第284話 純喫茶〈常春〉の意外な客と、人狼と
――8月6日、午後。
オグのヤローの改心の気持ちはマジだろうが、なんせ昨日の今日だからな――。
あのときはすっかり消えて見えた魔剣のカケラの影響が、まだ燻ってたり、場合によっちゃ再燃してやしねえかと、様子を見に行ってみれば……。
……オグは自分の家で、借りてきたネコみてーに大人しくしてやがった。
まあ、危惧してたようなコトになってねえんならそれでいい、ってことで……
「つ、ツキさぁん……!
オレがメーワクかけたあの子が……それか家族が、気ィ変わって、警察沙汰にしたりしたらどうしよう……!」
――なんて、ビビって縋り付いてくるオグに……。
そうなったらなったで頭下げるしかねーんだから、腹ぁくくってろ――と言い置いてオレは、〈常春〉へと帰ってきた。
で、おやっさんから、お嬢はまだ学校から戻ってねえって聞いて……。
質草のヤローは来たとしてもクソの役にも立ちゃしねえし、また客が増えたらオレが手伝わなきゃならねーな……なんて思いながら。
あとでお嬢に文句言われねえように、ガムシロップをちょっとばかし控えめにしたアイスコーヒーをすすっていると――ドアのベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
続くおやっさんの声に、反射的に入り口に目をやれば……。
スーツにグラサンって姿の、スラッとしたモデルみてーな女の客がいた。
歳の頃は……30前後ってところか。
見覚えはねえし、常連ってわけじゃないはずだが……なんだ?
ビミョーに見覚えあるっつーか、誰かに似てるような……。
オレが首を傾げている間に、カウンターに着いてアイスコーヒーを注文したその女の客は――。
早速ゴマをすりに近付いてきた看板猫を、嬉しそうにヒザの上に抱いて……おやっさんに話しかけていた。
「すまないが、マスター。
この店に来れば、黒井睦月くんに会えると聞いたのだが……ご存じか?」
――あぁ? オレにィ……?
このねーちゃん、いったい何モンだ――?
思わず訝るオレが、何か言うよりも早く……おやっさんが、冷静に問い返す。
「失礼ですが……お客さんは?」
「ああ、すまない、失礼した。
――私は、鈴守という。昨日、黒井くんに世話になった――」
「す、鈴守ぃっ!?」
その名を聞いた瞬間……オレは。
自分から名乗りを上げるように、大声を出しちまっていた。
――そして、それから……数分後。
「はっはっは! そうか、それは悪いことをしたな!」
オトコ前に笑いながら、その女の客――。
赤宮のカノジョの歳の離れたアネキかと思ってたら、実はばーさんだっていう……信じられねえ若さのその美魔女が、隣に座ったオレの背中を、結構な力でバシバシ叩いてくる。
この体育会系のノリのばーさんが、あの子の……ねえ。
いやまあ、確かに言われてみれば、顔立ちなんかには似通った部分もあるし、あの子も中坊みてーな雰囲気だったし、それに何より、拉致られた状態から自力で脱出するようなヤツだったわけだし……。
なんか釈然としねえが、考えれば納得せざるを得ない――ってな感じだな。
――ちなみに、ばーさんの言う『悪いことをした』ってのは……。
あの子の家族がオレに会いに来たと聞いて、オグが心配してやがったみてーに、マジに警察沙汰にするつもりになったのか――と、オレが早とちりしたことについて、だ。
オグのことは何とかカンベンしてやってほしいと、頭を下げたオレに……「アタシはキミに礼を言いたかっただけだ」ってよ。
「それにしても……舎弟と言っても『元』でしかない他者のために、迷い無く頭を下げるその男気は気に入ったよ、黒井くん。
やっぱり、男にはそれぐらいの気骨が無いとな!」
「それは……まあ、ケジメっすから」
「そのケジメを、最低限のレベルでもつけられず、見て見ぬフリでやり過ごそうとする大人だって多い――ってことさ。
うん……やはりキミなら信用出来そうだ。
――黒井くん……昨日うちの孫がさらわれてからのこと、何があったのか、キミの口からも改めて聞かせてもらえないか?
一応、赤宮くんからも概要は聞いているんだが……その内容を補完するためにも、別視点からの話が欲しくてね」
「そりゃもちろん、構わねーっすけど……」
「ああ、もちろん、警察沙汰にするためだとか、そういうのじゃないから安心してくれ。
……ただ、アタシは知りたいだけなんだよ。
あの子の保護者として――というのもあるが、性分として、実際何が起こったのか……正確なところをね」
真剣な顔でそう言われちゃ、オレも適当に流すわけにはいかず……。
ときおり差し挟まれるばーさんの質問に答えたりしながら……まあさすがにお嬢がフラれたことや、オグが魔剣のカケラの影響を受けていたことなんかは置いておいて、昨日のことを覚えている限り話して聞かせた。
「ふぅむ……なるほど、ね……。
黒井くん、キミも大した男だが、うちの婿候補も予想以上の活躍だったようだな。
――ありがとう、大変に有意義な話だったよ」
言葉通り満足げに、ばーさんは大きくうなずく。
「いえ……役に立ったンなら」
「ああ、とてもね。
それから、改めて……黒井くん、昨日は孫娘のために尽力してくれてありがとう。
本当に助かったよ」
「それも……オレは、この店のお嬢に頼まれただけっすから。
礼なら、そっちに」
「もちろんだとも。
――マスター、お嬢さんにもお世話になりました。
改めて、お礼を言わせて下さい」
オレに引き続き、ばーさんはおやっさんにもしっかりと頭を下げる。
おやっさんは控えめに、「お孫さんが無事で何よりでした」と返しつつも……お嬢が人から感謝されている、そのこと自体が嬉しいみてえだな。表情は穏やかだ。
それから、お嬢がまだ帰っていないことを聞いたばーさんは、感謝をおやっさんに言伝し、名残惜しそうにキャリコのアゴをくすぐってから、席を立つ。
そうして、店を出ようとしたところで――新しく入ってきた人間と鉢合わせる形になった。
「おっと、失礼しました――と、鈴守さん?」
「おや、西浦さんじゃないですか?」
……どうやら、やって来たのは西浦のオッサンらしいが……なんだ、ばーさんと知り合いなのか?
「ええ、実は、ここのマスターは私の古い友人でしてね。
独り身の上にロクに自炊もしない私は、よくここの世話になるんですよ」
「……そう言えば、評判のナポリタンを食べそびれてしまったな……。
まあ、それは次の楽しみにするとして……では、私はこれで」
店を出て行くばーさんのためにドアを大きく開けてやり、小さく挨拶を返し……改めて、西浦のオッサンは店に入ってくる。
「西浦君、鈴守さんと知り合いだったのか?」
「ん? ああ、『表』の方の役所仕事でな。
……しかし、あの人がどうしてまたここへ……さっきの口ぶりからして、評判の味を楽しみに来た、というわけでもなさそうだが」
カウンターの席に着きつつ、首を傾げるオッサンに……。
おやっさんはアイスコーヒーを出してから、説明してやる。
……昨日の出来事については、オレが補足を入れながら。
「ふむ……なるほど。
だが、少し気になるな……」
「何がだよ?」
なおも訝しげなオッサンに、オレは思わず聞き返す。
「あの人――鈴守さんは、今はジムの経営が主な仕事だが……海外の難関大を飛び級で卒業し、博士号を持ち、さらにいくつもの特許すら得ているような、世界有数の科学者でもあるんだよ」
「うげ……マジか」
「ついでに言えば、かつてリングネーム〈ドクトル・カリヨン〉として活躍した、元・女子プロレスラーでもある」
「…………」
西浦のオッサンの答えに、オレは絶句するしかなかった。
ンだそりゃ……。
しかもその上、30代に見えるような若さ――ってか?
これがアレか、いわゆるチートってやつか?
……ったく、世の中にはとんでもねえ人間がいるもんだぜ……。
実は、おやっさんみたいな元・勇者とかじゃねーだろうな……?
「いや、むしろ一番重要なのは……。
そんな彼女の孫娘の恋人が、あの――我々がクローリヒトの正体と疑っている、赤宮裕真ということだ。
彼女が、単に恋人の祖母というだけの一般人ならともかく、優秀な科学者としての一面も持っているとなると……赤宮裕真が正体を明かし、協力を要請している可能性も捨て切れないだろう?
――まあつまり、そんな立ち位置にいる彼女だからこそ……。
黒井、わざわざキミの話を聞きに来た――というのが、少し気になるわけだ。
もしかしたら、我々とは違う科学者の観点から、〈救国魔導団〉の正体に当たりをつけ……様子を窺いに来たのではないか、と。
……もちろん、すべてが可能性、推測の域を出ない以上、単なる杞憂に終わる可能性もまた高いわけだがね」
「…………」
西浦のオッサンの持論に、オレは何を言うでもなく……考えを巡らせる。
……昨日、行動を共にしたオレでも――結局、赤宮がクローリヒトなのかは、ハッキリとはしなかった。
ただ、どちら寄りかと言えば――。
『違っていた』よりも『そうだった』の方が、しっくりくる気はする。
それは、運動神経だとかじゃなく、気配や雰囲気に……どことなく、おやっさんに通じるものが感じられるからだ。
しかしだからこそ、っつーか……。
アイツがクローリヒトだとしても、自分のカノジョのばーさんを――どれだけ優秀だとしても、わざわざ巻き込みゃしねー気はするんだが……。
まあ、それも結局、西浦のオッサンと同じで、推測に過ぎないんだけどよ。
そもそも、肝心のばーさんの腹の内にしても、さっぱり分からんわけだしな……。
「ちなみにだが〜、諸君?」
……そこで急に、第三者の声が店内に響く。
その主は――カウンターの上に我が物顔で陣取る三毛猫、キャリコだ。
「先ほどのご婦人、強い魔力を感じまくり――ではなかったのだ。
あの水準であるなら、チカラを隠しまくり……でもない。多分きっと恐らく。
ゆえに、あのご婦人自身は、ただの美魔女――という結論に至りまくり」
オレも『鼻』には自信があるが……こと『魔力』を嗅ぎ取る力については、さすが〈魔法王国〉出身だけあって、この三毛猫の方が上手だ。
そんなコイツがそう言うってことは――。
あのばーさんは少なくとも、異世界がらみのチカラは持ってねえってこったな……。
「いや、『ただの美魔女』じゃねえだろ、アレは」
そんな、キャリコの言葉の真意は理解しつつも……つい、オレはそうツッコまずにはいられなかったが。
「まあ、ともかく、だ――」
おやっさんが、少し強い調子でそう切り出し、オレたちの目を引く。
そして、僅かに間を置き……改めて、真剣な面持ちで言った。
「鈴守さん自身がどう、というだけでなく……。
改めて私たちみんなが、今後は言動そのものに一層の注意を払うよう、気を付けた方がいいだろう。
地下の〈庭園〉の魔術による維持も、日に日に難しくなっている――。
こんな一刻を争う状況下で、我ら〈救国魔導団〉の正体が知られて計画に支障が出るような事態は……やはり、避けたいからな」