第26話 喰らうのは魔王か狼か
「はっ……魔王だと?
まさか、〈世壊呪〉ってのが、こんなモンだとは思わなかったぜ……」
オオカミ小僧は不敵に喉の奥で笑う。
己を奮い立たせるための空元気、というやつだな。
圧倒的な力量差が分かれば、文字通りに尻尾を巻いて逃げるかと思ったが……。
その意気は買ってやろう。
……まあそもそも、逃がすわけにはゆかぬのだが。
「オレは無刀――〈救国魔導団〉の特攻隊長、ブラック無刀だ。
オレは〈将軍〉みたいに甘くねえぜ、テメェこそ覚悟しやがれ……!」
「ほう、甘くない……ブラック無糖なだけに?」
「コーヒーじゃねえっつんだよ!!
刀が無いで無刀だ! バカにしてんのか、あァ!?」
……なんだ違うのか。
先日、亜里奈が勉強中の勇者のためにと煎れた飲み物が、確かそんな呼び名だったから言ってみたのだが。
味見した亜里奈が「甘くない、苦い」とシブい顔をしていたしな。
まあいい、問題はそれだけではない。
「魔導団を名乗っておいて特攻隊長なのか?」
「いちいち細けえヤローだな。
オレは魔法なんてロクに使えねえ、肉弾戦が専門なんだよ……!」
「……ふむ。
余には関わりないことだ、ならばと敢えて転職を勧めもすまい。が――」
ニヤリ、と片頬を持ち上げて笑ってやる。
そして――続けて、空中に三つほど火球を生み出し、オオカミ小僧目がけて撃ち放つ。
小僧はあわてた様子で、横に跳んでそれをかわした。
「わざわざ己の手の内をさらすようでは、やはり甘いな。
名前だけでも加糖に変えろ」
「あァ!?
刀が無いで無刀だって言ってんだろがっ! オレの拳をナメんなよ……?」
「……前言撤回。
貴様はただの加糖では足りん、ダダ甘だ」
無刀の名の通り、自身で宣言した通りに――。
拳を構え、姿勢を低くして突撃してくる小僧。
その鼻先に、炎を柱のように立ち上らせてやると――ギリギリで足を止めて退がる。
そこを狙って、また数発、立て続けに火球を飛ばしてやれば、小僧は飛んだり跳ねたり、滑稽な踊りのように必死に動き回ってそれをかわした。
「クソが……! 魔法ってのは呪文の詠唱やら精神の集中やらがいるんじゃねえのかよ……!
それをこうもポンポンと……!」
「貴様一匹焼き払うのに、そんな手の込んだ魔法など必要あるものか。
身の程をわきまえろ」
そううそぶいてやりながら、さらに休みなく火球を生み出しては小僧を踊らせる。
……確かに、魔法の発現には、基本、小僧が言ったような手法を必要とする。
勇者の話によれば、これは他の世界でも概ね同じようだ。
そしてそれは、修練と工夫――加えて才能により、圧縮、あるいは省略することも可能なのである。
すなわち余ほどになれば、本来の意識とは別に魔力の集中・制御を行い、さらに呪文を黙唱するなぞ……強大な魔法でなければ、三つは並行して処理出来る程度のことでしかない。
「ハッ、さすがは魔王サマってワケかよ。なら――ッ!」
小僧は火球の間隙を縫ってこちらに向き直り、一気に距離を詰めようと、身をかがめて矢のように突進してくる。
飛んでくる火球を拳で打ち払いながら、最小の動きでかわしながら――。
さらには、足下から噴き上がる炎を、ものともせずに無理矢理突っ切りながら――。
「む――!」
ついには、余の目前まで肉薄してきた。
相手が極端に低い姿勢ゆえに、亜里奈の身体を借りている余と、真っ正面から視線がぶつかる。
「そのガキにゃ悪いが――喰らえや!」
勝利を確信した小僧が、拳を握り込む。
実際、この身体で此奴の一撃をまともに受ければ、余とてタダでは済まぬだろう。
だが――。
「……ダダ甘いにさらにダダ甘いわ」
余は、並列処理で準備していた魔法を一気に解き放つ。
重力魔法で亜里奈の質量を増大させ――。
表皮鋼化の防御魔法を一点集中させ――。
さらにそこに、物理衝撃無効の魔法を重ねる。
そして、その一点――『額』を。
思い切り、突っ込んでくる小僧の額に――ブチ当ててやった。
――ゴヅン、と。
「いぃ――ッ!!??」
魔法の効果もあって微動だにしない亜里奈に対し、自身の突進の勢いをそのまま……どころか、倍以上にして返された小僧は――。
「あ――が……っ……」
大きく大きくのけぞって――バタリと、力無く倒れた。
「かつて喰らった分、いずれ誰かに喰らわせてやろうと思っていたわけだが……。
どうだ? 余の、仁王立ちパチキカウンター(魔改造)――効くであろうが?
……と、何だ、気絶したか」
軽く爪先で小突いてやっても、大の字になってひっくり返った小僧は動く気配を見せない。
……まあ、それならそれでちょうどいい。
さっさと後始末をすませてしまうとしよう。
我らの秘密を守るにも、殺すのが一番楽なのだろうが……勇者との『約束』がある。
ましてや、余はこの身体を借りているだけ。
ただ意識が無いだけの亜里奈の手を、本人もそれと気付かぬ間に血で汚すなど許されん。
幸いにして、亜里奈と面識の無い相手だったからな……。
かなりの魔力を使うが、魔法で、直近10分程度の記憶を消してやれば大丈夫だろう。
ふむ……しかしまさか、余の存在を感知出来る輩がいるとはな……。
余も油断していたところはあるだろうが……今後はもう少し慎重に息を潜めている必要があるか……。
「………………これでよかろう」
記憶の消去を終えた余は、改めて相手の、オオカミの頭部を模したヘルメットを見下ろす。
これも魔力で作られているようだからな、此奴が気絶した以上、いずれ結界と同じように自然に消えるだろう――。
そう思って観察していると、果たして、ヘルメットも含め、小僧の戦装束はすぐに黒い煙となって消失した。
その下から現れたのは――。
「……やはり、か」
……ヘルメットだけ消えていないのでは、と疑うほどにそのままの、オオカミの頭。
しかしそれもすぐに、骨格も、全面を覆っていた黒い毛も、顔立ちも、急速に人間のそれへと――遭遇したときの青年のそれへと移り変わる。
つまり此奴は〈獣人族〉……人狼というわけだ。
「ふむ……人狼を擁する、〈救国魔導団〉……。
それに、〈世壊呪〉、か……」
……此奴は放っておけば勝手に起きるであろうし、長居は禁物だな――。
考えるのはひとまず後回しにし、余は足を家路に向ける。
――そうして。
そう言えば、今度は余も、オオカミ小僧や勇者のように、魔法で正体を隠す装備を作り出すようにした方が良いかも知れんな……。
そんなことを思いながら、自分の意識を沈めていき――。
代わりに、眠っていた亜里奈の意識を……優しく、揺り起こす。
「……あれ?」
――裏通りを抜けたところで、あたしはふっと、目が覚めたような気になった。
おっかしいな……別に寝てたわけでもないのに?
お使いをすませて、家に帰る途中……うん、それだけなんだけど。
「うーん……?」
ちょっとした違和感はあるんだけど、考えれば考えるほど、それは小さくなっていく。
えっと、じゃあ、つまり……なに?
疲れてるのかも知らないけど、あたし、歩きながらボーッとしてたってこと?
「う、裏通りで良かった~……」
ヘタしたら、車に轢かれたりしたかも知れないんだもんね……。
うう……勉強中ウトウトするお兄に、寝ちゃダメってさんざん怒ってきたけど……あたしも気を付けないとなあ……。
「――あ! 亜里奈ちゃんっ!?」
いきなり名前を呼ばれて振り返ると……うちの方向から、お姉さんが一人駆け寄ってきた。
それは、ドクトルさんのお孫さんの――。
「え、えっと――その、大丈夫やった?
あ、あの……なんか、ヘンなこととか、なかったっ!?」
「? あ、はい。
近所の、ママの友達のところにお使いに行っただけですから」
あたしの話を聞いているのかいないのか、お姉さんは真剣な顔で少し周りを見回したかと思うと……ようやく、安心したみたいに、大きな大きなタメ息をついた。
「うん……なんもなかったみたいで良かった。
……あ、え~っと……いきなりゴメンな?
なんか急に、夜やのに一人でお使い行ってる亜里奈ちゃんが心配になってもうて……その……」
ちょっとしどろもどろになりながら、そんなことを言う可愛いお姉さんに、あたしはにっこり笑いかける。
――うん……なるほどね。
さすがお兄、なかなかいいヒト見つけたなあ……。
あたしはお姉さんの手を取ると、すぐそこのお肉屋さんを指差した。
「あ、亜里奈ちゃん?」
「ここの揚げたてコロッケ、もう、最っ高においしいんですよ!
ママにもらったお駄賃があるし、一緒に食べましょう!」
「え、で、でも――」
「いいからいいから!」
遠慮するお姉さんを引っ張ってお肉屋さんに連れて行く。
……うん、とりあえずは『ごアイサツ』代わりってコトで……。
あたしは、お肉屋さんのオバさんから受け取ったコロッケの一つを、お姉さんに差し出した。