第291話 勇者に出来るのは、今はそれぐらいしかない
――ドクトルさんが、病院に――。
千紗から、その衝撃の電話を受けた俺は……。
千紗に、すぐ迎えに行くからと、家で待ってるよう指示すると――。
一方で一緒にいたハイリアにも、あとで頼るかも知れないからと、母さんへの繋ぎを任せ――。
取るものも取りあえず、自転車をブッ飛ばして千紗の家へ向かった。
「……ゆ、裕真くん……っ!
ゴメン――ゴメンな、ウチ、どうしたらええか分からへんくて……っ!」
言われたからって、大人しく座って待っているような心境じゃなかったんだろう――家の前で俺を待っていた千紗が、泣きそうな顔で申し訳なさそうに謝ってくるのを……。
努めて穏やかに、「俺なら大丈夫だから」となだめる。
そして、後ろの荷台に千紗を乗っけて――連絡があった病院へさらに突っ走った。
……ほんの数時間前、千紗と、車の免許もいいけどバイクも欲しいかも知れない――なんて会話してたのが、何とも皮肉だ。
まさに今こそ、そうした移動手段が欲しいところだってのに……!
そんな歯がゆい思いをしつつ、千紗に病院の名前を聞いてみると……。
救急のある大きな病院だろうし、もしかしたらと思っていたら……やっぱりというか、『高稲総合病院』だった。
そこは、俺も昔、亜里奈を助けるためにイノシシと戦り合って大ケガしたとき、世話になったところで……。
摩天楼家――つまりは、イタダキの家が経営している病院だ。
……そんなわけだから、信用がおけるのは間違いない。
果たして――。
辿り着いた馴染み深い病院の、だけど馴染みのない時間外受付で、俺たちを出迎えてくれたのは……。
「……そうか。
裕真くん、キミの彼女のおばあさんだったか……」
背も高く、身体つきからして精悍で……でも同時に、ちょっと気の良いおじさん、みたいな気安さも備えた、白衣の先生。
摩天楼登――現役の医者で、この病院の院長でもある、イタダキの親父さんだった。
「それで先生、ウチのおばあちゃん、どうなってるんですかっ?
大丈夫なんですか……っ!?」
「うん、とにかく、差し当たって命に別状は無いから。
そこは安心してくれて大丈夫だ」
登先生の、まず何よりのその念押しに……俺も千紗も、ひとまずは安堵の息をつく。
「でも……意識不明、て……」
「うん、それなんだが……」
登先生は、適切な表現を探しあぐねているように、言葉を濁しながら……俺たちを、救急処置室の前へと連れて行く。
ガラス越しに見る処置室の奥では……ドクトルさんが、色んな機械に囲まれて、ベッドの上で静かに眠っているように見えた。
「……はっきり言ってしまうと……。
おばあさんは、『眠っているだけ』なんだ」
その困ったような一言に、俺と千紗は、弾かれたように登先生を振り返る。
「検査をしてみても、外傷を始め、特に身体に異常は見当たらないんだ。
けれども……なぜか、目が覚めない。
実際に世の中には、『眠り病』というのも存在はしているんだが……本来ならその原因となるようなものも、一切出てこなかった。
つまり、本当に……少なくとも今のところ、おばあさんは『眠っているだけ』でしかない。
ただ、同時に――なぜか、『起きない』んだ」
登先生の説明を受けて、俺は改めてドクトルさんに視線を移す。
「……疲れが溜まってて、すごく眠りが深いだけ――ってことは……」
「うん……そうだな、もちろん、そんな可能性もある。
だからもしかしたら、数日もすればひょっこりと目を覚ますかも知れない――」
俺の問いかけに、登先生は落ち着いた調子でうなずく。
……俺自身が言っておいてなんだが、そんな単純なものでもないだろう。
だけど、可能性という意味では、いかに低くても決してゼロじゃない……だから登先生は、千紗に必要以上にショックを与えないよう、でも安易なウソはつかないよう、配慮して返事をしてくれてるんだと思う。
「ただ――とにかく、おばあさんの状態が少し特殊なことは間違いないからね。
病因に見落としがあってはいけないから、取り敢えず今夜はこうして、集中的に検査させてもらっているんだ。
それでやはり異常が無さそうだとなれば、一般病棟に移ってもらって、またしばらく様子を見させてもらう……という形になるかな。
幸いにして、身体機能が衰弱しているとか、そうした様子もないからね」
「……おばあちゃん……」
差し当たって、命が危険に曝されるような状況じゃないと分かったものの……。
医学的に原因がはっきりしない謎めいた昏睡、という事実に……千紗は、やはり悲痛なほど不安げな表情で……眠るドクトルさんを見つめていた。
……それはそうだろう。
原因不明ってことは、このままずっと目を覚まさない可能性も――って、どうしたって考えちまうんだろうから。
しかも――千紗は今、一人だ。
家族で、保護者で、一番側にいたドクトルさんが、こうして倒れて――。
こんなときこそ頼りたいはずの両親、杜織さんも百枝さんも、今はアフリカで連絡がつけられなくて。
いくら千紗がしっかり者だって言っても……俺と同じ、まだ高校生の女の子なんだから。
この状況で、不安にならないわけがないんだ――。
……その後。
千紗の置かれた状況からしても、やっぱり考えていた通り大人の助けが必要だと判断した俺は、母さんに連絡するも……。
そのときにはすでに、前もってハイリアから話を聞いた母さんは、車でこっちに向かっている最中で――。
それから10分と待つまでもなく、病院に姿を現した。
「――千紗ちゃんっ!」
「……え? 真里子……さん?」
そして現れるや否や、いきなり、千紗を抱きしめる母さん。
当然のように驚く千紗に、俺は一言「ごめん」と、独自の判断で呼んだことを謝る。
「……でも、入院の手続きとかいろいろあるだろうし、こういうときは……素直に大人の助けを借りた方がいいと思ってさ」
「け、けど……ウチらのことなんかで……」
「――そんなこと言わないで、千紗ちゃん」
腕の中で戸惑う千紗の背中を優しく叩き……諭すように母さんは告げる。
「あたしはね、百枝さんや杜織さん、それにドクトルさん自身からも、『千紗をよろしく』って頼まれてるんだから。
……ううん、そうじゃなくても――それこそ、裕真の彼女じゃなくっても。
見知ってる女の子が、おばあさんが倒れて困ってるって聞いて……放っておけるわけないじゃない。当たり前でしょ?
もしね、それでもやっぱり気が引けるって言うなら……今度は千紗ちゃんが、その思いの分だけ余計に、誰かに親切にしてあげてくれればいいから。
……そうすれば――みんながみんな、助かるでしょ?」
「……真里子、さん……っ。
ありがとう、ございます……っ」
「うん……いきなりこんなことになっちゃって、ツラいね。
でも、大丈夫だからね。千紗ちゃんは一人じゃないからね……」
……千紗のオフクロさん、百枝さんも、うちの母さんと同じく抱きつきグセがあるって言ってたから――近しい安心感を覚えたのか。
感極まったように、千紗は母さんにしがみつく。
その頭をゆっくりと撫でながら……母さんが。
『アンタの役目、分かってるね?』
――俺に、そう言わんばかりの視線を向けてくるのに……黙ってうなずき、応えた。
そうして――母さんを交えたこともあって、ドクトルさんの入院手続きに関する話はスムーズに進んで。
今夜はこのままドクトルさんの近くにいたい、という千紗の願いを尊重して、母さんは「明日の朝にまた来るから」と一旦家に帰り……。
――そして俺は。
登先生が気を遣って案内してくれた、救急病棟の近くの、でも仕事の邪魔にならない小さな待合所で……千紗の隣に、静かに寄り添って座っていた。
3つの異世界を救ってきた勇者だとしても。
竜を打ち倒し、魔を討ち祓うチカラを身に付けていても――。
……こんなとき、俺に出来るのは――それぐらいしかなかったから。
「………………」
けれど……ドクトルさんのあの状態。
何らかの特殊な病気って可能性ももちろんあるだろうけど――それよりもしっくりとくる理由が、俺の中にはある。
そう……『魔法』によるものじゃないか、って。
睡眠の魔法には、普通に眠気を及ぼすだけのものもあれば……中には、普通の方法では絶対に起きない、永続的な眠りをもたらす強力なものや、そのチカラを備えた〈魔導具〉なんかもあるからだ。
そして後者の場合だと、普通の治療魔法でどうにかなるようなものじゃなく……その本質から言って、もはや『呪い』のレベルに達する。
そうなると……簡単には治療出来ない。
その『呪い』を解析した上で、専用の高度な解呪の魔法を組み上げるか……あるいは。
『呪い』を仕掛けた術者本人、あるいは使われた〈魔導具〉に解呪させるしかない。
もちろん、こちらの方がより確実だし、手っ取り早い。
だけど……。
それはあくまで、ドクトルさんの状態が魔法によるものだと判明してこそだし……。
だったらだったで、一体どこの誰が、何のために、ドクトルさんにこんな真似をしたのか――それを探る必要も出てくる。
とにかく……ドクトルさんは今治療室だし、人間の俺には魔力の感知は難しい。
明日にでも、母さんと一緒に、ハイリアやアガシーもお見舞いに来るだろうから……そのとき、アイツらに判断してもらうしかない――。
だから、結局のところ、今の俺に出来るのは――やっぱり。
こうして、千紗に寄り添ってあげることだけで……。
「………………」
「………………」
物静かなはずの空調の音が……やけに大きく聞こえる。
深夜で光量が抑えられているはずの照明が……むしろ妙にギラついて見える。
そんな、決して居心地がいいとは言えない沈黙の中……おもむろに千紗が、ポツリとつぶやいた。
「……裕真くん…………ゴメンな。
ウチのワガママに、付き合うてくれて……。
裕真くんも、疲れてるやろうに……」
いくら俺が、自分の無力感を痛感してるとしても――ここでそれを出すわけにはいかない。
俺は、努めて優しく、穏やかに……小さな微笑みとともに。
千紗の頭に、そっと手を添えた。
「……言ったろ、俺のことなら大丈夫、って。
それに……こういうときこそ、ツラいときだからこそ、一番近くにいて支えるのが彼氏の役目――だろ?
千紗、俺は――いつだって、絶対に、千紗の味方だから。
千紗を……一人になんてしないから」
「うん……ありがとう……。
裕真くん、いてくれへんかったら……。
ウチ――ウチ、ホンマに、どうなってたか……っ……」
憔悴しきった様子の千紗が、俯き加減に、肩を震わせながら……そう言葉を絞り出す。
そんな千紗を放っておけなくて……俺は。
千紗の頭を……添えていた片手でそのままゆっくり、胸に抱いた。
「……ゆうま、くん――っ」
そうして……静かに嗚咽を漏らす千紗の髪を、あやすように、ゆっくりと撫でる。
「……大丈夫。ドクトルさんなら――絶対に、大丈夫。
大丈夫だから――」
「……うん……っ」
……そうして……どれぐらいの時間が過ぎただろう。
やがて千紗が疲れて、俺にもたれかかったまま、眠りに落ちた後も。
俺は、せめてその眠りぐらい、穏やかであることを祈りながら――。
「……大丈夫だから」
これ以上、この子にツラい思いをさせたくない、守りたい――その一心で。
千紗の小さくて華奢な身体を、かばうように胸に抱き続けていた。