第293話 倒れた美魔女を巡る、病院内外の朝の光景
――喫茶店っていうのは、朝は早いところが多い。
それは〈常春〉も例外じゃないんだけど、どちらかと言えばその中ではゆっくりめで……。
「さて――と」
わたし自身の朝の支度も終わって、そろそろお父さんの開店準備を手伝おうと思ったところに……ベッドに放り出していたスマホが鳴った。
見れば、相手は美汐だ。
パッと見はチャラいものの、ヘンに古風なところもある子だから、実は規則正しく朝は早い――って言われても驚かないけど……。
それにしたって、時計を見ればまだ7時半を過ぎたところだから……。
さすがに、早いし珍しい。
「――もしもし、美汐?」
『あ、ラッキーおはよ!
ゴメンね〜、こんな時間に。お店の準備でもう起きてるかと思ってさ』
電話口の美汐はいつも通りの調子で、寝ぼけてるとか、そんな感じはしない。
……やっぱり、案外規則正しい生活してるタイプなのかも。
「うん、まあね。
ちょうど、これから開店準備手伝おうと思ってたところだけど……どうしたの?」
『あ〜……うん、実は、あんまりよろしくないニュースを仕入れちゃってさ』
「……よろしくないニュース?」
反射的に聞き返したわたしに、真面目な様子になった美汐が教えてくれたのは……。
ドクトルさんが昨夜、入院した――って話だった。
幸い、命に危険があるような状態じゃないらしいけど……詳しいところは、さすがに美汐もまだよく知らないみたいで……。
『……でさ、お見舞いとかどうしよう、って』
「そうだね……もちろん、行くには行くけど……」
わたしは、少し考えてから……どうするかを言葉にしていく。
「でも、さすがに今日はやめておいた方がいいと思う。
赤宮センパイは間違いないとして、多分、おキヌセンパイたちもお見舞い、行くだろうから。
……あんまり、一度に大勢押しかけても迷惑でしょ?」
加えて、やっぱりちょっと今は、鈴守センパイと赤宮センパイに顔を合わせづらいって気持ちもあるけど……。
さすがにそれはこの状況じゃ些細なことだし、黙っておいた。
『まあ、そうだね……今は、鈴守センパイも相当参ってるだろうし……。
励まそうにも、アタシたち後輩相手となると、却って気を遣わせちゃいそうだしね。
――分かった。じゃあ、もうちょっと様子見てからにしよっか。
アタシ、後でおキヌセンパイあたりと連絡取ってみるから』
「うん、お願い」
……とりあえず、ドクトルさんのお見舞いは日を改めて、ってことに決めて……わたしは美汐との電話を終える。
そうして、そのまま……開店準備をしに行くはずだったのが、すとんと、ベッドに座り直してしまった。
別にわたしが何をしたわけでも、何が出来るわけでもないのに……なんとなく、やりきれない思いがして。
「……それにしても……」
どうもドクトルさんは、『眠ってるだけ』みたいな状態――らしい。
もちろん、わたしが知らないだけで、そういう『病気』もあるのかもだけど……。
異世界、魔法王国ティラティウムに渡った身としては……つい、何らかの魔術的な要素によるものなんじゃないか、とか思ってしまう。
さすがに、うちの〈庭園〉に匿ってる魔獣たちみたいな子が、また別の世界から迷い込んできてて――。
で、そんな子にたまたま遭遇したドクトルさんが、特殊な毒とかにやられた――なんて可能性は低いと思うけど……。
でもなんせ、つい先日、黒井くんの知り合いが『魔剣のカケラ』なんてものの影響を受けてた事件に関わったばっかりだし……。
そう考えると、意外と身近な人のところでもそういう事態が起きるんだな、って。
もちろん、なんでも関連づけて考えるのも良くないのは分かってるけど……。
「だけ、ど……」
そんなことをあれこれ考えてて、ふと、わたしの脳裏を過ぎったのは――。
赤宮センパイ……クローリヒトのことだった。
もし――もしも。
ドクトルさんが、〈世壊呪〉だったりしたら。
今回倒れたのも、そのチカラの影響によるものだったりしたら――。
……鈴守センパイのおばあさんの、ドクトルさんなら……。
赤宮センパイ――クローリヒトが、必死に守ろうとする相手になり得るんじゃ……?
「…………」
だとしたら、早々に確かめなきゃいけないところだけど……。
でも、もし本当にそうだったらって思うと、踏ん切りも付けづらくて――。
お見舞いに行くのを、少し様子を見ようっていうその猶予に……わたしは、ちょっと安心したりもしていた。
* * *
――検査の結果、やはり目立った異常が無いと判断されたドクトルさんは、朝の早いうちに一般病棟の個室に移された。
依然として、眠ったままだけど……特に苦しんだりするようなこともなく、体調も(目が覚めないということ以外は)悪くないのは、ひとまず幸いってところだろう。
ただ、千紗は――。
さすがに昨夜よりは落ち着いているものの、当然まだ憔悴していて――むしろこちらの方が病人のような顔色だった。
それでいて……。
「……裕真くん、ずっとウチのこと見ててくれたから、寝てへんのちゃうの……?
ウチやったらもう大丈夫やから、その……」
これ以上心配させまいと、気丈に微笑んでみせながら……俺のことを気遣ってくれるのが、またいじらしいというか……。
「大丈夫だよ。千紗が寝てる間に、俺もちょっとは寝てたからさ。
これぐらい、別に何てことないって」
だから、こんな状況で俺まで塞ぎ込むわけにはいかないからと、少しばかり明るく笑い返す。
……実際、ちょっと――1時間ぐらい寝てたってのはウソじゃないしさ。
そもそも、アルタメアでハイリアとガチの勝負したときは、三日三晩戦い通しだったんだ――それに比べれば1日徹夜するぐらい、どうってことない。
それに――。
「それにそろそろ、うちの母さんが来ると思うし」
……俺の予想通り、母さんがやって来たのは、それから20分としないうちで……。
病院の受付が始まってすぐぐらいの、まだ早い時間だった。
そしてもちろん、母さんだけってこともなく――。
「千紗さん……心配だと思いますけど、元気出して下さいね。
お兄だけじゃなく、あたしたちもついてますからっ」
「うむ。おスズ、心労でお前が倒れなどしては、それこそドクトル殿もつらかろうというもの。
まずは、お前自身が自分の身体に気を付けねばな」
「ですよ、チサねーさま!
ドクトルばーさんなら、ゼッタイ、ゼーーッタイ、もうゼッタイゼッタイゼッタイゼッタイ大丈夫ですからっ!」
亜里奈、ハイリア、アガシーの3人も一緒に、当然のようにやって来ていた。
病院の面会時間は、昼過ぎてからなんだけど……コイツらのことだ、居ても立ってもいられなくて、『付き添いの家族』みたいな感じに何食わぬ顔して、母さんにくっついて来たんだろうな。
「うん……!
みんな、ありがとう……!」
そんなうちの兄妹たちに、口々に励まされた千紗は、ちょっと涙ぐみながら笑顔で礼を返す。
……まあ、こうして、千紗を少しでも元気にしてくれたんだし……その強引さにも感謝ってところか。
――そうこうしていると、少し遅れて母さんも姿を現す。
どうやら、改めて、入院費用とかの話を済ませてきたらしい。
「……ってわけでね、千紗ちゃん。
とりあえず、入院にかかるお金とかはうちが立て替えておくから、そのあたりは心配しなくていいからね」
「えっ!? で、でも、そんなん……!」
軽く言い切る母さんに、真面目な千紗は当然のように戸惑いを見せるけど……。
うちの母さんが、そんなところで折れるハズもなく――。
「大丈夫大丈夫、立て替えておくだけだよ。
ドクトルさんが元気になったら、ちゃーんと返してもらうから。
……それに、摩天楼さんトコの病院だから、その辺、融通利くしね」
口調も態度も軽やかながら、『子供が遠慮しない』と言わんばかりのオーラを醸し出していた。
……ちなみに、俺にイタダキ、亜里奈に見晴ちゃん――と、同級の子供が二組もいることもあり、うちと摩天楼家は前々から付き合いがある。
イタダキの親父さんやオフクロさんも、たまに〈天の湯〉に来てくれるぐらいだしな。
そんなだから、『融通が利く』って話も満更ウソじゃないだろう。
まあ、それでなくても、イタダキの親父さん――登先生は、『医は仁術』を地で行くような人だから……。
万が一、入院費用が払えないなんてことになっても、追い出される心配は無いと思うけど。
――ともあれ、お金の問題においては、母さんにそうまで言われては、千紗もうなずくしかなく……。
そして次にどうするかと言えば、千紗を一度家に送ろう、って話になった。
……なんせ、昨夜からずっと病院に詰めてるんだからな。
ここらで一度家に帰って……そんな気分じゃないかも知れないけど、お風呂なりシャワーなりでサッパリして、食欲があまりなくても何か食べて、少しゆっくりした方がいいだろう――。
そんなわけで、母さんが車で千紗を送り……その間、ドクトルさんの側には俺がついていることで話がまとまる。
千紗は、自分よりも先に俺の方を休ませてあげて欲しいと言ってくれたけど……。
そこはハイリアが、昼過ぎにイタダキやおキヌさんたちが見舞いに来る予定だ――というのを引き合いに出し……。
「……そのときにはおスズ、やはりお前がこの場にいるべきだろうからな。
今から約5時間、それを待ち、さらに疲れた様子になれば……皆に余計に心配をかけてしまうことになるぞ?
ゆえに、ここは素直に先に休憩を取る方が良かろう。
――なに、この勇者のことなら心配ない。
1日2日徹夜した程度でどうにかなるようなヤワな鍛え方はしておらぬよ、此奴は」
……と、千紗をきっちりと説得してくれた。
かくして、千紗と母さんを見送ったあと……。
ひとまずドクトルさんのもとには、俺たち赤宮家の四兄妹が詰める形になったのだった。