第23話 銭湯のヨモギ湯に、ちょっと悩める魔法少女
――おっきな湯船から立ち上る湯気が、高くて広い天井にゆらゆら〜って消えていく。
他のお客さんの声とか水音とか、現実的なはずやのに、反響してぼやけると……それもまた、湯気に霞んだ幻想的な雰囲気の一つになる。
銭湯に来るんはすごい久し振りやし、そもそもここは初めてやねんけど……。
なんか、昔から知ってるところに戻ってきたみたいな、懐かしいみたいな感じがして……ほっとする。
でも……。
「はぁー……」
ウチの口をついて出たんは、おっきなタメ息やった。
それが、お風呂の心地よさにほぐされたからなんか、それとも――。
――『それじゃあ、センパイ!』
今日の放課後のことを思い出して、ちょっと気分が下がってるからなんかは……分からへん。
ううん、違う……両方やなあ、きっと。
ヨモギ湯の香りをいっぱいに吸い込んで、ウチはもう一回、大きく息を吐いた。
あの1年生の子……白城鳴ちゃんて言うたっけ。
赤宮くんは、こないだの事件のとき、いっしょに人質になってただけって話してくれたけど……。
それに、うん、赤宮くんのことは信用してるけど……。
あの子の方は……なんか、それだけでも……あの事件の真相が知りたいってことだけでも……ないみたいに思えた。
クローリヒトがこだわってた人質の中の一人ってことは、〈世壊呪〉となんか関係があるんかも知らんけど……。
うん、ウチが引っかかってるのは、そういうんでもなくて……。
あの子が、赤宮くんとの別れ際にウチに向けた視線が、何て言うか、挑戦的なところもあったように思えて……。
「………………」
ふと、ヨモギ湯の緑色に隠れた、自分の胸元に手を落とす。
………………。
「……負けてるやんー……」
ざばんと、ウチはお湯の上に突っ伏した。水面ダウン。
「……なにやってるんだい、千紗。いい歳して泳ぐんじゃないよ?」
「泳がへんよっ!」
電気風呂に入ってたはずのおばあちゃんが、ウチの隣に来てゆっくり腰を下ろした。
……けどホンマに、60前とは思われへん肌ツヤしてるなあ……おばあちゃん。
もしかして、なんか自分で作ったアヤしい美肌サプリとか使ってるんちゃうかな。
それに――。
なんなん? ホンマになんなん? そのモデルみたいなスタイル!
ケンカ売られてるみたいな気になんねんけどっ。うぅぅ~……!
「どうだい、たまには銭湯もいいものだろう?」
肩までお湯に浸かって、満足そうに息を吐き出した後、おばあちゃんはウチを見た。
「うん、まあ……それは……おっきなお風呂は気持ちええけど……」
答えてウチはまた、湯気が吸い込まれていく高い天井を見上げる。
……おばあちゃんがいきなり、「今日は銭湯にでも行くぞ」とか言い出したときは、なんなんやろうって思ったけど……。
この間は、ええ感じに追い詰めたと思ったクローリヒトに、本気出されて一撃で逆転されるし――。
今日は今日で、あの後輩の子のことがあったりで……微妙に沈んでたウチの気持ちを、リフレッシュさせようって、気を使ってくれたんかも。
「……ま、焦ることはないさ。このドクトル渾身の作たる使い魔〈カネヒラ〉も役に立つって分かったんだし、あのクローリヒトに一発デカいの叩き込んでやったんだ。
千紗、アンタは良くやってるよ。だから何とかなる。
諦めなきゃ勝てるし、お役目だって果たせるとも――ゼッタイにな」
「おばあちゃん……」
「……正直なところ、な……。
千紗、アンタには悪いと思ってるんだよ」
いきなりそんなことを言い出しながら、手を組んで作った水鉄砲で、どこへともなくお湯を飛ばすおばあちゃん。
……すごい勢いと飛距離があるんは、筋力のせいなんか理論的なもんなんか……どっちやろ。
「本来の周期で言えば、〈世壊呪〉なんてとんでもない大呪が出てくるのは、世界の澱みのようなものが溜まって凝り固まってくる、もっともっと先の話のハズだったんだ。
だから、鈴守家もしばらくはチカラを鍛えるより、次代に向けて蓄えることを優先した。
無理に巫女を選出せず……恒常的に出没する小さな呪いなんかは、チカラはなくとも知識はある縁者に処理を任せておけば問題はなかった。だが――」
「……託宣が出た。
やから、ウチが選ばれた……やんね?」
託宣は、ウチら一族の先の方針を決めるための占いみたいなもん。
それに一年ちょっと前、この広隅に〈世壊呪〉が顕れる――なんて結果が出たから、さあ大変。
急遽、対抗するために一族から選抜されたんが、このウチ……鈴守千紗、いうわけ。
でも、大呪に対する巫女ゆうんは、素質を見出された人が、幼い頃から厳しい修行を積んでなるのが普通。
一応本家筋の生まれやから、それなりの霊力は持ってるし、おばあちゃんの影響で護身用の体術ぐらいは叩き込まれてきたウチやけど……。
それ以外は普通の生活送ってきてたんやから、ホンマは〈鈴守の巫女〉なんかやるだけのチカラは無い。
そこで、それを補うために、ホンマもんの天才のおばあちゃんが、科学と魔術を融合する(本人談)ことによって、趣味全開で生み出したのが、シルキーベル……いうわけやった。
「祖母としては反対したかったんだがな……。
関西で生まれ育ってきたアンタに、いきなり、友達とも親とも離れて一人、高校からこっちに来いって言うんだから」
「……しゃあないよ。ウチしかおれへん、てなったら」
もちろんウチも、鈴守の『家業』については、幼い頃から聞かされてた。
でもまさか、いきなり自分にそんな白羽の矢が立つとか思いもせえへんかったから……しゃあないって自分に言い聞かせても、やっぱりイヤやった。
もともとウチは内気な方やのに、この関西弁のせいで、さらに周りと話がしにくくなって……友達とかできへんのちゃうかな、って。
――でも、そんなんは杞憂やった。
おキヌちゃんを初めに、みんな、ウチを受け入れてくれた。
それに――
「それに……うん。いいことも――あったから」
そのおかげで、赤宮くんにも会えた――。
さすがにそれを口に出すんは恥ずかしくって、適当に言葉を濁す。
「…………。そうか」
そんなウチの頭におっきな手を置いて、わしゃわしゃとなでてくるおばあちゃん。
「……でも、やからって、魔法少女がイヤなんは変わらへんから! お役目関係なく!」
「そこは諦めな。
アタシにとっちゃ、趣味と実益を兼ねてるんだからねえ」
おばあちゃんは豪快に、オトコ前に笑う。
それは、広い浴室内に良く響いた。
「まあともかく、焦ったって良いことなんかない。前を向いてな。
繰り返して言うが、何とかなるさ。お役目だって――」
そう言うや否や、おばあちゃんはいきなり、ウチの胸に手をやって――
「――――!!??」
すっごい速さで、左右両方触っていった……!
「こっちだってな! これからこれから!
だからそううつむくな、あっはっは!」
ざばりと湯船から上がり、のっしのっしと立ち去っていくおばあちゃん。
ウチはしばらく、放心状態でそれを見送ってたけど……。
「あ~、もうっ! こンの、セクハラ美魔女ぉーーーッ!!!」
ふと我に返ると、その背中に向かってウチは思わず、文句かどうかもわからへんそんなセリフを叫んでた。
「ホンマに……もう……まったく……!」
――お風呂出て着替えて、髪も乾かし終わり……脱衣所を出ようとするウチの口からは、それでもまだおばあちゃんに対する恨み言がこぼれる。
……そう言えばこのお風呂屋さん、結構歴史があって古いみたいやけど……。
下駄箱から番台の間に広いスペースが取られてて――お風呂上がりにくつろげる、畳敷きのキレイな待合所になってるのを入ったときに見た。
やから――。
髪の手入れらしい手入れもせず、剛毅に、さっさと脱衣所を出てったおばあちゃんは、その待合所で、豪快に缶ビールでもあおってるんやろうなあ……。
そんな予想をして、それやったらウチはなに飲もう、定番のフルーツ牛乳かな、瓶詰めのリンゴジュースってまだあるんかなあ……とか考えながら、脱衣所と番台前を区切る暖簾をくぐる。
「あ。ありがとうございましたー!」
そのとき、番台から掛けられたのは、可愛らしい女の子の声やった。
……え?
いや、うん、お風呂入るとき番台に座ってはったんも、確かに『可愛らしい』お婆さんやったけど、この声は――。
ウチは反射的に、声の主の方を見る。
……そこにおったんは、可愛いは可愛いでも、お婆さんやなくて――小学校高学年ぐらいの、クセっ毛でちょっと吊り目がちな――すっごい可愛らしい女の子やった。
女の子はウチに、にっこり愛想良く笑いかけてくれる。
――え。ちょっと待って……?
番台に座る小学生の女の子? お風呂屋さん……?
おばあちゃんに、銭湯に行く――って連れて来られたとき、あの後輩の子のことばっかり考えてたから、ゼンゼン気にしてなかったけど……。
まさか、まさかココって……!
「お、やーっと出てきたか、千紗。
――どうだ、カワイイ子だろう?」
にかっと笑ったおばあちゃんが、缶ビール片手に女の子を指し示す。
ウチは、ギギギ……って音がしそうな動きで、もう一回、女の子を見上げた。
「この子が、最近知り合った、アタシの魔法少女談義の同志!
ここ〈天の湯〉の看板娘、亜里奈ちゃんだ!」
「どうも、よろしくお願いしますね、お姉さん!」
ペコリと、愛想良く丁寧に頭を下げてくれる――赤宮くんの妹、亜里奈ちゃん。
一方で、何とか反射的に礼を返したウチの頭ん中は……真っ白になってた。