黒井くんがお店のドアに取り付くけど――。
「――ンだこれ……! ビクともしやがらねえぞ!」
「当然でありまくり。
ワガハイ、言いまくり……ここへ閉じ込めるための、強力な結界でありまくると」
キャリコの言うように、黒井くんがドアを押したり引いたり、軽く体当たりまでしても――本当に、微動だにしない。
「まさか、とは思いましたけど……。
これはやはり、おやっさんは――」
質草くんが、珍しく顔をしかめながら……そんな言葉をこぼすのを、わたしは当然、放っておけなかった。
掴みかかりそうになるのを抑えて――でも思わず強い調子で詰め寄ってしまう。
「質草くん、どういうこと……?
何か知ってるの……っ!?」
「………………。
以前、おやっさんから聞かされたことがあるのですが……」
どう話そうかと逡巡したのか、わずかに間を置いてから……質草くんは、努めて冷静に口を開く。
「……〈庭園〉を存続するのに、次善策として、〈世壊呪〉を犠牲とする以外の方法が、もう1つだけあるそうです」
「――えっ!?」「あぁんっ?」
質草くんの言葉に、わたしも黒井くんも、間の抜けた声を上げてしまう。
……だって、それが本当なら……。
わたしたちがこんな、悩みに悩んで、右往左往する必要も――って。
――違う、そうじゃない……!
ホントにそんな都合の良いものがあるなら、お父さんが黙ってる理由がない……!
だから、それはつまり――。
まさか――と、わたしの背筋を、冷たいモノが走り抜けた。
お父さんがそれを、手段の一つとして大っぴらに話さなかったのは――!
「まさか――まさか質草くん、それって……!」
「……そうです。それは、『別の犠牲を用意』すること。
理屈としては単純です……要は、別の誰かが、〈世壊呪〉の持つ世界を滅ぼすほどの膨大な魔力を吸い上げ、代わりに、その命ごと〈庭園〉の礎の触媒となればいい――というわけです。
ただし、〈世壊呪〉だからこその膨大な魔力を、そうでない者が取り込むわけですから……誰でもいい、というわけではありません。
己の限界以上のチカラを、暴走しないように制御出来る――そう、魔力の扱いに相当に長けた者であることが、絶対の条件となります。
――つまり、この場合は……」
「――――っ!」
「……おやっさん……なの、か?
じゃあ何か!?
おやっさんは――自分が死ぬ気で出て行ったってのかよ!?」
思わず、息を吞むわたしの前で……黒井くんは、質草くんの肩を掴んで揺らしていた。
なんでよ、お父さん――なんで……!
せっかく、黒井くんたちを思い止まらせたのに……!
クローリヒトたちとの接触で、新しい道が開けるかも――って可能性、限りなく低いのかも知れないけど、まだ試してすらいないのに……!
「……さっきのボクらと同じですよ。
おやっさんも、それが一番良いと信じてるんです。
きっと、おやっさんのことだ――ボクらが出て行った本当の理由も察していて、追いかけたお嬢に、キッチリ止められることまで計算していたんでしょう。
だから、こうしてカンペキな形でボクらを封じ込めることが出来た――自分を追いかけてきて、邪魔をしないように。自分がすべてを終わらせるために。
小さな女の子を犠牲にするぐらいなら、まずはその案を出した自分が――なんて、まったく、元勇者のおやっさんらしいじゃないですか……!」
強い口調で問いに答えた質草くんは、肩を掴む黒井くんの手をはね除けて――その場にしゃがみ込み、床の上に指を走らせ始める。
「……ともかく、結界の解除を始めます。
おやっさんが強く組み上げたものとなると、一筋縄ではいかないでしょうが……」
「解除だぁ? ンな悠長なことやってる場合かよ!
それなら、一気に力尽くでブチ破った方が――!」
拳の骨を鳴らしつつ、勢い込んでドアに向かう黒井くんを――「落ち着いて下さい」と、質草くんは鋭く呼び止める。
「あのおやっさんが、ボクらが追いかけてこないように――と、決意を込めて仕掛けた結界ですよ? 力尽くなんかでそう簡単に破れるわけないでしょう。
それに……おやっさんはおやっさんで、出向く先は人気の無い荒野じゃなく、昼間の人家なんです――無関係の人間を巻き込まないため、標的と確実に接触するため……そして何より、クローリヒトたちの抵抗を受ける可能性を考えれば、それなりの範囲に、かなり強力、かつ特殊な結界を敷く必要があるはず。
……つまり、ある程度は時間的猶予もあるんです。
無茶をするぐらいなら、その分の体力を……最悪、おやっさんを、さっきのお嬢のようにブン殴ってでも止めるために、温存していて下さい」
「チィッ……!」
質草くんの説得に、渋々でも納得したみたいで……。
黒井くんは舌打ちとともにドアを1発、八つ当たり気味に殴るだけに留めて……テーブル席の端に腰を下ろした。
「……オレに、なんか手伝えることは」
「なら、適材適所ってことで、コーヒーでも煎れてて下さい。
むしろ、黒井くんよりもお嬢……ボクを手伝ってくれますか?」
「――えっ? あ、う、うん……分かった」
質草くんに言われて、思わずわたしはハッとなって……慌てて、側にしゃがみ込む。
……わたし、ボーッと突っ立ってるばかりで……。
何してるんだろ……こんなときに。
「……しょうがないですよ」
作業を続けながら……質草くんは、わたしに小さく語りかける。
「こんなことになれば……そりゃあ、お嬢の立場なら、混乱して思考が追い付かないのも当然でしょう」
「……質草くん……」
「なので、しばらくはとにかくボクの指示通り、結界の解除作業に集中して下さい。
こういうときは、何かに没頭してるのが一番です。
……あとは、黒井くんが煎れてくれるコーヒーで落ち着きましょう」
そう言って、質草くんは――カウンターの向こうへ行っていた黒井くんをチラッと確認し、普段通りの……ちょっと余裕を持った笑みを見せてくれた。
そっか……黒井くんも、あんな指示に妙に素直に従ったと思ったら……。
質草くんの言わんとしていることを察して、わたしのこと、気に掛けてくれたんだね……。
「……ありがとう。
さっきは泣いちゃうし……ホント、わたしってば……!」
「言ったでしょう? しょうがないって。
それよりも、落ち込んでるヒマはありませんよ?
……少しでも早く結界を解いて、おやっさんを追いかけなきゃならないんですからね」
質草くんの、そんな励ましに……。
わたしは、自分の手に目を落とし――うなずいた。
「うん――そうだよね。
……今度は、お父さんを――バカな真似するなって、ひっぱたいてやんなきゃ……!
ホントに、うちはみんなして、勝手に暴走してばっかりなんだから……!」
「その意気ですよ。
さて、じゃあテーブルの上にふんぞり返ってる、偉大なネコ様にも手伝ってもらいましょうか?」
わたしの答えに満足したように、小さくうなずき返した質草くんの呼びかけに応じて……キャリコも、ぴょんと飛び降りてきた。
「やれやれ……仕方なしまくり。
ワガハイとしても、ここに閉じ込められまくっていては、近所のお嬢さん方のところへ通いまくれないゆえに〜」
「オーケー、それじゃ2人とも、ボクの指示に合わせて、タイミング良く、少しずつ……魔力をボクの描く陣に流し込んでいって下さいね。
――焦らないで、少しずつ……ですよ?
どのみち、すぐには終わらない長丁場です、力みすぎないように……」
質草くんの指示に、改めて、床の方へ意識を向けながら……わたしは。
お父さんも、ゼッタイに止めなきゃ――って、決意を固めていた。
……そうだよ、残ってる可能性を試しもせずに、犠牲が出る方法を選ぶなんて――。
そんなのが、良いわけがないんだから……!




