第267話 勇者と人狼による、元舎弟への戦後処理的な何か
「…………」
床の上で大の字になって、完全に気絶してやがるオグからは……イヤな『ニオイ』が薄まっていた。
……どうやら、赤宮に思いっ切りブッ飛ばされたことで、〈呪〉のチカラも一緒くたに散ったらしい。
そのチカラが障壁的な役目も果たしていたからか、ハデにブッ飛んだわりには、顔面整形ってほどヒデェ状態じゃねえが……。
ま、さすがに、あとで医者の世話にはなるだろうな。
「……もしかして、俺……やり過ぎちゃいました?
無我夢中って言うか、頭に血が上ってたって言うか……」
その声に視線を上げると、そこには――。
ついさっきまで纏っていた、オレですらゾクリとするほどだった鬼気はどこへやら……。
ガキっぽい、バツの悪そうな顔をした赤宮が、気を失ったカノジョを背中に背負って立っていた。
「……いや、気にすンな。大丈夫だ。
コイツのやらかしたことから比べりゃ、この程度で済んでむしろ御の字だろ。
ケンカでケガして、医者の世話になるのも慣れてるしな。
――それよりも……」
オレは改めて、赤宮と――そのカノジョに向かって、頭を下げる。
「……今日は悪かった。このバカが迷惑をかけた」
「……黒井さん……。
それは、その人が、元は自分の舎弟だから――ですか?
その気持ち、ちょっと分かるような気もします、けど……。
でも俺、黒井さんには助けてもらったし……」
「……ケジメってやつだ。
そもそもこんなバカをやらかす前に、オレが、もうちょっとコイツの性根を引き締めとくべきだったんだ。
――自分のことばっかで必死になってて、もう足も洗ったからってよ、そうしたところを投げっぱなしにしてたのは……やっぱり、オレにも責任があンだよ」
オレは一度、ノビたオグに目を移してから……改めて、赤宮たちに向き直る。
「それと……こんなことは本来言えた義理じゃねーんだろうが……。
コイツと、コイツに与したヤツらの後のことは、オレに任せてくれねえか?」
「つまり……警察沙汰にはしないでくれ、ってことですか」
「まあ……そういうことだ。
オグ本人に直接ワビを入れさせる――のは、カノジョはもうコイツの顔も見たくねえだろうし、控えさせるが……。
ちゃんとオレが責任持って、コイツら全員、反省もさせるし更正もさせる――。
口約束しか出来ねえけどよ、それで納得して、カンベンしてやってもらえねえか?」
オレの提案に、赤宮はしばらく考えてから……口を開く。
「この子もこうして無事だったし、俺もしっかり一発ブン殴ってやったし……。
そして、それもこれも黒井さんが手を貸してくれたからだと思えば、俺は異論ありません、けど……」
言って、赤宮は背負ったカノジョの横顔に視線を移す。
「……そうだな。カノジョの考えもあるか」
「はい。この子の性格上、俺と同じような意見とは思いますけど……勝手に決めつけるわけにもいきませんから」
「まったくだ。
――分かった、もしもその子が納得出来ないってンなら……また連絡してくれ」
「…………」
オレの言葉が聞こえてないように……。
なぜか赤宮は、カノジョを見たまま、困ったような焦るような、複雑な表情で硬直していた。
「……おい、赤宮?」
「あ、ああ、はい!」
「どうした? いきなり……」
「あ、すいません、その……。
今、こうやって顔見てたら、俺……。
なんか、勢い任せにこの子のこと、下の名前で呼び捨てにしちまったって思い出して――恥ずかしいやら不安やらが……」
あはは、と引きつった笑みを浮かべる赤宮。
……いや、つーか……ハァ?
「いや、だってよ……お前ら、付き合ってンだろが?」
「あ、ハイ……」
「じゃ、名前で呼ぶぐらい普通じゃねえのかよ?」
当然だろ、とばかりに言いながら……『そういやコイツら、電話でもお互いずっと名字呼びだったな』とか思い返すオレ。
「え、いや、もちろんそうなれたらいいんですけど!
でも、もしかしたらまだ早いんじゃないかな、とか……。
――あ! そうだ、それに、『俺の』なんて、所有物扱いみたいな言い方もしちまったんだった……ッ!
うう……さすがにアレは……!」
「…………ハァ〜…………」
さっきまでの、視線だけで人を殺せそうなほどの鬼神めいた覇気とのギャップに……オレの口からは、思わず力の抜けたタメ息がもれる。
――まあ、こういうヤツほど、キレさせるとエラいことになるってワケだ。
……つーか、そもそもカノジョだって名前呼びしてたろうに……。
コイツ、必死過ぎて気付いてなかったなこりゃ。
「く、黒井さんは……そういうの、どうなんですか? 彼女のことは……」
「ああ? そもそもいねーよ、ンなもん。
……オンナの相手すンの、めんどくせえし」
だいたい、オレは純粋なこっちの世界の住民じゃなく――。
それどころか、〈人狼〉で……『人間』ですらないワケだし、な。
「――取り敢えず、もう1回繰り返すぞ?
もしカノジョが何か不満あるようなら、連絡してくれ……いいな?」
なんかヘンな方向に逸れちまった話を、もう一度軌道修正して確認すれば……今度こそ、赤宮はしっかりとうなずいた。
「……で、お前らこの後はどうやって帰るンだ?
オレのツレでクルマ持ってるヤツ、呼ぶか?」
「あ、いえ……」
オレの提案に、赤宮は一度空を見上げてから、ゆっくり首を横に振った。
「いずれこの子も目が覚めるでしょうけど、そのときここだとやっぱり落ち着かないと思いますから……。
雨も上がったみたいだし、ひとまずこのまま歩いて、もうちょっと安心出来そうなところまで移動することにします。
……それから改めて、この子の家に連絡するのがいいかな、って」
「……そうか」
まあ……これ以上はお節介、邪魔で無粋、ってモンか。
オレは言葉少なにうなずいて応えると――オレがこのビルに侵入するのに使った、裏口の方のルートを指差した。
「……なら、こっちから行け。
正面の方は、もう戦意も無いとはいえ、まだオグの兵隊どもがいやがるからな。
大丈夫だとは思うが、絡まれでもしたらメンドくせえだろ?」
広場の方に集まってる連中は、オグの――いわば『呪縛』とか『洗脳』みたいなのが無くなって、戸惑ってるような状態だ。
今さら何をしてくることもねえだろうが……わざわざそっちを選ぶ意味もねえだろう。
「そう――ですね。
ええ、それじゃあこっちから行きます」
「おう。――っと、これ、カノジョのだろ?」
オレは、オグのポケットから、コイツらしくないスマホを取り出し……脇を抜けていこうとしていた赤宮に手渡す。
「あ、すいません……ありがとうございます」
「ああ。それに、改めて――すまなかったな。
あと……助かった。礼を言っとく」
「それは……こちらこそ、です。
本当にありがとうございました。
――質草さんって人にも、感謝してたって伝えてもらえますか」
「ああ……質草のことなら気にすンな。
ありゃダチでも何でもねーし、怠けモンに社会貢献させただけだ。
――それにオレも、感謝されるような理由はねえ。
まあそれでも、お前が誰かに感謝したいって言うなら……そいつは、お嬢に頼む」
「……はい、もちろん。
いずれ、白城にも直にお礼を言いたいとは思ってます、けど……」
困ったように眉根を寄せる赤宮に、オレも、何となく言わんとするところを察した。
「ああ……まあ、そうだな……。
オレも女心なんざ分かりゃしねーが、フラれたばっかの相手と顔を合わせるっつーのも良い気はしねーかもだし……そこのカノジョとしても複雑かも知れねえしな……。
――分かった。
取り敢えずオレから、お前が感謝してたってことだけは伝えとくさ」
「……お願いします。
あ、それと――白城に聞いてるかも知れませんけど、うち、銭湯やってますんで……良かったらまた寄って下さい。
――お礼代わりって言ったら何ですけど、フルーツ牛乳ぐらいサービスしますよ?」
「……悪くねえな。考えとく」
「はい。それじゃ――また」
その短い挨拶と、人懐っこい笑みを置いて――。
カノジョを負ぶった赤宮は、裏口方向へと立ち去っていった。
「……さて……」
赤宮たちの背中を見送ったオレは、オグの側にヒザを突くと――。
イヤな『ニオイ』のもとを辿って、オグのジャケットを探り……内ポケットから、手の平に乗る程度の、長細く尖った形をした『石』を取り出す。
……間違いねえな。
あの魔剣のカケラ……コイツが元凶だ。
「ったく――胸クソ悪ィ……」
まだ微かに〈呪〉のチカラを放つそれを――。
オレ自身の魔力を込め、思い切り握りしめて……今度こそ完全に、粉々に粉砕してやった。
「……これでよし……と。
――おら、いつまで寝てンだ、起きろオグ!」
続けてオレは、オグの脇腹を拳で、強めに何度も小突いてやる。
やがて気が付いたオグは、オレの顔を見上げるなり――素っ頓狂な声を上げた。
「え――? くく、クロさんっ!?」
「……あぁ……?
テメ、オレを犬ッコロみてーに呼ぶなっつってンだろが……?」
「すす、すんません、ツキさんっ!」
さすがに赤宮のあの一発が効いてるからだろう、起き上がれないままに、オグは……さっきまでの態度がウソのように、必死に謝り倒してくる。
……こりゃ、完全に元に戻ったみてーだな……。
「で? オグよぉ……お前、テメーのやったこと、覚えてるか?」
オレが改めてそう尋ねると……。
オグのヤツは、赤く腫れ始めていたはずの顔を、しかし真っ青にして――何ともなっさけねえ目を向けてきた。
覚えてなかったら、それはそれで面倒だったが……ちゃんと覚えてたみてーだな。
「どど、どうしよう――どうしよう、ツキさん……!
お、オレ、オンナさらったりなんて、とんでもねェことやっちまった……!
そそ、そんな、そんなことまでする気なんてなかったのに……! オレ……っ!」
「ああ……分かってンよ。
テメーは、そんな大それたことをガチで出来るようなヤツじゃねえからな。
だが――魔が差したようなモンとはいえ、やっちまったことはナシにゃならねえ」
……そうだ。
言っちゃなんだが、あの魔剣のカケラは、元凶だっつっても所詮は『残りカス』のようなモンなんだし……。
それこそ、ある程度の意志の力があれば、影響を断つことも出来たハズだ。
なのに、ズブズブとその〈呪〉に呑まれたってことは……。
結局、コイツ自身の心に、そうしたヤバいチカラに付け入られるスキが――同調しちまうだけの要素があったってことだ。
だからオレは……悪いのは全部魔剣のカケラで、コイツは悪くない――なんて言うつもりはねえ。
そもそも、〈呪〉だの何だの知らねえコイツにゃ、説明のしようもねえしな。
……とにかく、確かなのは――。
コイツにゃ、ちゃーんとケジメをつけさせなきゃならねえ、ってことだ。
そう……もう二度とバカはやらねえよう、真っ当になれ――ってな。
「どど、ど、どうしようオレ……!
け、ケーサツとかも……!」
この世の終わりみてーな表情をしてるオグに、オレは小さくタメ息をつく。
……コイツにも問題があったのは事実だが……。
同時に、根っこはこんなヤツだからこそ、〈呪〉の影響を受けてても、本当に越えちゃならねえ一線だけは越えずにいられたんだろうな……。
「……ケーサツ、な。
もう一歩、ヤバいとこまで踏み込んでりゃ、マジでブチ込まれてただろーがよ……。
――ところでオグ、テメー、あの2人にワビ入れる気はあンだろうな?」
「ああ、あるっス、あります、当たり前っスよぉ……!
そ、そりゃオレ、前にあの2人にボコられて、ムカついてたけど……!
でで、でも、だからってこんなの……!
――って、そ、そうだ、あの2人はどこに――」
動けねえ身体で、必死に訴えかけてくるオグの頭を、オレは軽くはたく。
「……落ち着け。あの2人ならもう行った。
あと、アイツらには、すまねえってだけじゃなく感謝もしとけ。
結局、テメーはカノジョを痛めつけるようなマネはしなかったからな……少なくともカレシの方は、ケーサツに突き出す気は無いし、あの鉄拳一発でチャラにしてやるってよ。
カノジョの方はまだ分からねえが……ま、カレシのあの様子からすりゃ、同じように、ケーサツ沙汰にはしねーでくれる可能性の方が高いだろうな」
「そ、そっスか……。よ、よ、良かっ――良がっだあ……!
お、オレ、オレ……! ほんどに、悪いっでぇぇ――!」
「……わーってンよ。
つーか、いい歳してベソとかかくンじゃねえよ、鬱陶しい……」
「ずんまぜん――ずんまぜん、グロざぁん……!
オレ、まだ……まだ、メーワグがげぢまっでぇ……!」
「おうゴラ、オレぁ犬ッコロじゃねえっつってンだろが!
……ったく、ンっとにテメーはバカなんだからよ……」
オレは、もう一度オグの頭を……さっきより強くはたいてから、立ち上がる。
「……とにかく、これでテメーも懲りただろうが。
あの2人にワビてえって気があンならなおさら、いい加減、バカなやんちゃからは足洗って、ちったぁマジメになりやがれ――わーったな!?」
「わ、わが、わがっだよぉ、グロざーん……!」
「…………。
おい、テメー……ワザとやってンじゃねえだろうな? ああっ!?」
オレはオグの脇腹を、今度は爪先で軽く蹴っ飛ばす。
そうして、反省やら何やらをおんおんと喚くオグをほったらかし――床を縁の方まで行って空を高々と見上げてみりゃ……。
雨が上がるどころか、もう、雲間から陽が射し込んできていやがった。
「……ま、これでやっと、ひとまずのケリがついたってワケか……。
やれやれだ……ったく」