第326話 守るべきものを、ともに守る者とは
――風呂屋の浴場掃除ってのは、実に大変だ。
基本的には営業時間の終了後にやってしまうわけだけど……。
〈天の湯〉はそれに加えて、朝の営業準備中にも、お湯を張ったりする前に、設備の点検とかも兼ねてもう一度軽く掃除をする。
お客さんがケガしたりしないよう、設備が壊れたりしてないかチェックするのはもちろんのこと……。
身体をキレイにするための風呂屋が、そもそも汚いなどもってのほか――ってわけだ。
それを幼い頃から、ばっちゃんにも母さんにも厳しく叩き込まれたこともあり……軽くとはいえ、見落としとかは出ないようにしっかりと、掃除と点検を済ませた俺は。
その足で、作業終了の報告も兼ねて裏手のボイラーの方へ回る。
基本的に、うちのボイラーの番をしているのはじっちゃんなんだけど……今日、そこに置かれた椅子に座っていたのは、手伝いのハイリアだけだった。
……しっかしまあ……。
ムキ出しの配管やら機械盤やらが並ぶ、飾り気のカケラもない雑多な空間に、この美人ってのは……何とも違和感があるというか、逆に妙に芸術性を感じる取り合わせというか。
「じっちゃんは?……って、ああ、一服にでも行ったか?」
「うむ。先ほど、今のうちに……とな」
……うちのじっちゃんは、仕事前と仕事終わりだけにタバコを吸う。
もともとは結構なヘビースモーカーだったらしいけど、うちの母さんが生まれたことで吸う数を減らして……さらに初孫の俺が生まれると、完全に人前で吸うのを止めて、今のスタイルになったらしい。
「余は別にタバコなぞ気にせぬのだし、席を外されずとも良いのだがな」
「ああ……まあ、確かにお前のことを気遣ってるってのもあるだろうが、それだけじゃないさ。
こういうところはやっぱり基本、火気は禁物だし……気を抜かないよう、仕事場で一服はしない――って、じっちゃんのこだわりもあるんだよ」
俺は、裏庭の方へ続く出入り口を見やりながら言う。
「……なるほど、いかにもじじ殿らしい」
俺の視線を追って、そう感慨深げにつぶやいた……と思うと、改めてハイリアは俺を見やる。
「――ところで勇者よ。
今日はキサマ、これからどうするのだ?」
「俺の予定か? そうだな……。
とりあえず、昼過ぎには一旦、病院の方へ行くよ。
千紗が、今日も実家の方へ寄る用事があるらしいから……代わりに、少しの間だけでもドクトルさんの様子を見てた方がいいかな、って」
俺は、朝に顔を合わせたときの、千紗との会話を思い返しながら答える。
……朝の千紗、なんかちょっと思い詰めてるような雰囲気があったからな……。
俺が心配そうにしてるのに気付いたのか、すぐにいつも通りの穏やかな感じに戻ったけど……やっぱり、ドクトルさんが心配なんだろう。
なら、差し当たって何かすることがあるわけでもない俺は、所詮気休め程度でも、ドクトルさんに付いててあげて……千紗の負担を減らせれば、と思うわけだ。
「ふむ……そうか。
聖霊は……アーサーたちと、昨日の調査の続き――だったな」
「ああ。昨日の今日で、また新しい事実が出てくるかは分からんけど……。
でも昨日だって、凛太郎の思いも寄らない活躍があって、貴重な情報が得られたわけだから……もしかしたら今日も、って、ちょっと期待しちまうよな」
なんせ、情報の出所がネコなんだからなあ……。
実際これ以上、どこまでの情報が出るのかなんて、分かりようもないけど。
でも仲介者があの凛太郎ってだけで、なんか妙に期待値が上がっちまうんだよなあ。
「――そして、今日は確か夕方まで、亜里奈の番台の手伝いも無かったはずだな。
うむ、ならば……余は、自室で術式の研究をさらに煮詰めているとしようか。
場合によっては、〈封印具〉を使うよりも先に……一旦、亜里奈の状態をやわらげ、時間を稼ぐような処置をする必要があるやも知れぬからな。
それに……今の亜里奈の側に、誰も付いていないというのはマズかろう」
腕を組み、至って真剣な様子でハイリアは言う。
そうだな……。
今みたいな状況じゃなきゃ、むしろコイツが付いてるってことに、保護者としては落ち着かない気持ちにさせられるところだが……。
グライファンの生死がどちらであれ、亜里奈に大きな悪影響が出るかも知れない、って現状だと……俺なんかより魔法に詳しいコイツの方が、いざってとき、ずっと頼りになるだろうしな。
「……分かった。
亜里奈のこと――くれぐれも頼む」
「無論だ、任せておくがいい。
なにせこの余は――」
魔王だからな……と。
冗談めかして、口元に微かな笑みを浮かべつつ……ハイリアは静かにうなずいた。
* * *
――病室で眠るおばあちゃんは……良くも悪くも、今日も特に変化はない。
ウチは、窓際の方に移した椅子に座って、自販機で買ってきたミルクティーを開けながら……変わらず真っ暗な空の様子に、小さくタメ息をつく。
それが、まるで――ウチの中の不安感を、そのまま表してるみたいやったから。
昨日の夜、一緒にお風呂に入ったことで知った――亜里奈ちゃんの秘密。
亜里奈ちゃんこそが、〈世壊呪〉やった、っていう事実……。
そのことについて、昨夜も、今朝も、ここに来るまでも――そして今も、ウチは考え続けていた。
……こうして知ってしまえば、クローリヒトが、『絶対に守る』て考えを頑なに変えへんかったんも理解出来る。
ううん、もちろん、他の人やったらいいとか、そういうんやないけど……。
でもまさか、まだ小学生の女の子――それも身近な、ウチにとっても大事な女の子やなんて、思いもせえへんかったから……。
おばあちゃんのことがあって、どんな人でも犠牲にしたらあかんって――それは『守る』ことにはならへんって、そう決めたウチやけど……。
それはやっぱり間違いやなかったって、改めて実感した。
けど――その方針はいいとして、ウチはどうするべきなんやろう……。
そのことをずっと考え続けてるわけやけど、答えは出えへん。
亜里奈ちゃん自身に注意を促す……いうのは、もちろん却下。
いざとなったら、ちゃんと全部教えてあげなあかんのかも知れへんけど……昨日の様子を見てても、〈世壊呪〉については気付いてへんみたいやったから……。
事実を告げてヘタに自覚したりしたら、状態が悪化するていうか……〈世壊呪〉としての覚醒を早めたりする可能性がある。
それに対して、注意したから言うて、悪化を食い止められるもんなんかどうかも分からへんわけやし……。
何より、それを知って亜里奈ちゃんが受けるショックを思うと……!
もう明らかに、リターンの不確実さのわりに、リスクばっかりが大きい。
裕真くんに事情を話して協力を仰ぐ……ていうんも、迷ったけど――やっぱり止めた。
裕真くんのことやから、正直に話せばきっと信じてくれるし、協力もしてくれるやろうけど……。
でも結局今の状況やと、肝心の『何を協力してもらうか』がはっきりしてへんから……どうしようもない。
……なんせ、ウチが知ってるのは、〈世壊呪〉を『祓う』方法だけで……そしてその〈祓いの儀〉を行うことで、亜里奈ちゃん自身も無事な保証は――どこにもないねんから。
やから、能丸さんに何とか連絡を取って力を貸してもらう――っていうのも、出来へん。
能丸さんは、〈世壊呪〉の危険性を重視して、祓うのが一番と考えてるんやから……迂闊に亜里奈ちゃんのことを話すべきやないって、そう思うから。
同じく、〈鈴守宗家〉に相談する――いうのも危険やと思える。
おばあちゃんの話からしたら、宗家はウチが〈鈴守の巫女〉として〈世壊呪〉を祓うことを一番に望んでるらしいし……そのためやったら、それこそ犠牲なんて厭えへんはずやから。
はっきり言って、宗家が一番、〈世壊呪〉の性質についての情報を持ってるハズなんやけど……そんな理由もあって、ヘタに接触も出来へん。
ある意味、ウチのやろうとしてること――〈世壊呪〉を祓ったりせずに何とかする、いうんは、背信行為みたいなもんなんやし……。
「………………」
こう考えていくと……。
やっぱり、今、無条件にウチの味方になってくれると確信出来るんは、クローリヒトだけで――。
「……皮肉やなあ……」
缶を開けただけで、口を付けずにいるミルクティーに目を落としながら……ポツリと、そんな一言がこぼれ出た。
……初めて会ったとき……〈呪〉のチカラをまとっていた彼を、ウチは敵と判断した。
それから実際、立場の違いから、敵になったし……何回も戦ったけど。
結局、ホンマに正しいことを、信念を持って終始貫いてたのは彼で――。
そして今では、一番の味方やと、そう信じてるんやから……。
「でも……どうやったら会えるんやろ……」
敵対してたときは、イヤってぐらい、出動するたびにカチ合ってたのに――。
会いたいと思うと、まるで出会えへんねんもん……。
まあ、おばあちゃんがこんなことになってもうたし、出動する機会からして無いねんけど……。
しかも今は、そもそも変身出来へんし……。
「そう考えたら――」
ウチは、ようやくミルクティーを一口含んで……そのまま、視線をおばあちゃんに向ける。
……やっぱり、現状を打開するカギになりそうなんは――研究所のメインコンピューター、やね……。
シルキーベル変身スーツのアップデートとともに与えられるハズの、アクセス権限……。
それで閲覧出来る情報に、何らかの、ヒントに繋がるものがあってくれたら――
……ううん違う、そこに何かあってくれへんと……!
お願いやから――!
ウチは、祈るような思いで……部屋の壁掛け時計を見上げるのだった。
アップデートが終わるまでは――あと、約4時間……。