第314話 その〈庭園〉が、いずれ〈楽園〉となるために
「ただいまー……っと」
――〈常春〉に戻ってくると、ちょうど入れ替わりに、常連のお客さんが帰るところだった。
笑顔で挨拶してくれるところに、わたしも愛想良く、「ありがとうございました! またお願いしまーす!」と頭を下げ、ちょっと見送ってから……店内へ。
ちょうど時間的にも、お客さんの流れが落ち着いたところなのか……中にいたのはお父さんだけで。
今日は珍しく、黒井くんも質草くんも揃って姿が見えない。
「おかえり、鳴」
「ただいま。……黒井くんたち、来てないんだね?」
お父さんに聞きながらわたしは、さっきのお客さんのものだろう、コーヒーカップやらの洗い物をまとめて、手早くカウンターに上げる。
それを水の張ったシンクに浸けつつ、答えるお父さん。
「質草くんなら、お昼に来ていたぞ。
……ああ、そう言えば、質草くんの古書仲間だって子も後から来たな。
鳴、お前の学校の先輩で――ハイリア君、だったか」
「え、そうなの? へ〜……なんか、いろいろ意外」
ハイリアセンパイ、来てくれたんだ。
あ〜……わたしがいたら、せっかくだし、コーヒーぐらいサービスしたのになあ。
いやでも、質草くんがいたなら……黒井くん相手のときとは違って、ちゃんとおごってあげただろうし……大丈夫かな。
――そんなことを考えながら、カウンターの裏に回って……ひとまずお冷で一息ついたわたしは。
いつものお店に足りないものが、もう一つあることに気が付いた。
「あれ、そう言えば……キャリコは?」
そう――。
この時間だと、まだ店内でゴロゴロしてるはずの、ニセ看板ネコが見当たらないんだ。
「ああ……そう言えば、まだ戻っていないな。
そう、ちょうどそのハイリア君が帰ったすぐ後ぐらいに外へ出て行ったんだが」
……ハイリアセンパイが帰ったすぐ後に?
うーん……キャリコのことだし、たまたま、近所のネコ(もちろん女の子)との約束を思い出しただけ、とかの可能性が高いけど……。
………………。
でもなんせ、キャリコだからなあ……。
ハイリアセンパイに何かを感じ取って、後をつけた――なんて可能性も。
何せ赤宮センパイがクローリヒトなんだから……その家族のハイリアセンパイが仲間だったとしても、おかしくはないんだし……。
「ふーん、そっか……」
……だけど、今のところは何とも言えないので、とりあえず生返事をしながら……わたしは畳んで棚にしまっていた、ウェイトレス用のエプロンを広げて身につける。
そうして、髪も手早く結い上げていると――。
洗い物を済ませたお父さんが、「ちょっと下の様子を見てくる」と、地下――魔獣たちを匿っている、魔術によって形成された空間――〈庭園〉の方へと向かっていった。
――最近、お父さんの予測していた通り、〈庭園〉の維持がだんだんと難しくなってきてるみたいだから……。
こうして、お父さん自身が様子を見つつ、いわば魔術的な『補修』を行う回数が増えてるんだよね……。
「…………」
そんな現状を打開するのに、一番良い方法は……。
まさしくわたしたち〈救国魔導団〉の目的である、魔術の触媒としての〈世壊呪〉の1日でも早い確保――なんだろう。
だけれど――。
お店の手伝いをする準備を整えて、改めて手をキレイに洗いながら……わたしはつい、小さくタメ息をもらす。
その〈世壊呪〉は、赤宮センパイの身近な人かも知れなくて……。
だから、赤宮センパイの正体をお父さんたちに教えるのは、その近しい人を犠牲にすることに繋がっていて……。
でも、〈庭園〉の魔力維持は、だんだんと限界が近付いていて――。
「……いよいよ、ホントのホントに覚悟、決めなきゃいけないかなあ……」
ポツリとそんなことをつぶやきつつ、あんまり慣れきってるせいで半ば無意識のうちに、誰もいないお店を軽く掃除していく。
……そうしているうち、思ったよりも早くお父さんが戻ってきた。
「どうだった? お父さん」
「ああ。今のところ、まだ『補修』したりする必要はなさそうだ」
「そっか……良かった」
反射的に口を突いて出たその『良かった』が、〈庭園〉がまだ大丈夫なことについてなのか、だからわたしが慌てて覚悟を決める必要がなかったからなのかは……正直、分からなかった。
「……ねえ、お父さん?」
「うん? どうした?」
カウンターの方に戻って、今のうちに仕込みをするのに冷蔵庫を確かめているお父さんが、声だけで応えてくる。
「どうしても……〈世壊呪〉を犠牲にするしか、方法はないの?」
「…………。
私だって、そんなことをしなくて済むなら……そうしたいとも」
冷蔵庫を閉めたお父さんが、こちらを振り向く。
「――だがね、鳴。
何度、術式を組み直してみようとも……単純なエネルギー不足については、補いきれるものじゃなかったんだ。
私の魔法技術と知識、すべてを持ってしても――その壁だけは、どうしても超えられなかったんだよ」
そうだ……お父さんだって、元は勇者。
〈世壊呪〉が人である可能性を指摘されてから、その誰かが犠牲になんてならなくても済むよう、ずっと考え、努力してきたんだ。
でも……結局それでも、どうしようもなくて――。
「――あ! そうだ、それなら……!
協力してもらうって、どうかなっ?」
ふとした閃き――妙案だと思えたそれを、早速提案してみると……。
腕を組んだお父さんは、小さく首を傾げる。
「……協力?」
「うん、そう!
シルキーベルたち……はスタンス的にムリかもだけど、ほら、クローリヒトたちなら!
クローナハトって、確か、お父さんのメガリエントのものとはまた違う魔法を使ってたし――魔法も得意そうだったし。
別の世界の魔法の達人が協力すれば、何か新しい方法が見出せるんじゃないかな、って……!」
「なるほどな……」
……これはホントに名案じゃないか、って思えた。
そうして協力して、〈世壊呪〉を犠牲にせず、〈庭園〉も維持出来る方法が見つかれば……少なくとも、赤宮センパイとは戦う必要もなくなるんだから。
ううん、それだけじゃなく……。
それだけの協力が出来るなら、〈世壊呪〉も、ただそのチカラだけを無力化する手段を見出せるかも知れないわけで……。
そうすれば、シルキーベルたちとだってムリに争うこともないんだ。
でも――。
内心盛り上がるわたしを他所に、お父さんが下した決断は……。
「だが……それは不可能だ、鳴」
――『否』だった。
「……どうしてっ!?
お父さんだって、犠牲は出したくないんでしょっ?」
「もちろんだ。だがね……そう簡単なものじゃないんだよ。
……そもそも、彼らが協力してくれるかがまず分からないが……。
たとえ快く力を貸してくれたところで、他世界の魔法を上手く組み合わせるなんてまさに前代未聞、そもそも出来るかどうかすら不明なレベルのことだ。
そして、よしんばそれが可能なことだったとしても、だ。
そのためには、互いの魔法――特にその本質を、深く理解する必要があるだろう。
だが当然、それには少なくない時間も必要で……。
仮にその道の先に、我らが完全に望む形での『合成魔法』があるとしても――とても、〈庭園〉の崩壊までに間に合わないだろう」
「……そんな……」
食い下がるわたしに、お父さんが出した結論は……非情なものだった。
でもそれは同時に、とても冷静で――理に適ったものでもあったから。
わたしは……何を反論することも出来なかった。
……きっかけとしては思い付きでも、良い案だと思ったのに……。
「……まあ、そうだな……万が一にも、だ。
万が一にも、異なる世界の魔法同士を掛け合わせる――そんな途方もないことを本気で研究する者がいて、その下地となる理論でも完成していたなら……。
そして、クローリヒト君たちが、その理論を持ち合わせていたりするなら……あるいはまた、話も変わってくるだろうがね」
「そんなの……ホントに万に一つな話じゃない……」
……わたしが行ったティラティウムも、お父さんのメガリエントも、どちらも日常生活と魔法が密着してるような世界だった――なのに。
そんな世界でも、他の世界の魔法のことなんて考える人はいなかったんだから……。
お父さんは、意気込んでの提案を真っ向から否定されたわたしを、気遣ってくれたのかも知れないけど……。
正直、逆効果っていうか、追い打ちみたいなものだよ……。
「……やっぱり……そうそう上手くいくものじゃないのかな〜……」
わたしは深いタメ息混じりに……ひとまず、お店の掃除に戻った。
そしてお父さんもまた、仕込みに戻る――と思ったら、入り口の方に顔を向けていた。
わたしからは見えないけど……お客さんらしい。
ドアのベルが鳴る前にと、手早く奥に掃除道具を片付けて戻ってくる。
……小さい頃からお店の手伝いやってたお陰だろう――お客さんが来るとなると、自然と気持ちも切り替わるのが分かって。
色んな意味で……今はお客さんが来てくれて、良かったかも知れない。
そして――ベルの音と同時に、戸口に姿を見せたのは。
「いらっしゃいませ!……って、あれ、国東センパイ?」
「やあ、こんにちは、白城さん」
穏やかに、ちょっと恥ずかしそうに笑う、国東センパイだった。
……反射的に、お父さんの様子を窺うけど……。
以前一度来てくれて、ただのセンパイだって説明してあるからか――警戒感は薄め、って感じかな。
いや、あからさますぎるとわたしに怒られるから、ってだけの可能性もあるけど。
……ホント、こういう相手へのお父さん(と、黒井くん)の警戒ってば、過剰反応もいいとこだからなあ……。
わたしを思ってのことだろうし、強くは言えないけど……またちょっとクギを刺しておかないと。
そのせいでお客さんが減るようなことになったら大問題だもん。
とにかく、国東センパイは――。
カウンター席だとお父さんからの圧がツラいかも、と思って、他のお客さんもいないことだし、テーブル席に案内する。
「お一人なんですね?
今日こそ、売り上げアップのために、イタダキセンパイとかお友達をいっぱい連れてきてくれるの期待したのに~」
わたしが冗談交じりに言うと、アイスコーヒーを注文した国東センパイは、「ごめん」と苦笑しつつ頭を掻く。
そして――。
にこやかだけど、ちょっとマジメな様子で……わたしを真っ直ぐ見上げてきた。
「実は……ちょっと、白城さんに聞きたいことがあってさ。
――3日前の裕真のこと、なんだけど」




