第253話 満身創痍の勇者と、雨粒の向こう
――広隅市高稲の、とある明治時代風ファミレス〈ガス灯〉……。
その一角のテーブル席を占拠しているのは、一見小学生な女子を筆頭にした、高校生男女3人組だった。
「……今日は、急な呼び出しに応じ、よく集まってくれた……諸君」
この真夏日にもかかわらず、ホットのイチゴラテをずずーっと威厳たっぷりに(少なくとも本人はそう思っている)すすって……重々しく(あくまでイメージで)そう切り出したのは、おキヌだ。
「諸君も何も、テメー除けばたった2人だけどな……。
つーか、裕真たちはどーしたんだよ?」
野菜&果実のミックスジュースをグビグビあおっていたイタダキが、小気味良い音とともにグラスを置いてそう尋ねると……。
おキヌの隣のウタが、ケルピスソーダをストローでゆるくかき混ぜながら答える。
「赤宮くんとおスズはデート。
国東くんとハイリアくんは用事で不参加ね」
「ちっ、そンならオレもスルーすりゃ良かったか……」
「なーに言ってんだマテンロー。
キサマは家にいたって、カーペットの縫い目を数えるか、畳のワラを数えるぐらいしかやることないだろ?」
「なんなんだ、その非生産の極みみてーな二択は!
――つか、同じ数えるなら天井の木目とかだっつーの!」
「……それも一緒じゃねーの?」
「頂点に立つオトコに、うつむくのは似合わねー……!
そんなら、せめて上向いてる方がマシってもんだろ!」
「わーったよ……。
じゃ、今後ヒマなときは、エサを待つヒナ鳥みたいに大口開けながら、好きなだけ天井の木目数えててくれい」
「なんで口まで開けンだよ!
つか、頂点に立つオトコはエサをただ待ったりしねーっつの!」
「ツッコむのそこかよ……」
「――はいはいはい、そこまでねー。
話が進まないでしょーが」
放っておくとどこまでも脱線しそうだと判断したウタが、強めの語気で割って入り、2人のやり取りを強引に止めた。
「……ンで……結局、用件はなんなんだよ?」
「うむ……文化祭の出し物についてだ。
――ほれ、明日は8月6日、登校日だろ?
2学期に入って正式に進める、その前段階というか……HRに、それについてのちょっとした話し合いぐらいはするだろうからな……」
「そのさらに前段階の会議をここで――ってか?
けど、ンなモン、今オレたちがここで何やるかって相談したって、何にもなんねーだろ。
……たった3人だし、誰も委員とかでもねーんだし」
イタダキが、至極真っ当な意見を述べると……。
ウタが、タメ息混じりに大ゲサに肩をすくめた。
「それがねえ……。
その委員とおキヌの密談で、うちのクラスが何やるかは、もう内定しちゃってるみたいなのよね」
「はっはっは、密談で内定とか……イヤだなあ、ウタちゃんよ。
アタシたちは、文化祭が盛り上がるといいねー、って楽しく女子トークしただけなんだぜい?」
からからと楽しげに笑うおキヌを見て、イタダキは頬を引きつらせる。
「……談合かよ……」
「ま、そんなわけで。
――やっぱりというか、うちは『演劇』やるみたいなのよね。
しかも、漫研やらとタイアップまで企画してるとか……」
さらりと言って、涼しげにケルピスソーダをすするウタ。
「……あ〜……。
演劇、つーことは……アレか?
終業式ンとき、おキヌ、お前が鈴守のファンクラブから大量に送られてた、あの嘆願書の……」
「そのとーりだマテンロー!
おスズちゃんには男装、相手役の赤みゃんには女装してもらうのだ! 当然!
……なので、それを活かすシナリオはどんなのがいいかとか、そもそもあの2人に前もって男装女装の練習でもさせた方がいいんじゃないかとか、そういう悪だく――ゲフンゲフン、楽しいお話をしようってわけなのだ、今日は!」
ふふふん、と鼻息荒く、(無い)胸を張るおキヌ。
対してイタダキは、しかめっ面でタメ息をこぼす。
「ちっ、オレは出店ぐらいで良かったのによー……。
――しっかし、アイツらもまあ災難っつーか、いやむしろ義務っつーか……」
そうしてぐいとグラスの残りを空けたイタダキは、ドリンクバーにおかわりを入れに行こうと席を立った――が、そこで動きを止める。
その目は、大窓の外……車の行き交う大通りの方を見ていた。
「あ〜あ……」
「? なんだマテンロー、どした?」
おキヌの問いかけに、イタダキはグラスを持ったままの手で、昼なのにやたらと暗い窓の外を指差す。
それに合わせて、おキヌとウタの2人も、そちらへ視線を向けると――。
ちょうどそれを待っていたように、ぽつぽつと……。
小さな水滴が、窓ガラスを伝い始めた。
「……とうとう、降ってきやがった」
* * *
――ぽつぽつ、しとしと、と……。
変身して全身に防具をまとっていてなお、小さな水滴が身体を打つのが分かる。
「……降ってきた、か……」
ビルとビルの狭間、谷の底みたいな裏路地の一角で――。
俺は、ゴミ袋の山の上に、仰向けに転がっていた。
――エクサリオにビルから蹴り落とされた俺にとって、幸運なことは3つあった。
1つは、こうして柔らかいゴミ袋の上に落ちたおかげで、ダメージが最小で済んだこと。
……もちろん、落下の途中、残ったチカラを振り絞ってガヴァナードで地面に衝撃波を放ち、その反動を一種の受け身にはしたわけだけど……。
それでも、足からキレイに着地するほどの余力が無かった以上、最後に身体を投げ出すのが、固いコンクリか柔らかいゴミ袋かは大きな違いだ。
次の1つは……そのゴミ袋の中身が、どうやらシュレッダーで細切れにされた紙クズばかりだったらしいってこと。
ブザマな着地おめでとう、とばかりに、ちょっとした紙吹雪が舞ってくれたのはいかにも皮肉っぽかったけど……。
まあ、生ゴミぶちまけて悪臭にまみれるよりは、よっぽどマシってものだろう。
そして、最後の3つめは……人気のまるで無いところに落ちたってことだ。
それなりに大きな音もしたけど、それで驚いて逃げるネコが何匹も見えたから……逆に言えば、周りのビルの人間にしても、多少うるさかったところで「またネコか」ぐらいにしか思わず、気にも留めないってことだろう。
……そんなわけで、ぽつぽつと降り始めた雨の中、大の字になって伸びている俺。
そんな俺の頭の中では……未だに。
さっき、エクサリオへの一撃を邪魔されたときほどじゃないけど……〈クローリヒト変身セット〉のあの恨みがましい声が、微かに響いているのを感じる。
「……ったく……うるせーよ……」
思わず、口に出してぼやく。
……しかし、この鎧。
本当に、最悪のタイミングで俺を『呪って』くれやがったわけだが……。
ある意味、そのおかげ、とでも言えばいいのか――。
こうして『声』に直に触れたことで、俺は、『コイツら』の……。
そして、あのハイリアさえも把握してなかった、この鎧のもとの持ち主である〈謎の魔剣士〉の正体が……。
そう、いわば感覚の部分から――理解出来ていた。
――以前、ハイリアは言った。
この鎧から感じるのは、悲哀、絶望、後悔、羨望――そうした想いが、呪詛となったもののようだと。
そう――その通りだ。
そして俺が、アルタメアであの魔剣士を倒したとき……この鎧の中身が空っぽだったのも当然だったんだ。
なぜなら――あの魔剣士、そしてこの鎧は。
〈勇者〉を目指し、しかしその願い叶わず、道半ばで無念を抱えて散っていった魂――その強い想いの集合体で、中身なんてそもそもなかったからだ。
……ハイリアが、部下にいないって言ってたのも当たり前だ。
そもそも魔族じゃなかったんだから。
そしてとりあえず、この『〈勇者〉になれなかった魂』たちは、俺が勇者だったことが気に入らないというか……認めたくないらしい。
……まあでも……分からないでもない、その気持ちも。
そりゃあさ、『なんとしても〈勇者〉に!』って――。
家族のためだったり、大切な人のためだったり、国や故郷のためだったり……とにかく、強い想いを抱いて〈勇者〉を目指して、でも志を果たせずに倒れた人間からすれば――。
俺みたいな、異世界から来たある意味ポッと出の、しかも勇者であることにまるでこだわりのないヤツがその名を手にしたとなれば……良い気はしないだろうさ。
けど……悪いな。
……それが、きっとアルタメア最後の〈勇者〉になっただろう、この俺……なんだよ。
そう――最後、だ。
それを目指したヤツらが、こんな悲しいことになるんなら……やっぱり〈勇者〉なんてものは、俺で最後でいい。
だいたい、〈勇者〉の証でもあるガヴァナードは……俺がこっちに持ってきちまったしな。
「…………」
――俺は全身が痛む中、なんとか首だけを動かして、その証……手の中のガヴァナードを見やる。
エクサリオとの戦いの中、一瞬、本来のチカラの一端を垣間見せたガヴァナードも、今は、これまで通り――って感じだ。
だが――あのとき、俺は確かにそのチカラに触れた。
そして……理解したこともある。
……はっきりと断言出来る。
こいつが〈創世の剣〉なんて呼ばれるのは、ダテや酔狂じゃない。
一端に触れただけでも分かる、秘められたチカラは――本当に、途方もないものだった。
むしろ、ヘタをすれば〈世壊呪〉なんかより、コイツの方がよっぽど危険なんじゃないか――ってぐらいに。
まあ、あくまでそれも、チカラをすべて引き出せるなら――なんだが。
……で、結局俺がどうなのかと言えば……。
さすがに、あのときそのチカラに触れられたのは、土壇場での無意識の賜物だったから――もう1回やれ、と言われて狙って出来るかは分からんけど。
でも、どうすればガヴァナードのチカラを引き出してやれるのか――その方向性のようなものは見えた気がするんだよな。
だから、あとは……そこを突き詰めていくしかない。
――結局俺は、こんな風に、エクサリオにはこっぴどくやられて……まさに満身創痍ってやつだけど。
呪いの鎧と、ガヴァナードと……その両方について、今までにない理解が得られたのは――1つの収穫だっただろう。
それに……シルキーベルのことも。
まさか、あんな危険を冒してまで俺を助けてくれるとは思わなかったが……。
あの様子ならいずれ、和解することも出来るかも知れない。
……まあ、それは別にして、デカい借りを作っちまったし……何とか恩は返さないとな。
あと、収穫と言えば――純粋に俺自身についてもある、か。
ズタボロにされようと、生き延びたのなら……それだけの経験は得られたってことなんだから。
そう……俺自身を、さらに強くしてくれるだけの。
なら、今回は、倍近い差があったかも知れないけど――。
次はきっと、もっと近い場所に――手が届く場所に、立てるハズだ……!
「ぐっ――! げはっ、がはっ……!」
……まあ……。
そうやって強がらなきゃやってられない――ってぐらいボロボロなのも、事実なんだけどさ……。
「けど……いつまでも、こうしてるわけにも……いかねーよな……っ」
とにかく身体が痛くて、動かなくて……呪いの鎧に体力奪われるの分かってても、変身解く余裕すらないほどだったけど――。
それに、エクサリオの性格上、まさか俺を追ってここまで来ることもないだろうけど――。
万が一……ってこともある。
いつまでも、ここで大の字になってるわけにはいかない。
とにかく今は、少しでも早くここを離れないと――。
静かな雨に打たれつつ、考え事をしているうちに……なんとかムリヤリ身体を動かせるぐらいには、気力が戻ってきたことを確認して。
俺は、まずはさっさと変身を解き――。
ようやく呪縛から解放されたような気分で、ゴミ袋から引き剥がすように上体を起こす。
当然、雨が直に当たるようになったけど……今はそれも、心地良いぐらいで――
「…………セン、パイ…………?」
「……え……?」
そこへ、唐突に届く――はっきりとした、俺への呼びかけ。
その声のした方へ、ゆるゆると首を向けると。
そこには――――
「……センパイ、今の……今の、って……」
……いつから、そこにいたのか。
メガネの奥の瞳を、丸く見開き――。
口元を、手で覆い――。
驚愕――そんな言葉そのものの表情をした、白城が。
しとしとと降る雨の中に――――立ち尽くしていた。