第269話 気力が無いなら、ラーメン食べればいいかも知れない
――雨が上がった。陽も射してきた。
でも……わたしは。
そんな空のように晴れやかとは、とても言えない気分で――。
「……ハァ……」
高稲駅の構内へ上がる大階段の端に……何をするでもなく、座り込んでいた。
さっき黒井くんから電話があって、鈴守センパイを無事に助け出せたことと……。
赤宮センパイが、わたしに感謝してた――ってことを、教えてくれて。
もうとにかく、ひたすらに安心したんだけど……。
でも――そうなると。
今度は途端に、全身から力が抜けちゃって……。
「…………ハァ」
メガネも外して、ぼやける裸眼で空をボーッと見上げたまま……また一つ、タメ息をつく。
高稲へは、そもそもちょっと買い出しに来ただけだったし、もうさっさと帰ればいいんだろうけど――。
なんとなく、そうする気にもなれなくて……でも当然、これ以上ここにいる用なんて無くて。
……何をするでもなく……無気力に。
わたしは、ただただ、ぽつんと――大階段の端に座っていた。
ただ、こんな風になっちゃってる理由は……分からないわけじゃない。
鈴守センパイがさらわれてたときは、もちろん、無事を必死に祈って――。
わたしに特に何が出来るわけでもないのに、でもだからって、高稲を離れるのも薄情な気がして……とにかく、良い報告を待ち続けてた。
で、その『良い報告』を受けて、良かったとホッと一息ついたわたしは……。
けれど、この『非常事態』のお陰で後回しに出来ていた問題と、改めて、真っ正面から向き合うことになった――ってわけだ。
そう――つまりは。
赤宮センパイにフラれちゃった、って事実と。
……そもそも仕方のないことだと分かってたし、むしろそれでこそ赤宮センパイだとか、相手が鈴守センパイだからしょうがないとか、そんな想いはあるし――。
それなのに、つい、胸がいっぱいになって、泣いちゃったりもしたけど。
こうして、ゴタゴタも終わって、ちょっと落ち着いたら……。
あ〜……わたし、フラれたんだなあ……って。
何て言うか、しみじみと実感しちゃって……。
それと――そうなるに至ったきっかけ。
赤宮センパイが、クローリヒトだった――っていう、あの真実……。
そのこともわたしは、思い返さずにはいられなかったんだ。
知ってしまったその真実を、どう扱うべきだろう――って。
……順当に考えれば――〈救国魔導団〉の一員として、お父さんに報告するべきなんだと思う。
〈世壊呪〉を護り続けると明言しているクローリヒト……。
その正体が、センパイだと確定したなら――。
それは、〈庭園〉を維持し続ける魔術の触媒として、〈世壊呪〉を探し求めるわたしたちにとって……大きな手掛かりになるはずだから。
……それは分かってる。
分かってるんだけど――。
「…………出来ないよ、そんなの…………」
ポツリと、思ったままのことが、言葉としてこぼれ出た。
……だって……約束したんだ、センパイと。
誰にも言わない――って。
いっそ、フラれた腹いせにぶちまけちゃえ――とか、そんな風になれれば楽だったんだろうけど……。
――幸か不幸か……。
わたしは、そんなイヤな女にはなれないみたいだった。
大事な約束を破るなんて、そんな真似――出来るわけない。
いくら、その正体がわたしたちの敵、クローリヒトで――。
しかもフラれちゃったんだから、彼氏でもなんでもないとしても――。
憧れて、好きになった人なんだから……なおさらだ。
裏切るなんて、出来るわけない。
でも――裏切り、って言うなら。
こうして、重要な情報を知っていながら、それを黙ってるのも……。
お父さんたちへの――引いては、〈庭園〉で匿う魔獣たちへの裏切りなんじゃないか、って思うと……。
「……ハァ……」
また――ついつい、タメ息がこぼれ出てしまう。
なんかもう……この数時間でいろいろあり過ぎて。
自分の感情の乱高下に疲れて、思考も気分もグルグルのグダグダで――。
「……どうしたの白城さん? 大丈夫?」
そんなわたしの視界に……いきなり、ひょっこりと影がさした。
……自慢じゃないけど、わたしの視力は相当悪い。
そのままだと輪郭がぼやけて誰だかサッパリだから、ヒザの上に置いていたメガネをかけ直して――。
さらに、目を細めて――。
「……国東センパイ……?」
その名前を絞り出したのは、声を掛けられてから、たっぷりと何秒も経ってからだった。
「……一瞬、本気で忘れられてるのかと思ったよ……」
苦笑混じりに、安堵の息をつく国東センパイ。
そしてそうかと思うと……センパイはまた、心配そうに同じ質問を繰り返してきた。
「で、本当に大丈夫? 身体の調子でも悪いの?」
「あ、いえ……大丈夫です。
ちょっと、その……いろいろあって……ボーッとしてただけ、ですから。
――で、そんなセンパイは、どうしたんです? こんなところで」
正直言って、誰かと会話したいような気分でもなかったし……。
大丈夫ですから――と、その一言で会話を打ち切ることも出来ただろうに。
つい、わたしは……そんな風に、質問を返していた。
はっきりとは言い切れないけど……。
こうして声を掛けてきた国東センパイの表情にも、なんとなく陰のようなものを感じたから――かも知れない。
「え、僕? 僕は、うーん……何て言うか……。
ちょっと不愉快なことがあって――ね。
喩えて言えば、そう……。
変身ヒーローの敵役が、思った以上に弱くて……なのに口ばっかりは達者で、見ていてなんとも苛立たしい――みたいな……?」
「……なんですかソレ? さっぱり分かりませんって」
眉根を寄せながら、ヘンな喩えを引っ張り出して……きっと自分でもよく分かってないんじゃないかって説明をする国東センパイの姿に――。
わたしは思わず、小さく笑ってしまう。
ただ、そうしながら同時に……『変身ヒーロー』って喩えから、思わず赤宮センパイ――クローリヒトを連想していた。
……あ、ううん、クローリヒトは今日、こっぴどくやられてたみたいだから……。
この喩えだとむしろ、その敵役の方、かな。
口ばっかり達者――って言うのは、ちょっと違う感じだけど……。
まあ、それは冗談として、もしかしたら……。
センパイが前に言っていた、実家の剣道場で師範をしてるっていうお祖父さんとの、『強さ』についての確執――。
そのあたりのことで、なにかあったのかも知れない。
「……あ〜……やっぱりサッパリだよね。
いや〜、なんせ僕自身、言っててよく分からなくなったし?
――まあともかく、ちょっと気分が良くなかったからさ……さっきまで、1プレイ50円の馴染みのゲーセンで気晴らししてた――ってわけ。
で、さすがにそろそろ帰ろうかと駅まで戻ってきたら……」
「駅の階段に見知った顔が座ってた――ってわけですか」
「それも、浮かない顔でね。
――で、なにかあった? 言いたくないなら聞かないけど……」
「まあ……ちょっと――ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ……ツラいなあ――って。
……そんなことがあっただけ、ですよ」
さすがに、『フラれました』なんて、正直にぶっちゃける気にはならなかったわたしだけど……。
でも、こうやって心配してくれるセンパイを、邪険にする気にもなれなくて。
そう、ちょっと――ほんのちょっとだけ、強がってみせる。
で、センパイはと言うと――。
そんなわたしの答えに、「そっか」と、小さくうなずくだけだった。
……まあ、この前うちの店で、わたしとお互いに、『勝ち目の無い相手』と戦うことを応援する――なんて話をしたところだし……。
そもそもわたし、それなりに泣いたから……目元、腫れぼったいだろうし……。
薄々は勘づかれてるんじゃないかな……って気もするけど。
結果、当のセンパイは――
「どう? ラーメン、食べに行かない?」
……いきなり。
何を言うかと思えば……唐突に、そんな提案を向けてきた。
本当に唐突だったから、『これは言葉通りの意味なんだろうか』と、しばらく何も言えずに呆気に取られていると――。
センパイは、もともと童顔なところに、さらに子供みたいな苦笑を浮かべた。
「ほら、人間ってさ……お腹空いてると、考えごととかしてても、知らず知らずのうちに悪い方へ悪い方へって考えが偏っていくって聞くから。
――うん、だからまあ……おいしいラーメンでも食べれば、考えごととか悩みも、ちょっとは良い方へいくんじゃないかな……って思って、さ」
「……なんですか、それ」
センパイの説明を受けて、思わずわたしも……困ったような微苦笑を返してしまう。
「わたしが言うのもなんですけど……。
しょぼくれてる女子にかける言葉としては、あんまりよろしくないと思いますよ?」
「……あ〜……やっぱり? 難しいなあ……こういうの。
僕、ラーメン食べに行こうとか考えてたから、ちょうどいいかな、とか思ったんだけど……」
「……その、『ついでに』みたいな言い方。
それも、評価点マイナスですからね?」
いかにもバツが悪そうに頭をかくセンパイを見上げたまま……。
わたしは、よいしょ、と腰を上げる。
さっきまで、重く重く感じられて、まるで動こうとしなかった身体だけど……。
いざそうしてみると、思ったよりずっと――軽やかに動いてくれた。
なんだ、動けるんだ……って感じで。
その軽快ついでに……わたしは。
センパイを置いて、地上までのたった数段を飛び降りる。
そうして――
「――で、センパイ。
どこのラーメン、おごってくれるんですか?」
追いかけてきたセンパイに、そう尋ねれば……。
センパイは、きょとんと首を傾げた。
「え? おごるなんて言ってないけど?」
「センパイ〜……?」
「冗談冗談。おごるよ、もちろん。
なんせ、『強敵』との戦いを応援するって約束した、同志だからね」
笑顔のまま、わたしを追い抜いて歩き出したセンパイの後を追いながら――。
いろいろと、悩み考えることはあって……しかもそれは、これだって答えが出て、スッキリと片付くようなものじゃないのかも知れないけど。
でも……確かに、おいしいものを食べてお腹いっぱいになったら、その向かう方向がちょっとはマシになるかな――なんて。
肝心のラーメンはまだなのに、ちょっとは気分が前向きになってる気がして――。
「……で、〈龍乃進〉でいい?」
「あ、学校の近くにもあるお店ですよね?
わたし、まだ食べたことなかったんですよ」
わたしはこの、器用なんだか不器用なんだかよく分からないセンパイに……。
少しばかり、感謝するのだった。




