第27話 おっかなびっくり虎穴に入る勇者
――ハッキリ言って、その日の授業はまったく頭に入らなかった。
剣崎――なんて、尖った名前のわりに超温厚で有名なうちの担任が、
「大丈夫かい赤宮、お腹空いてないゾンビみたいな動きだけど?
感染拡大する前に早退するかい?」
……なんて、顔を引きつらせて心配してくれたほどだ。
――そうなんだ。
性格温厚だけど、ナチュラルに独特の毒舌なんだよこのセンセ……。
で、悪意無く一撃必殺の毒舌をブッ刺してくるから、下の名前の『聖利』をもじって、付いたアダ名が〈マサシン〉――とか、ああ、またどうでもいいことを考えちまった。
……ちなみに、俺がこんな状態になってる一番の理由は――昨晩かかってきた電話だ。
放課後、あの後輩ちゃん――白城に向けられた質問の意味を考えたり、その後ちょーっとだけよそよそしかった鈴守のことを考えたり……。
他にも、なんかすぐ近所にいきなり現れたと思ったらすぐに消えた、大きな〈チカラ〉の反応に戸惑ったり……。
いろいろ、アレコレと集中を掻き乱されながらも、何とか机にはかじりついて勉強していた俺にもたらされた、一本の電話。
それは、おキヌさんからだった。
そして、通達された、その恐るべき電話の内容とは――!
『赤みゃん、明日の勉強会、場所はおスズちゃんちで決定したから!』
……これで緊張するなって方がムリだろう!
鈴守の――彼女の家って!
俺はいったいどうすりゃ良いんだ……!?
《……普通にしてればいいんじゃないですかね。勉強会だし。他にも人いるし。
そもそも付き合ってまだ一月程度、手ェすら繋いでないんですし》
そんなアガシーの珍しくマトモな意見もどこ吹く風、ホントゾンビみたいにちゃんとした思考も出来ないまま、迎えちまった運命の放課後――。
俺はついに、他の勉強会に参加する面々とともに、関西在住の両親のもとを離れた鈴守が、今おばあさんと一緒に住んでいるという家にたどり着いたのだった……!
住居兼ジムだという小綺麗な建物、掲げられた看板に踊る文字は――!
――総合格闘ジム〈ドクトル・ラボ〉――
「「「《「 いや、どっちやねん! 」》」」」
……俺も含め、初見の者たち4人(+付いてきたアガシー)のツッコミが見事に重なる。
格闘ジムなのか、研究所なのか――体育系と文化系の両頂点のようなこの名前、ツッコむなってのがムリな話だろう。
一方、「そうなるやんなぁ……」と顔を伏せる鈴守に対し、そもそもこれを知っていたらしいおキヌさんは、ちっさな身体と無い胸を存分に伸ばして反らし、フフンと得意げに笑う。
「……甘いな、諸君!
前に言った通り、おスズちゃんのおばあちゃんは、〈ドクトル・カリヨン〉ってリングネームで活躍してた元女子プロレスラーなんだけど……。
どうしてそんな名前になったのかってゆーと、ホントに博士号を持ってるからなんだよ、これが!
つ・ま・りぃ――!
『どっちやねん』どころか、『どっちも!』な、究極的文武両道のすっごい人ってワケなのさ!
しかも60前のハズなのに、どっからどう見たって30代にしか見えない超美魔女だぞ!?」
「……知識が博士級でも、思考は脳筋やけどね……」
明後日の方を見ながら、珍しくニヒルな笑みを浮かべた鈴守がボソッとつぶやいている……。
……いや、しかし――ホントにスゴい人なんだな、鈴守のおばあさん。
ますます緊張――って、んん?
〈ドクトル・カリヨン〉……?
なんか……そのリングネーム、聞き覚えがあるような……?
「おい、スゲーな裕真、美魔女だってよ、美魔女!」
「お? おう……」
やたらテンションの高い(普段通りとも言えるが)イタダキの言葉に、俺は中途半端にうなずく。
俺としてはむしろその要素、「おばあさん」とか呼んじゃっていいのかどうか悩むから、ちょっと怖いんだけどな……怒らせたくないし……。
「さすが、イタダキは守備範囲広いねー」
もう一人の男子の参加者、国東衛がそう言って明るく笑う。
衛は小動物系な可愛らしい見た目と、びっくりするほどの人当たりと付き合いの良さから、男女問わず好かれる人気者だ。
そう……男子の下品な会話だろうと、女子の恋愛話だろうと、笑顔で適切に対応するコミュニケーション魔人なのである。
擬人化ザンネン、我らが摩天楼イタダキの相手だってお手のものだ。何気にスゴい。
「……で、赤宮くんはいつまで緊張してるの?
いーかげん、腹くくったら?」
一方、俺の耳元でそう言って笑いかけてくるのが、沢口唄音さん。
『モブこそ至福』が座右の銘の、女子のもう一人の参加者だ。
ちなみにモブとか言うわりに、地獄耳との表現がピッタリな情報アンテナを保有していて、おキヌさんとコンビを組むと国家すら動かすのでは、と恐れられている。
もっとも……座右の銘通り、その収集される情報はもっぱらオバちゃんの井戸端会議レベルで――主に校内の恋愛ネタのような、他愛ないものに終始しているらしいのだが。
しかしその情報精度は実際恐ろしく、俺の鈴守への告白も、翌日にはバレていた。
ただ、本人の同意がなければウワサを勝手に広めたりしない、という良識も持ち合わせているので助かっている――が。
実は、沢口さんが広めるまでもなく、男子はともかく女子の間では、俺と鈴守が付き合ってるのは、すぐに周知の事実となったらしい。
いわく、『見てれば分かる』――とのことだ。
いや、まあ……別にいいんだけどさ。悪いことしてるわけでもないし……。
「……沢口さん、もしかして楽しんでる?」
「いやいや、まさかまさかー。だって、今日の目的は勉強会だからねー」
実に良い笑顔で言って、沢口さんはわざとらしくおキヌさんと目を合わせた。
うん……露骨なお返事ありがとうよ。
《……ま、イジられてるうちが花、ってやつでしょーよ》
すげーつまらなそうに言うアガシー。
なんか、鼻をほじってるようなイメージが浮かぶな……見えないけど。
「ま、でも実際、せっかくだし勉強はしとかないと……。
赤点なんぞ取ろうもんなら、温厚な父さんはともかく、母さんや亜里奈にどんな仕打ちを受けるか分かったもんじゃないからな……」
「あっはっは、赤みゃんはホント、妹ちゃんに頭上がんないんだなー」
豪快に笑いながら、俺の背中をバンバン叩くおキヌさん。
……ん?
なんか鈴守が、俺の発言に「分かる」とばかりに、何度も大きくうなずいてるような気がするが……鈴守って一人っ子じゃなかったっけ?
――そんな風に、俺たちがジムの前でワイワイ騒いでいると――。
入り口のドアを押し開けて、スラリとした――けれど鍛えているのが一目で分かる引き締まった体付きの、スーツ姿の女性が姿を現した。
一瞬、どこのモデルさんかと思ったが――すぐにピンと来る。
……まさか……この人が?
「やあみんな、良く来てくれた! おキヌちゃん以外は初めまして――だな。
アタシが鈴守千紗のおばあちゃんだ。
……まあ、気楽にドクトルさんって呼んでくれればいい。よろしくな!」
《な、何ですかあの笑顔、お、オトコ前すぎる……!
そ、それにこの外見でおばあちゃんって……ホントに人間ですか!?
エルフとかじゃないですよね!?》
かのポンコツ聖霊の驚愕の叫びに、俺も思わずうなずいてしまう。
……いや、そりゃ鈴守も、パッと見は中学生ぐらいに見えるけど――これはそういうレベルの問題じゃない。
博士号持ってるって話だし、本気で、サイボーグだったりするんじゃないかと思ってしまう。
母親どころか、ヘタすりゃ歳の離れた姉でも通用するぞ、これは……。
「うおお……! これはまさに頂点!
頂点に君臨する美魔女だー!」
「ホントにお綺麗ですねー」
「す、すごい……!
こ、今後の健やかなモブ生活のためにも、秘訣を――!」
三者三様に目を輝かせながら、おばあ――もとい、ドクトルさんに詰め寄るイタダキたち。
ドクトルさんは、なるほど、元プロレスラーらしい男前な笑顔でそれに受け答えていたが、やがてチラリと、俺の方に視線を向けた。
そして……一瞬、意味ありげな含み笑いを見せる。
……う。
やっぱり、さすがに知られてるよな、俺のこと……。
……………………。
――だあっ、クソ! この軟弱勇者が!
そうだ、沢口さんが言ってたみたいに、ここまで来たら腹をくくるしかないだろ……!
「よ、よろしくお願いしますっ!!」
声が裏返らないよう気を張りながら、ぴしっと姿勢を正し、思いっきり頭を下げる。
……すると――ドクトルさんは、大きくうなずいた。
「ああ、もちろん!
まあ、こう見えて知識にはそれなりに自信がある――今日はみんなの勉強、しっかり面倒見させてもらおうじゃないか!」
……え……あ……そ、そっち?
そうだよな、うん、そりゃそうか……。
安心したような、そうでもないような……。
そんな複雑な思いに駆られながら、俺も他のみんなに続いて、ドクトルさんの案内でジムに足を踏み入れた。
そして、いかにも格闘技のジムらしい物音が聞こえる正面ではなく、すぐ脇に逸れて、地下への階段を降りていく。
案内されたのは、興行とか催しものの会議に使うという部屋だった。
おあつらえ向きの長机もあるし、さすがというか、椅子もしっかりした良い物だ。
ちゃんとしたカーペットも敷かれてるし、うちの銭湯と比べるのも間違いだろうが、どこもかしこも小綺麗で、センスもいい……多分。
「あ、ドクトルさん! これ、今日お世話になるお礼でっす!」
「お? おキヌちゃんところのお豆腐かい?
いやー、嬉しいねえ、ありがとうよ!」
俺たちが、思い思いにカバンを置いたり勉強道具を取り出したりしていると……。
おキヌさんがドクトルさんに、絹漉豆腐店謹製の絹ごし豆腐(ややこしいな)を結構どっさり渡していた。
さ、さすがおキヌさん……抜け目ない……!
そうか、こうして人脈を強固にしていくんだな……。
「あ、やったらウチ、みんなのお茶の用意を――」
「ああ、構わないよ千紗。このお豆腐を冷蔵庫に入れるついでに、お茶とお菓子もアタシが用意してくるさ。
アンタも座って待ってな」
鈴守にそう言いおくと、まるでここに座れと指示するように、ドクトルさんは俺のすぐ隣にあった椅子を引く。
そして――。
「今日は期待してるぞ――赤宮くん?」
「――!?」
すれ違いざま、俺にだけ聞こえるように小声でつぶやき――。
男前な笑顔とともに……ドクトルさんは。
硬直する俺を残して、部屋を後にするのだった。