第289話 良く出来た妹は、だからこそ一人思い悩む
――夜も更けて。
今日も今日とて、ハイリア&アガシーと深夜会談を開く予定の俺が、その前に一人のんびりアイスでも食おうと、キッチンへと下りてくると……。
そこには、珍しい先客がいた。
「……お兄?」
ドアを開けた俺を振り返ったのは……パジャマ姿の亜里奈だ。
そもそもまだ小学生だし、それでなくても俺と違って規則正しい生活リズムの亜里奈は、いつもならもう寝ている時間なんだが……。
「なんだ亜里奈、こんな時間に。怖い夢でも見たのか?」
「お兄ぃ〜……? あたし、いくつだと思ってるの?」
笑いながらの軽口に……しっかりとジト目を返されてしまった。
「けど、いくつになったって、怖いものは怖いだろ?
別におかしいことじゃないんじゃないか?」
「ザンネンでした、そういうのじゃないから。
……なんか、いつもより暑いなあ、って目が覚めて……お茶飲みに下りてきただけ」
「ああ、まあなぁ……今日も、すっかり夏真っ盛りの熱帯夜だからなあ」
俺がそう相鎚を打つ間に……。
手にしたペットボトルから、冷えた麦茶を空のグラスに注いだ亜里奈は、「はい」とそれを俺に差し出してくる。
さんきゅ、と小さく礼を言って受け取り、ぐいと一気であおった。
俺は別に、水分補給に来たわけじゃなかったけど……まあ、喉もそれなりに渇いてたからな。
「お前の部屋のクーラーが調子悪い……とかじゃないんだよな?」
「うん……それは大丈夫。だから、目が覚めたのも――うん、たまたまだよ。
……アガシーなんて、今もお腹出して気持ち良さそうに爆睡してるし」
「ああ……アイツ、ホントに寝相悪ぃもんなぁ……」
この間、気を利かせて冷えないように――って、腹を出して寝ているアガシーにタオルケットをかけてやるたび、何度もそれがはね除けられたことを思い出す。
まあでも、寝相はそんなでもアイツ、約束の時間にはしっかり目を覚ましてやって来るんだけどな。
……まったく、キチッとしてるんだか、そうでもないんだか……。
「今日もね、なんかヘンな寝言つぶやきながらタオルケット蹴っ飛ばしてた」
苦笑混じりに――でもどこか楽しげに言いながら。
俺の手から空のグラスを取り上げた亜里奈は、ささっと水洗いして乾燥台に置く。
そうしてから――
「…………。
怖い、ってわけじゃないけど……ヘンな夢なら、見るよ。ちょっと前から」
俯きがちに、亜里奈は……そんな話を切り出した。
「ヘンな夢……?」
「うん。何て言うか……たとえるなら、何かに追いかけられるような夢。
……でもね、怖い夢とかイヤな夢――じゃないんだ。
確かに逃げようとは思うのに、捕まっても……ヒドい目に遭うとかじゃなくて、なぜだか、安心する――っていうか……」
何かに追いかけられる夢……ってのは、まあ良く聞く話だと思う。
いわゆる悪夢の典型ってやつだろうから。
けど、それで安心する――ってのは、確かにヘンな感じかもな……。
ふむ……。
「……あ、ま、まあ、夢だよ夢! あくまで夢!
だからさ、ちょっとぐらいヘンなことだって起こるよねっ?」
「ん……? ああ、まあな、確かに。
アガシーなんざ、あのワケ分からん寝言からすれば、相当ヘンな夢見てそうだしな」
俺がつい、ちょっと黙って考え込んだのが、オバケとかが大嫌いな亜里奈を脅かすような形になってしまったのか――。
慌てたように、所詮は夢と亜里奈が力強く主張するのを……俺も素直に肯定する。
「そうそう、そうだよ。うん……!」
それが良かったのか、麦茶の入ったペットボトルを冷蔵庫に戻しながら……亜里奈は納得したように何度もうなずく。
そして――
「――うん、それじゃ……もう遅いし、あたし寝るね」
「おう。おやすみ」
挨拶を交わし、俺の脇を抜けてキッチンから出ようとして――しかしそこで、ふっと立ち止まった。
それから、俺の様子を窺うように……。
肩越しにチラリと、どこか不安げな視線を向けてくる。
「……ねえ……お兄……?」
「ん……どうした?」
俺が問い返すと、何かを言おうとして、でも言葉が見つからないように――しばらく口だけを動かす亜里奈。
だけど結局、形になって出てきたのは……。
「あ、えっと……ううん……!
その――お兄も、夏休みだからって夜更かしはほどほどにしないと、ママに怒られるよって、それだけ……!
――じゃあね、おやすみ……!」
そんな、いつも通りの――しっかり者の妹からの、だらしない兄への忠告でしかなかった。
* * *
キッチンでお兄と別れて、部屋に戻ってくると……。
豆電球の薄明かりの中、床のお布団のアガシーは、まだ、はだけたパジャマにおヘソ丸出しの格好のまま爆睡していた。
「……待て~ぃ、のりたんま伍長ぅ……!
きしゃま、所属と階級をウェーイ……」
スルーしづらいツッコミどころ満載の寝言を、それでもなんとかスルーして……一応、部屋の隅っこまで吹っ飛んでいたタオルケットを拾ってきて、適当にお腹に掛けてあげる。
どうせまたすぐに蹴っ飛ばすと思ってたら……今回は珍しく、そのまま大人しく受け入れていた。
「……まったくもー……」
ならいつも蹴っ飛ばすな――って不満をその一言に集約して、あたしはベッドに戻る。
そうして、何となく改めて、床のアガシーを見下ろす。
……薄暗がりの中でも……キレイとは言えない寝相でも。
アガシーは、何だか輝いてるみたいに見えた。
見た目はもちろん、性格も……天真爛漫で、何でも一生懸命で、ウザいぐらいのテンションで、でも意外とさびしがりやで、甘えん坊で……。
黙っていても、しゃべっていても――どっちも相応の魅力があって、本当にかわいい女の子だ。
つい、うらやましくなっちゃうぐらいの。
それでいて、聖霊としてのチカラもあって……お兄――クローリヒトの仲間で。
一方で……あたしは何なんだろう、と思ってしまう。
ううん、別に、お兄といっしょに戦いたいとか……そういうんじゃない。
そんなのムリだし、お兄が望んでないのも分かってるから。
そんなのじゃなくて……もっと、根本的なことで。
……ここのところ、あたしは特に元気だ。身体の調子もすごくいい。
だけど、ただ元気ってだけじゃなくて……なんだろう、色んな感覚が、だんだん研ぎ澄まされてるような感じもあって。
今日なんて……これまで聞こえなかったはずの『声』まで、うっすらと聞こえた。
そう――確かあれは、〈念話〉。
お兄やアガシーがときどき使ってる、心の中で会話する方法。
基本、他の人には聞こえないお話の仕方。
朝岡にチカラを貸してる〈霊獣〉……今はインコに擬態してるテンテンも、それで話してるって、そのことは知ってたんだけど……。
今日は、これまで聞こえなかったそれが……聞こえたんだ。
――テンテンの『声』が。アガシーと話していた内容が。
……あたしに――『闇のチカラ』が流れ込んでる、って。
それがどういうことなのか、あたしには詳しくは分からない。
でも――テンテンとアガシーの会話からして、良いことじゃないと思う。
もしかしたら、闇のチカラってぐらいだし、〈世壊呪〉のハイリアさんにあてられたっていうか……あたしが一般人だから、ちょっと影響を受けちゃってるとか……そういうのかも知れない。
他にも……アガシーはテンテンとの会話で、今は細って見えるそのチカラの流れが、このまま完全に途絶えればいいのに――とか言ってたぐらいだし、一時的な病気のようなもの、って可能性もある。
だから……このまま何事もなかったら、いずれあっさり元に戻るのかも知れない。
でも、もし――。
この身体の調子も、鋭さを増す感覚も、むしろそのチカラのせいだとしたら……?
良くなるどころか、どんどん悪くなってるんだとしたら……?
ううん、それどころか――。
ハイリアさんの影響だとか、たまたまかかった病気みたいなものだとか。
そんな、後天性のものじゃなく――。
あたし自身の存在に関わる、根本的な問題だとしたら……?
だったら……あたしは、いったい……なんなの?
「……あたしは……」
さっき……お兄に聞こうとも考えた。
お兄なら――きっと知ってるはずだから。
でも――聞けなかった。
もし、聞きたくないような答えを聞かされたらって思うと……怖くて。
「……ううん、だけど……!」
あたしは、ベッドの上でタオルケットに包まりながら……悪い想像を追い払おうと、小さく頭を振る。
……そうだ、お兄たちがこのことをあたしに秘密にしてるのは、すぐに元に戻る、それこそ風邪のようなもので……。
だから、余計な心配をしないように、って――ヘタに意識して、悪化とかしないようにって……そのために黙ってるんじゃないか、って。
うん――きっとそうだよ。
お兄たちのことだから、きっと、あたしが少しでも早く元通りになるように――って、何かしてくれてるんだろうし。
だから――あたしは。
元気だよって、何も無いよって……いつも通りでいなくちゃ――。
……そんな風に決意すれば、不安もやわらいだ気がして。
ちょっと前から見る、奇妙な夢の話はしちゃったけど……。
でもやっぱり、それ以上余計なことまで、ヘタにお兄に聞いたりしなくて良かった――なんて、思うことも出来た。
そうだ――だから、いつも通りでいよう……。
もう一度、お布団のアガシーを見て……その、おかしな寝言を聞いて。
そこにある、『いつも通り』に安心しながら――。
あたしは、『大丈夫』と『いつも通り』を自分に言い聞かせつつ……目を閉じた。




