第31話 そこに勇者、あっちから狼、こっちからは魔法少女
――夜8時。
老朽化で建て直しが決まっている、小さな雑居ビルの屋上に『それ』はいた。
「……で――ありゃ一体なんなんだ」
目の前で蠢く、謎の存在――。
影や闇といったものが、質量を備えて実体化したような……そしてそれが、何かに変化しようとして、しかし変化しきれていないような……。
そんな、スライムのようでもゴーストのようでもある得体の知れない存在を前に、俺は思わず声に出してつぶやいていた。
《さて……? インテリジェンスの顕現みたいなわたしにだって、分からないことはありますとも。
第一こっちの世界は、ホームグラウンドじゃないわけですし。
まあ……魔力はあれど、魂は感じられませんから、一種の魔法生物のようなものじゃないかなー……と》
頭の中で答えるのは……当然、アガシーだ。
「要するに……見たまま、〈闇のチカラ〉が凝り固まったようなもん……ってことか?」
《――恐らくは。
そういう意味では、精霊にも近いと言えるかも知れませんね》
……さて――これも、〈救国魔導団〉の仕業なのかどうか……。
俺は、魔獣とも違う謎の存在を前に、聖剣ガヴァナードの柄を握り直す。
――ちょっと近所のコンビニまで……と家を出たところで、久しぶりに妙なチカラを感じた俺は、それを辿り、クローリヒトとしてここへやって来たわけだが……。
うーん……。
勉強会の甲斐もあって、何とか中間テストも全教科赤点を免れたことだし、さあ、今度こそ改めて鈴守とちゃんとしたデートを――!
……とか考えてた矢先に、またこんなヘンなモンと遭遇するなんてなあ……。
せっかくここのところ、平和を満喫出来てたのに……。
《……で、どうします? コレ、ほっときますか?》
「いや……あまり良い感じはしないし、チカラの集合体ってことなら――散らしとこう」
《まあ、それがいいでしょうね。こういうのは、人間とか生き物に取り憑いて、悪さをしでかすかも知れませんし。
そう……例えば、『偶然にも』勇者様のデートを邪魔するような形で、とか……》
「…………。
執拗に、念入りに、徹底的に、とこっっっとんまで、散らしとこう」
生命体でなくとも、俺の敵意を感じ取ったりしたのか――。
謎の存在は、逆に俺を食らおうとでもするかのように、ぐわっと大きく広がって威嚇してくる。
だが――当然、そんなもんが俺に通用するハズもない。
――俺は、八つ裂きどころか、みじん切りどころか、細切れどころか……。
とにかく、超高速の連続斬りを繰り出し、宣言通り徹底的にソレを散らしてやった。
「……どうだ?」
《はい、文字通りに霧散しちゃいましたよ。
勇者様の怨念が勝りましたね!》
「怨念言うな。
……まあいいや、それじゃ帰――」
……帰るか、と――。
そう言おうとしたところで、俺は一つの気配を感じ取った。
隣り合ったビルから、すごい速さでこちらに飛び移ってくる黒い影――。
それは、オオカミの頭の形をしたヘルメットを被る、何と言うか……クローリヒトと似たような全身黒い戦闘用スーツに身を包んだ、背の高い人物だった。
「おいおい……なかなか大きいヤツが出たってっから、散らしに来てみりゃ――」
屋上の端、ある程度の距離を開けて、そのオオカミは立ち止まる。
「まさか、お前が処理してくれるたぁな――クローリヒト。
ふん……そんなだから、〈将軍〉もお前を引き入れようとか考えちまうのか」
オオカミの言葉からは、そこはかとない敵意が感じられた。
問答無用で戦り合おうってわけじゃないみたいだが……仲良くしようって気もさらさらなさそうだ。
「今の発言から察するに……お前は、〈救国魔導団〉の人間か?」
俺の問いかけに、オオカミはなぜかせせら笑う――。
ヘルメットで表情は見えないが、漏れ出た声は、まさにそんな感じだった。
「オレは無刀――〈救国魔導団〉の特攻隊長、ブラック無刀だ。
言っとくが、オレは〈将軍〉みたいに甘くねえぜ……?」
「甘くない……ブラック無糖なだけに?」
「……コーヒーじゃねえよ!!
刀が無いで無刀だ! ナメてんのか、あぁ!?」
思わず口を衝いて出た俺の一言に、オオカミ――ブラックは激しく反応した。
……なんだ、フリじゃなかったのか……。
ちなみに俺の頭の中では、そのやり取りがツボに入ったのか、アガシーがゲラゲラと大笑いしている。
「すまん、悪かった。てっきりネタかと思ったんでな」
「マジメに謝るんじゃねえ! 余計にムカつくだろが!」
……なんだよ、どうしろって言うんだ……イタダキばりに面倒くさいヤツだな。
そしてアガシー……お前ウケすぎ、いつまで笑ってんだよ。
いい加減うるさいっての。
「まったく、いちいち気に障るヤローだぜ……。
それにそもそもクローリヒト、テメーは、オレとキャラが被ってるのが気に入らねえ」
びしっと指差して言われたんで、俺はあらためて自分の格好を見下ろす。
いや、被ってるって言われても……。
そりゃ……まあ……うん。どっちも黒ずくめのボディースーツだしな。
そう言いたくなるのも分からんではないが……。
「クローリヒトって名前もな。
ンだよ、その〈黒い人〉って聞こえる響きは……オレのブラックとダダ被りじゃねえか」
ああ……それは、ねえ?
そもそも、〈黒い人〉の聞き間違いなわけだし……。
――って、ああ、せっかく治まりかけてたアガシーのゲラ笑いが勢い取り戻したじゃねーか……。
絶妙のタイミングでコイツのツボに突き刺さるセリフ吐かないでくれよ……。
「……そう言われてもな。なら、力ずくで俺を排除するか?」
「そうしてやりてえところだが……〈呪疫〉処理以外のことはするなって〈将軍〉のお達しなんでな。
それをお前が先にやっちまったとなると、オレの仕事はもうねえ……今日のところは見逃してやるよ」
「……ジュエキ……?」
多分、さっきの、闇のチカラのカタマリみたいなヤツのことだろう。
どんな意味かは……前の〈世壊呪〉のときみたいに、後でアガシーに聞いてみるか。
コイツのことだ、ゲラっててもこういうところはちゃんとしてやがるだろ。
「――ところで……」
もう用は無いとばかりに踵を返すブラックを、俺は呼び止めた。
「救国魔導団の目的ってのは、なんなんだ?
〈世壊呪〉を探して……それでどうする?」
「決まってる。救国の名の通り、国を救うのさ。
お前らのこの国と――『オレたちの国』。その両方をな」
「…………」
「ま……いずれ、おやっさ――〈将軍〉が、ちゃんと話してくれるだろうよ」
そう言い捨てて――。
ブラックは来たときと同じように、素早い動きで隣のビルへと飛び移り、そのまま姿を消してしまった。
「……オレたちの国……? アイツ、外人さんなのか……?」
首を捻りながら、改めて帰ろうかと思った矢先――。
俺はまた、近付いてくる別の気配を感じとった。
驚きはない。
……というか、来るような気がしてたからなあ……。
さっきのブラックが、まさに獣っぽい鋭く素早い動きでやって来たのに対し、こちらは――いやこちらも、いかにもそれらしく……上空からふわりと、俺の前に舞い降りてきた。
「……あの銀行のとき以来だな。
元気そうで何よりだ――シルキーベル」
「ええ……あなたが手加減してくれたお陰で。クローリヒト」
俺は本心から言ったんだけど、シルキーベルの返答は皮肉たっぷりだった。
まあ……そりゃそうか。
あのときは、思いっきり吹っ飛ばしちまったわけだし。
「強い〈呪疫〉の反応を追ってきてみれば……一足遅かったみたいですね。
クローリヒト……あなたが吸収してしまうなんて」
んん? 吸収……?
――ってことは……アレか?
俺が、闇パワー増幅のために、あれを取り込んだ……って? そんな風に思われてる?
うーむ……誤解もいいところだ。
思いッッきり、もうメッッチャクチャに細切れにして散らしてやったんだけど……。
しかしそれを言ったところで、まあ、今の俺じゃ、信用されるはずもないよなあ……。
「さて、な」
……というわけで、適当にはぐらかす。
「オオオ、姫ェェ……! タダデサエ強イあいつガ〈呪疫〉ヲ吸収シマクッタリシタラ、ソレコソ手ガツケラレナイコトニィ……!
セ、拙者ゴトキデハ太刀打チナド出来マセヌゥ……!
嗚呼、モハヤコレマデ、カクナルウエハァ――っ!」
多分、いわゆる使い魔ってやつだと思う、あの武者ロボが――俺まだ何もやってないのに、早々に恐慌をきたしてジタバタ暴れるのを、シルキーベルは大慌てで抑え込んだ。
「こ、こらカネヒラ、まだ何もしてないのに悲観して自爆しようとしないで!
あきらめ早い、早過ぎるからっ!」
「…………」
……前ンときも思ったが、俺と同じく、こっちはこっちで相棒に恵まれてないというか……。
あー……なんか、大変そうだなあ……。
《……ん? なんです、今なんか心の中でこっち、チラ見しました?
そーですよねえ、あんなザンネンすぎる使い魔を相棒にしてるのを見てたら、私みたいなsay! ray!がいかに優秀か、良く分かるってモンですよね!
んっふふー、崇め奉っていいんですよ、このクソ虫め~》
……大変、ウザい。
あ~……きっとこの件について語り合えたら、俺たち良い友達になれるだろうになあ。
惜しいなあ……。
――いや、まあ、それはともかく。
せっかくの機会だ。一つ聞いておこうか。
「……シルキーベル。
お前の目的は、〈世壊呪〉の消滅……そうだったな?」
俺が尋ねると、シルキーベルは、落ち着いたのか静かになったカネヒラとかいう武者ロボ使い魔を解放し……。
質問の意図を探るかのように、ゆっくりと返事を返す。
「……〈世壊呪〉ばかりじゃありません。
この世を乱す〈呪〉を討ち祓い、平穏を守ること――それがわたしの使命です」
「なら……一つ聞くが。
その筆頭だろう〈世壊呪〉に、『意志』があったらどうする?」
「……え……?」
「人間と同じように、言葉を、考えを、想いを交わすことが出来る――そんな、確かな意志があったら? そんな存在だったら?
それでも、お前は――闇のチカラ、〈呪〉であるからと、問答無用で滅ぼすのか?」
「そ、それは――っ」
シルキーベルは、俺の言葉に明らかに戸惑っていた。
――やっぱりな。
恐らくは魔導団もそうだろうが……シルキーベルも、〈世壊呪〉の正体までは知らないらしい。
まあ、こっちも、魔王がそうだって確証までは無いわけだが……。
そしてもう一つ。
……やっぱりこの子、正体は普通に真っ当なイイ子のようだ。
それだけに、『使命』ってのを重く受け止めてるんだろうが……出来れば、対話して意思の疎通がはかれるのなら滅ぼしたりしなくていいんだ――って、考え直してほしいもんだ。
そう……かつて、俺と魔王が和解したように。
「ゆっくり考えてみるんだな……後悔しないように」
俺はそれだけ言い置くと、わざと無防備に、シルキーベルに背を向けて歩き出す。
「あっ……!
ま、待ちなさいクローリヒト、あなたは――!」
口では呼び止めながらも、しかしそれ以上動こうとしないシルキーベルを残し――。
「……じゃあな」
俺は屋上から飛び降りて、その場を後にした。