第273話 本日は登校日――勇者、ひさびさの学校へ!
「お兄〜? 起きてるーっ?」
窓から射し込む朝日は徐々に強まり、ジリジリと暑くなってくる中……。
それでも安物のタオルケットにしがみつくようにして、ベッドで微睡んでいた俺の耳に――ついに、睡眠時間の終わりを告げる、亜里奈の無情な声が届く。
だけど、うん、妹よ……。
兄は昨日、ヒジョーに大変な思いをしたからさ、まだ眠いんだ……。
「お~、起きてる……起きてるから……うん」
「それは起きてると言わない。
……もう、今日は学校の登校日だよ? 忘れたの?」
「だいじょ~ぶ……覚えてる、うん、覚えてるから……」
「お・に・いぃ〜……っ?」
「分かってる……起きる、起きるって……うん……」
寝返りを打って背を向け、ベッドにしがみついていると……。
亜里奈が、ふぅ、とタメ息をつくのが聞こえた。
……ふっふっふ……何だかんだで、亜里奈は母さんより甘いからな……。
こうしてグダグダしていれば、もう少し――ギリっギリの時間までは寝かせてくれるはずだぜ……。
「あ〜あ……起きないならしょうがないか〜。
せーっかく、千紗さんが迎えに来てくれたのになあ〜……」
「――へ?」
おい、妹よ……今、なんて言った?
「うん、眠いならしょーがないね。
――じゃ、お兄は惰眠を貪る方が大事なので……って伝えて、先に行ってもらうね」
「まままま、待て待て待てぇっ!!!」
がばぁっ! と、一気に跳ね起きる俺。
……眠気? そんなもんは一瞬で吹っ飛んだ!
「――すぐ! すぐに!
もう超速攻で準備するから、千紗にはちょっとだけ待っててもら――!」
大慌てで、吊ってある制服の方へ手を伸ばそうとした俺は……そこで。
すでに小学校の制服姿の亜里奈が、奇妙に冷静なことに気が付いた。
「……うん、ママの言った通りだ……1発で起きたね」
「……へ? は?
あの、亜里奈……さん? 千紗は……?」
氷点下の視線を向けてくる亜里奈に、恐る恐る尋ねると――。
我が妹は……「はあ?」と、さらに周囲の温度を下げつつ眉根を寄せるのだった。
「来てるわけないでしょ?
こう言えばお兄はゼッタイ起きる――って、ママに言われただけだよ」
「……あれはヒデえよなあ……いくら何でも」
――そうして、通学路。
俺は、うだるような暑さの中、校門へ続く坂道をとぼとぼと上りつつ……隣を歩くハイリアに、そんな今朝の出来事をグチっていた。
結局、あの後は……亜里奈ばかりか母さんにも怒られ、さらにその様子をアガシーに笑われるという、散々な朝の時間を過ごすことになったのだった。
「……ゆえに昨夜、余が『明日は登校日だ』とクギを刺してやったであろうに……愚か者が」
しかし、グチを言う相手が悪かった。
何せ、俺がパジャマ姿でリビングに下りたときには、すでにキチッとした制服姿で、亜里奈がいれてくれたという熱い緑茶を優雅に(もちろん湯呑みで)楽しんでいらした魔王サマだ――。
その口を突いて出たのは、容赦ない辛口のご批判である。
……いや、うん、分かってたことだろうに、どうして俺コイツにグチっちゃったのかなあ……。
「そもそも――だ。
わざわざ亜里奈の手を煩わせておいて、それでもなお起きようとしないなどと……万死に値するぞキサマ」
ここが通学路で無ければ、魔王らしく、暗黒のオーラでも放ちそうな勢いで眉間にシワを寄せるハイリア。
「いや、そりゃ亜里奈には悪いと思うけどさー……。
でも、男子の純情を弄ぶようなやり方はどうかと思うんだよー……」
「……なーにが『純情』だ!
ンなもん、テメーにあるわけねーだろが!」
いきなり、俺たちの会話にそう割り込んできて――。
通学用のバッグで俺の背中を小突きつつ横に並んだのは……イタダキだ。
いやまあ正直、気配でコイツが来てるのは分かっちゃいたんだが……かわすのも色々と面倒くさいから食らってやった形である。
「俺に純情がなくても、お前だって『頂点』しかないだろーが」
しっしっ、と、イタダキを追い払うように手を振りつつ……俺は、さらに追い付いてきた衛には、朝の挨拶を向ける。
「おっす、おはよう衛。
――朝っぱらから、ザンネンなヤツのウザさが頂点なんだがどうしよう」
「おはよう裕真。
――ああうん、それは頂点だから仕方ないね」
「……おいコラ!
テメーら、頂点を下に見た発言してんじゃねーぞ!」
「うむ。そうだ、キサマは頂点……。
常に見下ろす側でなければならぬぞ、シテンチョー」
「マ・テ・ン・ロー、な! 今だに名前ネタかよ!
つーか、ンだよ、その上のような下のようなビミョーな位置の頂点は!」
「おっと、余としたことが……すまぬな、キボーホー」
「まだ言うかよ! つーか、ンだよキボーホーって!」
「……喜望峰、ね。
アフリカ大陸南の……まあ、一種の頂点、かな?」
おバカなイタダキに、衛が一言(テキトーな)解説を添えてやると……。
途端に、おバカはフフンと機嫌が良くなった。
「アフリカの頂点、か……悪くねえな……。
――って、いや、オレがいかに頂点かって話じゃなくてだな!」
「そもそもそんな話はしてねーけどな……」
「いいか裕真、『純情』ってのはな……。
こういうのをもらう、オレのような男を言うんだぜ……?」
俺の苦言なんてまったく耳に入らない様子で、なぜか得意気な顔をするイタダキは……バッグのポケットに挿していたものを、サッと取り上げて見せた。
それは……手紙サイズの小さな封筒だ。
しかも、女の子が使うような可愛らしいもの――って、まさか!?
「ふふふ、そう、その通り……!
こいつは、さっき下級生の女の子から『読んで下さい』と渡されたのよ……!」
俺が思わず、「マジか?」と言った目を衛に向けると……。
衛は、ニコニコとした笑顔のままうなずく。
なんと、マジなのか……。
いやまあ、確かにイタダキは、おバカでザンネンで髪の毛ムダにトガってたりはするが……。
長男らしく面倒見は良い方だし、約束は破らないし、黙ってりゃ見た目もそんなには悪くないし……と、一応、プラスな面もあるわけで……。
頂点頂点やかましいのをガマン出来るなら、好意的に見る女の子がいるのもおかしくはない――か?
何せ、異世界で勇者やってたってこと以外はド凡人な俺ですら、千紗みたいな最高にカワイイ彼女が出来たぐらいだからなあ……うん。
「さあ、今こそ見せてやるぜ……!
オレ様の、頂点たる純情をな……!」
何だそりゃ、と、その発言にツッコむ間もなく――。
イタダキはこの場で素早く封筒を開け、中に入っていた手紙を自慢げに俺たちに見せつける。
そこに書かれていたのは――!
「ふむ……どれどれ……?
『――私たちの千紗お姉様にまとわりつく悪い虫は、ワーテルロー先輩の親友だと聞きました。
責任を持って何とかして下さい――』
……だ、そうだぞ? ワーテルロー」
ハイリアが読み上げた文面からして……。
ああ、うん……。
どうやらこれ、体育祭での活躍以来千紗のファンになってる女子からの、要望書だったみたいだな……。
いや、っていうか――。
「「 誰がコイツと親友だ、誰が! 」」
瞬間、俺とイタダキは同時に、互いを指差して思い切り文句を言っていた。
それに反応して……
「……そういうとこじゃない?」
「そういうところであろうな」
衛とハイリアが揃って、ビミョーに生温かい笑顔を浮かべながらうなずきやがる。
いや、マジでカンベンしてくれよ……。
「……つーか、こっちでも名前間違えてんじゃねーよ!
誰がナポレオン最後の戦いだ! しかも負け戦で底辺直行じゃねーかッ!」
「あ、それは知ってるんだ……」
……というか、『ワーテルロー』だけだと、ただの地名だけどな……。
「……ってなわけで、見たかオイ、裕真ぁ!
これが本当の『純情を弄ばれる』ってやつなんだよ!
――分かったか、コンチクショ〜ッ!」
「ああ、うん……そうな……」
朝の通学路にもかかわらず、遠慮無く悲嘆のシャウトを上げるイタダキに……俺はただただ、うなずくしかなかった。
――っていうか、衛のヤツ……。
さっき俺が、イタダキが手紙もらったって事実を確かめたときの、あの笑顔……。
この内容のこと察してて、なのにイタダキには敢えて言わなかったな……?
なかなかに恐ろしい真似をしやがるぜ……!
俺が、改めて畏怖の念を込めて視線を向けると……。
当の衛は、そんな俺に「そう言えば」と、やはりにこやかに話を振ってくる。
「聞いたよ〜? 裕真。
なんだか昨日、鈴守さんとイイ雰囲気になってたとか……」
「お、おう……まあな……」
「だけど、イタダキたちに邪魔されたとか……」
「……おぅ……まあ、な……」
昨日のアレを、冷静になって改めて思い出すと、残念なようなホッとしたような……。
どちらにせよ、わりと恥ずかしくなるのは確かだな……うん。
「――というわけで、今日は邪魔しないよう、イタダキ引っ張って先に行ってるから」
「へ?」
「……そうだな。では、余も手を貸すとしよう」
衛に続き、ハイリアもそんなことを言ったと思うと――。
手紙のショックからガックリし、心なしトガった頭もへにょりとしているような気がするイタダキを、両脇から挟み込んで……校門へ向かって小走りに連行していく。
その途中、ヤツらが軽快に挨拶を交わしたのは――。
道路脇の木陰に、穏やかな笑顔とともに佇む……。
ひさびさに見る制服姿がまた最高にカワイイ、鈴守千紗その人だった。
「……ホント、元気そうで良かったよ」
「うん……ウチも。
裕真くん、ケガとかしてへんかな――て、心配やったから」
朝の挨拶を交わした俺と千紗は、そのまま並んでゆっくりと……でも遅刻にはならないように、校門の方へと歩いていた。
ちなみに……その道すがら。
通りすがりのクラスメイトが、俺たちの名前呼びに気付いて冷やかしてきたり……。
恐らく千紗のファンだろう女子に、(当然俺だけが)氷点下の視線を投げかけられたりもした。
そうして千紗とは、学校までの短い距離を、他愛のない会話をして……。
で、そのついでに、ハイリアにもグチった、今朝の起こされ方についての話もしたんだけど……。
「……それはあかんよ〜、裕真くん……。
せっかく亜里奈ちゃんが、忙しい中、起こしに来てくれてんねんからー」
「はい……すいません……」
……しっかりとお説教されてしまった。
い、いや別に、千紗なら優しくフォローしてくれるかな〜……なんて、甘っちょろいことを考えてたわけじゃ――!
わけじゃ――。
……ないこともないね、うん。反省……。
ま、まあ、それはもう置いておいて――と。
「……そう言えば……今日のHRで、文化祭のことも話すんだよなあ」
俺は今日のことに話題を移すことにする。
「あ、そうやね。
こないだ体育祭やったと思たら、もう次は文化祭なんやね……」
「まあ、さすがにまだもうしばらく先だし、どういう出し物にするか――って、ちょっとした話し合いをするぐらいだろうけどさ」
「……裕真くんは、出し物、何が良いとかあるん?」
「俺? うーん……そうだなあ……。
あ、鉄板焼きの屋台とかいいかも。
〈天の湯〉の手伝いでボイラーの番とかすることもあるから、俺、暑いのにはそこそこ強いし……焼きそばぐらいなら作れるし。
――で、千紗は?」
「ウチは……屋台もええけど、教室で喫茶店とか――かな?
あ、も、もちろんウチは調理担当の方やでっ?」
「えー? なんかもったいない……。
千紗のウェイトレスさん、見てみたいけどなあ」
千紗とそんな会話をしながら……そう言えば、と去年の文化祭を思い出す。
1年の頃は、まだおキヌさんも大人しめ(あくまで今と比べて)だったから、文化祭の出し物はそんなにはっちゃけることもなく……。
教室を使った、縁日定番ゲームのアーケードだった。
要するに、射的やら金魚すくいやら型抜きやら輪投げやら……といった縁日ゲームを一手に揃えてた――って感じだ。
……あ、でも、当日になっていきなり『型抜き勝ち抜きコロシアム』なんてイベントブチ上げたりした(そして大盛況だった)とこなんかは、やっぱりおキヌさんだよな……。
……っていうか……待てよ?
おキヌさんに文化祭と言えば――。
そう……確か夏休み直前、なんか千紗のファンクラブから、大量の要望書をもらってたよな……。
で、その内容は――。
「「 ………… 」」
俺と千紗は、同時にそのことに思い至ったのか……無言で顔を見合わせる。
「いや、まさか……だよなあ?」
「うん、まさか……やんねえ?」
互いに、胸の奥に湧き起こる不安を――ちょっとばかり引きつってるような気がしないでもない笑顔で笑い飛ばして……昇降口へ。
そうして、気分も新たに靴を履き替え、改めて一緒に教室へ――と、揃って廊下に足を踏み出したところで……。
「――あ、あのっ……!」
どうやら、俺たちのことを待っていたらしい白城から――声を掛けられたのだった。