第294話 勇者と魔王は、美魔女の眠りに何を思うか
――千紗と母さんを、病院から送り出したあと……。
「病室には、あたしとアガシーがいるから。
お兄もちょっと、お外の空気でも吸って一息ついてきたら?」
……きっと俺も、自分で思う以上に疲れた顔をしていたんだろう。
そんな風に亜里奈に、『少し休憩してこい』と促されて――俺は。
ついでに、多分、俺が1人で色々考えて気が滅入ったりしないようにって配慮からだろう……亜里奈がお目付役を頼んだハイリアと――。
途中、自販機で買ったジンジャーエールを手に、病院中庭へやって来て……ちゃんと屋根まで備えられた小綺麗なベンチに、2人並んで腰掛けていた。
――空を見れば、まだ朝も早い時間なのに……もう太陽はギラギラと、イヤミなほどの強さで照り付けている。
それとも……ことさら眩しく暑く感じるのは、ほぼ徹夜で睡眠不足なせいだろうか。
ついでに言えば、いつもなら心地良いぐらいのジンジャーエールの炭酸も――今日ばかりは、少し痛いように感じた。
「……どうした、勇者? ペットボトルをジッと見つめて」
「いや……何でもない」
……俺が感傷的になってどうする、と小さく首を振り、隣を見れば――。
いつもの和装じゃなく、俺と同じようなラフなシャツスタイルの魔王サマは、優雅に――なんと、おしるこ缶なんてものを傾けていた。
――反射的に、頬が引きつる。
「……いやお前、このクソ暑い中、おしるこ缶って……!」
そういやコイツ、ちょっと前、学校でも買ってたな……おしるこ缶。
あんこってものを大層気に入ってるみたいだけど、まさか、あれからさらに暑く、夏真っ盛りになった今でも気にせずって……。
「ふ……甘いな、勇者よ」
露骨に顔をしかめる俺に……ハイリアは勝ち誇ったように、持っている缶を見せつけてくる。
そこに描かれていたのは、『おしるこ』だけでなく――デカデカと『冷』の文字。
「な……! 冷やし、だと……!」
「その通りだ。
ただでさえ美味いしるこが、季節に合わせて冷やされているとあらば――試してみるしかあるまいよ。
果たして、うむ――これは、と見込んだ通り。
ホットに比べ、サラリとさわやかな喉ごしに、ほどよい甘み……実に美味だ」
その答え通り、さも美味そうに冷やししるこの缶を傾けるハイリア。
……いやまあ、某あずきのアイスも、レンジでチンすりゃおしるこになる――ってウワサだし、そもそも世の中には水ようかんってものもあるんだし、冷たいおしるこってのもアリはアリなんだろうけど……。
それをこうして優雅に楽しんでるのが、この銀髪碧眼の超絶美形ってのがまたなんとも……。
――いやいや、って言うか、そんなことはどうでも良くて。
ともかく……だ。
亜里奈なりの気遣いの結果、こうしてハイリアと2人になったのは良い機会だし……。
俺は改めて、ドクトルさんの状態をどう見たか――ハイリアに聞いてみることにした。
「それで――。
お前から見て、どうだった? ドクトルさん」
「うむ……確かな魔力の影響が見て取れた。
あれほどの強さとなると、まず間違いなく……ドクトル殿は、高位の魔法か、それに準ずる魔導具によって、『眠らされている』な」
毛ほどの迷いも見せず、ハイリアは断言する。
……やっぱり、か。
「もっとも、当然というか、かけられているのはアルタメアの魔法でも、キサマから聞きかじった、メガリエントの魔法体系に拠るものでもなかったが。
しかし幸いにして、それでも、余に馴染みのあるアルタメアのものに近かったからな……おおよその効果は予想が付く。
もちろん、完全に、とは言えないわけだが……あれは恐らく、『対象を眠らせる』以上のものではあるまい」
「そうか……」
ハイリアがそう言うなら、いきなり身体の状態が悪化するとかってこともなさそうで、ひとまずは安心か……。
もっとも、目を覚ましてもらう方法の算段がつかないことには、結局同じなわけで――。
「解呪は……出来そうなのか?」
「出来ん――とは言わん。
……が、いかに近しくともアルタメアの魔法ではない以上は、間違いが起こらぬよう、かけられた術式を丹念に1つ1つ読み解いた上で、それに合わせた解呪の魔法を組み上げる必要がある。
ゆえに、余であっても、一朝一夕で――とはゆかぬであろうな」
「……やっぱりそうなるか……」
予想通りのハイリアの答えに、俺はタメ息ごと飲み込もうとジンジャーエールをあおる。
……喉に弾ける炭酸は、やはり妙に痛い。
「いっそのこと、ドクトル殿に魔法を掛けた犯人を捜す方が早いかも知れんな」
「……でも、そうなると……一体誰が……?
〈世壊呪〉を巡って争ってる連中は、みんなそれぞれ信念があって……少なくとも、もし何か都合の悪いことを目撃されたとしても、無関係の人間を巻き込もうとするようなヤツはいなさそうだし……。
でもそれ以外となると、まったく見当も付かないし……」
「確かに、一連の騒動とはまったく関係の無い存在の仕業――という可能性もある。
だが……可能性と言うならば、だ。
〈世壊呪〉を巡る者どもの中に、実際には、そうした真似に手を染めるような輩もいるやも知れぬし……。
あるいは――。
そう……ドクトル殿が、そもそも『無関係ではない』という可能性もあるぞ?」
ハイリアの発言に……俺は反射的に、缶を握る手に力を込めてしまう。
「それは……つまり。
ドクトルさんが、どこかの陣営と協力してるかも知れない――ってことか?」
「あくまで可能性の話だが……しかし、考えてみるがいい。
この間、亜里奈たちが舞った神社での神楽――〈世壊呪〉と、それを祓う儀式をもとにしたであろう、あの神楽を監修したのが、まさに当のドクトル殿であるならば……」
「――そうだ……そして、その儀式を担う〈聖鈴の一族〉ってものの一員が、シルキーベルだった……。
ってことは――!」
「……うむ。ドクトル殿が、シルキーベルと繋がりがある可能性は高いと言える。
もっとも――」
ハイリアは、手の中の冷やししるこの缶を指で軽く弾いた。
「恐らく奥義の一種であろう儀式の内容を、アレンジしてあるとはいえ神楽にして、あのように無防備にも一般に公開したりするあたり……。
ドクトル殿は、もしかしたら〈聖鈴の一族〉――引いてはシルキーベルの存在をそれと知らず、ただ、技術的な供与をしているだけだったりするのやも知れぬな。
……そもそもドクトル殿は、優秀な人物でもあるのだから」
……確かにな……。
ドクトルさんの魔法少女好きって趣味からすると、シルキーベルに直接関わっててもおかしくなさそうだけど……。
さすがに、それだけじゃ決め手にはならないよなあ……。
「……さて、どうする?
こうなると、ドクトル殿に一番近いおスズが、最も有力な情報を所持しているのでは、と目されるが……。
キサマの正体を明かすついでに、ドクトル殿のことを深く尋ねてみるか?」
続けてハイリアが、俺を試すような目で見つつ、提案してくるのを――。
「……冗談じゃない」
即座に、大きく首を振って一蹴した。
「今の千紗に――ドクトルさんが倒れて、あれだけショックを受けてる千紗に、そんなこと聞けるわけないだろ。
もし何も知らないのなら、それこそ、こんなときに何をワケの分からない話をしてるんだ――ってなるじゃないか。
……俺の正体についても同じだ。
今、あの子はただでさえツラいのに……!
余計な問題持ち込んで、さらに心を引っかき回すような真似が出来るかよ……!」
「……まあ、そうであろうな」
分かっていた、と言わんばかりにハイリアはうなずく。
「改めて尋ねるのは、確たる証拠となるもの、あるいはそれに準ずる情報が手に入ってからでも遅くはあるまい。
今はキサマの言うように、おスズの心の安定を優先する方が良かろう――」
そうして、ぐい、と冷やししるこの残りをあおった。
「……さて、それはそれとして――だ。どうする?
余は今、先日話した、亜里奈のための〈封印具〉の魔術的改造を研究中なわけだが……。
そちらを一度置いて、ドクトル殿の解呪法を探る方を優先するか?」
ハイリアのその問いに……。
俺はほんの少し考えてから、「いや」と首を横に振った。
「……この間戦った〈呪疫〉の――強化されているような手応えとか、妙に気になるところもある。
今現在、亜里奈に目立った異変が無いって言っても……予断は許さないような状況なんだ、そっちはそっちでちゃんと進めてほしい。
ドクトルさんの件の犯人捜しは、ひとまず俺が――あと出来そうなら、アガシーにも協力してもらうよ」
「ふむ……よかろう。
……もっとも、同じ『魔術的研究』ではあるのだ――真っ正面から解呪する術式についても、同時進行で出来る限り進めてはみるが」
「いいのか? そりゃ、そうしてもらった方が助かるけど……」
「ドクトル殿にかかっている魔法も、また別の異世界のものであるのなら――それを読み解くことで、〈封印具〉の改造に役立つという一面もありそうだからな。
だが……それでなくとも、出来うる限り、手は尽くさなければなるまい。
なにせ――」
言葉を途中で切って立ち上がったハイリアは、近くの缶用のゴミ箱に向かうと――。
側で遊んでいた元気な女の子が、そこに入れるのを狙って蹴り飛ばした空き缶を……宙で苦も無くキャッチ。
自分の冷やししるこの空き缶とともに、キチンとゴミ箱に入れ……さらに、『そんなことをしてはいけない』と諭すように、女の子に向かってゆっくりと首を横に振ってみせる。
女の子は、一瞬ぽかんとしたものの……すぐさま、「ごめんなさい」と素直に頭を下げて、恥ずかしそうに、タタタと軽快に走り去っていった。
そんな女の子の背中を見送り――改めて、ハイリアは俺に視線を落としてくる。
「……なにせ、だ。
『守れるもの、救えるものは決して何一つ妥協せず――そのすべてを』
それが勇者、キサマの――。
そして言うなれば我らの、『信念』なのだろうからな」
そして――唇の端を持ち上げ、小さく笑ってみせた。
それを受けて、俺も……。
「……ああ……!」
ジンジャーエールの残りを一気に流し込み、強くうなずき返す。
……弾ける炭酸が――今度は、心地良かった。
「ドクトルさんも、亜里奈も……そして千紗も……!
必ずみんな、守り抜くぞ……!」
「うむ――無論だ」