第305話 勇者と魔法少女は、いかんせん、近くて遠い
――8月8日、朝。
俺にしちゃ珍しく、亜里奈や母さんに起こされるまでもなく、わりと早くに起きた今日だけど……。
そういうときに限って、〈天の湯〉の手伝いとか、特に急いでこなすべき仕事も無くて。
ただ、とある理由で出かけるわけにもいかなかったので、朝メシは後回しに、身支度だけを済ませた俺は、他の家族が仕事や用事に出向くのを見送り……。
で、夏休みだからって、さすがに今からゲームにどっぷり――ってわけにもいかないし、まあ、順当に宿題でもやっとくかと思って……。
部屋から持ってきた筆記用具やら問題集やらを、リビングのテーブルに広げていた――そんな10時頃。
――バタンッ! パタパタパタッ!
勢いよくドアを開ける音に続いて、廊下を素足で動き回る音がした。
それで事情を察した俺が、ソファから腰を上げるのと――。
リビングのドアが、これまた勢いよく開かれたのは、ほぼ同時。
そしてもちろん、そこに立っていたのは……。
「あああ、ゆゆゆ、裕真くん――っ!」
パジャマ代わりのラフなジャージ姿に、サラサラのおかっぱ頭を寝グセでところどころ跳ねさせ、目はグルグルで……。
どっからどう見ても寝起きモードな上に、あわあわと慌てまくりな――そしてそんないつもとのギャップが何とも可愛らしい、千紗だった。
……そう、これが、俺が家に残っていた理由。
赤宮家の朝のバタバタ(主にアガシーによる)を聞いてなお起きないほどに熟睡していた千紗を、一人で放っておくわけにはいかなかった――ってわけだ。
「ごご、ゴメンっ! ウチ、完全に寝坊してもうて……!
もっと早くに起きて、朝ごはんの準備とかも手伝うつもりやったのに……!
居候の身で、こんな時間に起きてくるやなんて〜……!」
ずーん、って音が聞こえてきそうなぐらいのヘコみっぷりで、頭を抱える千紗。
しっかり者の彼女のそんな珍しい姿に、ついついほっこりしちゃって、ずーっと愛でていたくなる俺だったけど……。
さすがに可哀想だし、努めて陽気に笑いながら声を掛ける。
「大丈夫だって。うちの誰も気にしちゃいないから。
……っていうかさ、むしろみんな、千紗がぐっすり眠れてるみたいで良かった――ってホッとしてたんだよ。
だって、一昨日の夜から昨日と、すごく大変で……千紗、疲れてて当然なんだしさ。
こうしてうちに来てくれたはいいけど、やっぱり気が休まらなくて、ロクに眠れなかったりしたらどうしようか……って、ちょっと心配もしてたから。
だから――ホント良かった」
「裕真くん……」
「オマケに――。
千紗の寝坊だなんて、レアなイベントも拝めたわけだし?」
そこで俺が、ちょいと意地悪く笑ってみたりすると……。
「――――っ!
うう〜っ……! 裕真くんが意地悪や……!」
千紗は恥ずかしそうなうつむき加減に、唇を噛みつつ、上目遣いに恨みがましく俺をニラんでくる――って!
「うぐ……っ!」
……なにこれ、すっげえカワイイんだけど……! 反則か!
――あああ、いやいや、いかんいかん……!
落ち着け、赤宮裕真……!
朝っぱらからガチでデレデレしてたら、マジに幻滅されかねんぞ……!
このままではダメだ――と、心を静めるのにも、コホン、と咳払いを一つ。
うん、とにかく状況を動かそう……そうしよう。
「ま、まあ、とにかく、朝メシにしよう!
……ってことで、俺が準備しとくからさ、その間に朝の支度をしてきなよ!」
……そうして、居候なのにと遠慮する千紗の背を押し、気にせず身支度してもらう間に、俺が準備した今日の朝メシは――。
昨日の晩メシで、千紗がイタリア風だったり韓国風だったりと多国籍な変わり種お好み焼きを出してくれたから、ってわけでもないけど……。
純和風に――焼き鮭、ほうれん草のおひたし、自家製温泉タマゴ、ダイコンとキャベツの味噌汁、そして白ゴハン……という、至って普通な献立だ。
まあ、そうは言っても、俺が朝食当番だったわけじゃないから、すでに出来上がってるのを温め直したりしただけだけど。
やがて……。
服装はまだそのままながら、顔を洗ったり、歯を磨いたり、寝グセを直したりしてきて……さっきよりもこざっぱりとした感じの千紗が戻ってくる。
いやまあ、こざっぱりとはしてるものの……やっぱり寝坊したのが尾を引いているのか、なんとなくバツが悪そうだ。
あの寝グセ頭の千紗も、微笑ましいというか、かわいらしかったんだけど……それを言うとさらにヘコんだりしそうだから、さすがに黙っておく。
「……にしても、身支度、結構早かったね。
もしかして、焦らせちゃったりしたかな」
俺の指示通り、大人しく食卓に着いた千紗の前と、その向かいの俺の席に、準備した朝メシを並べながらなんとなく尋ねると……。
千紗は、「そんなことないよ!」と慌てて首を横に振った。
「そう? ならいいんだけど……亜里奈より早いぐらいだったからさ。
女の子、それも高校生になるともっとかかるんじゃないかなー、って思っちゃって」
「あ、うん、まあ……時間かける子はかけるんやろけど……ウチその辺、もともとあんまりやし……。
――亜里奈ちゃんの場合は……やっぱり、髪の毛長いからかな?」
「うーん……アイツの場合、単純な長さよりも、あのクセっ毛のせいじゃないかなあ。
たまにアレのせいで、ヒドい寝グセがついてたりして……またそれがなかなか直らない強情なヤツだったりしたときは、迂闊に声を掛けられないぐらいに機嫌悪くなったりするし」
……いやー、今思い出しても、あのときの亜里奈は怖かったなあ……負のオーラ全開でムスッとしてて。
俺がドライヤーも使って丁寧に直してやったら、なんとか機嫌も直ってくれたから良かったものの……。
「そうなんや……。
亜里奈ちゃんのあのクセっ毛、ウチは可愛らしいと思うねんけどなあ……」
「俺もそう言うんだけど……どうしても、本人は気に入らないらしくて。
まあ、誰だって自分なりのこだわりがある――ってことかなあ」
苦笑混じりに答えて、朝メシの用意が済んだ俺も席に着く。
「あ、朝の支度と言えばさ――アガシーはすっげー早いよ?
歯磨きをシャカシャカシャカー!
顔をバシャバシャバシャー!
……って、擬音だけで終わりなぐらい」
「え? なにそれ……っ。
なんか、アガシーちゃんらしいて言うか……!」
俺のオーバーなアクションを交えたおどけた物言いに、千紗はくすりと笑う。
……まあ、アガシーのことは冗談とかじゃなく、わりとありのままの事実なんだけど……。
まだちょっと寝坊を気にしてる風だった千紗の気持ちをほぐすには、いい話題だったみたいだ。
ちなみにアガシーの髪の毛については、本人はまるで手入れとか気にしておらず……見かねて櫛を入れてやるのが、半ば亜里奈の日課となっている。
まるで飼い犬のブラッシングだ。
まあ、聖霊的髪質ってやつなのか……それだけであっさりと、あのいつものサラサラヘアーに整っちまうらしいけど。
「……と、いうわけで……。
そんなアガシーが作ったのが、今日のこの朝メシね」
「え――そうなん!? てっきり、亜里奈ちゃんか真里子さんやと思ってた……。
アガシーちゃんも、お手伝いぐらいはする――て聞いてたけど、ゼンゼンちゃんとお料理出来るんやん……! スゴいなあ……!」
まあ、この献立だと、特別手間のかかるようなものはないんだけど……。
でも、アガシーがこれまでちゃんと、家の手伝いの一環として料理を勉強してきたのは事実だから。
千紗にこんな風に感心してもらえると、なんだか俺としても嬉しく――。
「…………」
……って。
今一瞬、俺の味噌汁のお椀に、あるべきでない『何か』が見えたような……。
「? どうしたん、裕真くん?」
「……あ、いや、なんでもないよ。
それより、冷めないうちに食べちまおう!」
あわてて笑顔を作って千紗を促し、一緒に「いただきます」してから。
改めて、ダイコンとキャベツの味噌汁を軽くかき混ぜてみれば――。
「……あんにゃろ〜……」
箸に引っかかったのは……他のちゃんと細く切られたものとは違う、深海に潜む邪神めいた存在を象った、禍々しいダイコン――。
……いやコレ、ダイコンじゃなくてダゴンさんじゃねーかッ! またか!
思い切り、そう言葉にしてツッコミたくなるのをガマンして……。
俺は早々にそいつを口に放り込み、千紗には笑顔を向けたまま、噛み砕くのだった。
――で、幸いにも、一番初めに見つけたヤツ以外、特に邪神めいた食材は潜んでなかったようで……。
「あ〜……おいしかった……! ごちそうさまでした……!」
「ごちそーさま」
俺と千紗は平和に談笑しつつ朝食を終え、揃って手を合わせた。
……実際、あのイヤがらせめいた邪神ダイコンさえなければ……アガシーの味噌汁も、本当に美味くなったと思う。
もうすっかり、赤宮家の味ってやつだ。
「でも……ありがとうね、裕真くん」
で、食後、麦茶で一息つく中。
唐突に千紗にお礼を言われたので、なにかと思ったら……。
「ウチに合わせるために、朝ゴハン、ガマンしてくれてたんやんな?」
「あ〜……ん、まあ――うん」
俺は湯呑みの冷たい麦茶をすすり、改めて指摘されたことで、ちょっと気恥ずかしくなりつつ……うなずく。
「そりゃあさ、だって……1人でメシ食うとか、やっぱり味気ないもんな」
「うん……ホンマ、ありがとうね。
裕真くんにしたら、大したことやないんかも知れへんけど……すごい、嬉しかった」
うん……そう、気遣いだなんて、そんな大したものじゃないけど。
そうやって喜んでもらえると……素直に、嬉しい。
そして、そんな風に朗らかに笑う千紗は――。
起き抜けの表情を見たときから感じてたけど、やっぱりっていうか……昨日よりも、そう――いい顔、になってる気がした。
「……うん――良かった」
「え? なにが?」
思わずこぼした一言に反応して、怪訝そうに首を傾げた千紗に……俺は改めて、『いい顔』のことを話して聞かせる。
すると――千紗は。
俺が心を奪われた……強い意志を湛えた真っ直ぐな瞳で、俺を真っ向から見つめて。
小さく――でも、しっかりとうなずいた。
「……うん。
おばあちゃんのことは、やっぱりショックやけど……。
でも、こうやって色んな人たちに助けてもろて――ほんで、ウチには、まだやれること、やらなあかんことがあるって、分かったから。
ウジウジしててもしょうがないって、思い直せたから。
――あ! そ、その、そんなん言うときながらいきなり寝坊とか、恥ずかしい限りなんやけど……」
最終的には、また寝坊って失態に戻ってきて、ちょっとしょげたものの。
その言葉に込められた意志や決意ってものは、充分に伝わってきて――。
「……そっか――」
――やっぱり、強いな……千紗、キミは本当に。
そんなキミだから……俺も、どうしようもなく好きになったんだよな――。
「……うん、分かった。
俺も、当たり前っちゃ当たり前だし、今さらっちゃ今さらだけど――。
千紗のやるべきことのために、協力するから」
「裕真くん――。
うん、ありがとう……!」
やっぱり……千紗に俺の正体について話したりするのは、二の次だな。
今はまず、こうして前を向いて頑張ろうとしている千紗を支えて――力になって。
同時に――ハイリアたちとともに、ドクトルさんを助ける道を探り出して。
そうして、すべてが、いい形におさまって――それから、だよな。
俺のことを知ってもらうとか、そんな個人的な問題を片付けるのは……。
千紗が向けてくれる、眩しい笑顔に笑い返しながら――俺は。
改めて、そう心を決めていた。