第258話 傷心の魔法王女は、黒い狼に願いを
――赤宮裕真が、バイクの男と接触する少し前のこと――
「………え、ぐっ………」
……センパイたちを見送ってからの、わたしの嗚咽は……ようやく、おさまりを見せ始めていた。
……きっと、雨がまだ小降りだから。
ドシャ降りになってくれなかったから――。
声の限りの大泣き――結局、そんなドラマチックな真似が出来なかったことを……そう理由付けて。
でもだからって、クールにガマンすることも出来なくて――。
わたしはあれから、空を見上げながら、みっともなく泣いた。
正面切って告白した結果なんだから――って。
〈勇者〉の娘で、わたしだっていっぱしの〈勇者〉なんだから――って。
ちっぽけでどうでもいいようなプライドだけを支えに……座り込んだり、崩れ落ちたりはせずに。
胸を張って、堂々と……みっともなく、泣いた。
そして、そうやって泣いちゃえば……また少しは落ち着いてくる。
きっとまだしばらくの間は、ふと今日のことを思い出しては、ぐずったりするんだろうけど……。
ひとまず、防波堤を越えた分の涙は――流れきってくれたみたいだった。
「……ぐっ、ず……」
不幸中の幸い――って言い方もアレだけど。
もともと自分でも、無謀すぎる挑戦だってことは分かってたし……。
鈴守センパイへの想いを貫くために、迷い無くわたしをフった赤宮センパイはもちろん――。
わたしの想いに気付いてただろうに、それを邪険にせずに正々堂々と向き合ってくれた鈴守センパイのことだって……わたしは、認めちゃってるから。
この2人が、お似合いで――それを壊したくないって思ってたことも、自分自身で認めちゃってるから。
だから……きっと。
もっとどうしようもなく烈しい恋をして、それを喪うよりは……ずっと、マシなんだ。
そう――きっと。
大した失恋でもないんだよ……こんなの。
「……ひぐっ……くっ……。
そう、だよ……だから、もう……!」
ずずずっ、と鼻をすすりあげて。メガネを外して。
雨と涙が混ざり合ってグシャグシャになっちゃった目元を、乱暴に腕でぐいぐい拭って。
自然と笑う――のは、ムリでも。
そろそろ、しっかりしなくちゃ……って。
「……泣いたままじゃ、帰ったときお父さんが、何事かって……またアタフタしちゃいそうだし……ね」
なんとかムリヤリにでも、口元で笑みを作ってみよう――とか思いつつ、視線を下げたら。
「…………?」
車道を挟んだ、通りの反対側――。
センパイたちが去って行ったのと同じ方向から、男の人が1人、慌てた様子でこっち側へ渡ってくるのが見えた。
ううん、今は雨で人通りがほとんどないって言っても、大通りだし、それは別に普通のことなんだけど……。
どうも、その人に見覚えがある気がして――。
わたしは手早く、メガネの水滴をシャツで拭ってかけ直すと、男の人に改めて視線を向けて――。
そして、「あ」と思わず声を上げた。
それでわたしの存在に気付いたらしいその人も……なにか、ホッとしたような顔をして、わたしの方に足を向けてきて……。
そうやって距離が近付けば、間違いないと言い切れる。
――この、ちょっとチャラい感じのおにーさん……。
前に、黒井くんを訪ねてうちの店に来た人だ。
「……良かった!
こんなトコで〈常春〉のお嬢さんに会えるとか、ラッキーっした……!」
「お嬢さん、って……」
その呼び名に、思わず頬が引きつる。
……これも、黒井くんたちがわたしを『お嬢』なんて呼ぶからだよ……。
でも、おにーさんは――そんなちょっとアレなわたしの呼び方とは裏腹に、なにか切羽詰まったような、急いでるような真剣な雰囲気で……。
茶化してる場合じゃなさそうだと感じたわたしは、真面目に「どうかしたんですか?」と尋ねる。
「え、ええ、それが――。
……あ、その前に、申し訳ないンすけど、スマホ貸してもらえませんかっ?
急いでツキさんに連絡したいンすけど、オレのスマホ、充電切れちまってて……!」
「……黒井くんに?」
わたしは、ちょっと首を傾げつつも……。
ポケットからスマホを出して、黒井くんに電話を繋げ――知り合いのおにーさんが話があるらしいって伝えたところで、「はい」と、おにーさんに手渡す。
「あざっす、お嬢さん!
――あ、ツキさんっスかっ!?」
『ンだよ、話があるって誰かと思えば、その声……トージか。
――で? わざわざお嬢のスマホ借りてまで……どうしたってンだ?』
呆れたように応対する黒井くんの方からは……声以外に、なにか騒がしい音がする。
そう言えば、今日は黒井くん、高稲の知り合いの店でちょっとバイクを診てもらうって言ってたっけ……。
ちょうど整備中、なのかな。
「え、ええ、それがっスね――!」
トージと呼ばれたおにーさんは、焦った様子で……。
黒井くんに急いで伝えたかったコト――を、時々「落ち着け」って黒井くんに怒られながら、同じ言葉を何回も繰り返したりしながら……必死に伝えた。
どうもトージさんは、ついさっき、最近黒井くんが追いかけてる元・舎弟――魔剣のカケラを拾ったせいで、その影響を受けて暴走してるって話の……『オグさん』って人を見かけたらしい。
しかもその人は、女の子を1人、車に乗せて連れ去るところだったって話で……。
自分たちみたいな、ヤンチャやってる人間同士のケンカとかならまだしも、カタギの女の子を連れ去ったとなると、もうガチの犯罪になって本当にヤバいから――と、トージさんは件のオグさんのことも心配していた。
「オレ、オグさんにも世話ンなったし……!
いくら今ちょっとおかしいからって、さすがにほっとけなくて……!
でも、オレじゃ、あの女の子助けようとしても、今のオグさんたちに勝てる自信なんてなかったし……!」
……でも、ちょっと待って……?
トージさんが来たのって……向こうの通りの方……だよね?
――それで、さらわれたのが……女の子……?
……って、まさか――――!
『しょうがねえ。テメーがやられてこの情報まで途絶えるよりはマシだ。
……もう少しでバイクの整備も終わる、後はオレが――』
「ちょっと待って!! そのさらわれた女の子、って――!」
黒井くんの言葉をさえぎってわたしは……トージさんの両肩を掴み、2人の会話に割って入る。
「おかっぱっぽい黒髪の、中学生ぐらいの子じゃなかったですか!?
長めのスカートに、そう、ネクタイもしてる……!」
「え? そう――そうっス!
お嬢さんの言った通りの子でした……けど……!」
わたしの剣幕に気圧されるように、トージさんはのけぞり気味にうなずく。
その答えに……わたしは一瞬、目の前が真っ暗になった。
「…………そん、な…………!」
――もしかして、とは思ったけど……!
まさか――まさか本当に、鈴守センパイが……魔剣の影響なんてものを受けてる人に、さらわれたなんて……!
しかも、こんなタイミングで――!
『……おい、お嬢。
まさか、そのさらわれた子ってのは……お嬢の知り合いか?』
「……センパイだよ……!
鈴守千紗、って……2年のセンパイで……っ!
まさか、こんなことになるなんて……!
わたしが余計なコトしなきゃ……!
――お願い、黒井くん……!
急いでセンパイを助けてあげて……!」
『ああ、分かってる。そのために今、バイクの仕上げを急ぎでやってもらってる。
……けど、どうしたお嬢――ヘンだぞ?
そのセンパイのこと、なにかあるのか?』
「鈴守センパイは――赤宮センパイの、彼女で……!」
『ああッ!?
赤宮っつったら、あの、お嬢に色目使ってた――』
「違うよ――!」
思いっ切りカン違いしたままの黒井くんに……わたしは。
この事態に、感情が高ぶってるのもあって――つい、声を大きくしてしまう。
「好きになったのはわたしから!
彼女がいるの知ってて、それでも諦めなかったのもわたし!
わたしが勝手に好きになって!
勝手に告白して!
勝手にフラれただけなんだから――!!!」
『……お嬢……』
「でも……それが、ついさっきのことで……!
鈴守センパイ誤解して、1人で逃げちゃって……!
その無防備なところを狙われたんだよ……!
わたしが……っ!
わたしが、余計なことしなきゃ――!
――だから……だからお願い、黒井くん!
センパイたちを助けてあげて……!
赤宮センパイも……今、ケガしてるのに――必死になって鈴守センパイを探してるはずだから……!」
……随分、自分勝手なことを言ってるのは分かってる。
でも、それでも……わたしは、溢れてくる言葉を止めることが出来なかった。
ようやく落ち着いたと思っていた涙が溢れてくるのも……止められなかった。
「だから……黒井くん……!
お願い……! お願いだからぁ……ッ!」
センパイが、クローリヒトとしてのチカラを出せるなら……魔剣の影響を受けたって言ってももとは普通の人、相手になんてならないだろう。
でも……今のセンパイは、そもそも変身も出来ないんじゃないかってぐらいの状態だ。
しかも――相手が、鈴守センパイを車を使ってどこかに連れ去ったとなると……いくら赤宮センパイが強いって言っても、それだけでどうにかなるものじゃない。
場所を特定して、追いかけるとなったら――やっぱり『足』だって必要だ。
そして……そのすべての面において。
間違いなく、今、一番チカラになってくれそうなのが……黒井くんだったから。
わたしは……自分の失敗をなすりつけるみたいに。
それがみっともないことだって分かっていて、なお――。
自分に出来ることはこれぐらいだと、必死に、何度も……黒井くんにお願いを繰り返した。
そして、それに対して黒井くんは――
『……ったく、めんどくせえ――。
自分をフったヤローのことなんざ、ほっときゃいいのによ……!』
タメ息まじりに、心底、面倒そうにそう吐き捨てて……。
でも、黒井くんの気持ちを表すみたいに。
電話の向こうで……整備が終わったらしいバイクのエンジンが、大きく吼えるのが聞こえた。
「あ――ありがと、黒井くん……っ!」
『何にせよ、オンナがさらわれてるのをほっとくわけにもいかねえしな。
……あとな、お嬢――』
つっけんどんに言っていた黒井くんの声が、急にくぐもる。
……きっと、ヘルメットを被り直したんだろう。
そして――
『……自分を責めんな。堂々としてろ。
悪ィのは、お嬢じゃねえンだからな』
……聞き取りにくいけど、きっぱりとしたその一言と。
続いての、バイクのハデな排気音とともに――電話は切れた。
……こういうとこ、ホントに不器用だよ……黒井くんは。
でも――
「うん……ありがとう、黒井くん。
センパイたちのこと、お願い……!」
わたしは、通話の切れたスマホに向かって――。
自然と、頭を下げていた。




