第292話 ずっと……世界を、人々を救う、心正しき〈勇者〉であるために
――視界に広がるその光景を見た瞬間、僕はこれが夢だと理解した。
それは、あまりにも懐かしく、鮮明で……。
そして、決して取り返しようのない――魂に刻まれた記憶だったから。
それは……アルタメアと呼ばれる異世界の。
とある王国の都の外れに建つ、一軒の小さな宿屋と――。
そして――はつらつとした笑顔が眩しい、看板娘のシローヌが揃った光景。
シローヌ、彼女は……。
12歳のとき、初めて〈勇者〉としてアルタメアに召喚された僕を――。
その幼さゆえに、国王からは資質を疑われ……行くあてもなく、右も左も分からない世界で途方に暮れていた僕を、保護してくれた女性。
10近く歳の離れた僕を、実の弟のように扱ってくれて……とにかく〈勇者〉として認められようと修行に励むのを、支えてくれた女性。
僕に――アルタメアでの居場所を与えてくれた女性。
そして……。
僕を守るために、その命をも投げ出してくれた……女性。
いきなり、異世界に放り込まれて……戦え、〈勇者〉になれ、なんて言われて。
戸惑いながらも、やれるだけやってみようって、そんな気になったのは――ただ、元の世界に帰りたいからってだけじゃなくて。
彼女のような人を。
そして、そんな人たちの住む世界を守りたいって――そう思えたからだ。
「アモルなら大丈夫。
きっと、みんなを助けてくれる――立派な〈勇者〉になれるよ」
どうも、僕の名前は彼女には発音しにくかったらしく……。
初めて会ったときの聞き間違いをそのままに、愛称として『アモル』と、そう呼ばれるのも……いつしか、すっかり慣れて。
それぐらいの期間、自分を鍛え続けていた僕は――〈勇者〉としてのチカラも着実につけて、強くなっていると実感していた。
いや――カン違いしていたんだ。
結局僕は、その後、王都を襲撃した魔族を相手に、満足に戦うことも出来ず……。
挙げ句の果てに――シローヌにかばわれて。
その命と引き換えに……生きながらえる羽目になったんだ。
そうして――そのとき。
僕の腕の中で最期を迎えるシローヌが……優しい笑顔とともに遺した言葉。
「ずっと……みんなを守る、心正しい〈勇者〉でいてね」
その言葉を胸に刻み込み、誓いとして――。
血の滲む努力の果てに、僕は改めて〈勇者〉となった。
二度と彼女のような悲劇を繰り返さない、そのために。
人々を守れるチカラを――何者にも負けない『本当の強さ』を身に付けようと。
彼女が犠牲になったことを無駄にはしない、そのために。
何があろうとも――〈勇者〉としての『正しさ』を貫き続けようと。
それまでの甘えを捨て去り、覚悟と信念をもって……。
真に、世界を救う〈勇者〉に――なったんだ。
……そうして、魔王を討ち果たし、アルタメアを救い――。
さらにその後、別の世界に召喚されても、常にこの誓いを胸に、培ってきたチカラを振るい、災いから救って――。
だけれど――そんな僕は、故郷のこの世界には……爺ちゃんには、認められなかった。
〈勇者〉として身に付けたチカラ、そのほんの欠片程度を出して、道場の門下生を鎧袖一触にするのを……。
爺ちゃんは、それは『本当の強さ』じゃないって――断じたんだ。
すべてを見透かすような目で……僕を見据えながら。
……なるほど、きっと僕は――強くなったとは思っていたものの、まだ届いていないんだろう、『本当の強さ』に。
だから僕は、今もまだ……強さを追い求めるんだ。
いずれ、爺ちゃんにも……僕が、僕の強さが、認められるようになるまで。
――シローヌとの誓いを胸に。
彼女に守られた僕が――その託された命に報いるためにも。
それが決して間違いじゃなかったと、証明するためにも。
真に〈勇者〉であり続けるため――。
相応しい『強さ』を手に入れるために。
「……シローヌ、僕は……っ」
あの懐かしい、宿屋の光景と――。
途方に暮れる僕に手を差し伸べてくれた、シローヌの笑顔が。
白い光に溶け込んでいくのを……追い縋るように、僕も手を伸ばし――。
けれど、それが掴んだのは……。
カーテン越しに射し込む朝の光、その中で小妖精のように舞う――でも単なるホコリ、ただ……それだけだった。
「……こんな夢、見るなんて……。
さすがに……ちょっと、参ってる――かな」
いつも寝ているロフトは、場所柄、風通しが悪くて、クーラーのタイマーが切れると途端に暑くなる。
だから、昨夜も、毛布1枚に包まって床で寝ていたんだけど……その程度で、寝心地が悪いからと、あんな夢を見るほど眠りが浅くなるはずもない。
異世界で、極寒の山中や灼熱の溶岩地帯といった、劣悪な環境下で野宿した経験に比べたら……空調まで効いてる部屋の床の上なんて、天国でしかないから。
つまり、結局は、僕自身の方に原因があるわけで――。
それが、ドクトルさんを『眠らせた』ことにあるのは……間違いないだろう。
僕の行動を邪魔する側に回ることになるドクトルさんを、放っておくわけにもいかないし、やむを得なかったとはいえ――。
そして、あの魔導具には対象への悪影響は無く、再使用ですぐに目覚めさせられるとしても――それでも。
思った以上に……そうしてしまったこと自体に。
僕自身、罪悪感を感じてる――ってことなんだろうな……。
「……でも、だからこそ……」
眠気を払うのに軽く頭を振って起き上がった僕は、ひとまずシャワーでも浴びて目を覚まそうと、浴室の方へ行こうとして――。
テーブルに放っていたスマホの着信音に、引き止められた。
相手は――イタダキだ。
「……もしもし? どうしたのイタダキ、まだ朝だよ?」
用件というか、話の内容については、何となく予想がついていたのだけど……。
僕は何食わぬ様子で、電話に出る。
『おう衛、今日昼から時間空いてるか? つーか空けとけ』
普段通りの冗談にも乗ってこず、珍しく真面目な調子で話を進めるイタダキの様子に……僕は、予想が正しかったことを察した。
「なに、突然? 強引だなあ……。
まあ、大丈夫だけどさ。どっか行くの?」
『おう。ついさっき、うちのオヤジから聞いたんだけどよ……。
うちの病院に、ドクトルさんが入院することになったらしーんだ』
……うん、知ってるよ、イタダキ。救急車呼んだのは僕だからね……。
いや、正確に言えば、近くを通りかかったおじさんに軽い幻惑系の魔法をかけて、『おじさん自身の意志で通報してもらった』んだけど。
それにしても……。
やっぱり、こうして他の人から、入院という事実を聞かされると――改めて、胸に痛みを感じずにはいられないな……。
「……ドクトルさんが?
なんでまた――っていうか、大丈夫なのっ?」
何を白々しいことを……って、思わず自分自身にちょっとした嫌悪を感じながら……僕はさらに質問を重ねる。
もっとも、僕はいつも通りの態度を心がけていたし――イタダキ自身、まさかその入院の原因になったのが僕だと思い至るはずもなく……返ってきたのは、真っ当な返事だ。
『ああ、命の危険とか、そういうのはとりあえず大丈夫らしいぜ。
ただ……なんか、原因はよく分からねーんだけど、目が覚めないらしくてよ。
ずっと眠ってるみたいな感じらしーんだ。
まあだから、オレたちが行ったところでどーにもなんねーかもだけどよ……。
けど、ドクトルさんに色々世話ンなってきたオレたちがこのまま放っとくとか、薄情すぎてあり得ねーだろ?
……つーわけで、今日の昼過ぎに、ドクトルさんの見舞いに行くからな。
昨夜から付きっきりだっていう鈴守も、元気付けてやんなきゃなんねーしよ!
――ンで……だ。
裕真のヤツは昨日から鈴守に付き添ってるらしいし、おキヌたちにもオレから連絡入れっから……。
衛、お前はとりあえず準備だけしててくれよ、いいな?』
……なんだかんだで、イタダキは友情とか義理人情には厚い。
こういうときだからこそ、そんな面が光るな……なんて、ふと思いながら、僕は「分かった」と電話の向こうにうなずく。
「詳しい時間とか待ち合わせの場所が決まったら、また連絡してよ」
『おう! じゃあ、また後でな!』
イタダキとの通話が切れたスマホを――僕はそっと、テーブルに戻した。
そうして……一度。
大きく、深く……タメ息をつく。
それから、目を閉じれば……。
脳裏には、さっき夢にも見たシローヌの姿が――声が、鮮明に思い浮かんだ。
――そうだ。
仕方が無かったとはいえ、こうまでした以上は……!
ドクトルさんを少しでも早く目覚めさせられるように――。
そして、おばあさんが倒れたことで、ツラい思いをしているだろう鈴守さんのためにも――。
1日でも早く、〈勇者〉としての役割を全うしないと……!
〈世壊呪〉を滅ぼし、災いの芽を摘み取らないと――!
「……よし……!」
……そう、きっとシローヌの思い出を夢に見たのも。
僕の中で、その決意を確固たるものにするために違いないのだから――。
僕は、まずは身綺麗にしつつ、頭の中もさっぱりさせておこうと……電話の前に考えていた通りに、浴室へと向かいながら。
深く、強く――〈勇者〉としての思いを、新たにした。