第244話 居酒屋の一室、お役人たちのプロフェッショナルかも知れない会談
――美汐くんが私に指定してきた会合場所は、居酒屋チェーン店〈鳥士族〉だった。
ここは、全体的なメニューの値段の安さと、『士族は飲まねど高楊枝』のキャッチコピーが示すように料理が充実していることから、そちらを目当てに家族連れが夕食にも訪れるぐらいだし、本格的なバーなどに比べればはるかにマシなのかも知れないが……。
それでも、居酒屋は居酒屋である。
高校生の彼女のためにもあまり良い選択とは思えない。
ゆえに、合流したらさっさとファミレスにでも連れ出すべきかと考えつつ……店員に待ち合わせであることを告げ、案内された奥の小さな座敷席に向かうと――。
「……あ、これはどうも。
西浦さん――ですね? お疲れさまです」
私を呼び出した美汐くん……ではなく。
メガネでスーツ姿の見知らぬ若い女性が、わざわざ立ち上がって私を迎えてくれた。
「は? あ、あの……え?」
「まあまあ、どうぞそちらに」
困惑する私を、スーツの女性はテーブルの向かいに座らせる。
そうしてから、わざわざ、狭い座敷内を見渡しても……。
私を呼び出した張本人は……どこにもいない。
……どうなってるんだ……?
たまたま席を外しているだけだ、とか?
いや、それにしても彼女はいったい……情報提供者か何かか……?
――様々な考えが頭を巡る中、ひとまずは冷静になろうと内心で努めていると……。
「改めて……初めまして。
直芝志保実と申します」
わたしに続いて、元の位置に腰を下ろした女性は、そう名乗りながら……スーツの内ポケットから何かを取り、こちらに差し出してきた。
どうもご丁寧に、と反射的に返しながら受け取ったそれは――予想に反して、名刺ではなく……。
「……生徒、手帳……?」
そして、そこに記載された名前と顔写真は……見知った少女のもので――!
「っ! これは、まさか……!
――おいアンタ、彼女をどうしたんだ!?」
「……は?」
「とぼけるなよ?
――こうして、わざわざ塩花美汐との待ち合わせ場所に現れ、その生徒手帳を見せると言うことは……!
彼女の身柄を押さえ、その安全と引き換えに何かを要求しよう――というのだろう!?」
思わず立ち上がって詰め寄る私に、直芝と名乗った女性は、なぜかキョトンとした表情をしたかと思うと……。
やがて――いかにも楽しげに笑い始めた。
「なにがおかしい? 私は――!」
「ちが、違いますって、西浦さん!
あ〜……もう……!
――ア・タ・シ、アタシですよ!」
目尻に浮いた涙を拭いながら、メガネを取る女性は――。
いつの間にかその声が、私の知っているものに変わっていて……!
「ま、まさか……。
キミは、美汐くん――なのか?」
「そーですよ! そりゃ忍者ですもん、変装ぐらいしますって」
言って、直芝――ならぬ美汐くんは、まさしくイタズラっ子のごとく、ぺろっと舌を出す。
……はっきり言って、まったく気付かなかった……。
「――いや~、でも、生徒手帳見せればすぐに気付くと思ったら、まさかこんなカン違いするなんてねー……。
とりあえず、西浦さんが想像以上に良い人だ、ってのがよく分かりましたよ。
……うん、マジに心配してくれてるの、ちょっと嬉しかったかも」
「はー……。まったく、驚かせないでくれ……」
途端に力が抜けた私は、バツの悪さに頭を掻きながら、改めてどかっと腰を下ろす。
未成年者に居酒屋はよくない、とか……そんなあれこれ考えていた説教は、もうどこかにすっ飛んでいた。
「あ〜……ごめんなさい、別にからかうつもりじゃなかったんですけど」
「……まあいいさ。
また1つ、キミが忍者として優秀だと知れたってことで納得する。
しかし、まさかと思うが――。
実は直芝志保実がキミの本来の姿で、塩花美汐が変装……ってことはないよな?」
「んふふ~、どっちだと思います?
――なーんて……これ以上からかうようなことになって、西浦さんに愛想尽かされるのも問題ですからね。
ええ、はい。もちろん、JKの方が素ですよ。
……一応、こういうのも持ってますけどね」
言って、美汐くんはサイフの中からカードを出し……それと引き換えに、私の手から生徒手帳を取り上げていった。
渡されたカードは……さっき彼女が名乗った、〈直芝志保実〉名義の運転免許証だ。
「……つまり、もちろん偽造――ってことだよな?」
「ですよ? まあ、運転も道交法もちゃーんと習熟してますんでご安心を。
さすがに忍者も、この現代社会じゃ、足が無いと不便ですからねー」
美汐くんはニッコリと笑って、公務員の私を前に、そんなことを堂々と宣うのだった。
それから――。
適当な料理とソフトドリンクを注文した私たちは、改めて情報交換をしていた。
……といっても、美汐くんも私も互いに、これまでの活動で決定的な何かを掴んだ――というわけでもなかったのだが……。
「……そう言えば西浦さん。
赤宮センパイの家族……というか、具体的には再従兄妹の2人――ハイリアセンパイとアガシーちゃんですけど……戸籍とか、ちゃんとしてるんですよね?」
だし巻き卵を頬張りながらの美汐くんの問いかけに、私はうなずく。
「一応、こちらに出向してきた際、一通り調べたからな。
赤宮サイン、シオンの兄妹は、赤宮裕真の父裕秋氏の従兄弟にあたる、赤宮智久氏の子供として、ちゃんと戸籍がある。
……だいたい、そうでなければ学校になんて通えないだろう?」
「まあ、そうなんですけど……クローリヒトやその仲間クローナハトの登場と、あの兄妹の日本への移住タイミングとの重なりが気になって。
……赤宮センパイとクローリヒトをくくって考えちゃってる、その先入観から――かも知れませんけど」
右手で箸を握りながら……美汐くんは左手で、自分の免許証をもてあそぶ。
……なるほど、あるいはその戸籍も偽造であるかも知れない――と、疑っているわけか。
もっとも、偽造なんて、そうカンタンに出来ることでもないと思うが……。
いやしかし、『魔法』には人を幻惑するようなものもあると聞くし……。
あるいは、そのテの仕事を請け負うような裏社会や組織との繋がりが無くとも、不可能ではない――のか?
「まあ、気になるようなら、改めて時間をかけて調べ直してみよう。
何も無いなら、それはそれで可能性を1つ潰せるわけだしな」
「どもです。……じゃ、そっちは西浦さんにお任せしちゃいます。
あ・と・は〜……っと、そうだ!
クローリヒトじゃなくて、シルキーベルのことですけど……。
〈諸事対応課〉の西浦さんからすると……どうです?
シルキーベルって、〈聖鈴の一族〉の関係者だと思いますか?」
「それについては……むしろ、私からキミに聞きたいところでもあるな。
広隅に拠点を置く忍の一族として、何か知らないか?」
そう尋ね返し、串から抜いた焼き鳥を口に放り込みながら答えを待つも……。
美汐くんは、まさか、とばかりに首を横に振るだけだった。
「……アタシどころか父さんもお爺ちゃんも、〈聖鈴の一族〉については、名前を知ってるぐらいですよ。
それと、あとは――不用意に関わるな、っていう、いわゆる不文律」
「なるほど……まあ、それもそうか……」
公儀隠密、なんて言うぐらいに国と近しい塩花家が情報を持っているなら、とっくにそれは政府――引いてはうちの課に回っていてもおかしくない、か。
「ちなみに、アタシ個人の意見としては……当然、関わりがあると思ってますけどね」
「……そうだな。私もそう思う。
さすがに、出現当初はどちらとも言えなかったが……。
広隅の霊的な守護を、国の介入を許すことなく担ってきたという〈聖鈴の一族〉が、〈世壊呪〉にまつわるこの暗闘を、いつまでも見過ごすとも考えられない。
……そうなると、他に参戦する勢力もない以上は……これまでの主義主張や戦闘情報を顧みても、彼女――シルキーベルが近い位置にいると見るのが自然だろう」
「ですよねー……やっぱ。
――てゆーか、そのこと、お国の方は何となくでも察してたんじゃないですか?」
そう言ってこちらへ向けてくる、美汐くんのメガネの奥の視線は鋭い。
ヘタなウソはすぐにでも見抜く、と言わんばかりだ。
まあ、私としては、そもそもそういうのは向いていないし、彼女と化かし合いをしようというつもりもないわけだが……。
「……恐らく、な。
国が、私の陳情を聞き入れて〈救国魔導団〉の側に付いたのには、魔導団が提示したメリットの他に、そのあたりも理由にあると思う。
国としては、〈聖鈴の一族〉と敵対したくはないものの、このまま広隅への不干渉状態が続くのも気に入らない――といったところなのだろう。
魔導団が目的を達してくれれば、彼らと、彼らが管理することになる異空間――魔獣たちの保護地である〈庭園〉が、そのまま広隅における、国が直接的な影響力を持ついわば『飛び地』となるし……。
その上、広隅の守護という役割を果たせていないと、〈聖鈴の一族〉を糾弾する材料にも出来る。
魔導団がいなければ、〈世壊呪〉によって広隅は危なかったのではないか……とね。
そしてそうなれば、国としては今後〈聖鈴の一族〉に対して優位な立場になるわけで……ゆくゆくはそこから管理に繋げていこうと、そんな風に考えているのではないかな。
――まあ、あくまで、一介の下っ端役人の勝手な想像だがね」
「そうですねー……。
確かに、あわよくば〜で、それぐらいは皮算用しててもおかしくはないかも」
私の見解に、テーブルに頬杖をつきながらうなずく美汐くん。
……しかしそうかと思うと、一方の空いた手は店のタブレットに向かい――メニューを開いていた。
これまででも、わりとあれこれと頼んで食べたはずだが……まだ入るのか……。
「あ、今さら言うことでもないですけど、甘いのは別腹なんですよ〜。
……忍者である前に、花も恥じらう乙女ですからねアタシ!」
私の視線に気付いた美汐くんは、得意気にそう言いつつ……詳しくは分からなかったが、ケーキにアイスといった感じのデザートを幾つか、タブレットで注文していた。
そして、満足げにタブレットを充電スタンドに戻すと……。
私に、やれやれ、と言わんばかりの苦笑いを向ける。
「ま、何にせよ……。
アタシたちはこのまま、出来ることをやるしかない、ってわけですかね」
「……まあ、そういうことだ。
先日、白城と話したところによれば、〈庭園〉を構築している魔術式の劣化も徐々に進んでいるようだし、手遅れになる前に、出来る限り早く〈世壊呪〉に至る情報を掴みたいが……。
だからといって、焦って失敗するわけにもいかないからな」
同じような苦笑を返した私は――。
すっかりぬるくなった烏龍茶の残りを、ぐいと一気にあおった。