第271話 長い長い一日の終わり……勇者たちの深夜会談 −1−
――勇者にとってはとにかく色々あったらしい、今日、8月5日の深夜。
その『色々』について一通りは、夕食後、亜里奈も交えて勇者自身の口から報告を受けたものの……。
そこから一歩踏み込んで、〈世壊呪〉と関わる話をする可能性も考え――。
改めて、亜里奈が寝入ってから、我ら3人は勇者の部屋に集まっていた。
「……いや〜……。
今日は、ホント……マジで疲れたよ……」
――ベッドに大の字になった勇者は、大あくびとともに気の抜けた声を出す。
その様子に、放っておくとすぐにでも寝てしまいそうだな……と思っていると。
「勇者様……そのまま寝ちゃダメですからね?
必殺の『軍隊式泥水コーヒー』、飲ませますよー?」
余が「寝るなよ」とクギを刺すその前に……。
自分の分の冷えた麦茶をチビチビとすすっていた聖霊が、いわゆるジト目とかいうやつで勇者を牽制していた。
……ちなみに、いつもジュースの聖霊が、余や勇者と同じく麦茶にしているのは、すでに歯を磨いてしまったからである。
就寝前の歯磨き後に飲食すると、亜里奈に怒られるからだな。
それならそれでもう一度歯を磨けばいいだけだろうが、それは面倒、ということらしい……なまけ者め。
「ちなみにアガシー……それは、『泥水みたいに濃いコーヒー』のことだからな?
マジに泥水でいれるコーヒーじゃないからな?」
呆れた様子で身を起こした勇者が、わざわざそう念を押す。
……だからと言って、正しい方であっても飲む気はなかろうが。
まあ……何にせよ、ちょっとした脅しとして、普通のコーヒー程度には勇者の眠気を覚ます効果はあったかも知れんな。
とりあえず、「そんなの分かってますー」と聖霊は口を尖らせていたが、勇者が起き上がったことで、改めて話を進めようと思ったらしく――。
「……にしても……。
まさか、ラッキーねーさんにクローリヒトの正体を知られてしまうとは思いませんでしたねえ……」
聖霊はまず、白城鳴がクローリヒトの正体を知ってしまったことを話題に上げてきた。
「ああ、うん……まあ……」
夕食後に話したときもそうだったが、やはりこの話になると勇者はバツが悪そうだ。
……一応、不可抗力ということで、誰が責めたわけでも無いのだがな。
「で、だ……勇者よ。
その対処としては『何もしない』……ということでいいのだな?」
夕食時の発言を、その意志を、今一度確認すれば……勇者はうなずく。
「……武尊のときは、アイツもチカラを得ちまったから、打ち明けることにしたけど……白城は違うしな。
それに白城は、俺のことは誰にも話さないって約束してくれた。
俺は――それを信じてるから」
「まあ、ラッキーねーさんの信用性については異論ありませんけど……。
でももし、個人的に興味を持って首を突っ込んできちゃったら――どうするんです?」
「それは……無いと思う。
少なくとも、しばらくの間は――さ」
聖霊の問いに、勇者は少しうつむき加減に、神妙な様子で答えた。
対して、聖霊はその理由に思い至らないのか、小首を傾げていたので……。
余が、言葉を添えてやる。
「まあ――そうだな。
余とて、色恋沙汰に特別詳しいというわけでもないが……。
募る想いを告げ、それを断られた相手に……わざわざそうまでして深く関わるような真似は、そうそうしないであろう――ということだ」
「むむむ〜……!
知った風な口を利きおってからに〜……ナマイキな!」
不満げに唸る聖霊は、麦茶に浮いていた氷を1つ、これ見よがしに口に含んで噛み砕く。
余はそれを見やりながら、悠々と己のグラスを手に取った。
「仕方あるまい。
現に聖霊、少なくともキサマよりは知っているはずだからな」
そうして、聖霊の悪態を余裕を持って受け流してから、グラスに口を付ける。
……うむ……。
麦茶も美味いが、やはり、よく冷えたものを運動後や風呂上がりに呷るのがベストよな。
こういうときは、熱い緑茶の方がいいのだが……まあ、仕方あるまい。
今これだけのために茶葉を使うのも惜しいからな。
麦茶の清涼感に喉を潤した余は、そのまま続けて勇者に視線を向ける。
「――さておき、とにかく……だ。
白城については、その『告白』という強烈な記憶が、勇者、お前の正体と結びついているはず……。
ゆえに、記憶を直接操作するような魔法での対処は不可能と思った方がいいだろう」
告白――と。
自分で口にしたその単語に余は、そう言えば……と、ふと思い出す。
……夕食後の会話の際、この話が出たときは、その後のおスズ誘拐への流れもあって、亜里奈は勇者を『迂闊』と説教するかと思ったのだが……。
いや、実際苦言は呈していたものの――予想していたほどではなく。
それよりむしろ、亜里奈はこの『白城の告白』の部分に随分と気を取られているようだったのが――印象的だった。
……そう、言うなれば……。
白城に、知らず知らずに肩入れしているというか……想いに寄り添うような――。
そんな風に感じられたのだ。
さすがにその胸の内を知ることは出来ないが……。
亜里奈は亜里奈で、何か思うところがあった――ということなのだろう。
……そんな余と同じような感覚を、実の兄が抱いたのかどうかは――。
余の発言に対し、ベッドの上で神妙にうなずく勇者の様子からは、窺い知ることは出来なかった。
「つまり、いざってときでも、白城の記憶をどうにかする強引な手段には出られない――ってことだろ? 分かってる。
……そもそも、やっぱりそんな真似はしたくないしな……」
「無論余も、そのような事態にならぬのが一番だと思っている。
……ゆえにあくまで、一応の確認だ」
実際のところ、亜里奈が危険にさらされるような事になるなら、如何なる手段を用いようとも対処するつもりの余ではあるが……。
さりとて、こちらの世界の知己を蔑ろにしたいわけでもない――それもまた本心だからな。
「さて、白城の件はひとまずそれで決定として――だ。
……聖霊。キサマも何か、我らに報告したいことがあったのではなかったか?」
話題に一つ区切りがついたところで、視線とともに話を聖霊に向けると――。
「あ、あ〜……それは――えと!
えーっと……ですねぇ……」
ひょい、と跳ねるように姿勢を正してから……。
なかなか言い出しにくいことなのか、言葉を選ぶように、しばし逡巡し――。
ややあってようやく、聖霊はまなじりを決して口を開いた。
それは――エクサリオの正体について、だった。
もともと彼奴が、余と戦ったこの勇者よりも時代の古い〈勇者〉だろうことは予想されていたわけだが……。
どうやら、聖霊の記憶と知識からして……その中でも最も古いと言える、アルタメアの〈初代勇者〉であるらしい。
「……なるほど。
ヤツが、初代勇者アモル――だったわけか」
その名は当然、余も知っていた。
我ら魔族の間にも伝わっていた人物だからだ――当然ながら、悪い意味で。
……もっとも……。
そもそも余は、人族との和解を望む幼馴染みの影響もあって、人族そのものを憎悪していたわけでも無く――。
ゆえに、魔王を討伐、魔族を僻地へと追いやった人族の憎き尖兵――と言われたところで、はるか過去のことなれば、特段の敵愾心も湧かずで。
結果的に……そう、それこそ、こちらの世界の教科書に出てくる歴史上の人物――程度の認識でしかなかったのだが……。
どうやら勇者は、そうではないらしい。
むしろ、魔王だった余よりもずっと、腹立たしげな表情で――手の平に拳を打ち付けていた。
「くっそ、そうと分かってれば……!
あの場で何とか踏ん張って、せめてもう1発ぐらいはブン殴ってやったのに……!」
「……勇者様……」
怒りを露わにする勇者を、聖霊が珍しくしおらしく、複雑な表情で見つめている。
……ああ、そうだったな。
初代勇者というのは、この聖霊の名付け親であると同時に――聖霊に、聖剣とともに孤独を生きる『役目』を与えた人物でもあるのだったか……。
なるほど、それを考えれば、この2人のそれぞれの反応もさもありなん――といったところか。
「しかし――それならそれで、聖霊よ。
キサマに名を与え、その自我が目覚める切っ掛けを作ったであろう人物との敵対――。
向こうがキサマに気付いていないとしても、キサマ自身には躊躇いがあるのではないか?」
そこで、余が疑問に思ったことを差し挟むと……。
怒りが先に立っていた勇者も、改めて冷静になったようで――気遣わしげな視線を聖霊に向けた。
「そうだったな……すまん、アガシー。
つい、俺自身の感情が先走っちまったけど……。
尊重すべきは、一番身近な存在だったアガシー、お前の考えなんだよな……」
さて、ではその聖霊の考えがどういうものかと、答えを待てば――。
ローテーブル上の麦茶のグラスを、ぎゅっと両手で握った聖霊は……至って真剣な表情で、勇者を見上げる。
そして――。
〈初代勇者〉に対し、正と負、両方が入り交じった複雑な感情があることは認めつつも……。
何よりも今、自分にとって最も大事なのは――家族でもある亜里奈を護ることなのだと、そうはっきりと宣言した。
だからこそ、亜里奈を――つまりは〈世壊呪〉を、問答無用に滅ぼそうとする〈初代勇者〉……エクサリオと戦うことに躊躇いはない、と。
「フ……なるほど。
おてんばを通り越して、もはや『ドてんば』でしかないと思っていた愚妹だが……。
きちんと、考えるべきは考えていたようではないか。見直したぞ?」
少なからず感じ入るところがあった余は、そう素直に褒めてやったのだが……。
聖霊は、先までとは一転してのしかめ面を向けてきた。
「ああ〜ん……? 何ですかそれ、めっちゃ上からじゃーないですか……?
ふん、わたしが『ドてんば』なら、イケメンなだけのテメーなんざ、さしずめ『ドケメン』ですね!
このドケメン兄貴めが! がるる!」
がるがると歯を剥き出しながら……グラスの表面に浮かぶ水滴で濡れた手を、余に向かってブンブン払い、水滴を飛ばしてくる聖霊。
それを正確に見切って、こちらも指で弾いてやっていると――。
「……お前らなあ〜……」
……その流れ弾が何発も、勇者の顔面にクリーンヒットしたらしい。
シャツの裾を持ち上げて、顔をぐいと拭いつつ……頬を引きつらせていた。
そしてそうかと思うと、「そう言えば」と、今度は余に話題を振ってくる。
「ハイリア、お前今日、古本屋に行ってたんだろ?
そっちは何か収穫あったのか?」
「……ふむ、そうだな……。
まだ、完全な収穫――というようなものではないが……。
良い機会だ、一度ここで話しておくか――」
そう前置きしてから、余は――。
ポケットから、銀に輝くペンダントを取り出し。
勇者と聖霊、2人ともに見えるよう、ローテーブルの上に置くのだった。




