第270話 シャワーでサッパリ、でも気苦労は絶えないのが勇者
「……ふうぅぅぅ〜……」
家に帰り着くや、風呂場に直行し……熱めにしたシャワーを頭から引っ被ると。
自然と、そんなタメ息が漏れ出した。
俺自身が思っていた以上に重なっていた、今日一日の疲労感が、ようやく……お湯に溶ける形で流れ出していく感じがする。
……そして、ちょうどそれと同時に、脱衣所の方に人が入ってくる気配が。
「お兄〜? 洗濯したバスタオル、置いとくからねー!」
「おう……サンキュー」
俺は、ガラス戸を挟んでの亜里奈の声に応える。
……ちなみに、風呂屋をやってる我が赤宮家だが、基本、家族が使うのは当然ながら普通の内風呂である。
設備はもちろん広さも普通で、亜里奈とアガシーなら二人一緒に入れる程度だ。(現によく一緒に入ってるし)
……さて――あの後。
そう、千紗と、なんて言うか、いい雰囲気になって……でもカンペキなタイミングでおキヌさんたちに邪魔された、あの後のことだ。
千紗の服は汚れてるばかりか、破れかかってるようなところもあったから、電車に乗って帰るより迎えに来てもらった方がいいと考えていた俺は……。
良い機会だと、そこでドクトルさんに連絡。
で、その迎えの車が来るまでの間に。
デートしてるはずの俺たちが、薄汚れた格好であんな場所にいたことを不思議がるおキヌさんたちに……。
正直に、でもかいつまんで、千紗がチンピラにさらわれて、それを取り戻すのに2人して乱闘する羽目になったことを説明したら……。
キミらはマジの勇者とお姫さまか!……なんてツッコミを頂戴したりして。
――その後、来てくれたドクトルさんの車で、まず千紗を家に帰し――続けて、俺も送ってもらっている、その途中に。
俺は改めて――それまで何も聞かなかったドクトルさんにも、事の次第を説明した。
千紗の保護者であるドクトルさんに、いくら結果として無事に千紗が助け出せたとはいえ、起きたことを黙っておくのは不誠実だと思ったからだ。
そして――静かに聞いてくれるドクトルさんに、一通り話し終わってから。
「……すみませんでした!」
助手席に座る俺は、ハンドルを握るドクトルさんに、思い切り頭を下げた。
それは、大事な孫娘の千紗を危険な目に遭わせてしまったことと……。
千紗がさらわれたとき、事をヘタに荒立てないように――って考えがあったとはいえ、肉親であるドクトルさんに一切連絡しなかった、そのことへの謝罪だった。
「……ふむ……」
前を向いたまま、厳しい表情で……ドクトルさんは、一つうなる。
「まあ、そうだねえ……。
赤宮くん、キミがアタシに連絡しなかったのは、確かに失策だ。
あの子の保護者なんだから――ってのももちろんだが……。
アタシなら、あの子の居場所を割り出すぐらい、朝メシ前だったんだからねえ」
「はい……すいません」
「……それに、だ。
千紗が、アタシにとって大事な孫娘であるように――。
赤宮くん。キミもまた、アタシの大事な友人である、赤宮家の家族なんだよ。
千紗を助けるためならキミは危険な目に遭ってもいい――ってわけじゃないんだ。
何せキミは、〈鉄仮面バイター〉みたいな変身ヒーローじゃなく……普通のいち高校生に過ぎないんだからな?
手助けしてくれる人間がいたとしても、さすがに今回は無謀が過ぎたってものさ。
……結果として、2人とも無事だから良かったようなものの……。
もう少し、自分の身の安全も考えて……アタシたち大人を信じ、頼ってほしかったってところだね」
千紗だけでなく、俺のことも思いやってくれての、まさしく大人の発言に……。
俺は素直に頭を垂れるしかなかった。
「……はい……」
と、そこへ――。
いきなり伸ばされたドクトルさんの左手が、俺の頭をクシャクシャと、やや乱暴に撫でくり回してくる。
驚いて顔を上げると……ニヤリと、ドクトルさんのオトコ前な笑みが待っていた。
「……ま、とは言え――だ。
惚れた女を自分の手で取り戻そうってガッツは、さすが、アタシが見込んだだけのことはある。
実際、千紗はちゃーんと無事に助け出してくれたわけだしね。
……ありがとう、赤宮くん。改めて礼を言うよ」
「あ……はい! ありがとうございます……!」
「しかも……キミ、千紗を降ろしてアタシと2人になるまでこの話をしなかったのは、千紗がいると自分がかばわれると分かってたから……だろう?」
「……はい。千紗は優しいから、きっと俺をかばってくれるでしょうけど――それじゃダメだと思って」
さすがドクトルさんだな……と感じ入りつつ、素直にうなずく俺。
「……まったく、やっぱりオトコ前だなキミは。
しかも何やら、いつの間にか千紗とお互い、名前で呼ぶようになってるし?」
「えっ!? あ、ええ、えと、これはそのっ!」
「はっはっは! 別に怒ってやしないよ!
むしろこれまでの他人行儀っぷりに、アタシだってやきもきしてたンだからね!」
「あ、ハイ……なんかすいません……」
遠回しに『ヘタレ』と言われたようで、先のお説教以上に小さくなってしまう俺。
「まあ、二人らしい、って言えばそうなんだがねえ。
……ともあれ、それじゃアタシもこれからは遠慮無く、名前で呼ばせてもらおうか」
「はい、もちろん!」
「ああ。じゃあ裕真くん、これからも……千紗のことを、よろしく頼むよ。
――もちろん、節度を持った付き合いで……な?」
「はは、はい、もちろんっ!」
思わずヘンな風に言葉がつっかえてしまって……ヤバい、なにかよろしくないこと考えてるって思われたんじゃないかと、反射的にドクトルさんの様子を窺うけど……。
……なんだろう。
ドクトルさんは珍しく、俺をからかうでもなく……。
マジメな顔で、真っ直ぐに前を向いたままだった。
「っ、いづづ……っ!」
熱いシャワーで身体がほぐれ、気も抜けた中考えごとをしていたせいか……。
胸回りから全身に走った鋭い痛みに、つい顔をしかめる。
……当然、エクサリオにやられた分――だ。
「……まあ、間違いなく骨がヒビだらけだなこりゃ……」
異世界――特に拳闘世界ナクレオで『気』の扱い方を叩き込まれたおかげで、俺は、その流れを意識して痛みを散らしたり、身体の自然治癒力を高めることが出来る。
だからこそ、普通なら病院行き確定のこの重傷でも、なんとか――特に千紗がさらわれてるときは、とにかく必死だったってのもあって――動き回れたわけだけど。
さすがに事が一段落して緊張が抜けると、痛み程度はどうしようもない。
まあ、俺自身、ここまで意識して『気』で多少は治癒力を高めていた上に、さっき、アガシーに治癒力上昇の魔法もかけてもらったから……。
この後ちゃんとメシ食ってゆっくり休めば、明日には余韻としての痛みが残る程度になるだろう。
ゲームでもそうだけど、やっぱり自宅で休むってのが、勇者にとって最高の回復手段ってわけだな。うん。
「……ねえお兄、大丈夫? ケガしてるんでしょ?」
俺のうめきを聞きつけた――ってこともないハズなのに、まだ脱衣所にいたらしい亜里奈が、そう声を掛けてくる。
……まだ亜里奈たちには、今日あったことは話してないんだけどな……。
「――なんで分かった? 外傷なんてほとんど無いのに」
「分かるよ……それぐらい。
顔色悪かったし、動きも微妙にぎこちなかったし。
……あたしが何年、お兄の妹やってると思ってるの?」
「そろそろ12年」
「…………。
そーゆー口が利けるなら大丈夫か。
――っていうか、今日は千紗さんとデートだったはずでしょ?
なんでそんなケガなんてしちゃってるの?」
「あ〜、それは――」
亜里奈と話しながら、ボディソープのボトルを押すも……手応えが無い。
あ〜……そう言えば、切れてたんだっけ。
「すまん亜里奈、ボディソープの詰め替え――」
「ふっははー!
こんなこともあろうかと、用意してきたのですよー!」
俺が声を投げかけると同時に、廊下側の引き戸が開く音がし――ウザいぐらい元気な声が脱衣所に飛び込んでくる。
アガシーだ。詰め替え用のパックを持ってきてくれたらしい。
「こんなこともあろうかと――も何も、切れちゃってるから詰め替えなきゃって、今日のお買い物で買ってきたところだけどね……」
「でもアリナ、バスタオルついでに持ってくるの忘れてましたよね?」
「……うぐっ」
お、珍しいな……亜里奈がアガシーにやり込められてる。
……ていうかホント、この2人、すっかり普通の姉妹みたいになってるよなあ……。
「とにかくサンキュな、アガシー。こっちにくれ」
「イエス、シャー!」
カラカラとガラス戸がちょっとだけ開き、詰め替えパックがにょっきり差し出される。
……これも、以前のアガシーなら、スパーンと問答無用にガラス戸全開にするところだったよな〜……。
パックを受け取りつつ、アガシーの成長になんとなーく感じ入っていると――。
「ところで勇者様……。
このかわいい妹分が、愛情たーっぷりにお背中流してやってもいいんですよ?
――1万円で」
「いやそれゼロだろ愛情。つーか高いわ!」
……うん、まあ……。
多少は成長しても、根っこはそうそう変わらんってことだね……。
「ちぇー……。
――そんじゃま、わたしは晩ゴハンの準備に戻りますねー」
ともすれば本気でカネを巻き上げる気だったのか……。
いかにも残念そうな「ちぇー」を言い置いて、アガシーは脱衣所を出て行った。
「まったく……。
――ああ、そう言えば今日の晩メシ、なににするんだ?」
早速俺は、カラのボトルにボディソープを移し替えながら……亜里奈に尋ねる。
……何だかんだで、今日はとにかく動き回って……しかもその間、何も食ってなかったからなあ。
はっきり言って、めちゃくちゃ腹が減っているのだ。
「……えーとねー……。
今日も暑いし、まずは韓国冷麺。
中華冷麺でも良かったんだけど、あれ用のレモン醤油だれ、前にアガシーが『すっぱすっぱです〜』ってニガテそうにしてたからね。
麺とスープのセットが安く売ってたし、ちょうどいいかな、って。
……それと、冷蔵庫の余り物と炊飯器に残ったゴハン使ったチャーハンと……あとは野菜ギョーザかな」
「お……冷麺か、いいなあ」
亜里奈は韓国冷麺でも、中華風みたいに、錦糸玉子(もちろんお手製だ)やらキュウリやらハムやらをわりとどっさり乗せて作るから、お店で出てくるようなやつよりも食いでがあるんだよなー。
腹ペコの俺にピッタリだ。
「……他に、なにかいる?」
「いや、大丈夫――って、そうだ、炊飯器の残りをチャーハンに使うってことは、白ゴハンのおかわりとかはムリか?」
「いけるよ? 小分けで冷凍保存してあるゴハン、まだ残ってるから。
それ、チンすれば」
「あ〜、助かる。今日、めちゃくちゃ腹減ってるからさ……」
改めて口に出すと、連動して腹が鳴る……ってほどじゃなかったけど、具体的な献立を聞いたのもあって、食欲がさらに騒ぎ出したのは事実だった。
ここで慌ててもしょうがないのに、ボディソープを泡立てるのもついつい機敏になってしまう。
「……それでお兄? さっき聞こうとしたことだけど。
デートなのにケガして帰ってくるとか……。
――まさか、千紗さんを危ない目に遭わせたりしてないよね?」
――ぎくぅっ!
……と、亜里奈の言葉に、声に出して反応してしまいそうになる俺。
いやまあ、ここでバレるようなあからさまな態度を抑え込んだところで――だ。
結局、後で話すことになるわけだけど……。
というか……。
「……ふ〜ん……?」
何せ、相手はあの亜里奈だ。
ガラス戸越しではっきり見えなくても、俺の気配から何かを察した――いかにもそんな感じの声をもらす。
「ま、まあ、亜里奈、今はお前も晩メシの用意、あるだろ?
詳しくは……うん、晩メシの後に話すから」
「ん……まあ、そうだね」
「あ、でも、先に言っとくけど……!
俺が千紗を裏切ったとか傷付けたとか、そういうんじゃないからな!?
俺が千紗にそんな真似するはずないからな、ゼッタイ!
……だから亜里奈、ヘンな誤解して、俺の晩メシだけ量減らすとか、そういうのは――」
ふと、まさか――と、晩メシに影響が出る可能性に思い至り、恐怖に駆られてそう言い募るも……なぜか、亜里奈は何も答えない。
どうしたんだろうと、少し待っていると……やがて。
「……ふぅぅ〜ん?……千紗、かあ……」
「――へ?」
ガラス戸越しで表情はまるで分からないものの、なぜか、ニヤリと笑ったような気がする亜里奈は――。
「ん、それじゃ、ゴハンの後のお話、楽しみにしてるからね!
……逃げるのはナシだよ〜、お兄ぃ?」
そう念を押して、脱衣所を後にしていった。
「………………」
……うんまあ、当然、話すつもりではあったわけで。
だから、それはいいんだけど……。
「……名前呼びになっただけでこれか……」
アガシーはもちろん、母さんまで、呼び方変わったことに気付いたら同じような反応するんじゃないかと思うと――。
「……いででで……」
なんか……この胸回りの痛みの原因って。
実は、骨にヒビとかじゃなくて胃なんじゃないかって――そんな気がしてしまうのだった。