第25話 狼が牙を剥くは赤ずきん――のはずだった
――時間は、ほんの少しだけ遡る……。
「ありがとうございましたー!」
店員の威勢の良いアイサツに背中を押されて、オレはラーメン屋を出る。
ふん……初めての店だったが、案外悪くなかったな。
これなら、次にまた別のメニューを試してみるのもいいかも知れねえ。
オレは腹をぽんと叩く。
……ツナギが張ってやがる。
晩メシにはまだ早い時間だったからな、明日まで腹をもたせようと麺も具もマシマシでいったが……ちょっとやりすぎたか……?
ハッキリ言っちまうと、苦しい。
オレは手近な自販機でブラックのコーヒーを買うと……食休みがてらブラブラと、大通りから見て裏手の方、少し離れた駐車場に向かって歩き出す。
『中間テストが終わるまでは活動自粛』
そうしていると、数時間前、お嬢に念押しされた言葉が、ふと頭を過ぎった。
……まあ、〈救国魔導団〉としての活動の前に、オレも、大学の勉強しっかりしとかねえと、単位落としたりしたらおやっさんに顔向け出来ねえしなあ……。
質草のヤツも情報集めとかしてやがるみたいだし、しばらく大人しくしてるか……。
……本音を言えば、早く、クローリヒトって野郎とケンカしてみてえんだがな。
強えヤツとのケンカは単純にアツくなれるってところもあるが……。
何よりだ、アイツのあの黒ずくめの格好……それに、〈黒い人〉って聞こえる名前だ。
オレとキャラがダダ被りしてる気がして、ムショーに腹立つンだよなァ……!
……オレは思わず、拳の骨を鳴らしていた。
そして、そうしながらちびちびと口にもっていくブラックのコーヒーは……やっぱ苦え。
くっそ、カフェオレにしときゃ良かったか……。
「しっかし――」
おやっさんは、あのクローリヒトとは協力出来るかも知れねえって言ってたが……多分、ムリだろう。
確かに、アイツの正体が『オレたちと一緒』って可能性はある。
だがだからって、オレたちの目的に賛同するかどうかは――また別問題だ。
そして多分、アイツが賛同するこたァないだろう。
根拠なんてなんにもねえが……賭けたっていいぐらいだ。
オレはカンにはわりと自信がある。
それに、そもそもアイツは――直接会ったことはねえが、オレたちってよりも、むしろおやっさんに近いような感じがするンだよなあ……。
――バイクを停めておいた小せえ駐車場の周りは、裏道の方にあたるからか、人通りはほとんどなかった。
オレとしてはその方が居心地良かったってのもあるし、手近な車止めに腰を下ろして……。
苦えコーヒーを飲みつつ、アレコレ考えつつで、しばらくのんびりしていたら……。
すぐ前の道を、小学校高学年ぐらいの女のガキんちょが通りがかった。
夜に裏道なんて通ってるくせに、迷う様子も怖がる様子もねえから、ここらに住んでいて、道も使い慣れてるんだろう。
そう言えば……オレが初めて会ったとき……お嬢は、あのガキよりも小さかったよな。
そのくせ、さすがおやっさんの娘というか、素のオレを恐がりもしなくて――。
似合わねえ思い出に耽るオレの前を、ガキが目もくれずに通り過ぎていく――その瞬間。
「――――っ!?」
オレは思わず立ち上がっていた。
今、ほんの微かながら、間違いなく――。
オレの『鼻』が、とんでもない『チカラ』の匂いを嗅ぎ取ったからだ……!
スタスタと離れていくガキの後ろ姿に、オレは釘付けになる。
……まさか、あのガキ――。
〈世壊呪〉を持ってやがるんじゃ……!?
――ポケットの中を確かめる。
おやっさんから預かった〈結界石〉はちゃんとある。
これに魔力を込めれば、オレでもカンタンに結界を張れる。
あとは、実行前に連絡を入れるかだが……。
『中間テストが終わるまでは活動自粛』――
お嬢のその言葉が、また脳裏を過ぎる。
……そうだ、お嬢にとっちゃ、テストだって大事だろう。
それに、騒ぎにならないように、さっさと済ませちまえば良いだけの話だ。
あのガキに確認して、〈世壊呪〉を持っているなら頂く。
持っていないなら、ちょいと脅して追い払う――。
そうだ……ただ、それだけのことじゃねえか。わざわざ連絡するまでもねえ。
「――よっしゃ、行くか」
オレはポケットの〈結界石〉を握り締め……大股でガキに近付いていった。
* * *
――ママの友達に、もらい物のお裾分けを届けたあたしは……いつもの裏道を通って帰る。
ここ、道幅は結構広いんだけど、お店とかの裏手になるし、ご近所に住んでる人はおじいちゃんおばあちゃんが多いから、日が落ちるとすぐに人気がなくなって、ひっそりとする。
逆に言えば、車の通りなんかもほとんどないし、色んなところに通じてるから、安全で便利に使える道なんだけど……。
ホントに静かだからか、この辺に住んでない友達といっしょに通ったときは、「なんか出そうで怖い」って言ってたっけ。
……まあ、分からなくもないけどね。
表通りとかに比べると、びっくりするくらい静かに――って。
あたしはふと足を止める。周りを見渡す。
――妙な違和感があった。
……なんか、静かすぎる……?
それに……なんだろ。
見えるのはいつも通りの景色なのに、別の場所に迷い込んだみたいな……。
「――おい」
いきなり後ろから声をかけられて、あたしはびくっと跳ねてしまう。
あわてて振り返ると――ひょろっと背の高い、ツナギを着たお兄さんが立っていた。
確か……そう、さっき、すぐそこの駐車場で缶コーヒー飲んでた人だ。
「えっと……」
なんだか周りの様子がヘンなことといい、このお兄さんのおっかない雰囲気といい……なにか、とんでもないことに巻き込まれちゃった気がする……。
でも、こういうときに大事なのは、とにかく落ち着くことだ。
「なにか、ご用……ですか?」
動揺を悟られないように、冷静になれって自分に言い聞かせながら、あたしは訊く。
「……大した度胸だな。ビビって大声上げるか、とっとと逃げ出すかと思ったンだが。
それとも、さすが――って言うべきか?
〈世壊呪〉なんてとんでもねえモン……持ってるぐらいなんだからな?」
「――――っ!?」
今、この人……間違いなく、〈世壊呪〉って言った!
正義の魔法少女の関係者――って感じじゃないし、まさか――〈救国魔導団〉!?
え、でも……。
あたしが〈世壊呪〉を持ってるって……どういうこと……?
「今……〈世壊呪〉って聞いて反応したな?
チッ――何も知らなきゃ、このまま見逃すだけだったンだが……」
お兄さんはタメ息混じりに頭を掻いた――かと思ったら、その全身が、足下から吹き出る黒い煙みたいなものに覆われて……。
それが晴れる次の瞬間には、二足歩行の黒くて大きいオオカミみたいな姿に変身していた……!
ううん、あれは……ヘルメットに、鎧というかスーツ……?
お兄が見せてくれた、クローリヒトの格好にちょっとだけ似てるかも……オオカミ型のヘルメット以外は。
「………………」
うん、だいじょうぶ……観察が出来てるってことは、あたしはまだ――冷静だ。
そして、不幸中の幸いっていうのかな……ここから家まではそんなに遠くない。
近くまで行けば、お兄が気付いて助けに来てくれる可能性もずっと上がるだろうし、ここは何とかして――。
「ちなみに、逃げようとしたってムダだぜ?
先に結界を張っておいたからな」
「…………っ!」
さっき感じた違和感みたいなの……やっぱりそういうものだったんだ……!
え、じゃあ……どうするの、あたし……?
お兄も、アガシーもいないのに……?
思わず後ずさるあたしに、オオカミみたいな元お兄さんは、手を差し出した。
「お前みたいなガキが、どういう経緯で、なんの目的で手に入れたのかは知らねえが……。
お前の持ってる〈世壊呪〉、こっちに渡してもらおうか。
――オレの目的はそれだけだ、大人しく渡してくれれば何もしねえよ」
「そ、そんなの、あたし持ってません……!」
「ウソついて誤魔化そうとするのもムダだ、オレの『鼻』はチカラに敏感だからな。
……そら、諦めてさっさと出しな」
オオカミさんは、手を伸ばしたまま近付いてくる。
そんなの持ってないって、首を振りながら退がることしか出来なくて……でも距離はどんどん近付いていて……。
――お兄ぃ……っ!
もう捕まるってところで、あたしは目をつぶって、心の中でお兄を――
「――下郎が。控えろ」
肩に触れる寸前だった手を、軽く払い除ける。
そうして、あらためて真っ向から見上げてやれば――視線が交わった途端、その場から後ろに跳んで大きく距離を開けたのは、オオカミ小僧の方だった。
ふむ……良いカンをしている。
あのまま馬鹿面をさらして突っ立っていたなら、少々、ヤケドでもしてもらうつもりだったのだが。
「て、テメェ……何モンだ!」
「何者か、とは、また哲学的な問いをする。
ふむ、そしてそれに満足のいく答えを手短に返すのは……余でも骨が折れるな。許せ」
「ざけんな……!
身体は同じでも、テメー……さっきまでのガキとは『別人』だろうが!? 誰だ!」
ほう……此奴、『鼻』が利く――ようなことを言っていたが、間違いではないらしいな。
まあ、よかろう。
「そうだな……。
真名を教えてやる義理は無し、キサマにも分かる俗な呼び名を使うなら――〈魔王〉というものだ、余は」
「ま、魔王――だァ……!?」
「キサマの言う、〈世壊呪〉など知ったことではないのだが――」
手の平を上に向けて、少し意識を集中する。
――瞬間、掌上に小さく、数千度の獄炎が渦を巻いた。
……さすがは亜里奈、これほどの魔力なら、余も存分にチカラが振るえるというものだ。
このちょっとした手慰みに、さらに度肝を抜かれた様子のオオカミ小僧を、余は軽く睨み付けてやる。
「律儀に約束を守る、我が友への義理があってな。
この娘を傷付けることは、それが何人であろうとも余が許しはせぬ――」
そっと腕を薙ぐ。
亜里奈の小さな身体の周囲で、一瞬、緋色の獄炎が舞い踊った。
「ンな……っ!?」
「覚悟せよ、小僧。
――キサマは、牙を剥く相手を誤ったのだ」