第306話 二日酔いな狼はとにかくサッパリとしたいので
――はっきり言って、オレは酒はキライだし弱い。
オレが〈人狼〉で、普通の人間よりはるかに鼻が利くから――ってのが関係あるかどうかは知らねえが……。
とにかく、あんなモン美味いとはまったく思えねえし、だから当然、わざわざ自分から飲むことなんざない。
だが……そんなオレでも、たまには、他のヤツが飲むのに付き合ってやろう――ってときもあるわけで。
昨日の夜、オグの野郎の様子を見に行ったら、ちょうど昔の舎弟どもが何人か集まってやがって……流れで、酒盛りに付き合うことになっちまったんだが――。
「……やっぱ、テキトーな理由付けてやめとくンだったぜ……」
まだ朝だってのに、ギラギラとクソ暑い日射しの下――。
オレは胸焼けを堪えつつ、バイクを押して徒歩で家路についていた。
……いわゆる二日酔いってやつだ。
さすがに、オグんトコで目ェ覚ましたときよりは、こうして歩いてる間にマシにはなってきたものの……。
それでも、まるでイヤがらせみてぇなセミの大合唱は、容赦なく、ガンガンする頭にブッ刺さりやがって……ぶっちゃけ、イテえ。
バイクをカッ飛ばしゃあ、もう少しは気分も良くなりそうなモンだが……明らかに酒が残ってンのに、乗るわけにもいかねえからな……。
「……ったく……もう金輪際、酒なんざ飲まねえからな……。
やっぱ、濃いめのケルピスがありゃ充分じゃねーか……クソが」
げんなりしながら、悪態を吐きながら、もたれかかるようにバイクを押していたオレが……クソ暑い太陽にも文句を言いたいような気になって、ふと空に向かって視線を上げると……あるものが目についた。
――煙突だ……銭湯の。
続けて、一つの考えが思い浮かび……。
オレは、すぐさまそれを実行することにした。
……朝風呂でサッパリして、アルコールも抜いちまおう……。
我ながら妙案だと思いつつ、煙突のある方へと向かう。
やがて、オレの前に現れたのは……なかなかに歴史がありそうな佇まいをした、だが結構ちゃんと小綺麗にもしてあって雰囲気も良い――いわゆる大衆浴場だった。
「……〈天の湯〉……?
なんか、どっかで聞いたような……」
風呂屋の屋号に首を捻りつつ、バイクを駐車場に置いて、さっさと暖簾をくぐる。
「あ、いーらっしゃいまーせーっ!」
途端、出迎えたのは……やたらと元気の良い声。
まるでガキみてえな声だな、と思いつつ目を上げれば――番台に座ってるのは、ホントに小学校高学年ぐらいのガキだった。
それも金髪碧眼、明らかな外人の。
一瞬、何の冗談かとも思ったが……周囲の、待合で涼んでたりする他の客が何も言わねえところを見ると、ガキが勝手に遊んでるってわけでもないらしい。
なら、この銭湯はそういうモンなんだろうと割り切って、番台に近付く。
そうして、サイフを取り出しながら……。
「あー……っと。そういや、最近銭湯なんざ来てなかったしな……。
――悪ィな、今いくらになってる?」
「はーい、大人お一人サマ、今なら特別に450億円でっす!」
「いやお前、関西のオバチャンみてーな返ししてんなよ……」
ウザいぐらいのハイテンションで返してくる番台の金髪ポニーテール嬢ちゃんに、500円玉を渡す。
……つーか、コイツ……。
普段から『顔が怖い』とか言われてて、しかも二日酔いでそれにブーストがかかってる状態の今のオレを相手に、よくもまあ物怖じしねえな。
もともとの胆力か、仕事だからかは知らねえが……どっちにしろ大したモンだ。
「ありがとーございまーす! じゃ、おつりの50億円でーす!」
「そりゃもういいっつの」
なぜかやたらと恭しく差し出された、釣りの50円玉を受け取りながら……そこでふっと、頭に記憶が閃く。
……ああ、そうだ、〈天の湯〉っつったら……。
「あー、そうか……。
なんか記憶に引っかかると思ったら、ここ、赤宮裕真の……」
「おおぅ?
なんです、お酒クセーおにーさん、うちの兄サマのお知り合いですか?」
何気なくこぼした独り言に、金髪の嬢ちゃんが素早く食いついてきた。
……つーか、『酒クセェ』って……客相手に遠慮のねえヤツだな。
いや、実際そうだろうけどよ。
「あ〜……まあ、ちょっとな。
で、兄サマ――ってことは、お前は赤宮の妹か?」
聞きながら、前にお嬢が赤宮について、『フランスから来た再従兄妹が一緒に暮らしてる』とか話してたことを思い出す。
「ふふふ……そのとーり!
このパーフェクツ美少女なJSこそ、兄サマの第二の妹、赤宮シオンであります!
階級は軍曹! どうぞ、親しみを込めてアガシーとお呼び下さい、シャー!」
「いや、そこはサーだろ……シャーってなんだ、ネコか」
とりあえず、ウザいってことだけは間違いないと分かる嬢ちゃん――アガシーの敬礼に、オレは二日酔いで痛む頭を押さえつつ、最低限のツッコミだけを入れておく。
あ〜……でも、案外コイツみたいなのは、質草のヤローとだと話が合ったりするかもな……。
「で、お酒クセーおにーさんはどちらさま……って、あ〜……なるほど!
おにーさんが、この間兄サマがお世話になったっていう、クロイーさん、ですね?」
「ああ? 酒クセェってのはもういいだろうがよ……それとアサイーみたいに言うな。
――いや、つーか、オレは確かに黒井だが……良く分かったな?」
「そりゃもう。そんなの持ってるわけですし?」
言って、アガシーのヤツが指差したのは……オレが脇に挟んでたメットだ。
「兄サマの知り合いで、バイク乗れるような人……それも、お酒飲める大人ってなると限定されますからねー。
で、大体はこのご町内の人で……そうなると、わたしを知らないってことはそうそうありませんので!」
……なるほどな。
ただただ、テンション高くてウザいだけかと思いきや……案外頭が回るんじゃねーか。
「さて、兄サマがお世話になったとあれば、何もおもてなししないわけにもいきませんし……。
そーですね、酔いを覚ますには牛乳がいいとか、聞いたような聞かないような気もしますので……お風呂上がりに、フルーツ牛乳を特別配給させていただきますですよ!」
そう言って、アガシーはやたら元気よく……オレに再度敬礼を向けてきた。
――かぽーん……。
「……ふぃ〜……」
デカい湯船に、ゆったりと浸かれば……。
疲れが溶けだしてくような感覚に、自然とそんな声も漏れるってモンだ。
あ〜……。
たまにゃいいモンだな、銭湯ってのも。
まあ……まさか、ちょうど赤宮ンところの銭湯に行き着くとは思わなかったが……。
「……フルーツ牛乳か……」
そうして気を抜きながら、あの、アガシーって番台やってた嬢ちゃんの言葉を思い出せば、自然と喉も鳴る。
風呂上がりのアレが、また格別にうめえンだよな……。
オレにとっちゃ、それこそ酒なんぞよりよっぽど。
もちろん、あんな風に言われたからっつって、おごられるつもりはねえ。
店のモンだから、アガシーがカネを出すわけじゃねえだろうが……さすがに、形だけだろうとガキにおごられるのもカッコが付かねえからだ。
たかだか100円やそこらの話だが、まあ、ケジメってやつだな。
もっとも、そもそも赤宮のヤツが、この間同じようなことを言ってた気もすっが……。
ま、その分は、また今度来たとき、赤宮本人に会ったら請求すりゃいいだろ。
……しっかし、酒盛りで二日酔いになって、むしろフルーツ牛乳を楽しみにするとか――質草のヤローに知れたら、またムカつくこと言い出しやがりそうだな。
「…………」
質草のことを思い出したせいで、そこから連想しちまったンだろう――。
こうして風呂でゆっくりしてるお陰か、頭痛も治まってスッキリし出した脳裏に思い浮かぶのは……様子見ついでに、オグのヤローに尋ねた事柄の内容だ。
その切っ掛けが、まさしく質草の言葉だった。
昨日、〈常春〉で顔を合わせたときに、ヤツは言ったわけだ――。
『あの魔剣のカケラって……アレだけ、なんですかね?』……ってな。
……なにせ、モノが『カケラ』だ。
もしかしたら、他にも魔剣のチカラが残ってるようなカケラが転がってンじゃないか――と、ヤツはそう危惧したわけだ。
いくら何でも、あれぐらいのチカラがあったら、今日まで周囲に何の影響も無いってのもなさそうな話だ、さすがに杞憂だろうとは思ったものの……。
万が一ってこともあるからな、オグや集まった元舎弟どもに、あの魔剣のカケラのようなものを他に見なかったか、聞いてみたんだが……。
――結果は、まったくの空振りだった。
誰も、見たことも聞いたこともねえ、とぬかす。
実際、『匂い』からして、隠し持ってるようなヤツもいなかった。
しかし、だからって『存在しない』のとイコールじゃねえからな……。
いずれまた折りを見て、あの小学校の周囲を流してみた方がいいかも知れねえ。
もしそこらに落ちてるようなら、『匂い』で分かるだろうしな――。
「……って、それじゃオレばっか働くことになるじゃねえか……。
言い出した質草のヤローも駆り出さにゃ、ワリに合わねえよな……」
タメ息吐きつつ、湯船から出て……。
頭でも洗おうと洗い場の椅子に腰掛け、備え付けのシャンプーのヘッドを押すも――手応えが無い。
「……あん? 空か……」
まあ、そういうときもあるか――と、他の所に移動しようとした瞬間。
「あ、デカいにーちゃん、そこ、シャンプーねーの?
――凛太郎!」
「ん。コレ」
オレの隣の洗い場で頭を洗っていた、小学生らしいボウズが、さらに隣のボウズに呼びかけ――。
あっという間に、洗い場の棚の上を――中身の詰まったシャンプーの容器が滑って、オレの前へとやって来る。
「お、おう……悪ィなボウズ、ありがとよ」
「いいっていいって!
――あ、軍曹に『シャンプー無くなってた』って言っとかないとなー」
そうして、オレが礼を言う間にも、手早く頭の泡を洗い流していたボウズは……。
「っし! じゃ、行こーぜ凛太郎!
軍曹からばーさんの話聞いたら、早速捜査開始だかんな!」
「ん」
なんか張り切ってそんなことを言いつつ、ツレらしいもう1人のボウズと一緒に、さっさと浴場を出て行った。
「……あわただしいヤツらだな」
その様子に、つい苦笑しつつ……。
今のボウズどももオレにビビらなかったし、ここいらの小学生ってのは案外タフなのが多いな、とか思いながら――。
オレは改めて、ボウズに運んでもらったシャンプーを手に取るのだった。