第327話 曇天の空模様のごとく、〈常春〉も苦悩に沈む
――昨日からの、暗く重い曇り空は……今日も見渡す限り頭の上に居座っていた。
晴れない日があるっていうのは当たり前だし、いちいち文句を言うことでもないんだけど……さすがに、ここまでイヤな空気を感じるどんより天気にはウンザリする。
それに――つい数日前、雨のちらつく、似たようなどんより天気の中でキッパリとフラれたわたしにしたら……。
まだカサブタにもなってない生傷をいじられるみたいで、余計に気が重い。
……けど、だからって、ゴロゴロとフテ寝して過ごすわけにもいかないし。
今日もまずは、お店の手伝いからこなさなきゃ――ってことで。
「そもそもこんな天気だと、あんまりお客さんも来ないような気がするけど……」
思わず独りごちつつ、朝の支度を済ませていると……一つ、気付くことがあった。
「……キャリコめ……結局、昨日は帰ってこなかったのか」
いつもなら、わたしの部屋か、家の中か、お店か……少なくとも、身支度してお店の準備に行く途中までで必ず見かけるはずの、三毛猫の姿が無い。
昨日、出かけたって話を聞いてから、未だに姿を見ないから――まだ帰ってきてないってことで間違いないだろう。
――まあでも、それぐらいは普通のネコでも有り得る話だし……。
ましてキャリコは、あんなだけど、わたしが使役するティラティウムの〈獣神〉たちが束になっても敵わない、正真正銘最強の〈獣神の王〉だ。
一日姿が見えないくらいで、心配することもない。
……っていうか、むしろ、身の安全とかそういうことより――。
アイツの場合、夜通しご近所のネコちゃん(女の子)を追いかけ回してたんじゃないか――って、そっちの方がよっぽど心配だよ……。
「まあ、一応、アレでも向こうじゃお貴族サマなんだし……弁えてると思うけど……」
ビミョーに不安に駆られながら、お父さんと開店準備を済ませ――。
仕上げに、お店の前の掃除に出ていたわたしが戻ってくると。
「……そうか――分かった。ありがとう」
ひどく真剣な様子のお父さんが……その一言とともに、お店の電話を切るところで。
そして、誰からの電話だったのかを聞く間もなく――わたしに向かって、言い放った。
「――鳴。すまないが、今日は臨時休業だ」
――それから、1時間ほどして。
わたしたちからの連絡を受けて、黒井くんと質草くんが集まってくれるのを待ち……詳しくは2人が来てからと言っていたお父さんが、改めて話を切り出した。
「先ほど、西浦君から連絡があってね。
各種機関に依頼していた詳しい調査が終わり、結果が出たそうだ――」
お父さんはそこで僅かに間を置いて、わたしを見る。
……それが、何て言うか……。
臨時休業って聞かされてから、胸の奥で脈打つイヤな予感を――否応なく、膨れあがらせた。
「……赤宮サイン、赤宮シオン……フランスからやってきた赤宮家の親戚で、兄妹だというこの2人の戸籍は偽造によるもので……。
また、フランスからの渡航記録も存在しなかったらしい」
「「「 …………! 」」」
わたしだけじゃなく、黒井くんも、質草くんも……みんな、程度の差はあっても、お父さんの言葉に驚きを露わにする。
……もっとも……わたしだけは、程度うんぬんじゃなく、驚いてる根本の意味がちょっと違う。
そう――クローリヒトの正体をすでに知っていたわたしからしたら……。
ハイリアセンパイのことは、『やっぱり』って……そんな感じだったから。
「つまり……ハイリアくんたちは、周到な用意をした不法入国者というのでなければ、突如この日本に現れた〈異世界人〉――と、そういうことですか」
「現状を鑑みるに……後者の可能性の方が、圧倒的に高いだろうね」
質草くんの言葉に、お父さんがしっかりとうなずく。
一方で、黒井くんが、眉間にシワを寄せながら……どこか不満げに、小さく鼻を鳴らしていた。
「そして、それは同時に……。
赤宮裕真こそがクローリヒトだと、そう判断する材料の1つになる――か」
「おや……黒井クン、そうじゃない方が良かったですか?
この間、手を貸してあげたことで、情が湧きました?」
黒井くんの様子に、質草くんがからかうような口調で尋ねると……。
いつもの調子でキレると思いきや、黒井くんは、「まーな」とあっさり認めた。
「そりゃあな。
オグのことで、赤宮にはこっちも借りがあるみてーなモンだしよ。
……まあしかし、やっぱりアイツが『そうだった』ってンなら――ある意味、これほどしっくり来る話もねーけどな。
――つーか質草、テメーはどうなんだよ?
ハイリアってのは、読書家仲間なんじゃねーのか?」
「そうですよ?
ですからまあ、ボクだって、それなりに複雑な気持ちなわけです」
いつも通りの、ちょっと余裕を見せた様子で……質草くんもまた、タメ息混じりに小さく肩をすくめてみせる。
「で、でも、ちょっと待って……!
確かに、ハイリアセンパイたちのことはアヤしいけど……。
だからって、それが直接、クローリヒトたちと繋がるわけじゃないんだし……!」
そんな中、わたしの口を突いて出たのは――。
赤宮センパイたちをかばっているかのようにも聞こえる意見だった。
……ううん、実際、かばいたいって気持ちなんだろう――心は。
だけど同時に、わたしは、〈救国魔導団〉の一員として、その『目的』も捨て切れてないわけで……。
だから、こんな中途半端なセリフになってるんだ――。
そのことを思うと……フッと自分自身に、嫌悪感が影を差す。
どっちつかずなんて……ある意味、一番ダメだから。
ここで覚悟を決められないのは、結局、これまでのものは本当の意味での『覚悟』じゃないんじゃないか――ってことだから。
ティラティウムって1つの世界を救う〈勇者〉にまでなっておきながら……でもわたしはゼンゼン、どうしようもなく、心が弱いんじゃないか――って。
……そんな風に感じてしまうから。
そして、それが分かっていながら……わたしはまた、決断を先送りにしようとするみたいに――。
「それに……赤宮センパイがクローリヒトだったとしてもさ、肝心なのは、〈世壊呪〉でしょ?
それが何なのか、誰なのか、どこにあるのか――それが分からないと……!」
反射的に、そんな意見を口走っていた。
それを探るためにも、〈世壊呪〉を知るクローリヒトって存在が重要なんだ、って――そんなことぐらい分かってるハズなのに。
こんなの、なんの反論にもなってないのに……。
「……鳴。お前にしたら、これまで仲良くしてきた先輩たちのことだ――冷静になれないのも当然のことだろうが……」
案の定、お父さんがそう言って、感情的になっているわたしをなだめて。
理由はまた違うんだけど、冷静になれてないのは事実だったから……わたしは、思わず口をつぐんでしまって。
そこに――
「……〈世壊呪〉やらのことなら、ワガハイ、存じ上げまくり」
カラン、と小さくドアベルの音を響かせ――スキマから入り込んできた三毛猫が。
あっさりとした調子で……そんな言葉を差し挟んできた。
「キャリコ……!?
あなた、今までどこで何を――」
「それは無論、働きまくり。なんとこのワガハイが、ブラック企業も真っ青の超・超過労働に勤しみまくりの励みまくり。
ぶっちゃけて言いまくるところの、あんパンと牛乳を手に、『ヤツはまだ動かないのか……?』的な、いわゆるひとつの張り込み的なやつ」
ひょい、とテーブルに飛び乗ったキャリコは、どことなく自慢げに、前足で蝶ネクタイをちょいちょい、といじる。
「……いや、そんなことより……キャリコ。
キミは今、〈世壊呪〉を知っている、と――そう言ったのか?」
改めて、そんなキャリコにお父さんが、わたしたちみんなを代表して先の発言について尋ねると……。
澄ました感じに座ったキャリコは、コクンと人間みたいにうなずいた。
「そう言いまくり。
……まあ、要はワガハイ、昨日店に来た銀髪のイケメンに、何やら魔力の匂いを感じ取った気がしまくったゆえ、気になりまくって追いかけまくったわけで。
でもって、今朝方まで、かの中流家庭を張り込みまくりの挙げ句……。
〈世壊呪〉なる存在を確定するという、大成果を携えて帰還しまくった次第でありまくりまくり」
キャリコの言葉に――心臓が、ドクンと跳ねた気がした。
お父さんが、西浦さんからの報告を話そうとしたときも、不穏な気配――みたいなのを感じたけど。
……今度は、そんなのは比じゃないぐらいの――。
正真正銘の、イヤな予感で……。
そして、それは――
「……で? 結局、〈世壊呪〉ってのは――どこのどいつなんだよ?」
「――うむ。
ワガハイ、会ったのは初めてでありまくりながら、お嬢から聞きまくっていたので間違いない。
闇色に染まりつつありまくりな、底知れぬ魔力を備えまくっていたのは……お嬢よりもずっと幼き、可憐なお嬢さん……。
――その名も、赤宮亜里奈でありまくり」
そのイヤな予感は――。
およそ考えられる中でも、最悪の形で……的中していたのだった。
「……………………」
キャリコのその報告に……みんな、一様に黙り込んで。
重苦しい空気の中、時間だけが過ぎていく。
――そんなの……当たり前だ。
大人の男の人ならいい、ってものでもないけど……!
でもまさか、よりによって――あの亜里奈ちゃんが〈世壊呪〉だなんて……!
……センパイが、絶対に守るって譲らないのも……当然だよ……。
〈世壊呪〉を犠牲にしないと、〈庭園〉を――魔獣たちの拠り所を失っちゃうって言ったって、いくらなんでも、こんなの……!
「やれやれ……まさか、よりにもよってガキだなんてよ……」
「人柱にしないと、ボクらの目的が達成されないとしても――ですねえ……」
黒井くんも質草くんも、〈世壊呪〉の正体が分かったって言うのに……ようやく、っていう喜びなんて微塵もなくて、苦い顔で困惑している。
そして――もちろん、お父さんも。
「………………」
腕を組み、目を伏せたまま無言で……でもその眉間には、言葉よりもずっと雄弁に心境を語る、深いシワが刻まれていた。
……そうだよね……お父さんは特に複雑だと思う。
わたしが言うのもなんだけど……お父さんも、わたしっていう『娘』を持つ父親なんだから。
息子だ娘だって区別するわけじゃないけど、子供を犠牲に、って言葉が、なおさら誰よりも身近に、しかも重く感じちゃうんじゃないかな……。
でも同時に、異世界からの〈迷い子〉のことを誰よりも考えて、だからこそ彼らを匿うための〈庭園〉を造ったのも、やっぱりお父さんなんだから……。
どちらを取るかって、その苦悩は――いくら今までに覚悟を決めていたからって、わたしじゃきっと、想像出来ないぐらいだと思う……。
――そんな、ひたすら重い沈黙が続く中……。
やがて……意を決したように、黒井くんがすっくと立ち上がった。
そして、お父さんに向き直る。
「おやっさん……ひとまず今日のところは、仕切り直しにしましょう。
〈庭園〉のためにも、決断は早い方がいいんでしょーが……こんな状態でアタマぁ突き合わせたところで、キチッとした結論なんざ出やしねえっすよ」
「……黒井君……」
「なんで……オレぁ、一旦帰るっすわ。
――この話は改めて、お互いアタマ冷やしてから……ってことで」
ヘルメットを拾い上げた黒井くんは、お父さんやわたしの返事も待たず……。
さっさと、軽快にドアベルを鳴らして出て行ってしまった。
それから、さらに――。
「……今度ばかりは黒井クンの言う通りですね。
おやっさん、お嬢……こんな状態でムリをして考えても、きっといいことはないですよ。
――なので、今日のところはここまでにした方がいいでしょう」
質草くんも、苦笑混じりにそう言うや、席を立って……。
「ではまた」って、黒井クンの後を追うように、店を後にする。
「……黒井君、質草君……」
後に残されたお父さんも、そしてわたしも――。
ただただ呆然と、ベルの音も止まったドアを、見続けるだけだった。
…………けど――――。
「ふむ……結果、ひとまず流れまくりになりまくり。
まあ、それならそれで良しとしまくり、かな。
ワガハイ、のんびりと今日のにゃんこ映像でも見まく――りゃああっ!!??」
「――鳴っ!?」
ノンキに毛繕いでも始めそうだったキャリコの首根っこを、力任せに引っつかみつつ――わたしも。
お父さんの声を振り切り……もう日が落ちたと錯覚しそうなぐらい真っ暗な外へと、飛び出すのだった。