第30話 腕相撲大戦――その死闘の結末
「ふぃ〜……いやぁ、さすがっすね……ドクトルさん」
「君もな、赤宮くん。
まさか、ここまでやるとは思わなかったよ」
ドクトルさんに左手で握手を求められ、笑顔で応じる俺。
お互い、右手は力を込めすぎてフラフラだからな――って。
……この感じ、まさか……。
「ドクトルさん……実は左利きですか?」
俺の問いに、ドクトルさんは豪快な笑いで答えとした。
くっそー……やられたな。
ラスボスは、まだもう一段階変身を残していたらしい。
……ちなみに、腕相撲勝負の結果は俺の負けだった。
長い間、拮抗状態が続いてたんだが……その最中、ドクトルさんに唐突に、
「千紗の写真だがね。
実は、生まれたままの姿に、バスタオル一枚だけってものなんだ」
――なんて、小声で暴露されちまったからな。
そこから押され始めて……結局、そのまま押し切られちまったよ。
なぜって――
《……ま、そういうところが勇者様ですよねえ》
審判として近くにいて、一緒にドクトルさんの爆弾発言を聞いちまった鈴守が……さすがに露骨に顔を曇らせたからな。
うん、ドクトルさんが撮ったって写真が、鈴守がちょ~っとヘンな格好しているところだとか、笑ってすませられる、冗談になるような恥ずかしさなら構わないし、きっとそういうものだろうって思ってたが……ハダカとかになるとな。
……そりゃあ、俺だって健全な男子高校生だ。
好きな女の子のハダカの写真なんて、見たくないわけない。見たいに決まってる。
見たいけど、それは――鈴守に、本気でイヤな思いをさせてまでのものじゃない。
そうなると、イタダキや衛には見せない、って目的はもう達成してるんだから……。
あとは、俺が身を引いて――でもドクトルさんを立てるためにも、良い勝負の果てに負けたって形にすればいい、というわけだ。
さて、それはともかく……さすがの俺も、一言、言わずにはいられない。
俺は、鈴守が何かを言うより先に、握手をしたまま――面と向かって、ドクトルさんに告げる。
「でもドクトルさん、一つ言わせて下さい。
いくら家族でも、さすがに勝手に、その……ハダカの写真なんて撮って――ましてや他人に見せたりするのは、ゼッタイに良くないと思います」
「赤宮くん……」
「ああ。それについてはまったく、君の言う通りだ」
さわやかに答えてドクトルさんは、握手を解いた手でスマホを取り出し、鈴守に手渡す。
「どうするかは、千紗本人の判断に任せよう」
「…………」
さすがに不満が隠しきれない様子で、スマホに目を落とした鈴守は――。
「ハァ~……もう、なんやと思たら~……!」
呆れかえったような表情で、大きな大きなタメ息をつく。
そして……おもむろに。
俺――だけでなく、他のみんなにも見えるように、スマホを差し出した。
そこに映っていたのは……。
「赤みゃん――じゃなくって、赤ちゃん?」
「生まれてすぐの頃の千紗だよ。顔、くしゃくしゃでカワイイだろ?」
ドクトルさんが、イタズラっ子のような笑顔で言う。
そう……そこに映っていたのは、身体を洗ってもらった後らしい、大きなバスタオルにくるまった赤ちゃんの写真だったのだ。
……あー……なるほど。
生まれたままの姿に、バスタオル一枚……だわな。確かに。
そして、本人にしてみると、赤ちゃんの頃の写真って、そりゃあちょ~っと恥ずかしかったりするだろう。
看板に偽りなし――って、いや、ちょっと待てよ?
「でもドクトルさん、昨日撮った写真って言ってませんでした?」
「ああ、もちろん、昨日撮ったものだとも――。
パソコンで整理してたアルバムの中の一枚を、スマホでパシャリとね」
悪びれる様子もなく、あっけらかんと言い放つドクトルさん。
「……うう……ゴメンな、おばあちゃん、こういう人やから……」
なんだかんだで、「カワイイ!」と盛り上がるみんなをよそに、鈴守が申し訳なさそうに、そっと俺に耳打ちしてくる。
だが……俺としては、むしろ良い気分だった。
「いや、ドクトルさんさすがだなーって、なんか嬉しくなったよ。
それに、鈴守の色んな面と――カワイイ写真も見られたしさ!」
「もう……。
今度は、赤宮くんのちっちゃいときの写真も見せてもらうから……!」
頬を膨らませてスネたように言う鈴守。それがまた可愛かった。
「――さあみんな、息抜きは終わり!
勉強をもうひと頑張りしようじゃないか!」
……やがてドクトルさんが、大きく手を叩きながら声を張り上げた。
さすがの切り替えと迫力に、みんな慌てて勉強の準備に戻っていく。
その最中に――。
俺はドクトルさんに請われて、一緒に競技台を部屋の外へと運び出した。
「……さっきは、試すようなマネをして悪かったな、赤宮くん」
競技台を挟んで廊下を進みながら、ドクトルさんが俺に話しかけてくる。
「まあ……確かに、ちょっと人が悪かったとは思いますけどね。
それと、悪いと言うなら……俺より、むしろ鈴守に」
「ああ、分かってるよ……いや、本当にすまなかった。
だが、あそこで男子高校生らしく、欲望に突き動かされて勝ちに走ったとしても……それはそれで、アタシとしてはアリだったけどな」
「……あ~……もしかして、バレてます?」
ドクトルさんはニヤリと笑う。
「アタシの暴露でイヤな顔をした千紗……それに気付いた君の様子を見ればな。
どちらかと言えば、発奮させるつもりだったわけだが……まさか、身を引くとは。
しかしまあ、とりあえず――千紗の人を見る目は確かだった、と分かった」
「あ――えっと。あ、ありがとうございます……」
倉庫らしき部屋に入り、競技台を置くと……ドクトルさんは機嫌良さそうに、俺の背中をバシンと叩いた。
「千紗のこと、これからもよろしく頼むよ――ただし、今しばらくは節度を持って、な」
「――は、はいっ、よろしくお願いします!」
「ああ。
……じゃ、あとの細かい整理はアタシがやっとくから、赤宮くんは勉強に戻るといい」
ドクトルさんに言われて、なんか急に気恥ずかしくなってた俺は、慌てて倉庫を飛び出した。
《……結局、認められちゃいましたね。さすが勇者様、人たらし》
(人聞きの悪いこと言うなよな……)
アガシーにはそう応えながらも……少しばかり頬が緩むのは抑えられなかった。
いやー……ホント、嫌われたりしないでよかったよ……。
(さーて……心労も一つ減ったし、あとは頑張って勉強するかー)
《これで赤点なんて取ろうもんなら、せっかくの高評価がひっくり返るかも知れませんからねえ?》
(そーゆーこった。……うーし、やるぞ!)
俺は気合いを入れ直して……みんなが待ってる会議室のドアに手を掛けた。
* * *
その日の夜――ドクトル・ラボの上階、鈴守家でもある居住スペースにて。
10人程度なら優に集まれるだろう広いリビング、それに見合った立派なソファに浅く腰をかけたドクトルは、パソコンを前に低く唸りつつうなずいていた。
……そこへ、夕食の片付けを終えた千紗がやって来る。
「おばあちゃん、お風呂どうするん?」
「ああ、先に入りな。
アタシはあとでいいよ、もうちょっとやることもあるしな」
「うん、分かった」
千紗は、リビングを出ようとドアに手を掛けるが……そこでドクトルが彼女を呼び止めた。
「……なに?」
「赤宮くんは、何か武道でもやってるのか?」
祖母の問いかけに千紗は、「んー……」と少し考え、首を横に振る。
「そんな話、聞いたことないなあ……。
部活もやってへんし、おうちも道場とかちゃうし」
「そうか……。いや、あの体型で、ヘタすりゃアタシも倒しそうだったのが驚きでな。
――ということは、彼、無意識で霊力を使って、腕力を強化したりしてたのかもな」
「無意識で――って、出来るもんなん?」
「たまにいるさ、霊力そのものが高かったりする人間の中には。
もっとも、訓練してない分、ムラが大きくはなるが。
しかしそれは、逆に言えば、訓練すれば相当に強くなれる要素があるってことで――」
千紗が顔をしかめる。
「――おばあちゃん。
まさか……赤宮くんを巻き込もう、とか考えてへん?」
「……千紗?」
「それだけはやめて。
……赤宮くんとか、みんなを守るためにってウチ頑張ってるのに、やのに、巻き込むってなったら――!」
ドクトルは苦笑混じりに手を振った。
「大丈夫だよ、安心しな。そんなことは考えてないさ。
……ま、もっとも――」
浮かべていた苦笑が、ニヤリ、とイタズラめいたものに変わる。
「アンタと結婚するときには、アタシが直々に、心技体、みっちり鍛えてやるけどね?」
「……も、もうっ! お風呂入ってくるっ!」
顔を赤らめた千紗は、勢いよくリビングから飛び出していった。
その足音が遠ざかっていくのを聞きながら……ドクトルは改めて、パソコンに視線を移す。
……ディスプレイに映し出されているのは、この広隅市の地図と、数多くのデータ、そしてグラフなどだ。
中でも、見るからにあまり良いものではなさそうな、小さい黒い円が、地図上に幾つかぽつぽつと落ちているのが目立つ。
それは、今はまだ小さいものの、黒い色のせいか、墨がにじんで広がっていくような……そんなイメージがあった。
「ふむ……〈世壊呪〉のこともあるが……〈霊脈〉汚染で湧き出る〈呪〉の処理も――。
さて、どうしたものか……」
眉間に皺を寄せながらつぶやくドクトルは……。
千紗に、風呂の前にコーヒーの一杯でも煎れておいてもらえば良かったと後悔しながら――大きく息を吐き出すのだった。




