第313話 妹のお昼寝を前に、兄貴な勇者は思いを巡らす
――今日、家に寄る用事あるから、戻ってくるん、ちょっと遅なると思う……。
昼頃、そう言い置いてドクトルさんの様子を見に病院へ向かう千紗を送り出してから――俺は。
亜里奈と2人、〈天の湯〉の手伝いに精を出していた。
ハイリアは今日も早いうちから古書店へ行ってるし、アガシーも武尊たちを伴って、ドクトルさんが救急車に運ばれることになった場所を調べに行ってるしで……。
なんだか久しぶりに、俺と亜里奈の2人だけで、〈天の湯〉と家事の手伝いを回すことになった形だ。
――と言うかむしろ、この状態の方が、これまでずっと続けてきたスタイルなわけだけど……もうすっかり、アガシーとハイリアが一緒に手伝いをすることに慣れきってしまったのか――。
ただ元に戻っただけのはずなのに、妙に仕事量が増えたような……そんな気がしてしまう。
……だからか、特別忙しかった、ってわけでもないのに……なんか、いつもより疲れたような感じになって。
やるべきことを済ませた後、兄妹二人、居間でお菓子を摘まみつつちょっとゆったりしていたら――。
いつの間にか亜里奈は、ソファに座ったまま寝入っていた。
「……おーい亜里奈、カゼ引くぞー?」
声を掛けても反応は無く……それどころか、体勢がずるずると横向きに崩れてきて――。
「……ったく、しょうがねーな」
そのままだと、ソファの肘掛けで頭を打つか、身体が流れる勢いで先に目を覚ますか……。
腰を上げた俺は、そんな状態にあった亜里奈を起こさないよう、そっと支えて……そのまま、近くのクッションを敷いて枕にし、ソファの上で横になるよう寝かしつける。
そうしてから最後に、棚の中にしまってあった薄手のブランケットを取ってきて、布団代わりに掛けてやった。
「……ふにゅ」
口元をもごもごしつつ熟睡するその姿に……ふと、亜里奈がもっと小さかった頃のことを思い出す。
……世の他の兄妹がどうかは知らないけど、亜里奈は――とにかく俺に付いて回っては、俺のすることを同じようにやりたがる子だった。
でも、5つも歳が離れてれば、ちょっとした遊びでも、小さな亜里奈にかかる負担は俺よりずっと大きくて――。
やがて疲れて、こてんと電源が落ちたみたいに寝るコイツを……外ならおんぶして運んだり、家の中ならこうして寝かしつけてやったりしたっけ。
――まあ、今現在、そのテの話を切り出したら、『恥ずかしい』とばかりに怒られるんだろうから、触れないけど。
「お前のことも、さっさと何とかしてやらないとな……」
ついでに、カゼを引かないようリモコンでクーラーを弱めてから、俺は元いた場所に戻る。
……幸いにして、まだまだ〈世壊呪〉としての影響は大したものじゃないのか――何かにうなされている、といったこともなく、亜里奈の寝顔は昔と同じように穏やかなもので。
だけど――まだ、問題が解決したわけじゃないからな……。
早く何とかしてやりたいと思うものの、その方策については今のところ、完全にハイリア頼みになってるのが歯がゆいところだ。
俺の方でも、なにか出来ることがあればいいんだが――。
「……そう言えば……」
そんなことを考えていて、ふと思いついた俺は――手の中に、ガヴァナードを召喚する。
……実際には、〈聖剣〉ではなく――〈創世の剣〉だという、このガヴァナード。
本当に『創世』の事例があるのかどうかはさておき――。
この間エクサリオと戦っているときに少しばかり触れることが出来た、コイツの『本来のチカラ』は――そんな途方もない伝承も、強ち誇張しすぎってわけでもないんじゃないかって、そう思えるぐらいのものだった。
たとえるなら、それは――『宇宙そのもの』。
この間の俺は、その『宇宙』に数え切れないほど瞬く星の中から、ほんの一握りを何とか掴み取って使った――そんな程度でしかなくて。
それぐらい、コイツの『本来のチカラ』は、途轍もなく大きなもの――と、そう感じられたんだ。
それほどの――世界創世にも至ると、そう信じられるほどのチカラなら。
あるいは、亜里奈と〈世壊呪〉を切り離すとか、そんなことも出来たりするのかも知れない――なんて、思ったんだけど……。
「……さすがに、無茶が過ぎるか……」
俺はタメ息混じりに、さっさとガヴァナードを異次元アイテム袋に送還する。
……それは、そんな芸当が出来るハズがない、って意味じゃない。
むしろ、ガヴァナードのチカラ、そのすべてを完全に扱えるのなら――決して不可能じゃないって気がするぐらいだ。
だから、問題はそこじゃなく――『チカラのすべてを完全に扱う』って点だ。
俺がなんとか扱えたのは、そのほんの触りぐらいでしかなくて――。
そうなると、それ以上のチカラを『完全に扱う』なんて、どれだけの修練が必要になるか分からない。
間違いなく、一朝一夕でどうにかなるようなものでもないだろう。
それに……だ。
そもそも、勇者だとか言ったところで、結局は人の身でしかない俺が、それほどのチカラを御していいのか――という疑問もある。
こう言っちゃなんだが、扱いきれずに暴走でもさせようものなら、それこそ〈世壊呪〉よりも、世界にとってよっぽど大きな災いになるんじゃないか、ってぐらいだから。
「とりあえずはやっぱり、仲間を信じて待て――ってことか」
……だけど、だからって任せっきりってのも、何と言うか据わりが悪いし……。
俺は俺で、こうやって何か出来ることがないか考えるのにも、意味はあるはずだ――と、信じたい。
まあとにかく、差し当たっては……やるべきことをしっかりやる、だな。
そう、亜里奈を――〈世壊呪〉を狙う連中から守り続ける。絶対にだ。
「さて……」
思索に一区切りを付け……俺は、氷も溶けてぬるくなってきていた麦茶の残りを、一気にあおる。
次に考えなきゃならないのは――これからどうしようか、って目の前の問題だ。
つまりは、ちょっと中途半端な今の時間をどう過ごすか、という。
千紗は、遅くなるかも、って言ってたし、連日晩メシの用意をしてもらうのも悪いから、今日はうちの家族で作るのがいいだろうけど……そのための買い出しに行くにも、まだ早い。
だからって、部屋に戻って俺も一寝入り……ってのは、なんか今も忙しく動いてるだろう千紗に悪いような気になるし、寝過ごすのが怖い。
となると、ちょっと時間つぶしにゲームでも――って選択肢が思い浮かぶものの、ここでうるさくして、亜里奈を起こすのも忍びない。
コイツは、特に家事なんかは俺よりずっと頑張ってるんだし……こういうときぐらい、ゆっくり寝かせてやりたいんだよなあ。
……と、いうわけで――。
「……本でも読むか……」
以前、面白そうだと買ってみたはいいけど、外国の作家の翻訳ものだから……言い回しがまどろっこしい上に文章が重たく、つい読破を断念してしまった本があるのを思い出し、俺は腰を上げる。
そして、ヘタに音を立てないよう、静かに廊下に出たところで……。
ちょうど誰かが、玄関を開けて帰ってきた。
「お? ハイリア?
……なんだ、今日は早いな?」
急いで帰ってきたらしく、玄関口で珍しく息を切らせるハイリアに尋ねるも――。
それには答えず、一度大きく深呼吸してから、手早くスニーカーを脱いで上がったハイリアは……逆に俺に、小声で「亜里奈は?」と聞き返してくる。
その様子に、ただならないものを感じた俺は、居間のドアを開けつつ中を――ソファで昼寝してる亜里奈を示した。
「……よし、ちょうどいい。
寝ているなら好都合――というものだ」
眠る亜里奈の間近に寄り、片ヒザを突きながらのハイリアのセリフに――冷たい麦茶でも注いでやろうとしていた俺は凍り付く。
「ちょ、好都合って――お前っ!?
亜里奈が寝てるのを良いことに何するつもりだ、おい!?」
「説明なら後でしてやる。
……それよりも騒ぐな、亜里奈が起きる」
マジメ――を通り越してのマジな発言に、俺は思わず言われるままに……モヤモヤした気分と一緒に口も閉じた。
そんな俺を確認する時間すら惜しいとばかりにハイリアは、改めて呼吸を整え――眠る亜里奈に手をかざす。
そして……。
傍目で見ていてもそれと分かるほど、高度に精神を集中させつつ――小声でなにごとかをつぶやく。
……合わせて、かざす手が柔らかな光を帯びた。
はっきりとは聞き取れなかったが――つぶやいたのは呪文だろう。
どうやら、感覚だけでなく、ちゃんとした魔法まで使って――念入りに、亜里奈の『状態』を検査しているみたいだ。
その真剣さに、俺も、息をするのも忘れそうになるほど、じっと見入ってしまう――が。
「…………?」
途中、ふと、外に妙な気配を感じた気がして……庭に面した窓へ向かい、サッとカーテンを引き開ける。
しかし、そこには当然のように誰もおらず――。
目に付いたのは、いきなりカーテンを開けた俺に驚いたらしく……塀の上にいた三毛のネコが、逃げるように向こう側へと飛び降りていく姿だけだった。
「……なにかあったのか?」
背後からの声に振り向けば……ハイリアが魔法による亜里奈の検査を終えたらしく、こちらを見ていた。
俺はカーテンを戻し、首を振る。
「いや……気のせいだったみたいだ。
それよりも――説明、してくれるんだよな?」
そうして、改めて尋ねると……一度うなずいてから、ハイリアはアゴで上階を示した。
詳しくは俺の部屋で、ってことらしい。
……それから――。
グラスに新しく注ぎ直した麦茶を手に、一緒に部屋に戻った俺は――ハイリアから、亜里奈の検査についての説明を受けた。
ハイリアが言うには――。
これまで、自分たちは亜里奈の『魔力の器』の、その規格外の大きさを計り損ねており……。
それにより、相対的に流れ込む『闇のチカラ』を実際より過小に捉えてしまい、結果として亜里奈の状態を見誤っていたのではないか――。
その可能性に気付いたからこそ、改めて、魔法による精査をしてみたらしい。
「で……実際、どうだったんだ?」
俺の問いに、さすがに喉が渇いていたのだろう、麦茶を一度大きく傾けたハイリアは……渋面を作ったまま、口を開く。
「そうだな……結論から言えば、余の推測は間違っていなかった。
亜里奈の『魔力の器』は、予想を遙かに上回るものに成長していたし……それによって、流れ込むチカラがか細く見えたものの……むしろ以前より、総量としては増えていたと言えるだろう。
――まさしく、余の失態というものだ……すまぬ」
あぐらをかいたまま、小さく頭を下げるハイリア。
……こんな形でも、コイツがこうも素直に頭を下げるぐらいだ……よっぽど気にしてるんだろう。
「いや、そこは同じく気付けなかった俺にだって責任はあるさ……お前だけが謝ることじゃないって。
むしろ、良く今のうちに気付いてくれたよ。
……だって、亜里奈の様子を見る限り、まだ〈世壊呪〉の影響が出てる感じじゃないんだ――対策を立てる余裕すらない、ってほどでもないだろ?」
「……そのことなのだが……」
ハイリアは、眉間にシワを寄せたまま……さらに、困惑したような顔をする。
「確かに、今はまだ亜里奈という『表』にまで影響が出るほどではないようだ。
それ自体は幸いと言っていいことだが……奇妙に思えることが一つあってな。
亜里奈に流れ込むチカラが、見誤っていたこれまでの計算よりも『大きい』のは事実なのだが――こうして改めて『魔力の器』の大きさを正確に捉えてみると、むしろそれは思った以上に『小さい』のだ。
そのこと自体は、決して悪いことではないが……」
「それって……以前、グライファンが流れ込むチカラを奪い取っていた――みたいなことか? 誰かが横から掠め取っている……?」
「……まだ何とも言えん。
そもそも〈世壊呪〉自体、まだ分からぬことだらけなのだからな。
それに、状況としては確かにグライファンのときに似ているかも知れんが……アレは勇者、キサマに破壊されたはずだ。
……あるいは、亜里奈が無意識のうちにチカラを制御出来るようになっている――という希望的観測も出来るが……」
そんな風に言うハイリアの表情は、けれどいぜん険しい。
そして――それはきっと、俺も同じはずだった。
いや、口には出さないが、思っていることもきっと同じだろう――。
「とにかく……だ。
今のところ、まだ亜里奈に影響が出たりするようなことはなさそうだが……引き続き注意はしておく必要があるだろう」
「ああ……そうだな」
……うなずき合う俺たち。
そう――状況が思ったより悪化していないのは、むしろ良いことのはずなのに。
俺たちはきっと、同じことを思っているんだ――。
なにか……妙な胸騒ぎがする――――と。




