第266話 激昂勇者に行けぬ道なし、阻める者なし
――雨は、小降りではあるけれど、まだ止まない。
だけどそれは、今の俺にはありがたかった。
そうして、冷やしてもらわないと――感情の昂ぶりで、理性が焼き切れそうだったからだ。
……この工事現場へ殴り込みをかける直前、黒井さんとは二手に分かれることになった。
相手のリーダー格のオグってヤツが、黒井さんが来たと知ると逃げる可能性があるらしく……そのときに鈴守まで連れて行かれると、この折角のチャンスをフイにしてしまうからだ。
だから、俺が正面から殴り込んで注意を引いている間に、黒井さんは別ルートから直接オグを狙う――そういう手でいくことになったんだ。
それで黒井さんは、俺の状態を鑑みて、「オレが行くまで注意を引いてくれさえすりゃいい、無茶はすんな」……って言ってくれて。
実際俺も、今の体調じゃ、チンピラとはいえ大勢を同時に相手にするのは、闘気もほぼ使い切っていて手を焼きそうだと判断して……。
確実に鈴守を助けるためにも、そういう方針でいこうと――そう思っていた。
思ってたんだよ……冷静になろうと。ついさっきまでは。
だけど――ムリだった。
オグの野郎の、ペナルティの話が聞こえて――。
そして実際に、鈴守の姿を……ようやく逢えたあの子の、傷ついて倒れてる姿を見ちまったら――。
もう……ムリだ。
注意を引くだけ、とか…………ムリに決まってンだろ――!!!
「ンのガキ……! なんでだ、なんで直にここに来れた――ッ!?」
鈴守の側に立つ、オグだろうチンピラが、予期しない俺の登場にたじろぎつつ……。
しかし、人質はこちらにあるとばかりに、鈴守に手を伸ばそうとするのを――
「その汚ぇ手で――俺の千紗に触れンじゃねえッ!!!!」
怒気も殺気も、すべてを隠さず、猛獣のごとく吼え――。
その覇気をもって、動きを完全に抑え込む。
「ン……な……!?」
たかがガキの怒号に、反射的に身を竦ませ動きを止めちまったことを、オグ自身驚いているようだったが……。
……当たり前だろうが。
こっちはな、言葉も通じない魔物を咆哮だけで追い払ったことすらあるんだよ。
お前みたいなチンピラごときが、それをはね除けられると思ってンのか……!
「……それから、お前らも……。
俺の邪魔をするなよ――どうなっても知らねえからな……?」
改めて俺は、周囲のチンピラどもも、静かに一度、威嚇してから――。
視線でもオグを牽制しつつ……一歩一歩、ビルの方へと近付いていく。
「うぅ……あ……っ」
「ここ、コイツ……何かヤベぇ……!」
チンピラどもは、俺の、抑えきれない怒りが混じり合った覇気に圧倒され――恐らくは本人たちも、そうと意識することなく。
ジリジリと後退り……自然と、俺の行くべき道を空けていく。
「チッ、テメーら……なにボサッとしてやがる!
さっさとソイツを袋叩きにしちまえってンだよッ!!!」
オグが、怒鳴り声を張り上げて、チンピラたちをけしかけるが……。
20人はいるだろう、圧倒的に数で有利なソイツらは――しかし、まるで動こうとしない。
――当然だ。
いくら、動物に比べて鈍感な人間――しかも命がけの戦いを知らず、それゆえさらにカンの鈍い素人でも、だ。
激情に任せて、雨がそのまま蒸発しそうなレベルの覇気を纏う今の俺が、シャレにならないほどヤバいってぐらい……本能が察しているだろう。
そうして俺は、拓かれた『道』を――オグを睨み付けたまま、この場そのものを己の覇気で圧しつつ……ゆっくりと進む。
「聞いてンのか――テメェらァ!!! オレの命令に従えッッ!!!」
「――――っ!」
そんな俺を押し返そうとでもするように、続けて放たれたオグの怒声に……俺は違和感を覚える。
……その言葉に、魔力めいたものが乗っていたというか……。
そうだ――今のは。
闇のチカラによる、幻惑系の魔法に近いような――。
「……なるほど――そういうことか」
あの鈴守がチンピラ相手に後れを取ったってのも、リーダー格がいきなり『強くなっていた』ってのも……。
黒井さんいわく、オグってのが、もともとは大して悪いことが出来るようなヤツじゃないにもかかわらず、最近言動がヤバくなってた――ってのも。
何かのきっかけで、闇のチカラに魅入られたからだとすれば……納得がいく。
実際、異世界で勇者やってるときにも、そうした人間は何人か見てきたからな。
もちろん、だからといって――あの男を何もせずに許してやろうなんて気はないが。
いや、むしろ……それならなおのこと、俺の一撃でそのチカラを浄化しちまう必要があるだろう。
放っておけば、それこそさらに危険になりかねない――。
「どうした――やれッ!!!」
なおも、オグは一種の『強制力』の乗った言葉を放つ。
……それでも、俺の覇気に圧倒的かつ本能的な恐怖を抱くチンピラどもは、まるで動けずにいたが――。
やはり、例外というのもいるらしく。
「――危ない……っ!」
鈴守のその注意喚起を聞くまでもなく――俺は、背後から襲いかかってくるヤツがいるのに気付いていた。
「うらあああっ!」
ガツン――と、後頭部に衝撃が走る。
……どうやら、バットで思い切り殴られたらしい。
「裕真くん――っ!」
続けて、鈴守の悲痛な声。
……ああ……ゴメン、心配させちゃったか。
かわすとか、防ぐとか――今の俺、どうしようもないほど頭に血が上ってるせいで、そんな考えがまるで無くてさ……。
どのみち、こんなモン……ダメージにもならないから。
「……邪魔をするなと……言ったよな?」
俺は、ゆらりと振り返り――。
バットで俺に一撃を入れ、気分が高揚しているらしいチンピラを……反撃代わりに、怒気の籠もった目で、ギロリと一睨みする。
それだけで――
「っ! あ、う、あ――っ……!?」
ビクリと身を竦ませたチンピラは、慌てて後退ろうとし……足をもつれさせてブザマに転ぶ。
そうして改めて前を向けば、同じように不意を突こうと考えたのか、前方に回り込んでいたヤツがいたので……。
「――――どけ」
そう一言、殺気をそのまま形にしたような言葉を吐けば――。
「……い、ひ――っ……!」
引きつけを起こしたような短い悲鳴とともに、腰を抜かしたらしくストンと尻もちをつき――そのままぬかるんだ地面をズルズルと這い、必死に俺から離れていった。
そんな仲間の様子に……オグの放つ『強制力』によって、少しはやる気を取り戻していたような連中も、さらなる恐怖に呑まれて、俺から距離を取る。
そうして、さらに拓かれた『道』の先――。
工事のために組まれていたスロープを登って、俺は……。
ついに、オグの野郎と同じ場に立った。
「……望み通り、来てやったぜ……?
ブッ飛ばされる覚悟は――出来てるんだよな?」
「て、てっめえェェ……!」
ゆっくりと一歩ずつ近付く俺を、オグは引きつった顔で睨み返してくる。
しかし、そうかと思うと――いきなりニヤリと笑い……!
「――って、バカが!
切り札はまだこっちにあンだろーがァ!」
この瞬間を待っていたと言わんばかりに――足下に伏した鈴守に手を伸ばす!
――が。
その瞬間、鋭い風切り音とともに――なにかが、オグの手を直撃した。
「――ンがぁっ!?」
反射的に手を引っ込め、鈴守と距離を取るオグ。
同時に……床の上に、鈍く光る金属が転がる。――500円玉だ。
「……前に、テメーにメシ代で借りた500円だ――」
同時に、背後から投げかけられた声にオグが慌てて振り返れば――。
「……確かに返したぜ? オグぅ……」
「――ンな――!? く、クロさん……っ!?」
そこには……オグの逃げ道を塞ぐような形で、黒井さんが立っていた。
「ど、どうしてアンタが……!」
「そこの赤宮に協力してたンだよ――。
元は舎弟のテメーが、いくら何でも見過ごせねえやんちゃをしやがるから、オレが責任持ってシメなきゃなんねえ……ってな」
オグの問いかけにそう答える黒井さんは……しかし、何をするでもなく、その場で腕を組んだまま仁王立ちする。
「……つっても、ここでオレがこれ以上手ェ出したんじゃ、収まりが悪いってモンだ――そうだろ、赤宮ぁ?」
その問いに、俺が無言でうなずくと……。
黒井さんもまた、満足そうにうなずき返してくる。
「――と、そーゆーわけだ、オグ。
てめえがやらかしたことだろ?
……腹ァくくって、ソイツとタイマンで決着つけろや?」
「……くく、くくく……。
随分とナメたこと言ってくれっじゃねェか……ああ!?
――いいぜ……まずはそこのガキ、次いでクロさんアンタも……!
まとめて、吠え面かかせてやらァ!」
威勢良く声を張り上げたオグは、俺たちを威嚇するためか――近くのコンクリートの柱に拳を打ち込む。
――それは、見事にコンクリートを破砕していた。
常人ではとても出来ないようなマネに、その後のニヤリと余裕の笑み……威嚇としてはこれ以上無い演出だろう。
そう……相手が、俺じゃなきゃな。
「……あかん……裕真くん……!」
鈴守が必死に俺を案じてくれるのに、『大丈夫』って意味を込めて小さくうなずき――改めて、俺はオグと相対する。
その瞬間――
「うぅらァ――! 食らえやガキィィッ!!!」
凄まじいまでの瞬発力で俺との距離を詰めてきたオグの、渾身の右ストレートが唸りを上げて襲いかかってくる。
――予想よりもはるかに速い。しかもあの破壊力だ。
俺でも、無防備に顔面にもらえば、タダでは済まないかも知れない。
だが……だからどうした?
「おおおおおっ!」
俺は、敢えて――避けるでも防ぐでもなく。
その右拳に、真っ正面から左ストレートをぶつけてやる!
当然、オグは瞬間、『バカなヤツ』と内心ほくそ笑んだことだろう。
しかし――その結果は。
――ガヅンッ……!
「い――――ぎぃぃぃッ!!??」
オグは、絶叫とともに自らの右拳を引き、庇うように胸にかき抱く。
……そりゃあ痛いだろうよ。
俺の拳は、コンクリなんかよりずっと硬いんだからな。
それに――まさか、仕置きがこれで終わりだなんて思っちゃいないよな……?
「あ、が……! な、なん、で……!」
絶対の自信があっただろう拳を真っ正面から打ち負かされて、立ち尽くすオグ。
そこへ俺は、大きく、ゆっくりと右拳を振りかぶり――
「鉄ッ――拳ン――!」
ここまで、溜めに溜めに溜めに溜めた怒りを乗せた……死なないように最低限の〈手加減〉だけは加えた渾身の一撃で――
「制ッ――裁いぃぃぃッ!!!!」
無防備なオグの顔面を――情け容赦なく打ち抜く!!!
「ぶぅ――うぶぇええええッッ!!??」
悲鳴にもならない悲鳴を棚引かせ、ハデに吹っ飛んだオグの身体は――。
そのまま、さらに床の上をバウンドし、黒井さんの脇を抜けてその向こうまでゴロゴロと転がってから。
ようやく、大の字になって……止まった。
いちいち確かめるまでもない――。
これで纏ってた『闇のチカラ』ごと、意識も完全にブッ飛んだだろう。
「……言ったろうが……。
ケンカの相手も、売り方も、お前は最悪に間違えた――ってな」
……思わずそんな風に吐き捨てるも……俺だってそもそも、ボロボロだ。
身に染みついた最低限の残心とともに、大きく一度息をついてから――改めて、鈴守の側にしゃがみ込む。
そうして、うつ伏せになっていたのを……ゆっくりと、仰向けに抱き起こした。
ようやくの、そのぬくもりに――涙が出そうなほど、心底安堵する。
「……大丈夫? ケガとかは――」
「うん……ウチは……だいじょうぶ。そっちは……?」
「もちろん、『大丈夫』に決まってるだろ?……そう言ったじゃないか」
余計な心配はさせないようにと、ニッと笑ってみせると。
鈴守もまた、やわらかく微笑み――。
「よかった……。
それと……ありがとう――」
安心したように、それだけを告げて……。
気が抜けたのか、すぅっと――眠るように、気を失った。