第248話 暗く曇るのは、空か、気分か、先行きか
――朝の間は、夏らしくからりとした晴れ模様だった空は……いつの間にか、一面、どんよりと重苦しい雲に覆われていた。
まだ昼過ぎだっていうのに、あたりはもう日が落ちたみたいに暗く――。
しかも、湿気を含んだ蒸し暑い空気が、不快にまとわりつく。
……これは、近いうちに一雨来るだろうなぁ……。
「それこそ、俺の涙みたいにさー……」
――高稲の、駅前からは少し離れた商業用ビルの屋上で……。
クローリヒトに変身した俺はひとり、空を見上げながら誰にともなく、大きなタメ息混じりにつぶやいていた。
……いや、聞こえてそうなヤツもいるか……。
この広い屋上の反対側、俺の前方に居並ぶ無数の蠢く影――要するに、〈呪疫〉どもだ。
そりゃあ、こんな重っ苦しい天気だ……日も落ちてないのに、コイツらが湧いて出るのも分かるような気はする。
するけどな……。
――なんでまたそれが、よりによって今日なんだよッ!!!
心の中でシャウトするとともに……俺はイラ立ちのまま、ガヴァナードの切っ先でカツカツと床を叩く。
なぜ俺が、こうして思わず泣いちゃいそうなぐらいにイラ立ってるかと言えば――。
もちろん、〈呪疫〉が湧いて出たせいで、鈴守とのデートが邪魔されたからだ!
……せっかく今日は、ファミレスで2人きり、イイ感じに宿題とかやりつつ、のんびりまったりしようと思ってたのに……!
ウキウキと待ち合わせ場所まで移動する途中、コイツらの気配が近くて、それにふと気付いちまったせいで……! ほっとくわけにもいかなくて!
会う前に「ゴメン、急用が出来た」って断りの電話を入れなきゃならなかった俺の、この無念さたるや……ッ!
そしてその際の鈴守の、「あ、実はウチも急用が……!」って、とっさに気を利かせてくれたに違いない、ちょっと元気のない返事を聞いたときの、そのやるせなさたるや……ッ!
そりゃ泣きたくもなるってもんだろう!
空だってどんよりするってもんだろう!
……ったく……!
だいたい俺は、正確には〈元・勇者〉なんだぞ?
なのに……あの銀行強盗のときといい、今回といい……。
なんで未だにこうして、いかにもなタイミングで災難に見舞われるんだよ、まったくよ〜……。
「……って……いつまでもグチっててもしょーがねーしな……」
俺は、ぞんざいに扱っていたガヴァナードを、しっかりと握り直す。
……その、あまりに悪すぎる出現のタイミングやらについては、考えても腹が立つだけなので、この際、脇にどけておくとして――。
実は、改めてコイツらと戦り合っておきたかった――ってのも、正直なところだったりする。
なぜかと言えば……アガシーの、『〈呪疫〉が強くなっている』って報告が気になってたからだ。
……魔剣グライファンを砕いた際、同時に、ヤツが亜里奈のチカラとともに取り込んでいた〈霊脈〉の汚染が一掃されたからか――。
あの件以来、〈呪疫〉の出現頻度は明らかに落ちてるわけだけど……。
そんな中、少し前に――確か、鈴守のオフクロさんと〈天の湯〉で話した日の夜だったか――俺が倒した〈呪疫〉には、妙な違和感を覚えたんだよな。
以前と比べて『強い』って感じるほどの差があったわけじゃないけど……でも、斬ったときの手応えが違う……っていうか。
もしそれが、ヤツらが強くなる兆候のようなものだったとすれば……。
そのときからさらに時間が経った今なら、戦えばはっきりするだろう。
『強くなってる』っていうのが、どれほどのものなのか。
……まあ、本当に問題なのは、それが『なぜなのか』と、『亜里奈に悪影響は出ないのか』――ってところなんだろうが……。
「……何にせよ、強くなってるってのは……気に入らない話だよな」
グライファンは倒した。
それによって、〈霊脈〉の汚染は相当解消された。
引いては、亜里奈に流れ込む、その汚染をもとにした闇のチカラも減り……実際、亜里奈は今のところ、あの嵐の日のような体調不良は起こしていない――。
それらだけを見れば、根本的な解決はしていないまでも、ひとまず事態は落ち着いていると言えるだろう。
……にもかかわらず、〈呪疫〉が、突発的なものでなく恒常的に、その濃度を増したように強くなっているのなら――。
表立って悪いことがないからこそ、余計にイヤな気分にもなる。
もちろん、そもそも俺たちだって〈呪疫〉のすべてを理解しているわけじゃなし――悪いことが起きてないなら、単なる取り越し苦労って可能性もあるんだけど……な。
「とりあえず、確かめてみるか……――っと?」
まさに〈呪疫〉どもへと突撃をかけようとしていたその矢先――。
結界内に入り込む気配を感じた俺は、動きを止めてそちらを見上げる。
案の定……というか。
空から、ふわりとこの場に降り立ったのは……。
見慣れたメカメカしい魔法少女――シルキーベルだった。
続けて響くのは……聞き慣れた、テノールのイイ声。
「――今、ここにィ! 悪の魔の手から人々を守るため!
破邪の鐘で正義を打ち鳴らし、世に平和の天則を織りなす――!」
「それ、もういいから」
勇ましく名乗りを上げていた使い魔の武者ロボを、ぐいとぞんざいに抑えつけて黙らせるシルキーベル。
「よう、シルキーベル……久しぶりだな」
「そう……ですね。2週間ぶりぐらい――でしょうか」
まずは、さりげなく挨拶を交わす。
……うん、よし……普通に対応出来てるな、俺。
前に会ったときは、鈴守になかなか逢えない気持ちがこじれたのか、シルキーベルに鈴守を重ねるような感じになっちまったからな……。
もしまた、同じようなことになったら――とか、ちょっと心配だったけど……大丈夫そうだ。
まあ、あんな、鈴守にもシルキーベルにも失礼な態度には、二度とならないように――って心に決めてたし。うん。
ただ、それでもやっぱり……。
シルキーベルとは対立関係でありながら、敵対心よりは仲間意識っていうか……つい、親近感みたいなものを感じちまうんだけど……な。
……で、一方のシルキーベルも、以前と比べればかなり友好的になってくれてる感じだが……。
なんつーか、今日は……。
ヘルメットで顔こそ良く見えないものの、使い魔ロボへの対応とかから、ちょっとご機嫌ナナメにも思える。
いやまあ、鈴守とのデートの邪魔されてムカムカしてる俺が言うのもなんだけど。
……って、ん……? デートの邪魔……?
ああ、もしかしたら――!
「……そう言えばシルキーベル、お前確か前に、彼氏がいる――みたいな話をしてたよな。
もしかしてお前も……アイツらにデートの邪魔をされたクチか?」
そう、あれは――七夕の夜だ。
星空を見上げて、織姫と彦星の位置を教えてもらいながら……お互いに『こういうのは恋人とのデートでやれ』って言い合った――。
そのことを思い出しつつ、尋ねてみると……。
「えっ? あ……そ、そう言えば、あなたには彼女さんがいるって話でしたね。
わたし『も』ってことは……あなたもそうなんですか?」
シルキーベルの答えは、俺の予想通りのものだった。
やっぱりなあ……。
「……そういうこった。
ものの見事に邪魔されたよ、腹立たしいことに」
「それは……奇遇ですね。
……まあわたしの場合、彼は彼で用事が入ったみたいですから、まだマシ……ですけど。
でも、それが無かったとしても、結局断りの連絡を入れるしかなかったと思うと……やっぱりちょっとはムッとしちゃいます……!」
さっきの俺みたく、腹立たしげに杖で床をカツカツ叩くシルキーベル。
……ちなみに武者ロボは、そんな主人をヘンに慰めたりせず、ちょっと離れて様子を窺ってるけど……。
これはなんつーか、主人のために余計なことは言わないでいる――ってよりは、『触らぬ神に祟り無し』な感じにも見えるな。
――もちろん、本心はどうだか知らんけど。
「ともかく――だ。
俺たちはお互い、この〈呪疫〉どもに並々ならぬ恨みがあるらしい。
……ってことで、とにもかくにも、まずは協力してコイツらをブッ潰す――ってのはどうだ?」
俺が、〈呪疫〉の群れの方にガヴァナードの切っ先を向けながら提案すると……。
シルキーベルは、一度くるりと手の中で回した杖を構え直しながら、うなずく。
「――いいでしょう。
全面同意……というわけでもないですけど、あなたと共闘するのも、ある意味慣れましたし――。
頭に来てるのも、事実ですしね……!」
「決まりだな」
俺たちは自然と、互いの死角を預け合うような形に並び立つと――。
「今のお前なら心配ないだろうが……足を引っ張るなよ?」
「あなたこそ。調子に乗って、つまらないミスとかしないで下さいね?」
特に合図も必要なく。
そのまま同時に、屋上の反対側――〈呪疫〉の群れへと飛び込むのだった。