第29話 腕相撲大戦――その激闘の軌跡
――腕相撲大会……。
それだけを聞けば、普通に教室でもやるような、休憩時間の他愛ない遊びに思えるものの……。
ドクトルさんがジムの人に部屋に運び込ませたのは、アームレスリングの大会で使われているような、本格的な競技台で――ただの遊びではないという本気度が窺えた。
もちろん、こちらも望むところってヤツである。
ドクトルさん、あなたに俺の男気をしっかりと見せつけて――。
そして俺は、鈴守のちょ~っとだけ恥ずかしい写真とやらをしっかりと見せてもらうぜ!
《うっわ、鼻息荒いわー、ヒきますわー……》
(なんだよアガシー、お前も見たいとか言ってたろうが。
――っていうか、なんでいつもみたいに『恥ずかしい写真……グヘヘ』とか下品なこと言わないんだよ?)
《いや、興味はありますけどね?
ほら、わたし的にドストライクなのは、もうちょっと小さい女の子ですしー》
(こんなときに、そのややこしい好みをキッパリとカミングアウトされてもなー……)
アガシーの発言に、思わずやる気が吸い取られそうになるのを堪え……長机をどかして部屋の中央に据えられた競技台を見やる。
そこでは、今まさに――。
鈴守、おキヌさん、沢口さんの三人VSドクトルさんの、女子頂上決戦が行われるところだった……!
「おばあちゃん……世夢庵の抹茶プリン、ホンマやんな……?
もしウソやったら、今日の晩ご飯は、白いご飯をおかずに白いご飯食べてもらうで……?」
鈴守が、なんか低い声でスゴいこと言ってるな……。
いや、っていうかあの目、あれは肉食獣の目だ――狙うエモノはスイーツだけど。
うむ、しかし……。
大好物のスイーツに、文字通り目の色を変えるその姿もまたカワイイ……アリだな!
「フン……そんなセコいウソ、吐きゃしないさ。
それに白メシで白メシ、上等じゃないか――こちとら大和撫子、米が食えりゃあ、それで充分幸せってモンだよ」
ハンデとしての三人分の両手――合計六つの手に右手一つを握られながら、余裕の表情で応えるドクトルさん。
その重なり合った七つの手に、審判役になった衛も手を添える。
そして――。
「じゃ、行くよー?
レディー…………ゴーッ!」
戦いの火蓋が切られた。
ほぼ同時、最速で最大の力を込めたのは――やはり鈴守とドクトルさんだった。
常人ならいざ知らず、俺なら見ていて分かる――。
二人とも、びっくりするほど見事な反応だ。
はっきり言って、おキヌさんと沢口さんは置いてけぼり――祖母と孫娘、どちらかがほんのわずかでも反応が遅れていたら、状況は大きく傾いていただろう。
つまり、今のところ互角。
遅れて参戦するおキヌさんと沢口さんが、顔を真っ赤にして力を込めるも、右手一本のドクトルさんは、しばらく中心から動かなかったが――。
ジワジワと、右側にその角度を落としていき……。
やがて――ペタンと、そのまま手の甲を台の上に軟着陸させた。
「いやぁ〜……さすがにこの歳で、三人同時はキツいねえ……。
お見事、アンタたちの勝ちだよ、良く頑張った!」
「いやっほー! エメソーげっとだぜーい!」
はしゃぐおキヌさんと沢口さん。
一方、鈴守は苦笑というか……複雑そうな表情だ。
まあ、明らかに手加減――どころか、ワザと負けたもんな、ドクトルさん。
スイーツゲットのためなら、別にそれでいい気もするんだが……まあ、鈴守って控えめではあるけれど、案外、勝負にこだわるというか、負けず嫌いなところもあるからなあ。
……いやぁ、そんなところもまた俺にとってはカワイイんだけど。
「さーて、それじゃ……次は男子諸君、代表者を決めてもらおうか?」
三人同時の激戦後にもかかわらず、涼しい顔をしたドクトルさんに呼ばれ……俺たち男子三人は、競技台の前に集まる。
「ふっふーん、鈴守のちょ~っと恥ずかしい写真か……見逃す手は無いよな!」
――知らぬコトとはいえ、彼氏を前によく言ったイタダキ。死なす。
「写真についてはどっちでもいいけど……ま、せっかくのお遊びだしね!」
――うむ、さすが衛、お前いいヤツだよな……でも泣かす。
「ううぅ〜……っ!」
……な、なんか、背後、鈴守がいるはずの方向から、すっごい恨みがましい唸り声と視線を感じるんだけど……。
しかしスマン鈴守!
男には、戦わねばならないときがあるんだよ……!
――代表決定戦は、負けたヤツから脱落ということで、ジャンケンの結果、まずは俺とイタダキが勝負すると決まり……。
競技台に乗せた右手をつかみ合う。
「ふふん、ザンネンだったな裕真……!
ちょ~っと恥ずかしい写真とか聞けば、ムッツリなお前も興味があるのは分かるが……なんせオレは頂点に立つオトコ!
ゆえに、こんな他愛ない勝負でも負けるわけには――」
「死なす」
――ゴっヅン。
「ぐおお〜っ!?
み、右手が、ギリギリ有り得る角度でヘンな方向にぃ〜っ!?」
ぷらーんとなった右手をフリフリ、退場するイタダキ。
代わって、それを見て笑顔を引きつらせた衛が、競技台に右腕を乗せる。
「ゆ、裕真、まあ、もうちょっと楽しく行こうよ?
ね、ほら、お遊びなんだしさ――」
「泣かす」
――ゴっヂン。
「びゃああ〜っ!?
み、右手が、そろそろヤバい角度でヘンな方向に〜っ!?」
だらーんとなった右手をフリフリ、退場する衛。
「え、ええ~……?
赤宮くんってば、こんなパワータイプだったっけ?
なんか、世紀末に君臨しそうなオーラが見える――ような気がしなくもないんだけど」
「そりゃアレだよ、ウタちゃん、愛だよ愛。愛の成せるワザなのさ!
そうさ、らぶいずおーばー……!」
「……おキヌちゃん、それやと終わってるから……!」
一方、後ろで女子の皆さんが騒いでいる。
ちなみに、『ウタちゃん』とは沢口さんのことだ。下の名前が唄音なので。
……っていうかおキヌさん、この場で大声で『愛』とか言わないでおくれよ、イタダキたちが聞いたら――って、大丈夫か。
ヤツらは己の右手の無事を確かめるのに必死だ。聞こえてない。
「いやはや……二人とも、特別弱いって感じでもなかったのに、瞬殺とはねえ――」
不敵な笑みを浮かべながら……ついに、ラスボスが競技台に上った。
「思った以上に楽しませてくれそうじゃないか……赤宮くん?」
そう言って右腕を台に乗せたドクトルさんと、俺は右手を組み合わせる。
――それだけで分かる。
当然だろうが、この人……とんでもなく強いな。
これで60前とか、マジで信じられん。
鬼人族の族長クラスですら、相手になるかどうか……。
「君も両手を使ってくれて構わないぞ。――ハンデだ」
ドクトルさんが当たり前のように言うが、俺は右手を握り直すだけ。
……そして、こちらも不敵に笑ってみせる。
「いくら何でもおばあさん相手に両手じゃ、カッコつかないっすよ」
あー……つい、言っちまった。
強敵相手ってんで、俺も、写真とか関係なく昂ぶってきてるらしい。
もしかしたら怒るかなー……と思いきや、ドクトルさんは心底楽しそうに笑った。
「いや、失礼な申し出だったようだな。
――よし、千紗、審判を!」
呼ばれた鈴守が、複雑な表情で、俺たちの組み合った右手に手を添える。
そして――何かを言いたそうにしたけど、結局何も言わず。
審判として堂々と、俺たちに勝負の開始を告げた――。