第325話 まるで明けない夜のような、黒く暗い朝に
――8月9日、金曜日。
今日は昨日から引き続き、空が一面、分厚い黒雲に覆われてて……。
朝なのに、太陽が昇るのを忘れてるか、それとももう落ちてるかってぐらいの暗さだった。
正直、目が覚めてすぐ、枕元のスマホで時間を確認し直したくらい。
……こういう天気は、やっぱり気が滅入るな……。
何より、今朝はまた、奇妙な『夢』を見ちゃったから――。
「あ、アリナぁ、おはようごじゃいまふー」
あたしが起きたのに気付いて、床のお布団の上で、アガシーも寝ぼけ眼を擦りながら身を起こしていた。
……確か前に、〈人造生命〉の身体だから実は眠らなくても平気、とか言ってたのになあ……。
なんかもう、どっからどう見ても、ただの寝ぼすけな小学生だ。
「うん、おはよ。
今日の朝ゴハン、千紗さんが作ってくれるって言ってたけど、任せっきりなのも悪いし……手伝いに行こっか」
「いえしゅ、まむぅ〜」
「……ぬいぐるみに敬礼するな」
――それから……アガシーと2人で、千紗さんの朝ゴハンの準備を手伝って。
パパにママ、お兄にハイリアさんと、みんなでいっしょに朝ゴハンを済ませて。
その後は、パパとママはお仕事、お兄とハイリアさんは〈天の湯〉のお手伝い、千紗さんはドクトルさんのところへ……と、みんなそれぞれ、やるべきことを始めて――。
結果、差し当たって今朝は、お手伝いも用事もないあたしは……なんか一人、取り残されるみたいな形になってしまった。
「……ふぅ……」
実はアガシーも、今日は昼間はお手伝いがないから、いっしょに何かしてよう――と思ったんだけど。
朝岡と約束があるとかで、ついさっき1人で出かけていっちゃって。
まあ、うん……ドクトルさんのことの調査とか言ってたはずだから、約束って言っても別にその、デートとかじゃないってのは分かってるんだけど……。
それにどのみち、何の『チカラ』もないあたしには、手伝えるようなことはないってのも分かってるんだけど……。
……でもやっぱり、ちょっと……。
取り残されてるような、さびしいような……そんな感じもしないこともない――かも知れない、って言うか。
……ほんのちょっぴり、だけど。
「………………。
…………もし…………」
――もしアガシーが、聖霊じゃなかったら。
――もし朝岡が、テンテンと契約してなかったら。
あたしが、こんな気持ちになることもなかった……のかな。
それとも……。
そんなの、なくっても――――
「…………って……!
なにヘンなこと考えてるんだか……!」
あたしは、首をフリフリ、つまんない考えを頭から追い出して……また一つ、タメ息をついた。
でも……ホントに、これからの時間をどうしようかな……。
宿題はだいたい済ませてあるし、特に見たいテレビもないし、1人でゲームするのも気が乗らないしで……。
そんな中、重すぎる天気のせいでうっすら暗くて、もの静かなリビングのソファに、ぽつんと1人で座ってると――。
ふと、思い出してしまったのは……今朝に見た『夢』のこと。
それは、今までにも見てきた――あの黒い影に追われる夢と、雰囲気は同じだったけど……。
これまでとは、まるで違う感じになってきていた。
――そもそも、あたしは、もう逃げていなかったんだ。
これまで追いすがって来ていた影を、闇を、逃げずに立ち止まって受け入れる――どころか。
そんな『あたし』が、もうまずあたしじゃなく……。
すでにその闇と溶け合って、とても大きな、同じモノになってるような感じで。
だからむしろ、そうしてやって来る闇を受け入れるのが、正しいような気がして。
それがやっぱり、一番安心出来るような気がして……。
でも――心の片隅に、それに流されちゃいけないって、危機感があって。
でも――そんなことない、これでいいって気持ちの方が、どんどん大きくなってて。
そして……それだけじゃなく。
最後には……他よりもさらに、もっとずっと昏く澱んだ闇のカタマリが、あたしと溶け合い始めていて――。
その闇のカタマリは、夢の中のあたしより、ずっと弱くてちっぽけなハズなのに――。
それが囁く言葉が、ひたすら恐ろしくて……なのに同時に、耳を傾けずにいられないぐらい、甘く魅力的な気もして――。
「…………ッ!」
ぼんやりした『夢』なのに、その感覚だけは鮮明に――そう、闇のカタマリの囁きが、頭の中で反響するみたいにまで思い出せてしまって。
反射的にゾクリとした身体を、思わず両手で掻き抱く。
……これが、アガシーとテンテンが以前に話してた、〈闇のチカラ〉のせいなんだとしたら。
あたしは、本当に……どうなっていくんだろう――。
「――って!
ダメだダメだ……!」
思わず弱音を吐きそうになった自分自身を……あたしはブンブン首を振りつつ叱咤する。
……奇妙でもゾッとしても、どうせ夢……!
だいたい、身体の調子が悪いとか、そんなことはないんだから……!
それに、そう……お兄たちは今でも〈世壊呪〉を守るためにって戦ってるんだし、それでなくても、千紗さんとドクトルさんが大変なときなんだし――。
夢のこととかで不安になっちゃってるだけの、特に何も出来ないあたしが……それもこんなときに、お兄たちにカンタンに甘えちゃうわけにはいかないんだ。
あたしが騒ぎ立てて、手間を掛けさせちゃったせいで……今お兄たちが向き合ってる事態が、悪い方向にいっちゃうことだって、あるかも知れないんだから――。
「うん、だから、あたしは……大丈夫。
きっとこんなの、大したことじゃないんだから……!」
あらためて、自分にそう言い聞かせて――。
どうせなら、何かしていた方が気が紛れそうだし……。
いっそ、気晴らしになりそうな――そう、なにかお菓子でも作ってよう……なんて思って、立ち上がったところで。
「…………?」
なんだろう、そう……『気配』? みたいなものを感じた気がしたあたしは――。
その出どころ――庭に面した窓に近付いて、カーテンを開ける。
すると、その庭と呼ぶほどでもない、うちの小さな庭には……。
1匹のネコがちょこんと座ってて、あたしの方をじっと見ていた。
蝶ネクタイみたいなリボンをした……三毛猫だ。
飼いネコ……だろうけど、ご近所さんのネコで、こんな子は見たことない。
……っていうか……。
そもそもこの子、ホントにネコなの? って、疑問に思っちゃうような……そんな、妙な迫力めいたものを感じて……。
とにかく、なんとなく目が離せなくて――見つめ合うようにしてると……。
『……なるほど、である。
可憐なる乙女……やはりキミが、そうであるのか――』
「…………え?」
そのネコが……あたしに向かって、話しかけてきたような気がした。
え、もしかして……。
あたし、またソファで寝ちゃって、夢でも見てる……?
『……夢――そう、これは夢を見まくりのようなもの、であるな。
我輩は所詮、ただのネコ――言葉を話すハズもないゆえに』
あたしをじっと見たまま……ゆっくりと、しっぽを左右に揺らすネコ。
『だが、そもそも……人の一生など、まさに夢の如くである。
ゆえに乙女よ、キミはまた……。
そう、新たな、もっと良い夢を見直すだけ――そう思うのが良いのである』
「……え? え……?」
ネコは、なんだか哲学めいた謎かけみたいなことを言う――って、ううん、ホントに言ってるのかは分からないんだけど……。
『……さて、このことについて我が主がどう思い、どの道を選ぶかは知る由も無いのである、が……。
少なくとも我輩はこれまで、数知れぬほど多くの命の流転を目にしまくってきたのであって。
ゆえに……乙女よ。
我輩にとってはキミもまた、貴賤なく、ただ一つの命に過ぎぬのである――』
そして、くるっときびすを返したネコは……でも最後に、って感じに、首だけでもう一度あたしを見て――。
『可憐なる乙女よ――。
キミの次に見る夢が、より優しく、幸せなものでありまくらんことを』
そのまま、ひょいっと軽々と塀に飛び乗り、越えて……あっという間に姿を消した。
「………………」
あたしは……ネコだったけど、キツネにつままれたような気持ちで……そのまましばらく立ち尽くしていた。
テンテンの例もあるし、異世界のことも知ってるんだし――しゃべる動物がいること自体は、あたしでもそこまで驚くことはないはずなんだけど……。
今のネコは……なんだかホントに、夢か幻を見たような――そんな気分だった。
テンテンの『念話』を聞いてしまったときとは違って、まるで現実味を感じなかったって言うか……。
ネコの『声』だって、あらためて思い返せば……。
はっきり聞こえたってよりも、『そんな風に感じた』ってぐらいだし……。
「…………」
窓を開けて庭に降りてみるけど……当然そこに、『しゃべるネコがいた』なんて痕跡が残ってるはずもなくて。
ヘンな夢を見てるせいで、たまたま見かけたネコがしゃべったように感じた――だけ、なのかな……。
ネコが姿を消した、その後を追うように視線を上げれば……塀の向こうに広がる空は、本当にどこまでも真っ黒で。
それはまるで夢の中の光景が、そのまま現実の世界にまで広がっているみたいで――。
そして……ふっ、と。
なんだろう、何かに呼ばれているような――どこかに行かなきゃいけないような、そんな気持ちが急に胸に湧き上がってきて――。
「……っ……!」
この蒸し暑さなのに、ゾッと冷たいものを感じたあたしは……。
あわてて、その感覚を振り切るように、逃げるように――家の中に駆け戻るのだった。