第268話 好きでいてくれて、ありがとう
――鈴守をおぶったまま、工事現場を離れた俺は……。
たまたま目に付いた、周辺整備の一環で作られたものだろう、こじんまりとしながらも長く続く遊歩道を歩いていた。
いくら今の俺がボロボロだって言っても、戦ったりするにはキツいってだけで……身体の端々の痛みをガマンすれば、女の子を背負って歩くぐらい、わけはない。
それに――鈴守は小さくて華奢だ。
亜里奈と比べるのはさすがに間違いだとしても、見た目以上に軽く感じる。
でも、そこには……物理的な軽さとは真逆の、とんでもない重みがあった。
そして、その重みが今、背中にあることに――俺は心底、安堵していた。
この子が、俺にとって本当にどれだけ大切か――改めて、噛み締めていた。
本当に――無事に助け出せて、良かった……。
「……ん……う……?」
やがて、可愛らしい吐息とともに、背中の上で身じろぎがした。
「……目、覚めた?」
なるべく驚かさないようにと気を付けて、穏やかに声をかける。
雲間から射し込む陽の光に照らされる中……。
長い睫毛に伏せられていた鈴守の大きな瞳が、ゆっくりと開かれた。
「あ……え、これ……ウチ……?
――ごご、ゴメン、すぐ降りるから……!」
「大丈夫だよ。疲れただろ?
それに、今はまだ身体に力も入らないと思うし」
「で、でも――」
「あ、それとも……!
もしかして俺って、汚い? 暑苦しいっ? 汗臭いっ!?」
この8月の、蒸し暑い中をさんざん動き回ったんだから、当然汗もかくってものだ。
……よかれと思っておんぶしてたわけだけど、もしかして、これまたデリカシー無い系の行動だったのかと慌てれば……。
そんな俺に対し、鈴守は必死に頭を横に振ってくれた。
「そ、そんなことないよ!
むしろ、その……あったかいし――すごい安心……する。
――それに、汚い言うたら、ウチの方が……」
恥ずかしそうに、小さい声で、自分の身なりを口にする鈴守。
……確かに、雨に濡れた上で、工事中のビルなんかで乱闘していたんだから……。
鈴守らしい清楚な服は、汗ばかりか、ホコリやら泥やらで端々が汚れ、コンクリの角にでも引っかかったのか、破れかけているような箇所も見受けられた。
「そんなの、それこそ俺は気にしないよ。
だから……その。
ち――、あ、いや、鈴守が、イヤじゃないなら……。
もうしばらく、このままで……いさせてくれないかな」
「う、うん……。
ゆ――赤宮くんが、そう言うてくれるんやったら……」
控えめにそう言って、きゅっと俺のシャツを握った鈴守は。
そのまま、俺の肩口に隠れるように……額を押し付けてくる。
「…………」
「…………」
そうして、しばらく互いに無言でいた俺たち――だけど。
少なくとも俺は、ムリに言葉を交わさなくても、こうやって鈴守の重みとぬくもりを感じてるだけで幸せ――なんだけど……。
……このまま、今日の事件のきっかけを、うやむやにするわけにもいかない。
俺も、ちゃんとケジメをつけなきゃ……な。
(……よし……)
意を決して、非難されるのは覚悟の上で――俺は、口を開いた。
「鈴守……ゴメン。
俺、キミを誤解させるような……軽率なマネをした」
「……え……?」
俺がいきなり謝罪から口にしたからか――鈴守は、驚いたように顔を上げる。
「ほら、あの……俺さ、白城と一緒にいただろ?
もちろん、今日の鈴守との約束を反故にしてまで、白城と会ってたとかじゃなくて……。
あれは、その前に、俺が……わりと強いヤツとケンカしちゃってさ。
ちょっとダメージ受けて、フラついてたところに……たまたま通りがかった白城が、肩を貸してくれてただけなんだ……」
「……う、うん……」
いかにも言い訳っぽい俺の言葉をどう捉えたのか……。
鈴守は、是とも非とも取りづらい、曖昧な相づちを打つ。
だけど、そもそも……俺が話すべきことはまだ終わりじゃない。
「それで――さ。
実は俺、そのとき……白城に、告白されて――さ」
「――え!? 白城さん……が――?」
素直な驚きの声を上げる鈴守。
ただ、その驚きが、もともと白城の想いに気付いていてのことなのか、そうでないのか……そこまでは、俺にも分からない。
そして、そのどちらだとしても――。
俺が軽率だったって事実には、変わりないんだから。
俺は……言うべきことは、ちゃんと言わなきゃいけない。
「……ああ。もちろん、断ったけど。
だから、俺は鈴守に対してやましいことは何もしてない……それは誓って言える。
だけど……あのとき、鈴守に誤解させてしまったのは事実だ。
そしてそれはやっぱり、白城との接し方が迂闊で軽率だった、俺の責任なんだよ。
だから――ゴメン。
言葉だけじゃ信じられないかも知れないし、怒るのも仕方ないことだけど――」
「…………っ!
違う――違う、違うねん……っ!」
鈴守が、大きく息を呑んだ――と思うと。
その後に続く言葉の語気が、予想よりも強かったから……やっぱり怒るよな、と一瞬思ったんだけど。
……そうじゃなかった。
鈴守は――小さく、嗚咽をもらしていた。
違う――と、そう繰り返して。
「ウチは――ウチは、白城さんと一緒の赤宮くん見て、誤解したん違うねん……!
赤宮くんのこと疑ったん違うねん……!
――あのとき逃げてしもたんは、全部、ウチが悪いねん……!」
「……どういう……こと?」
俺は、歩く足を止め……鈴守の言葉に集中する。
「ウチは……こんなにも、赤宮くんに大事にしてもらってるのに……!
こんなにも、ウチなんかを好きでいてくれるのに……!
やのに、ウチ――!
ウチこそが、そんな赤宮くんを裏切ってるかも知れへんねん……!
赤宮くんやない人に、惹かれてるかも知れへんねん――っ!」
俺の背にしがみつくようにして、そう告白した鈴守の声は……今まで聞いたことがないようなものだった。
きっと、自分への怒りとか、俺への申し訳なさとか……真面目で誠実な鈴守だからこそのそんな感情の諸々が、これでもかと剥き出しになった――悲痛なものだった。
でも、そうか――そんなことが……。
「やから――やからウチ、あのとき、赤宮くんと顔、合わせられへんくて……!
ウチの心が見透かされたら――他の人に惹かれてるかも知れへんて、それがホンマやったらどうしよう、て……!
何よりウチ自身の心が、怖くて……! やから――!」
「……そっか」
その後に続くだろう鈴守の言葉を、やや力強い、でも努めて穏やかに発した一言で――邪魔をする。
なぜなら……鈴守はきっと、謝る気でいたから。
そして俺はそれを、口にさせたくなかったから。
「……ありがとう、鈴守」
だから、俺は――素直に、感謝を告げた。
謝らなくていいんだと、そんな想いも込めて。
「……え……?
な、なんで……? ウチは――!」
「なぜって……そうやって、精一杯に悩んでくれたから。
だって、それってさ――俺のこと、ちゃんと好きでいてくれてるからだろ?」
顔を背中側に傾けて――ニッと、よくガキっぽいと言われる笑顔を見せる。
「本当に、その誰かに心を奪われたなら……『かも知れない』って形で悩んだりしないもんな?
だからそれは結局、俺のことも、大事に想ってくれてるってことだろ?
なら、答えはカンタンだ。
その『誰か』が誰であれ、鈴守が迷い無く、俺を一番だと言えるように――。
俺が俺自身を……もっと磨けばいいだけだよ」
「……赤宮、くん……」
「だいたいさ、俺なんて、まだまだガキで未熟で……足りないところだらけなんだ。
今回のことだって、色んな人に力を貸してもらって……それがなかったら、こうして鈴守を無事に助け出せたかも分からないんだ。
そんな俺だからさ……鈴守が他の人を『いいな』って感じたぐらいで、文句なんて言えやしないよ。
むしろ、そんな俺を見限るどころか、そこまで思い悩むぐらいに想ってくれているんだから……本当に嬉しい。
だから――ありがとう、鈴守」
俺が告げた素直な気持ちに、鈴守は……。
しばらく、驚いた顔をしていたけど――やがて。
鼻をすすり上げながら――泣き笑いのような形に、くしゃりと表情を崩した。
「ウチ……ウチて、ホンっマに、アホやなあ……」
「……鈴守?」
「あんまり大きくて、あんまり近いから……。
やから逆に、今の今まで見えにくかったんかなあ……。
アホなことウジウジ考えへんでも――ウチの一番なんか、決まりきってたのに。
ウチが、恋してるんは……後にも先にも、たった一人だけやのに――」
「……鈴守……」
じっと、俺を見つめての……その言葉に。
思わず、ぽつりと名を呼ぶと……。
対して鈴守は――泣き笑いから、優しく微笑むような感じに、小さく首を傾げた。
「……さっきみたいに……名前では、呼んでくれへんの……?」
「――あ……」
その言葉に――俺はつい一度、ワザとらしく咳払いなんてしてしまってから。
改めて……肩越しに、鈴守の顔を見て――。
「…………千紗」
「うん――裕真くん」
その名を呼べば……。
射し込む陽の光より、よっぽどまぶしい笑顔を――咲かせてくれた。
「俺を好きでいてくれてありがとう、千紗。大好きだ」
「ウチを好きでいてくれてありがとう、裕真くん。大好きです」
改めてお互いに、素直な気持ちを絡ませ、繋ぎ合う俺たち。
そうして気付けば、互いの顔も、俺の肩越し、息のかかるほど間近にあって。
この子が愛しいと、その想いが胸の奥から溢れ返って――。
「……千紗」
「裕真くん……」
そのまま、ゆっくりと……もっと近くに――。
お互いが、近付いて――。
「「 ……………… 」」
……近付いていく、その途中で。
俺たちは揃って、ギギーッと……軋んだ音がしそうな動きで、遊歩道脇の花垣の方へ首を向ける。
「「「 ………… 」」」
そして――その脇からこちらをノゾく、縦に並んだ3対の目と、しっかり視線を合わせた。
「げ……こっち向いたぞ、ヤバい――!」
「こらおキヌ、いきなり動いちゃ……っ!」
「あ? ちょ、お前ら――!」
――ドタドタン!
お約束のように、花垣の陰から人影が3つ、ドミノ倒しに出てくる――と思いきや。
真ん中の沢口さんはスルッと、何事もなかったように崩落から抜け出して……。
結果、一番下のおキヌさんだけが、イタダキに潰された。
「ぶみゃんっ!」
「あだぁっ!
……っくしょー……やっぱ、小っさいわ薄いわのおキヌじゃ、衝撃吸収力ゼロだな……」
「うがー! アタシゃせんべい布団と違わい!
つーか、重いんじゃこのムダ頂点が、とっととどけー!」
「ちょ、おい、暴れんな!――って、ぐえっ!」
――ゴン、といい音を立てたおキヌさんの頭突きを鼻に食らい、涙目になりながら逃げるように立ち上がるイタダキ。
その後、おもむろに身を起こしたおキヌさんは、もったいぶった動きで服のホコリを払い……咳払いを一つ。
そうして改めて、俺とすず――千紗に向けて、にこやかに手を挙げる。
「……やあ!」
「「 やあ、じゃない! 」」
見事に、冷たい声で唱和した俺たちに……おキヌさんは大きなタメ息をついた。
「ほら〜、怒らせちゃったじゃないかよう〜……。
ったく、マテンローの頭がムダにトガってっから気付かれたんだぞ?」
「どんな言いがかりだテメー!?
……いや、お前がめちゃめちゃガッついて前に出るからだろ!?
つーか、そもそもノゾき見ようって言い出したのお前だろが!」
「ノゾき見と違わい! こりゃ応援だ、人聞きの悪い!」
いつもの調子でぎゃあぎゃあやり始めた2人をよそに、「ごめんねー」と、しれっと無関係のような態度で、こうなった経緯を説明してくれる沢口さん。
……いや、あなたもガッツリとノゾいてたんですけどね……。
まあともかく、その説明によれば……。
ここ高稲の〈ガス灯〉で集まっていたおキヌさんたちは、雨も上がったし、ちょうど帰ろうと駅へ向かっている途中、俺たちを見かけた――ということらしい。
「……って、それで……。
何だってこう、上手いことカチ合っちゃうもんかね……」
「……ホンマやね」
思わず脱力しそうになりながらも――いつもの日常的な光景を見られて、どことなくホッとする俺に。
千紗もまた、優しい笑顔を返してくれた。
……ちょっと残念な気もするけど……まあ、いいか。
きっと、俺たちはこれぐらいがちょうどいい――って。
そんな気も、するから。




