第257話 その悪意への、自分への、怒りに吼える勇者
「……鈴守……っ!」
俺と白城が一緒にいるところを見て逃げ出した、鈴守を追って――。
少しずつ強くなる雨足の中……俺は、路地を走り回っていた。
だけど、エクサリオとの戦いで負ったダメージは、予想以上に大きいようで……まだ、身体がまともに動いてくれず――。
自分でもイラつくほどにヨタヨタとした足取りは、走る――なんて、とても言えないようなものだった。
だから、むしろ……。
何度も転んだし、這いずり回るって言った方が正しいかも知れない。
そんな情けない俺に反して、鈴守はそもそも運動神経が良いし――足だってわりと速い。
今の俺じゃ、どう考えたって引き離される一方だろう――だろうけど!
けど――ここで必死にならなくてどうするんだって話だろ……っ!
あのとき、遠間に一瞬垣間見えた鈴守は――。
驚きだけじゃなく……哀しいような、怖がるような――今にも泣きそうな顔をしてたんだ……!
あの子に――いつまでも、あんな顔をさせるわけにはいかないだろ……!
しかもその原因が、俺の迂闊な行動にあるとすればなおさらだ……!
――思いっ切り怒られてもいい、ひっぱたかれても構いやしない……!
とにかく、少しでも早く、誤解だって伝えたい。謝りたい。
少しでも早く、そしてちょっとでも――あの子の表情を曇らせる不安を、取り除いてあげたい。
俺が好きなのは、ただ一人、鈴守千紗だけだって――!
それこそ、何度だって伝えたい……!
「鈴守……俺は――っ……!」
俺はキミに、笑っていてほしいから……っ!
あんなツラそうな、哀しそうな顔でいてほしくないから――っ!
「俺は――っ……!」
……いくら足が速いって言っても、いずれ息も切れる、足は止まる。
なら、その間にも俺が、根性で足を動かし続ければ――いずれは差も埋まるハズだ……!
だから――とにかく走る! 全力で足を動かす!
息が上がろうが、身体が悲鳴を上げようが、知ったことか!
人間、そうカンタンに死んだりしねーんだからな――!
勇者として培ったチカラ――こういうときに発揮しなくてどうするってんだよ……!
……そうして、とにかくひたすら足を前に進め続けた俺は。
やがて、路地を抜け――裏通りらしき場所に出た。
決して広い場所じゃないが、道路が左右に分かれている。
どちらに進むべきかと、判断材料を探して視線を動かした俺は――。
「! あれ、って……」
前方、フェンスに囲まれただけの小さな駐車場の入り口付近に……見覚えのあるものを見つけて近寄る。
それは――鈴守の差していた傘だった。
あの子らしい、涼やかな水色を基調にした、落ち着いたデザインの……折りたたみ傘。
それが……開いたままになって、フェンス近くに転がっている。
しかも――まるで重い物が上から乗っかったみたいに、へし折れていて……。
…………なんだ、これ…………。
――ぞわりと、冷たいものが背筋を伝い上げる感覚がする。
なにが、ってはっきりしなくても――イヤな予感が胸をかすめ……!
「……鈴守……!」
俺は反射的に、ポケットからスマホを取り出していた。
鈴守とは、ちゃんと面と向かって話をしなきゃいけないと――電話なんかで済ませちゃダメだと思ってたから、使う気はなかったけど……。
この傘を見たら、そんなことは言っていられなくなった。
とにかく、何かあったのか、無事なのか――それだけでも確認したくて、焦る気持ちを必死に抑えつつ、鈴守のスマホに電話をかける。
もしかしたら、電話で話を済ませようとしてるって思われて、また不興を買うかも知れないけど……何もないなら、その方がまだマシだ。
が…………電話は、なかなか繋がらない。
本当になにか大変なことになっているのか、それとも、こんな状況での俺からの電話だから、頭に来て出ようとしないだけなのか……。
――どちらにしても、俺にとって気持ちの良い話じゃない。
呼び出し音が1回鳴るたびに、胸が、ケガとは別の痛みで、ギリギリと締め上げられるような気分になる。
そうして、繋がらない――と、あきらめかけたそのとき。
電話が、通話状態に切り替わった。
「! も、もしもし、鈴守っ!?」
繋がって良かった――と、一瞬安堵するも。
改めて、どう話せばいいのかと言葉に詰まっていると――
『……よォ。もしかして、カレシくんかい?』
電話の向こうから聞こえてきたのは……。
鈴守とは似ても似つかない、人を食ったような口調の――若い男の声で……!
「……おい……! 誰だアンタ……!
鈴守は――そのスマホの持ち主は、どうした……っ!」
俺は反射的に、低い声で鋭く誰何していた。
鈴守が落としたスマホを拾っただけの、親切な人――そんな好意的な解釈はハナから頭に無い。
……当然だ。
男の声には、俺への、隠しようのない『悪意』があったから……!
『……その前に、だ。
お前が、これの持ち主のカレシくん――ってことで、いいんだよな?』
「だったらなんだ……?
答えろ――――鈴守をどうしたッ!!!!」
自分でも信じられないほどの、激しい怒号が飛び出る。
相手が目の前にいたなら、それだけで威圧出来ただろうが……悔しいことに、電話の向こうじゃ効果は無い……!
『おーおー、怖え怖え……!
まァ安心しろって、今ンとこ、カノジョには眠ってもらってるだけだからよ。
……なんせオレが用があんのは、お前も含めて、2人まとめて……なんだからなァ?』
「……どういうことだ……!」
『んー……お前らは覚えてねえだろうけどよォ……。
オレたち、前に柿ノ宮で、お前らにイタい目に遭わされたんだよなー。
――で、な?
いずれ、2人まとめて世話になった礼がしてなァ――って思ってたんだよ。
そうしたら、ついさっき、なんともラッキーなことに、このカノジョちゃんを見つけちまったからさァ……!
とりあえず一足早く、カノジョだけでもオレたちのアジトにご招待させてもらった――ってわけだ。
……ああまあ、まだドライブ中、だけどな?』
――柿ノ宮……? イタい目……?
まさか……デートのとき、鈴守と2人で蹴散らしてやった、あのチンピラどもか!?
アイツらが……俺たちへの仕返しのために、俺を呼び出すために、鈴守をさらったってのか……!?
くそったれが……フザけやがって――!
『……ま、そんなわけで――だ。
カレシくん、お前も早いトコこっちに遊びに来てくれよ、な?
――っと、そうだ、今どこにいる?』
「……テメエらが、その子をさらっただろう場所。
大通りから路地抜けた先の、小さい駐車場の前だ」
『おお、なんだそこかよ! ちょうどいいじゃねえの!
――ンじゃ、こっちの場所は……。
ああ、そう……高稲南、ライブハウス〈シャンバラ〉裏の地下駐車場な』
「……分かった、すぐに行ってやる。
だが、もし、俺が行くまでに、少しでも鈴守を傷付けるようなマネをすれば――!」
『おーおー、怖えなあ。
――いいぜ、約束してやるよ。カノジョちゃんには何にもしねえ、ってな。
オレもさ、せっかくの機会なのに、つまらねーことになンのはイヤだからさァ?
……なんつーかよ? ここでカノジョちゃんを痛めつけてもさ、お前が来たとき、ただ単にキレるだけだろ?
けどよォ……何もしなきゃ、さ?
このまま無事に助けられるかも――って、希望を持ってくれるもんなあ?
――そう、どーせ仕返しするなら……。
その希望ごとお前をボッコボコにする方が、よっぽど楽しいじゃねェか?』
――コイツ……なんともねじ曲がった願望を、いけしゃあしゃあと語りやがって。
だが……俺としては、助かった、ってのが実際のところか。
もちろん、こんなヤツを全面的に信用するわけじゃないけど……コイツがその考えに浸ってるうちは、鈴守は安全な可能性が高い――ってわけだからな。
そして――いざ、相対したなら。
たとえコイツが鈴守を人質にしようが、何百人と手勢を揃えようが、刃物どころか銃器すら持ち出そうが、俺の身体が本調子じゃなかろうが――。
俺に、負ける道理はない……!
必ず、鈴守を守って――このフザけた野郎の顔面に鉄拳を叩き込む……!
『ああ、そうそう! さすがにいつまでも待たされンのは退屈だからよ?
あんましダラダラしねーで、さっさと来てくれよ? なあ?』
……要するに、ヘタに小細工なんかを仕掛ける猶予は与えない――ってわけか。
まあ当然、警察に通報するのもアウトだろうな……する気なんてさらさらないけどよ。
「……言われなくてもそのつもりだ。
すぐに行ってやるから、首を洗って待ってろ……!
ケンカの相手も、その売り方も――。
どっちも最悪に間違えたってことを、骨の髄まで思い知らせてやる……!」
『ハハハッ、怖え怖え!
――じゃ、楽しみに待ってっからよ!』
耳障りな笑い声を残して、通話は切れた。
沈黙したスマホを手に、俺は――
「――――あああああッ!!!!」
腹の底から噴き上がる、さっきのヤツへの――そして何より、鈴守をこんな目に遭わせちまった不甲斐ない自分への、とめどない怒りを。
空へ向かって思い切り吼え、解き放ち――ひとまず抑え込んだ。
「鈴守……! 待っててくれ、すぐに助けるから……!」
指定された場所は――同じ高稲だが、ここからはそれなりに遠い。
威勢良くタンカを切ったはいいが、今の俺じゃ、とにかく必死に走らないと……タイムアップになりかねない。
だから、思った通りに動かない足を、それでも、歯を食いしばって少しでも速く、遠くに運ぼうと、動かし始めた――そのとき。
「…………っ!?」
視線の先の方から、こっちに向かってきていた1台のバイクが――いきなり。
後輪を鳴かせながら、滑り込み……俺の前で停まった。
「……なめやがって……!
いきなり足止めを送り込んでくるかよ……!」
反射的に身構える俺に対し――。
バイクに乗る背の高いツナギの男は、フルフェイスのバイザーを上げて……めんどくさそうな声で話しかけてくる。
「おい。テメーが、赤宮裕真……で、いいんだよな?」
「……だったらどうした?」
警戒しつつ、言葉少なく応えながら……。
免許は持ってないけど、一応運転の仕方ぐらいは知ってるし、コイツをぶっ飛ばしてバイク奪えば時間が短縮出来るな――。
……とか、考えていた俺に。
バイクの男は、何を思ったか――いきなり、もう一つのヘルメットを取り出し、俺に向かって放ってきた。
そして……親指で後部を指して、一言。
「――乗れ」
「……は……?」
投げ渡されたヘルメットを手にいぶかる俺に向かって、さらに男は……。
「……めんどくせえが、手ェ貸してやるって言ってンだよ。
テメーの彼女さらったヤツには、オレも用があるし――。
それに、何より……。
お嬢――テメーの後輩の白城鳴に、必死に頼み込まれちまったンでな」
メット越しに、頭を掻くようにしながら――。
言葉通り、いかにもめんどくさそうに……そう言い放ったのだった。